1933年1月 任期満了での首相辞職 シャーム総督府とアラビア総督府の創設 フランス・スペイン連合王国での不穏 ドゥーチェと国王陛下 エジプト王国にての過激派組織
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
(情報量が凄いのでゆっくり読むのをオススメします)
1933年1月1日 尾崎行雄内閣総理大臣は新年の会見にて「今年の4月に行われる衆議院選挙で、私は内閣総理大臣職を任期満了と同時辞職することを宣言します、それとともに3月に予定されております新生民主党首選挙では不出馬をここで宣言します、そして3月と4月の間に関しましては党との話で『党首が変わっても内閣総理大臣職は任期満了で全うする』事で決まりましたとしてここでご報告します」
このように尾崎行雄首相は会見で発表し、そして次の総理が誰になるか?多くのメディアや国民の間で議論されることになる。
1933年1月5日 オスマン帝国はシリアとイラクに「シャーム総督府」、アラビア半島に「アラビア総督府」の2つを創設。
シャーム初代総督には「メフメト・タラート・パシャ」
アラビア初代総督には「アフメト・ジェマル・パシャ」
の第一次世界大戦で三頭政治を行った二人の元大臣が就任。
そのもう一人のイスマイル・エンヴェル・パシャは現在「統一進歩党」(前身組織は『統一と進歩委員会』)にて党首を行っており、それに現与党の帝国人民党とは対立関係なため、現在何の役職もないタラートとジェマルが総督に就任することになった。
1933年1月8日 イベリア動乱によりあらゆる勢力が跋扈したスペインでは、フランス組が離脱したことでフランシス・フランコ率いる「統制派」とミゲル・プリモ・デ・リベラ率いる「王党派」で対立が激化しており、フランコは「この戦争中に内紛を起こせば、今度こそこのスペイン王国は滅亡するぞ!」と力強い演説をし、王党派を批判したが、これにリベラは「では言おう、内紛を起こすのは愚行だ、それは私も認める、だが今のフランコは国王陛下の権限を越え、そして国王陛下の発言も聞かない、こんな事があっていいのか?国王陛下有っての王国であり、そして国王陛下がいるから我々は今のところ一つにまとめられておるのだ、だがフランコほ我々を政府から次々と追い出しており、バランスを欠けている。今こそ現在の軍事独裁を段階的ではあるが民主化し、立憲君主制を行おう!」
1933年1月10日 イタリア王国であるニュースが駆け込んだ。
それは「ドゥーチェと国王陛下の仲が険悪」になってるという噂である。
実はこの噂は本当であり、ドゥーチェの独裁的な行為に対して、ローマ進軍で何も言えなかったヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がキツく叱責したことがあとに明らかになった。
このことでドゥーチェは元気をなくしており、このことに北イタリアでは共産主義者がドゥーチェ打倒を目的とするデモが発生、これに対処するため2月頃にドゥーチェは北イタリアで演説し、そして共産主義者を弾圧すると決めた。
1933年1月15日 エジプト王国ではイスラム過激派組織「ムスリム同胞団」が勢力を拡大しており、そこに古代エジプトの太陽神「ラー」を崇拝する「エジプト復古運動」と言う、現在のエジプト王国を転覆し、そしてイスラム教の国から太陽神ラーの国にしようとする過激派組織までも現れており、一触即発の事態である、ここにどでかい事がもし起きればカイロ革命がカイロだけで終結したのがエジプト全土に広まることになる可能性が大である。
1933年1月18日 ドゥーチェが北イタリアへの演説ため出発。
1933年1月22日 フランコ将軍が前線での視察のため出発。
1933年1月25日 この日に「満洲朝鮮人排華事件」が発生、当初は話題を集めたが、来月の2月にどでかい爆弾が爆発したことで誰もそれに注目することはなくなった、何故かと言うと……………………
日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報
臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。たった今から衝撃な出来事を報告します。
「本日2月3日にて『ベルリン株式市場』が大暴落しました!もう一度繰り返します『ベルリン株式市場』が大暴落しました!」
この世界はカオスを超えた世界へ突入することになる。
(要するだが作者も読者も考えがつかない事が起きるということ)




