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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
黒い洪水年表
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史実と乖離していて意味が分からねえよと思ってる読者のための『黒い洪水年表』その3

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1924年 原敬と伊藤博文が憲法改正して軍部の暴走を阻止し、内務省をブチ壊し、解体させた。これにより財務省、国土交通省、総務省、文部科学省、警察庁、などなどと組織改革が行われた。(原敬は暗殺されなかった。伊藤博文が暗殺者をフルボッコにしたから)


日本で憲法改正が行われて、新しい政治を行っているとき、オスマン帝国は日本に習って、どんどん資金を公共事業と民間企業に支援を行い、日系企業にはどんどん市場拡大をさせるため支援を惜しまなかった。これにより経済状況は好景気に突入して、好景気から出た資金をどんどん公共事業と民間企業、日系企業に送っていった。(これのおかげでオスマン帝国国民の生活が豊かになり、帝国への不満は大幅に減って、親日も増えて、オスマン帝国はあらゆるところからどんどん変わっていった)


ドイツはオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、北フランスに多くの資金を投資し、経済的植民地化を進めた。


北フランス王国で政権与党のフランス王国民主党と野党第一党のフランス社会民主党が連立を組む。(事実上の挙国一致内閣)

(フランス社会民主党の正式名称は「フランス・トラヴァイユール党」)


1925年 アメリカ経済が崩壊、アメリカ恐慌が発生した。このアメリカ恐慌によりアメリカと関係の深かった南アメリカ諸国は経済が軒並み崩壊、国家社会主義者がどんどん増加していった。


アメリカ経済が吹っ飛んだ影響でアメリカ系企業がオスマン帝国から撤退、空いたところに日系企業が進出していった。(ドイツ系企業も進出)


アメリカ経済が吹っ飛び、アメリカ政府は日本政府に対してアメリカ領の太平洋地域とハワイ島の売却を提案、アメリカ国内の反発があったが、それを封じ込み、日本は太平洋地域とハワイ島を合法的に獲得した。


大正天皇が退位を宣言、皇太子裕仁親王の即位が決定した。(1926年に大正天皇は上皇陛下になる。亡くなる1年前に退位を宣言したので、上皇陛下は1936年まで生きる)


皇太子裕仁親王の弟、秩父宮雍仁親王がポーランド王国初代国王「ヤスヒト一世」として即位、ラジオ演説でポーランド語を話し、(この時のポーランド国民は驚いたと言う)国民に寄り添う国王をヤスヒト一世は目指した。


ドイツの影響国では

皇帝ヴィルヘルム2世の息子達に3つの王国の国王に即位させる。


バルト連合王国初代国王 アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン(四男)


ベラルーシ王国初代国王 アーダルベルト・フォン・プロイセン(三男)


ウクライナ王国初代国王 オスカー・フォン・プロイセン(五男)

(3つの王国はゲルマン化、ドイツ化を進めていった)


北フランス王国はドイツとイギリスから旧式兵器を購入、この旧式の兵器はフランス国家社会主義共和国国内に居る反体制派にレンドリースした。


フランス国家社会主義共和国ではコルシカ島にいる残存亡命フランス政府とスペイン侵攻を計画


1926年 大正天皇が退位、皇太子裕仁親王が昭和天皇として即位した。(国王として即位した秩父宮雍仁親王より1年遅く即位した)


メフメト6世が亡くなって、アブデュルメジト2世が第37代皇帝に即位した。アブデュルメジト2世は政治に興味が無く、政治に関しては全てムスタファ・ケマル宰相に任せて、アブデュルメジト2世は宰相に「カリフとして仕事するから皇帝の仕事は少なくして」といい、宰相の仕事はどんどん増えてしまった。これにムスタファ・ケマルは仕事の効率化を行い、他の大臣の仕事と官僚の仕事を増やし、宰相の仕事を減らすことに成功した。


中国で国家社会主義者と共産主義者が蜂起。中国は大混乱になり、そこに新しい市場を手に入れたいアメリカ合衆国が軍事介入をして、中国に侵攻、それを見たドイツとイギリス、日本も介入して、軍隊を中国に出兵した。


中国の崩壊によりアメリカ合衆国が軍事介入を開始、それにイギリス、ドイツ、日本が追従し、1927年に、日本は満洲地方に「満洲共和国」を建国した。満洲共和国初代首相に張作霖が就任、張作霖の息子「張学良」は満洲共和国国防軍元帥に父から任命された。


北フランス王国のドイツ化が進む(好景気で人口の増えたドイツでは、ドイツの友好国やドイツ系国家に移民する人たちが増加した)(1926年当時の北フランス王国のフランス系とドイツ系の値は、フランスが80%、ドイツが20%と2割がドイツからの移民で、1930年代に入ると3割に増加した)


南フランスのフランス国家社会主義共和国がフランス亡命政府がいるコルシカ島に侵攻、そこにスペイン王国が介入し、コルシカ島を守るように艦隊を封鎖した。これにより侵攻ができなくなったフランス国家社会主義共和国軍は、スペインに侵攻を決定、これによりフランス・スペイン戦争が発生した。


フランス・スペイン戦争が開戦、序盤ピレネー山脈に立て籠もったスペインが優勢だったが、フランスは火力によるゴリ押しにより突破、1928年にスペイン王国政府は本土を消失し降伏。(亡命フランス政府はコルシカ島に上陸されて壊滅)


3年続いたロシア内戦はソビエト・ロシア共和国首都レニングラードが陥落によりロシア国家社会主義共和国が勝利。ロシア臨時政府はケレンスキーが国家社会主義者により暗殺されたため政府は崩壊、そのままロシア国家社会主義共和国が飲み込み。ロシア国家社会主義共和国が内戦に勝ったが、3年続いた内戦により国土は荒廃、経済も崩壊、行政機関もほぼ機能しない。そんな全てか破壊されたロシアでヨシフ・スターリンは国家運営をしていくのだった。


イタリアで国家社会主義者が政権を取り、ベニート・ムッソリーニが統領(ドゥーチェ)になった。だがこれに共産主義者が不満を持ち、ナポリで共産主義者が「イタリア共産連邦」を建国、これにより内戦に突入した。


1927年 前年の中国出兵で中国は崩壊、中国東北地方は日本が取り、アメリカは中国華中地方、ドイツは中国華北地方、イギリスは中国華南地方と中国の西部地方以外が外国の占領下になった。西部地方には追い出された中国政府は、一緒に追い出された国家社会主義者と共産主義者により崩壊、西部は群雄割拠になっていった。日本は中国東北地方に「満洲共和国」を建国、ドイツは「大清帝国」を再建国、イギリスは「広東共和国」を建国、アメリカは「中華合衆国」を建国した。(香港とマカオは中国政府の崩壊で、租借地から植民地として併合した)


ドイツで、ディーゼルエンジンを効率化、デメリットを限界まで克服した「高度ディーゼルエンジン」が完成。(日本も協力)それと同時に日本と協力して作った階差機関と解析機関が完成し、科学技術はありえないほど加速していった。


オスマン帝国国内のトルコ人増加政策(他民族同化政策)は成功をし、オスマン帝国人口の80%がトルコ人となり、多数民族として確固たる地位を持った。(他の少数民族はトルコ語を学び、トルコ人になろうと頑張った)


北フランス王国の新しい国名を北フランス王国初代国王ジャン一世とドイツ帝国第3代皇帝ヴィルヘルム二世、そして当時宰相のフランツ・フォン・パーペンが会談。

北フランス王国がドイツ化したら国名を「ブルグント王国」に国名を変えることを決定、国名の変える条件としてドイツ系が人口の半分以上を占めたら変えるとした。




1928年 階差機関と解析機関によりオートマタが完成、どんどん科学技術が上がった。(工業力がありえないほど加速していった)


階差機関と解析機関の完成でぶっ飛んだ科学技術、工業力を手に入れ、日本の経済はどんどん好景気を飛び越えて加速的な好景気になった。


北フランス王国政府はフランス・スペイン解放軍にレンドリースを行い(主に旧式の兵器をあげる)、フランス国家社会主義共和国の弱体化を狙った。(フランス国家社会主義共和国の抵抗勢力「フランス・スペイン解放軍」は2つの組織が連合してできた組織で、フランス・スペイン解放軍の下に「自由フランス軍」「スペイン臨時軍政府」で、フランスの代表は「シャルル・ド・ゴール」、スペインの代表は「フランシスコ・フランコ・バアモンデ」と有名人物が指導者になっており、連合の代表はフランス王国のブルボン家の分家、スペイン・ブルボン家でスペイン解放後「フランス・スペイン連合王国」国王になることが決まっている「アルフォンソ13世」がフランス・スペイン解放軍の代表を行っている)


(フランス・スペイン連合軍)

フランス・スペイン解放軍代表 アルフォンソ13世

自由フランス軍代表 シャルル・ド・ゴール

スペイン臨時軍政府代表 フランシスコ・フランコ・バアモンデ 


スペイン王国政府はスペイン本土を消失、降伏した。だがスペインの軍部は反対し、亡命フランス軍と合流、スペイン植民地に「フランス・スペイン解放軍」ができた。

マルセル・デアが正式に初代総統になり、ジャック・ドリオは「スペイン国家弁務官区」初代総督となった。

(初代総督ジャック・ドリオはまずフランス人化政策を行い、スペイン人を虐殺、空いた土地を無料でフランス人に配った。)

(初代総統マルセル・デアは軍事拡張を推し進め、フランス人の増加を促進、虐殺は起こさず、反体制派や反社会的勢力の処刑を毎回行った。)


1929年 大改革を主張した日本新生民主党の党首「尾崎行雄」が当選、首相になり1930年に大改革をするとした。


反体制派による反乱が発生、発生地のマルセイユは軍隊により包囲されて大砲、戦艦、戦略爆撃と火力によるゴリ押しを行い虐殺、マルセイユは廃墟と化していた。


1930年 「昭和の大改革」を行い、政治、農林水産、軍事、教育などの改革を行った。(昭和の大改革の内容は後々に出すので見てね!)


ドイツではアドルフ・ヒトラー率いる帝国民主党が与党に当選、ヒトラー政権下でどんどん経済を上げていった。


近代化を進め、オスマン帝国は瀕死の病人から復活した地域大国へ再進化した。


ドイツ化が進む北フランス王国は公式言語にフランス語とともにドイツ語を新しい公式言語とした。(どんどん進む北フランス王国のドイツ化)


反体制派組織「マルセイユ」が蜂起、この蜂起でマルセル・デアが暗殺、暗殺後反体制派は壊滅し、2代総統にジャック・ドリオが就任、フランス総統兼スペイン国家弁務官総督を兼ねる「大総統」が誕生した。


イギリスのロンドン株式市場が大暴落、ベルギーの株式市場も大暴落し、それに続いて経済も崩壊した。(その後財政破綻状態になる)

財政破綻したベルギーはコンゴ植民地をドイツに売却、売却したお金と日本、ドイツからの財政支援でなんとか持ち直そうとする。

(その後ベルギーはドイツに事実上の経済植民地となる)


これに続いてオランダの株式市場も暴落し、経済が大変な状況になった。


1931年 経済が崩壊したオランダは、オランダ領インドネシアを日本に売却することを検討、日本にインドネシア売却を持ち込み話し合いをした。

(ドイツからの経済援助もあるが、それが拡大し、オランダはドイツの経済植民地になっていった)



 


これで黒い洪水年表は終わりです、次に投稿する日は「5月25日」です。SSなので楽しんでもらえるとありがたいです。(それが何話くらい続くかはお楽しみに)

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