Side:A 俺はもう、お前の側から離れられないのだから。
ただいま、と心底愉快そうな声でみな美が帰宅を告げた。
今日は慎也の想い人と、その友人との食事会と言っていたので、食事が不要なことは聞いている。
「おかえり、楽しかったか?」
「うん! 今度買い物に行く約束した!」
「そうか」
楽しいのなら良かった。ただ、楽しいという感じではなく、みな美はいつも以上に笑っているというか、ニヤニヤしている。嫌らしい笑顔、というわけでもないのだが、ラブコメディのアニメを見ている時の顔と似ている気はするが、それとも少し違う。
嬉しそうだなと尋ねると、さらに笑顔を綻ばせた。
「夕夏ちゃんがね、國橋くんにチョコあげるかどうするかって相談されちゃったー。いいよねー、青春って感じで」
「そうか」
慎也が盛大にやらかした、と言っていたあれか。
確か日本ではバレンタイデーはチョコレートをもらえるかもらえないかで、男性のテンションが上がり下がりするのだったか。義理であろうとなかろうと、チョコレートをもらえることがモチベーションになるということらしい。それ故に、慎也はレディに対して「本命しか受け取らない」と言ったから、今頃困っているとほくそ笑んでいたが、その時のセリフがあまりにもあれだったので、「少女漫画のヒーローか」と突っ込んだら、その自覚がなかったらしい慎也が顔を青くした。無自覚で言ったことが、案外恥ずかしかったようだ。
あれはあれで、少年特有のものだと思うので微笑ましかった。
「うまく行くと良いな」
「そうだねー」
「そういえば、ジャンがバレンタインそっちに行くと言っていたが、あのレディはいるか?」
「菜々ちゃん? ちょっと待ってねー」
ジャンはフランスにいた頃は、そんな風に恋人に何かを贈ったりしなかったと思ったが、振り返らない女性を振り向かせたいというだけで、よくもそこまでしているものだ。長年生きていると、そういう遊びもしたくもなるのだろう。本気になったらなったで、面白いだけだが。
「菜々ちゃん、バレンタインはお休みだ。残念」
「それは残念だ。伝えておこう。いや、伝えなくても良いか」
「言ってあげて、アーサー君」
いじわるしちゃダメだよ、と付け足される。
それもそうか、パスポートの恩もある。
「イギリスってバレンタインは男性から女性になんだよね。プレゼントとかそういうの」
「そうだな。メッセージカードなんかも贈ったりしていた。確か」
「あやふやだね」
「父さんが母さんに送っているのを見たことがある程度だからな。随分と昔のことだ」
「百年くらい前だもんねぇー」
ふふ、と笑うみな美。
吸血鬼の父が、そういう人間の慣習に参加していたことが少し、おかしかったらしいので口を抑えて笑い始める。
「吸血鬼でもそういうことするんだねぇ」
「そうだな。そういう行事に父は楽しそうに参加していた」
昔のことを思い出す。
俺が昔、まだみな美くらいの年齢だった頃。両親はクリスマスやバレンタイン、新年を迎えたりという行事に積極的に参加していた。吸血鬼の俺が人間達と溶け込めるようにだと思うが、だからといって溶け込んだりもしなかったが。
あの頃は夜間の学校というものもなかったから、教育は両親から教えてもらうことだった。稀に、父親の眷属の元教師が教えにくれていたりしたが。
そういう話をすると最近みな美が嬉しそうに聞いてくれることがわかったので、話すことが多くなっている。
「アーサー君のお父さんってお母さんのこと大事にしてたんだね」
「そうだな」
「いいなぁ。そういうお父さん」
そうか。こいつは、父親に縁がなかったのだ。暴力を振るう父親は、みな美の母に対しての愛情もしれたことだっただろう。現在の父親とも、あまり関わっていない。新婚の邪魔をするわけにも行かないと、遠慮したらしい。
「お母さんを大事にするお父さんって、素敵だよね」
「そういう人間と結婚でもしたいのか」
「人間と結婚したら、アーサー君と離れることになっちゃうから却下です」
「……そうか」
その一言が、どれだけ俺を嬉しくさせるのか。そして、どれだけ俺に罪悪感を覚えさせるのかも、お前は知らない。
俺が側にいる限り、みな美は人間の女の幸せを得ることができない。それに対して、俺は多少罪悪感がある。そのことを、みな美に伝えてない。
知らなくても良い。
俺はもう、お前の側から離れられないのだから。




