穏やかな日々の後ろ側 ①
「アンドゥレっ ! そっち、そっちに行ったわよっ !! 」
モリィの叫び声が、ぬけるような青い空に響き渡る。
その声に、顔には出さないが内心イラつく。そんなに大きな声で言われなくても、ここは私がやるしかないなんて事は自分が一番よく分かっているのだ。頼みの綱だったダレンは叫んだ拍子によろけたモリィを(役得とばかりに)密着して支えていて手が放せないし、それに彼等がいる川岸は、私が居る川の中央から若干離れている。
つまり、今、頼れる手は無いってことだ。
「分かってるっ、分かってるけどっ ! 」
激しい水音をあげながら、私は彼女の指摘に返事を返す。いや、返事というか悲鳴に近い。人間、慣れない事をする時は、頭では次に何をすべきか分かっていても、体がついていかないものだ。
右往左往していると、裸足のくるぶしあたりに何かが触った。モリィの言うとおり、足元に「あいつ」の気配。
あいつだ・・・・あいつがいるんだ。
全身に、緊張ってか戦慄ってか、さぶいぼが走ったっ !
「アンドゥレ、お前の足元だっ、速く捕まえろっ !! 」
「ああっもうっ、逃げられちゃうわよっ速くっ」
「ぅひっ」
私の膝丈まである水の中に見える魚影。鰻ほど長くは無いが、形が良く似ているシルエット。ゆらゆらと蠢くその影が、今度は私のふくらはぎ辺りを翳め泳ぐ。ぬるりとソフトタッチ。
きっきもいっ ! ぬら気持ち悪いっっ !!
「アンドゥレっ、なにやってんだ。そんなんじゃ、一生捕まえられないぞっ」
ダレンが焦れた声で、棒立ちの私を怒鳴る。未知の魚への生理的な嫌悪感と怒鳴られた苛立ちで、首の後ろの産毛がチリチリと逆立った。
「くっ」
言うだけなら簡単だよな、じゃ、お前やってみろよ。
(そう、怒鳴りたい)
お前、このメンバーの唯一の雄なんだから率先して、このキモい生物を捕まえて見せろよ。
(そう、怒鳴り散らしたい)
だいたいお前、私の立場がもしモリィだったら即行、川の中にダイブで潜水漁してただろう。そりゃ海女のごとく。
なぁ、好きな女にだけ優しいのってどうなんだ ? アレか ? 一途な男を気取ってんのか ?
でもな、それって傍から見たら、
( 嫌な野郎だな、おいっ ! )
「アンドゥレ、今よっ ! 」
「くっそーーーっっっ」
妬みと、嫉みと、ついでに水中のシジミも入り混ぜたカオスなエネルギーを勇気に換えて、川の中に腕をガバッと突っ込んだ。
が、私の勇気は獲物にとっては殺意。
するんっと逃げられた。あいつらも命がかかっているから必死だ。でも必死なのは私も同じ ! 逃がすものかと腰を下げ、腕をめいっぱい伸ばす。
よしっ、もうちょっと !
水中の影に手がかかる。
( しゃーーっ ! ぬら気持ち悪いのもらったぁぁ !! )
私が勝利を確信した、その時、世界が動いた。
と、思ったが実は動いたのは私の方だったらしい。
「あっれーーーー」
と思った時には、もう遅い。
水中の滑る岩に足を取られ、みごとに体勢を崩した。その結果、どぼんっ ! 派手な水音と、肌を刺す川の水の冷たい歓迎。
がぼがぼ、酸素を吐き出す私の顔の横を優雅に身を翻し、獲物が去っていく。その姿を血走った目で追いながら、心から思った。
「何で、こんなことになったのさっ !! 」
( と、怒鳴りたいと・・・・・・・・)
頭の上に乗っかった藻やら枯れ葉やらを落としながら川の中から上がり、隠れるには丁度よさそうな藪に入り着替える。着替えは濡れる事を想定してかモリィが持って来てくれていた。それをありがたく借りる。私が今までいた魔界と違い、この人間界の気候は穏やかだけど、今日は特に天気が良い。おかげで風邪はひかずにすむだろう。風邪、そこは気を付けなくちゃいけないところなのだ。私が風邪をひくと間違いなくうつる奴が近くにいる。虚弱の頂点を極めた男、魔王だ。私なら、ちょっと咳と熱が出るくらいですむが、彼が風邪をひくと・・・・命の危機に直結。そのまま終点の墓場まで一直線だ。お、恐ろしい。本当に恐ろしい男だ、まったく。おかげで私はおちおち風邪もひけない。
だから、今日の温かさはありがたい。まさに不幸中の幸い、ではあるが――・・・・ちっとも嬉しくない。気分は低下のだだ下がり。
「久し振りの休みなのに・・・・せっかく天気もいいのに・・・・なのに・・・なのに・・・」
口から、とどめなく誰に向ける訳でもない愚痴が垂れ流される。ぶつぶつぶつ。
「もう、アンドゥレったらまだ言っているの ? 濡れたって着替えがあるんだしいいじゃないの。それに、ロウチが欲しいって言ったのは貴方よ」
「うぅ、それはそうだけど・・・・。まさか滋養に効く食材が、こんな気持ち悪い魚だったなんて思わなかったんだもの」
「何を言っているのよ、ロウチといえば滋養の薬、滋養の薬といえばロウチ ! って言われるほど効くのよ。それはもう、お墓に埋葬した人が生き返るほどよ。だからこれを食べれば、貴方の弟もきっと元気になるわ」
墓に埋めちゃったらロウチ食べられないじゃん、と口から洩れそうになったけど、すんでのところで飲み込む。なんだかもう疲れた。今は、ぬら気持ち悪い魚の話はしたくない。
「・・・・そうね」
当たり障りのない答えを返す。
数日前、仕事帰りの世間話の延長で、自分は体の弱い弟と二人暮らしだと話した。その話の流れで体にいい食べ物の話題になり、物凄くオススメの食材があると教えられた。
勿論、飛びついた私。
じゃ、次の休みに採りに行きましょう、となったわけ。
今から思うと、その時にもっと詳しく聞いておくべきだった・・・・。でも、まさか体にいい食べ物が、こんなぬるぬるべとべとの魚だったなんて、思いもしなかったんだもの。「採る」じゃなくて「獲る」だとはね。
私は大きな動物が少し苦手だが、ぬるぬるの生物はもっと駄目なのだ。鰻とかなまずとか、姿を思い出しただけで鳥肌がっ !
(・・・・こんなことなら、魔王と休日ライフをエンジョイでキャハハウフフしていた方が良かったな)
なんて、今さら後悔しても遅いか。それに魔王の為だと思えば川にダイブするのなんか朝飯前さ・・・・たぶん。
「アンドゥレ、どう ? 着替えられた ? 貴方、痩せているから入らないって事はないと思うけど」
服を貸してくれるモリィが藪の向こうから尋ねてくる。
「ごめん。ちょっと待って・・・・ん、ねぇ、着替えってこれしかないのかしら・・・・」
濡れた服を脱ぎ捨て、ほぼ、素っ裸のまま借りた服を広げて固まった。
「ええ、そうよ。あら、気に入らなかった ? でも、濡れた服で帰るよりはましでしょ」
「ぅうん。で、でも私にはあまりにも似合わな過ぎて・・・・」
モリィの趣味なのだろうけど、フリルたっぷりの淡い色のヒラヒラスカートって・・・・これ、私が着てもよいものなのだろうか。
本気で二の足を踏んだ。だってピンクだぞ。異世界トリップする前の若かった頃だって着たことないぞっ ! こんな、こんな――― エプロンドレスっっ !
「アンドゥレはいつも黒っぽい服ばかりでしょう、たまにはこういう服も良いんじゃない ? 貴方、せっかく美人なんだし飾らないと勿体無いわよ。年頃の女の子なら冒険しなきゃ、 ね ? 」
心のシャウトを全く察してくれない呑気なモリィ。
乾いた笑いが洩れた。いや笑うしかない。
「は、はははは・・・・・は」
モリィよ、これは冒険なんてどころの話じゃないぞ。もしかすると弾道ミサイル並みの破壊力を持った視覚の暴力になる可能性、大 ! だぞ !!
うっかり見てしまった通行人の心に、大きな風穴を開けることになるんだぞっ ?! ちなみに、私にだってダメージは大きく計り知れない。
「ぅううむ」
いつまでも裸でいるのは心許無い。でも、どうしても思い切れなくて、服に腕を通したり出したりを繰り返す。
あーーー・・・・どうしよう、いっそ濡れた服を乾かすか。時間は掛かるけれど今日は天気が良いし夕方までには何とか乾くだろう。
でも、そうすると家に帰るのが遅くなる。それは嫌だ。
この人間界に来てから、私の仕事の都合で魔王と一緒に居る時間がかなり減った。だから、なるべくなら休みの日には傍にいたい。
魔王が寂しいだろうという話しではなく、私が落ち着かない。何と言ったら良いのか分からないけれど、あえて言葉にするならば、不安、だろうか。とにかく傍にいたい。傍に居なくてはいけない、そんな強迫観念めいた思いに囚われる時すらある。
「はぁ、しょうがない」
速く家に帰るには、これを着るしかないのだと分かっていても、やはり迷う。
「あー・・せめてフリルがなければなぁ」
「アンコは何を着ても似合うぞ」
「っっひゃ ?! 」
真後ろからいきなり声がした。そこは誰も居る筈のない場所。
ちょっちょっと待て、私、今ほぼ真っ裸だぞ ! 私にだって羞恥心というものはある。
金切り声を上げて藪から飛び出した。しまった、自分、パンいちじゃん。と思う暇も無い。
「きゃーーーっっ、アンドゥレ貴方、なんて格好なのっ !! ダ、ダレン、あっち向いてっ ! ハウスっ、ハウスよっダレンっっ」
「お ? おう」
モリィよ、彼は犬じゃないんだからそりゃないよ。
―――― なんて、言ってる場合じゃない。
私は胸に抱えた服で体を隠し、恐る恐る今まで私が居た藪の中を覗き見た。
すると、そこに居たのは、
「まお、じゃなかった・・・・オスカァル ! あんたどうしてここに ?! 」
黒い服を身にまとい長い髪を垂らした魔王がそこに居た。




