ささやかな安息 ③
世間話に興じるマリー婆の隣で数ヶ月前の回想をしていると、ヤギもどき、もとい、ピピンはいつの間にか何処かへ行ってしまっていた。
ふいと現れ、ふいと消える。まるで忍者のような奴だ。やはり侮れない。今後の自衛の為にも、あいつの事は気をつけて見ておこう。
「マリーさん、じゃあ、私はこれで」
今日の仕事は終わりにして家へ引き上げるという彼女に短い挨拶をして、私も帰ることにする。
家へ帰るのなら一緒に帰ればいい話なのだが、私と魔王が住んでいるのは納屋の二階で、マリー婆の家の隣の建物。つまり帰る場所がちょっと違うわけだ。
その借りている納屋の二階は結構広く、思ったよりもずっと快適。でも、風呂なし。台所なし。場所がら火を使うのは厳禁ときている。だから用がある時は、そのつど母屋へ通わなければいけない。
( 面倒だけど、殆どただ同然で借りてるんだもん、文句は言えないよな。それに魔界で暮らしていた時より生活状況は安定してる。寝るところもあるし、食べる物もあるし。問題ない。今のところは、だけど )
そんな事を考えながら、マリー婆に背を向け歩き出したところで、「あ、そうだ、アンドゥレ」と、呼び止められた。
「え ? 何ですか」
「オスカァルのことなんだけどね、今日も一日中、納屋から出てこなかったんだよ。母屋の方に昼ご飯も用意していたんだけど、取りに来なかったし。あれかねぇ、やっぱり若い子には私の田舎料理は口に合わないのかねぇ」
「そ、そんなこと無いですからっ」
口調に落胆の色を見付けて、慌ててフォローに入る。今はまだ、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。良い子を装い、よいしょあるのみ !
「すみませんっ。オスカァルは人見知りが酷くて・・・・。この事は私の方からきつく言っておきますから。本当にすみませんでした。それとマリーさんの料理が口に合わないなんてことはないです。いつも美味しく頂いているんですよ。特に、ドロドロしているのに妙にサッパリしてる緑色の料理、あれ美味しいですよね!好きですよ。ええ、そりゃもうっ」
私が仕事でいない日は、マリー婆がオスカァル(魔王)にと、善意で昼食を作ってくれている。だけど、今だかつてそれに魔王が手を付けたことはない。
やはり人間の作ったものは嫌なのだろう。私にも少なからずその気持ちが分かるから、あまりきつく注意はしないようにしている。
でも、私達のそんな事情をマリー婆は知らない。それに世話好きな性格も相まって、酷く魔王を気に掛けてくれている。
「あの・・・・、オスカァルのことは気にしないで下さい。お腹が空けば自分から出てきますから」
「そうかい ? まぁ、あんなことがあった後だ、ショックが抜けていないんだろうね。人に会いたくない気持ちも分かるよ。でもさ、一日中部屋に篭もりっきりは体に悪いよ」
「一日中ですか ? 一度も降りてこない ? 」
「そうだよ。私しゃ、今日は朝からここにいたけどね、降りて来た気配はなかったね」
「・・・・そう、ですか」
私が言った「親に身売りされそうになった」という嘘を未だに信じているマリー婆が、同情的な態度で気を使う。こんな時、ほんの少しだけ胸がちくりとする。私の中にあるいくばかの罪悪感が刺激されるのだ。でも、そのつど気のせいだと見なかったふりで無かった事にするけれど。
それにしても丸一日、魔王は何をしているんだろう。体力も気力も前よりある今、部屋の中だけでは退屈ではないのだろうか。
それとも急に具合でも悪くなったか ?
いつだったか、寝ているものだとばかり思っていたけれど、実は昏睡していた。って時があった。うつ伏せて笑っているんだと思ったら、痙攣していた。って時もあったっけ・・・・・・・ま、まさか ? ・・・・い、いやいやいや、ここで考えていてもしょうがない。とりあえず帰ろう。まずは安否確認だ。
私はマリー婆に重ねて礼を言い、今度こそ家路に着いた。
ギシギシギシ――――。
農機具や干草が詰め込まれた一階から、細い登り梯子を軋ませ二階へ。
当初マリー婆は母屋で一緒に暮らそうと言ってくれたのだけど、遠慮する形で断った。いつどんな客が訪れるか分からない母屋より、こっちの方が落ち着けるし気が楽だ。
それに登り梯子なんて、何だか秘密基地みたいで面白そうだった。
「ただいまー」
華奢な階段を上がり、薄暗い部屋の中に声を掛ける。
「・・・・お帰り、アンコ」
直ぐに返事があった。
ほっと肩の力を抜く。
「アンコじゃなくて杏子よ。もうちょっとイントネーションに気をつけて」
「ああ、わかった、アンコ」
「・・・・」
魔王は窓を背にして立っていて、逆光で表情は分からないけど声の感じからして具合が悪そうには思えない。
やはり母屋へは、故意に行かなかったようだ。でも、どうしてマリー婆が作った昼食を食べないのかと咎める事はしない。
(具合が悪くて寝ていたんじゃ無かったんだ、良かった) そう、ただ安堵するだけだ。
ああ、本当に私って魔王に甘いな。
「アンコ、今日も疲れただろう。心無い人間どもに苛められたりはしなかったか」
「ははっ、ないない、アンドゥレは愛されるメイドを目指しているからね」
日頃の努力の結果、大奥様も双子達も私にメロメロだ。うざいくらいにね。勿論、その他大勢も好意的―――― ん、いや、約一名そうじゃない人間がいたな。
私の脳裏に楽園のような庭で叱られた残念な場面が蘇る。
(あの野郎、私の初々しく健気なメイド姿に好意を示さんとは。どっかおかしいとしか思えん。もしかして○▲××か ? @▲○#×だったり ? あはははは、そりゃいいや)
「ん、どうした ? 」
下衆な言葉を並べ、腹の中で笑っている私に不審なものを感じたらしい魔王が顔を覗き込んでくる。
私は、その不思議そうな表情をした顔に、何でもないとあやふやに笑って手を伸ばす。
最近この頭を撫でるのが癖になった。私が毎日、手塩にかけてケアしているおかげで手触りがいい。毛先5cmだって、とぅるんとぅるん。嫌がられようが触らずにはいられないってもんだ。
(あれ ? この白いの何だろう、ゴミか ? )
魔王の真っ黒い髪の隙間に、白く薄い物が数枚絡まっている。付いているのが頭の後ろ側だから、本人は気が付く事が出来なかったようだ。
「じっとしてて、何かついてるーーーーほら、取れた」
これは・・・・花びらだ。
白く繊細な花弁の先がドレープしている。私には、この花の名前に心当たりがあった。バラに似たニベルツの花だ。
私が勤めている屋敷にも植えられているから間違いないだろう。
この国でこの花は、生垣や大きな庭を区切るために多く使われているようだ。だから主に裕福な貴族や豪商の屋敷なんかでよく見られる。
「ふふ、どこでこんな物を付けてきたの」
魔王の目の前で、摘まんだ花弁を揺らす。
「花びら ? 気が付かなかったな。きっと、さっき散歩に行った時にでも絡んだのだろうな」
「どうせまた、ぼーーーーーっとしていたんでしょ」
外に出る時は気をつけてよね。こっちには車やバイクは無いものの、馬や馬車は走っているんだから。天下の魔王様が馬に踏まれて死亡なんて情けなくって死ぬに死ねないよ。
そんな感じで、くどくど厳重注意するかたわら、はたと気が付く。確か魔王は今日、一日ずっと納屋に居たとマリー婆が言ってはいなかったか、と。
「あんた、散歩に行ったの ? 」
「ああ、暇だったからな。それがどうかしたか」
私の疑問に言葉を返す魔王。嘘を吐いている様子は無い。
まぁ、こんな事で嘘を吐いても仕方が無いし、マリー婆の思い違いということもある。魔王が散歩に行ったと言うのならそうなのだろう。
「ううん、別になんでもない」
ちょっとした疑問を自ら打ち消した。
「そういうばアンコ、散歩の途中で聞いたのだが、魔界に攻め込んだ軍は、やはりこの国のものだったようだ」
がらりと変わる会話。
和やかな空気の中にチリリッとした緊張が生まれる。でも、それを感じているのは私だけらしく魔王はいつもと変わらない。
いつもそう。いつもどんな時だって魔王はフラット。魔城が攻め落とされた時だって声を荒げたりしなかった。
慌てたり、笑ったり、表情を変えるときは、私と一緒に馬鹿をやっている時だけ。
それって私だけが魔王に影響を与える事が出来るってことか ? ああ、そう考えると本当に可愛いな、こいつ。
自然に口元がニヤつく。
「アンコ ? 」
「なんかさ、あんたといるとシリアスに浸れないわ。で、この国の軍が魔城を落としたって話しだったっけ。まぁ、大体は分かっていたけど、改めて聞くと明日から仕事に行くのも嫌になるわね」
「以前、魔城に数人で押し込んで来た人間の王子がいただろう。あの王子はこの国の者だ」
「・・・・・・・・そうね」
思わず、後悔の溜め息が雑じる呟き。
どうしてあの時、見逃したりしたのだろう。いくら高価格、高カロリーの菓子折りに目が眩んだからって、あの金髪王子の素直さに、好感を持ったからって、黙ってそのまま帰すべきじゃなかったんだ。その結果、彼等は国へ帰り軍を動かしたわけだもの。
今更だけど後悔ばかりが駆け巡る。
「い、イライラする~~、今度会ったら間違いなくちょっぱやで固形燃料にしてやるっ」
「ん ? 固形・・・・なに ? 」
「な、なんでもない」
いつの間にかベッドの縁に腰を掛けていた魔王の隣に行き、床に膝立ちになって、がばっと布団にうつ伏せる。今は顔を見られたくない。
実は、魔城に攻めて来た人間達を固形燃料にしていた事は、魔王には秘密にしていた。何となく悪い事をしている気がして報告するのが憚れたのだ。
(ま、後悔はしていないんだけどね。邪魔なやつ等を排除できるうえ、生活の役にもたつ。あれ、凄く合理的だったし)
「ふぅ」
少し息苦しくなって、うつ伏せた顔を上げると微かに花の香りが。
上品だけど力強く、僅かでもよく残る。
それに刺激されたか、ささやかな疑問が蘇り、ほんの何でもない世間話しのつもりで問い掛けた。話を逸らしたかったのもあった。
「ねぇ、散歩ってどこに行っていたの ? 髪に花びらが付くくらいだもの、よっぽど沢山ニベルツが植えられている場所なんでしょうね」
はて、この近所にそんな場所があっただろうか。私の知る限り、この辺に見られる木や花は皆、素朴な品種ばかりだった筈だ。
「そういえば、魔城に攻めて来た国が、どこかなんて誰から聞いたの ? この話は平民達には知らされていないみたいなのに。私なんか何ヶ月も屋敷で聞き込んで、やっとそれらしい事を最近、(立ち聞きで)聞き出したのよ。それに、第一あんた人見知りじゃないのさ」
国の一部の人しか知らない事を、こんな田舎の誰が知っていたの ?
その人と、ちゃんと会話が出来たの ? なんて言って声をかけたの ? だって私、あんたが人間と口をきいているの見たこと無いんだもん。
考えれば考えるほど何故だかとても気になりだし、起き上がって「ねぇ、どうなの」と魔王の隣に座り顔を近付け問うた。
私の視線を受け止めた魔王が低く言う。彼の顔からは、いつの間にか表情が消えていた。
「ーーーーアンコ、我の目を見よ」
「なによ、いきなり。それに自分の事を我だなんて何をかっこうつけ―――――・・・・・・・あ」
―――― 紅い。
紅い目。その目を認識した途端、急に頭に霞が掛かり霧の中にいるように。そして、思考が緩慢になってゆく。
やだ、体に力が入らない。重く、重く、沈む。何が ? 私が ?
「あ、あれ・・・・」
「アンコ、眠れ」
「あ、まお・・・・ね」
「そのまま、深く、眠れ」
―――― あ、・・・・ああ、そうね。何だか眠くなってきちゃった。
「深く」
うん、そうさせてもらうわ。
少し寝て、そしたら晩御飯を作るから。今日はなにが食べたいの ? 好きなものを作ってあげる。だから、ちょっと待ってて。
でも、ねぇ、どうしてそんな顔をしているの ? そんな辛そうな、何かを我慢しているような。やめてよ。私、直ぐに起きるから。
だから、ねぇ、そんな顔しないでよ――――
「アンコ、お前はいつまで我の隣にいてくれるのだろうな・・・・」
そんな掠れる呟きが、深い眠りの海に沈む寸前の私の耳に聞こえた。気がした。




