第18話 春を待つ日々
ケアリー侯爵家への処分が下されたのは、雪解けの頃だった。
三年間にわたる関税の不正。その額は、王宮の役人たちが帳簿をめくるたびに青ざめるほどだったという。
ケアリー家は侯爵位を子爵位へ降格され、領地の大半を没収された。不正に逃れた関税と罰金を返すために、王都の屋敷も、代々伝わってきた宝飾品も、すべて手放すことになった。
ヴィンセント様は、嫡男の地位を外された。
今は、北の国境にある小さな税関で、書記として働いているらしい。積み荷の量と品目を、一つひとつ帳面に書き写す仕事だそうだ。
「皮肉なもんだね。自分の家がごまかしてたものを、今度は毎日ごまかさずに数えるんだから」
トビアスはそう言って肩をすくめた。
ジュリア様は、ペンバートン家の遠縁を頼って、南の田舎へ移ったと聞いた。ケアリー家に出した援助金の大半が戻らず、男爵家の家計も傾いたのだという。王都の社交界で、その名前を聞くことはもうなくなった。
ざまあみろ、とは思わなかった。
ただ、私の中で何かが、静かに終わったのだと感じた。
ある晩、父が私を書斎に呼んだ。
あの誕生日の夜と同じ部屋。同じ机。けれど、父の顔は、あの夜とはまるで違っていた。
「ロレッタ。……すまなかった」
父は、机の向こうで深く頭を下げた。
「あの夜、私はお前を守らなかった。侯爵家に睨まれるのが怖くて、娘が皆の前で辱められるのを、ただ黙って見ていた。それどころか、次の縁談の心配までした」
「お父様……」
「冬至の夜会でお前がヴィンセント様に言い返すのを見て、ようやくわかったのだ。私は、お前の三年間を、ちっとも見ていなかった。好きでもない色を着て、言いたいことを飲み込んで……そうさせていたのは、ケアリー家だけではない。私たちもだ」
隣に座っていた母が、ハンカチで目元を押さえた。
「ごめんなさいね、ロレッタ。あなたに、もっと華やかにしていればなんて言って……あなたは、ずっと私たちのために、我慢していたのよね」
私は、しばらく何も言えなかった。
謝られたかったわけではない。けれど、二人のその言葉を聞いて、胸の奥にずっと固まっていた何かが、ゆっくりと溶けていくのがわかった。
「……ありがとうございます。お父様、お母様」
私は、そっと微笑んだ。
「でも、これからは、私が自分で選びます。着る色も、言いたいことも。……春の、アーニーへのお返事も」
父は少しだけ目を見開き、それから、ゆっくりと頷いた。
「ああ。お前の好きにしなさい。……私はもう、二度と口を挟まん」
シルヴァーナから、一通の手紙が届いたのは、その数日後だった。
封蝋には、シルヴァーナ王家の紋章が押されていた。
『ロレッタ嬢へ
この春、わたくしの婚約が決まりました。お相手は、北方の辺境伯。わたくしの話を最後まで聞いて、そのうえで反論してくる、なかなか骨のある方です。
それから、お父様……国王陛下が、ようやくアーネストへのお怒りを解かれました。この夏に任期を終えて彼が帰国したら、宰相補佐の席をもう一度用意するそうよ。もっとも、本人が受けるかどうかは知らないけれど。
ところで、もうすぐあなたのお誕生日ね。
あの頑固者が、またこの世の終わりみたいな顔をしていないといいのだけれど。
カタリナ』
私は手紙を読み終えて、思わず笑ってしまった。
この世の終わりみたいな顔。
実は、その顔を、ここ数日、何度も見ていた。
春が近づくにつれて、アーニーは目に見えて落ち着きがなくなっていた。木戸をくぐってきても、そわそわと庭を歩き回っては、何か言いかけてやめる。かと思えば、急に「今日は帰ります」と言って、そそくさと垣根の向こうへ戻っていく。
「閣下は、このところ夜もろくにお休みになっていません」
昨日、レイモンドがこっそり教えてくれた。
「書斎で、あの銀の小箱を開けては閉め、開けては閉め……正直、見ていられません」
「……そうなの」
「ミルフォード様。差し出がましいお願いですが、どうか、閣下をあまりお待たせにならないでください」
レイモンドは、深々と頭を下げた。
「十年も待たれた方です。最後の数日が、いちばん長いのだと思いますので」
私は、手紙を胸に抱いて、窓の外を見た。
バラの垣根に、小さな緑の芽が吹き始めていた。
誕生日まで、あと十日。
答えは、とっくに決まっていた。あとは、どうやって伝えるかだけだった。




