第17話 冬至の夜会
冬至祭の数日後、王宮で新年を迎える夜会が開かれた。
その夜、私は再び、若葉色のドレスで広間に立っていた。髪には、アーニーが誕生日に渡しそびれていたという、若葉色のリボン。隣には、深い緑の礼装に身を包んだアーニーがいる。
広間の空気は、半年前とはまるで違っていた。
秋の茶会のボタンの話は、ベルモント夫人を通じて、いつの間にか社交界じゅうに広まっていた。十年前の子どもの約束を、隣国の公爵が王女の縁談を三度断ってまで守り続けた。そんな噂に、いつしか尾ひれがついて、今では「ボタンの約束」と呼ばれ、若い令嬢たちの憧れの的になっているらしい。
「ロレッタ様、素敵なリボンですわね」
「エヴァレット閣下が、本当にお幸せそうで」
すれ違う人たちが、口々に声をかけてくる。私はそのたびに、少し照れながら礼を返した。
その空気が、一瞬で凍りついたのは、夜会が半ばに差しかかったころだった。
「エヴァレット公爵!」
広間の中央で、声を張り上げた人がいた。
ヴィンセント様だった。
秋に会ったときよりも、さらに痩せていた。目の下には濃い隈ができ、上着には皺が寄っている。その後ろには、青ざめた顔のケアリー侯爵が立っていた。
「皆様、聞いていただきたい! この男は、隣国の外交官という立場を利用して、我がケアリー家を陥れたのです!」
広間が、ざわめいた。
「この秋から、我が家の交易品ばかりが、シルヴァーナとの国境で差し止められている。荷は倉庫で腐り、取引先は次々と手を引いた。おかげで我が家は大損害だ。……全部、この男の差し金なのです! ロレッタを奪うために、元婚約者の家を潰そうとしているのですよ!」
視線が、一斉にアーニーに集まった。
私は思わず、彼の袖をつかんだ。
けれど、アーニーは少しも動じなかった。穏やかな顔のまま、静かに一歩前へ出た。
「ケアリー殿。国境で荷が差し止められたのは事実です。僕が、そう要請しました」
広間が、どよめいた。
「ほ、ほら見ろ! 認めたぞ!」
「ただし、理由があります」
アーニーは、上着の内側から、一束の書類を取り出した。
「ケアリー侯爵家の交易品の申告書と、実際の積み荷の記録です。この三年間、ケアリー家は積み荷の量と品目を偽って申告し、シルヴァーナとエルスター双方の関税を不正に逃れてきた。差し止めは、その調査のためのものです」
ケアリー侯爵の顔から、すうっと血の気が引いていった。
「でたらめだ! そんな記録、いくらでも作れる!」
「僕ひとりで作った記録なら、そうかもしれません」
アーニーが振り返ると、人混みの中から、一人の紳士が進み出てきた。
夏の夜会を開いた、ローウッド侯爵だった。
「エヴァレット公爵の調査には、エルスター王宮の通商局も立ち会っております。記録は本物です」
ローウッド侯爵は、厳しい目でケアリー親子を見据えた。
「明朝、ケアリー侯爵家には、正式に王宮からの召喚状が届くでしょう」
ケアリー侯爵が、その場に膝をついた。
「……ヴィンセント様」
沈黙を破ったのは、甲高い声だった。
ジュリア様が、人垣をかき分けて現れた。山吹色のドレスの裾を握りしめ、顔を真っ赤にしている。
「関税をごまかしていたって、本当ですの? 借金があるとは聞いていましたけれど、そんな……そんなことまでしていたなんて!」
「ジュリア、違うんだ、これは……」
「父がずっと言っておりましたわ。ケアリー家に出したお金が、どこへ消えたのかわからないって! わたくし、侯爵夫人になれると思ったから……だから、あなたを選んだのに!」
ジュリア様は、震える手で、ヴィンセント様の胸を突き飛ばした。
「婚約は、なかったことにしていただきます! ペンバートン家は、もうケアリー家とは一切関わりませんから!」
ジュリア様は泣きながら、広間を飛び出していった。
ヴィンセント様は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
それから、ゆっくりと振り返った。その視線が、アーニーを通り越して、私に向けられた。
「……ロレッタ」
すがるような声だった。
「ロレッタ、君なら……君ならわかってくれるだろう? 僕たちは三年も一緒にいたんだ。父上に逆らえなかっただけなんだ。僕は、本当は……」
広間じゅうの視線が、今度は私に集まった。
隣で、アーニーが何か言おうとする気配がした。私はそっと、彼の腕に触れて止めた。
これは、私が言わなければいけない。
「いいえ、ヴィンセント様」
私は、まっすぐに彼を見た。
「わかりません」
ヴィンセント様の目が、大きく見開かれた。
「三年間、私はヴィンセント様のことを、わかろうとしてきました。お好きな色を着て、お好きな話をして、お好きな顔で笑うようにしてきました。……でも、あなたは一度も、私のことをわかろうとはなさらなかった」
声は、震えなかった。
「ですから、もう、わかろうとするのはやめにいたします。……どうぞ、ご自分のなさったことと、向き合ってくださいませ」
私は、ドレスの裾をつまみ、深く膝を折った。
あの誕生日の夜と、同じ礼だった。
けれど、あの夜とはまるで違う気持ちで、私は顔を上げた。
ヴィンセント様は、何も言わなかった。言えなかったのだと思う。やがて衛兵に促され、父親とともに、広間から連れ出されていった。
ざわめきが戻ってくるなかで、隣のアーニーが、小さく息を吐いた。
「……ロティ。格好よかったです」
「トビアスにも、同じことを言われたわ」
そう答えたら、アーニーが声を立てて笑った。
窓の外では、新しい年を告げる雪が、静かに降り始めていた。




