第12話 十年分の問い
翌朝、ミルフォード家の門の前に、見たこともないほど豪奢な馬車が停まった。
扉に描かれているのは、シルヴァーナ王家の紋章だった。
「お、王女殿下が……ロレッタ様にお会いしたいと……!」
家令が真っ青な顔で報告に来たとき、私はちょうど、泣き腫らした目を冷やしているところだった。
応接間の長椅子に、カタリナ殿下は優雅に腰かけていた。
父と母は、ひたすら恐縮して頭を下げている。殿下はそれを片手で制し、「ロレッタ嬢と二人で話したいの」とおっしゃった。両親が退出すると、部屋には私と殿下だけが残された。
「突然押しかけて、ごめんなさいね」
殿下の声は、思っていたよりもずっと気さくだった。
「昨夜、あなたが広間から出ていくのを見たの。アーネストがあんな顔をするのは初めて見たから、どんな方か気になって」
「……あんな顔、ですか」
「ええ。この世の終わりみたいな顔。わたくしを放り出して、本気であなたを追いかけようとしたのよ。外交儀礼もなにもあったものじゃないわ」
殿下は、くすりと笑った。
「それで、あなたが例の『証文』の方ね」
「は、はい……」
「安心してちょうだい。わたくしは、あの人と婚約なんてしないわ。……というより、できないのよ」
殿下は、紅茶の杯を手に取りながら、さらりと言った。
「わたくし、あの人に三回振られているの」
「……え?」
「一回目は、彼が十六のとき。わたくしが十五で、父上……国王陛下が、わたくしたちの縁談を持ちかけたの。断られたわ。二回目は十九のとき。三回目は、去年」
私は、言葉を失った。
王女殿下の、縁談を。それも、三度も。
「誤解しないでね。わたくし自身は、あの人に恋をしていたわけじゃないの。ただ、王家の縁談を三度も断る臣下なんて、前代未聞だったから、意地になっていたのは確かね」
殿下は杯を置き、まっすぐに私を見た。
「三度目に断ったとき、あの人は、将来は宰相にとまで望まれていた地位を失ったわ。王家の面目を潰したのだから、当然よね。それでも、あの人は顔色ひとつ変えずにこう言ったの。『先約がありますので』って」
先約。
息が、うまく吸えなかった。
「わたくし、ずっと不思議だったのよ。十年も前の、子どもの約束でしょう? 相手の方は、とうに別の方と婚約していたと聞いたし。それなのに、どうしてあそこまで頑ななのか。……だから今回、わざわざこの国まで、あなたの顔を見に来たの」
「殿下……」
「でも、それ以上のことは、わたくしの口からは言えないわ」
殿下は、ふっと目元を和らげた。
「理由は、本人から聞きなさい。あの人の十年分の頑固さを、ちゃんと受け止めてあげてちょうだい。……それができるのは、きっとあなただけだから」
そう言って殿下が立ち上がったとき、廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。
扉が、勢いよく開いた。
「殿下! ロティに、何を――」
息を切らせたアーニーが、そこに立っていた。
髪は乱れ、礼装の襟元も崩れている。王宮から、馬を飛ばしてきたのだろうか。
「あら、遅かったわね、アーネスト」
殿下は涼しい顔で、アーニーの横をすり抜けた。
「心配しなくても、意地悪なんかしていないわ。三回振られた話をしただけよ。あとはご自分でどうぞ」
殿下の馬車が門を出ていったあとも、アーニーは応接間の入口で、立ち尽くしたままだった。
「……ロティ。昨夜は、すみませんでした。王女殿下のことは、きちんと説明するつもりで……でも、仕事が立て込んでいて、その……」
「アーニー」
私は、彼の言葉を遮った。
泣き腫らした目のままで。きっと、ひどい顔をしている。けれど、もう目をそらしたくなかった。
「教えて。あなたの十年のこと」
アーニーが、息を呑んだ。
「王女様の縁談を三回も断って、宰相の地位まで失って。それでも、どうして十年も、あの約束を守ってくれたの。私は、とっくに忘れて、別の人と婚約していたのに」
部屋の中が、静まり返った。
アーニーは、しばらく黙って私を見つめていた。
それから、上着の内側から、あの銀の小箱を取り出した。
「……少し、長い話になります」
窓の外で、色づいたバラの葉が、一枚、風にさらわれていった。




