第10話 秋の茶会と、ささやかな嘘
秋の訪れとともに、社交界に新しい噂が流れ始めた。
『ミルフォード家のロレッタ嬢は、ケアリー様と婚約していた頃から、隣国の公爵と通じていたらしい』
『子どもの頃の約束とやらをでっち上げて、公爵閣下に取り入ったそうよ』
『だからケアリー様は、婚約を解消なさったのですって。お可哀想に』
噂の出どころは、すぐにわかった。
ジュリア様だ。夜会でアーニーが口にした「十年待っていた」という言葉を、都合よくねじ曲げて広めているらしい。
父は頭を抱え、母は「だから目立つことはしないでと言ったのに」と嘆いた。
アーニーは、ここ数日、王宮での仕事が立て込んでいるらしく、顔を見せていなかった。
そんな折、ベルモント伯爵夫人から、秋の収穫を祝う茶会の招待状が届いた。
ベルモント夫人は、亡くなった祖母の古い友人で、昔から私を可愛がってくださった方だ。その方からのお招きを、噂が怖いという理由で断りたくはなかった。
「……行ってくるわ、マーサ」
若葉色のショールを肩にかけて、私は馬車に乗った。
ベルモント家の庭には、色づき始めた楓の下に、いくつもの円卓が並べられていた。
私が席に着くと、近くの円卓から、ひそひそと囁く声が聞こえてきた。視線が、ちくちくと背中に刺さる。
そして、いちばん刺さる視線の主が、にこやかに近づいてきた。
「まあ、ロレッタ様! お会いできて嬉しいですわぁ」
ジュリア様だった。今日は、山吹色のドレスを着ている。
「あら、今日はお一人ですの? 公爵閣下はご一緒ではありませんのね」
「ええ。お仕事がお忙しいそうですので」
「まあ、そうですの。……お忙しいのは、お仕事だけかしら」
ジュリア様は、意味ありげに扇を揺らした。
「そうそう、ロレッタ様に、ささやかな贈り物をお持ちしましたの」
差し出されたのは、小さな包みだった。開けてみると、中には淡い水色のリボンが入っていた。
「ロレッタ様には、やっぱりこの色がお似合いだと思いましたの。地味で、控えめで、とっても品がよくて。……身の丈に合った色を選ぶのが、いちばんですわぁ」
周りの円卓から、くすくすと笑い声が漏れた。
私はリボンを見下ろした。三年間、私が身につけ続けた色。誰かに選ばれた、私のものではない色。
「それに、皆様もお聞きになりたいですわよね? 公爵閣下との『幼い頃の約束』のお話。本当に、そんなものがあるのかしら。わたくし、とっても気になって」
ジュリア様の声が、わざとらしく大きくなる。周囲の令嬢たちが、興味津々といった顔でこちらを見ている。
胸の奥で、何かがきゅっと縮こまった。
(以前の私なら、ここで黙って笑っていた)
困ったように微笑んで、何も言い返さずに、嵐が過ぎるのを待っていた。そうしていれば、いつかは終わると思っていたから。
けれど、それで本当に終わったことなど、一度もなかった。
私は、リボンを丁寧に包み直し、ジュリア様に差し出した。
「お心遣い、ありがとうございます。でも、これはお返しいたしますわ」
「……え?」
「水色は、ヴィンセント様のお好きな色です。私の色ではありません。ジュリア様がお使いになったほうが、きっと喜ばれますわ」
ジュリア様の頬が、ぴくりと引きつった。
「それから、約束のお話ですけれど」
私は、周りの円卓をゆっくりと見回した。
「確かに、ございます。十歳のとき、隣国へ旅立つ幼なじみを泣きやませたくて、私が日記帳の頁を破って書いたものです。綴りも間違っていて、封蝋のかわりに、彼の上着のボタンを引きちぎって押しました。……でっち上げるなら、もう少しまともな証文を作りますわ」
一瞬の沈黙のあと、どこかの円卓で、誰かがぷっと吹き出した。
それをきっかけに、あちこちから小さな笑い声が起こった。けれどそれは、さっきまでの嘲るような笑いとは、まるで違っていた。
「まあ、ボタンですって」
「可愛らしいお話ね」
「十年も、そんなものを持っていらしたの……?」
ジュリア様は顔を真っ赤にして、扇で口元を隠した。
「わ、わたくしは、ただ皆様が気になっていらっしゃると思って……!」
「ええ。おかげで、お話しする機会をいただけました。ありがとうございます、ジュリア様」
私が微笑むと、ジュリア様は何も言い返せないまま、足早にその場を去っていった。
ふう、と息を吐くと、指先がかすかに震えていた。
「……よく言ったわね、ロレッタ」
振り向くと、ベルモント夫人が、楽しそうに目を細めて立っていた。
「あなたのお祖母様も、ああいうときはきっぱりとした方だったわ。久しぶりに、あの方の顔を思い出しました」
「ベルモント様……」
「それにしても、ボタンの封蝋とはね。その幼なじみの公爵様は、さぞ大事にしていらしたのでしょう」
夫人は、声を潜めて付け加えた。
「でもね、ロレッタ。シルヴァーナの第二王女様が、来月この国へいらっしゃるそうよ。表向きは親善のご訪問だけれど……王女様のお相手に、エヴァレット公爵の名前が挙がっているという噂は、どうやら本当らしいわ」
楓の葉が一枚、はらりと卓の上に落ちた。




