あなたの幸せを願うから
暖炉の火が、静かに揺れていた。
ぱち、と薪が小さくはぜる。
その音だけが、言葉を失った二人の間に落ちていく。
サラはしばらく黙っていたが、やがてそっと手を伸ばした。
そして、美緒の手の上に自分の手を重ねる。
大きく、温かな手だった。
「……ミオ」
呼ばれて、美緒は顔を上げる。
サラは少し笑った。
「最近ね、村の人たちに言われるんだよ」
「え……?」
「『サラ、あんたとミオは親子みたいだね』って」
そう言って、サラは目を細める。
「嬉しかったよ」
その笑顔は、いつもの明るさとは少し違っていた。
「私はね……あんたのことを、本当に大事に思ってるんだ」
美緒の胸が、きゅっと締めつけられる。
その声は、とても静かだった。
だからこそ、美緒の胸に深く届いた。
サラは重ねた手に、そっと力を込めた。
「だから……」
サラの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
その先の言葉を飲み込むように、一度だけ唇を噛む。
「危険なことは、してほしくないんだ」
「サラさん……」
「ミオが、この世界を救ってくれる存在なんだとしても……」
声が震えた。
「そんな危ないところへ、飛び込んでほしくなんかないんだよ」
涙が一筋、頬を伝う。
「娘を……そんな危険なところに、喜んで行かせる親がどこにいるっていうんだい……っ!」
「サラ……さんっ!」
気がつけば、身体が動いていた。
堪えきれなくなった美緒は、椅子から立ち上がると、そのままサラの胸へ飛び込んだ。
「……っ」
サラは何も言わず、美緒の背へ腕を回した。
ぎゅっと、優しく抱きしめる。
その胸は温かかった。
美緒は、その温もりに頬を寄せる。
この世界に来てから、何度この温もりに救われただろう。
「……ミオ……」
サラはゆっくりと美緒の髪を撫でた。
何度も、何度も。
まるで幼い子どもをあやすように。
「ミオ。あんたにはね……」
その声は、涙に濡れていた。
「私の分まで、幸せになってほしいんだよ……」
その声音に、美緒は顔を上げた。
「サラ、さん……?」
サラの目は、真っ赤になっていた。
それでも、どこか優しく笑おうとしている。
しばらくためらうように唇を結んでいたが、やがて静かに口を開く。
「私の夫はね……」
一度、息を吸う。
「呪いに、飲まれたのさ」
*
サラは暖炉の火を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
「たまたまだったんだ」
両手を膝の上で組む。
その声には、遠い日の痛みが滲んでいた。
「本当に、たまたまさ。
夫が買い付けに出かけて……その途中で、あの街へ立ち寄ったんだ」
その日は、いつもと変わらない一日だった。
少し買い物をして、数日もすれば帰ってくる。
それだけのはずだった。
「ところが……」
サラは目を伏せた。
「後になって、聞いたんだ。
その街が、呪いに飲まれたって」
信じなかった。
何かの間違いだと思った。
きっと夫は無事だ。
きっとどこかで少し足止めされているだけ。
「嘘であってほしいって……ずっと願っていたよ」
明日には帰ってくる。
明日こそ。
きっと、何事もなかったように扉を開けて帰ってくる。
そう自分に言い聞かせながら、帰りを待った。
けれど――
夫が戻ってくることはなかった。
「呪いに飲まれた場所は、瘴気で覆われていてね。
人間は中へ入れないんだ」
サラは目を伏せる。
「遠くから見たっていう人が教えてくれたよ。
街の中をね……真っ黒な影が歩いているんだって」
美緒の背筋を、冷たいものが走った。
サラは、再び美緒を強く抱きしめる。
「夫を失って……」
声が詰まる。
「そのうえ、ミオまでいなくなったらって思うだけで……。
どうしようもなく、怖いんだ……!」
「サラさん……」
美緒はしばらく何も言えなかった。
やがて、そっとサラの背中に手を回す。
今度は、美緒が撫でる番だった。
「……サラさん」
「……うん?」
サラが顔を上げた。
美緒は、涙に濡れたサラの瞳を、まっすぐ見つめる。
「それなら、なおのこと……私を行かせてください」
サラの瞳が揺れた。
「ミオ……」
「今、この瞬間も……どこかで誰かが悲しんでいるなら」
美緒は一度、言葉を選ぶように息を吸った。
「誰かが、その悲しみの連鎖を止めなきゃいけないと思うんです」
美緒の声は震えていた。
怖かった。
けれど、それでも――。
「それが、私にできることなら」
美緒は小さく微笑んだ。
「私は……行きます」
サラは何も言わなかった。
ただ、美緒の頬にそっと手を添える。
その目から、また一筋、涙がこぼれた。
「……本当に、あんたは……」
そう言って、サラは泣きながら笑った。
「優しい子だねぇ……」
暖炉の火が、二人を優しく照らしていた。
その足元で、リクは黙って二人を見上げている。
金色の瞳には、いつになく深い光が宿っていた。




