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異世界転移?! 月と魔法塔に選ばれし者  作者: 高梨美奈子


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約束の夜

翌朝。

朝の光が窓辺をやさしく照らし、焼きたてのパンの香りが厨房いっぱいに漂っていた。


いつもと変わらない穏やかな朝――のはずだった。

パンを棚へ並べながら、美緒は昨夜の出来事をサラに話していた。


「ミオ……本当にリクはしゃべっているのかい?」


困ったように眉を下げながら、サラが尋ねる。


「本当です!」


美緒は何度もうなずく。

その足元では、黒猫のリクが尻尾をゆらりと揺らし、小さく肩をすくめるように鳴いた。


『ほらな。俺の言ったとおりだろ』


「ほら! 『俺の言ったとおりだろ』って!」


美緒は思わずリクを指さし、身を乗り出して力説する。

けれど、サラの耳に届いたのは、


「にゃあーん」


という、いつもの穏やかな鳴き声だけだった。


「昨日からちゃんと会話してるんです!」


当の本人――いや、本猫というべきか、リクは何食わぬ顔で前足を舐めている。


『だから、聞こえるのはお前だけなんだって』


リクは退屈そうにあくびをする。


『信じてもらえんのも無理はない』


「……って言ってます!」


サラはそのやり取りをしばらく眺めていたが、不意にふっと笑みを浮かべた。

そして、美緒の頭へそっと手を置く。


その手は、大きくて温かかった。


「疑ってなんかいないさ。

信じてるよ、ミオ」


優しい声だった。

ゆっくりと髪を撫でながら、サラはにっこり微笑む。


「やっぱり、あんたは特別なんだね。

すごいよ、ミオ」


「サラさん……」


くすりと笑ってから、サラは人差し指を唇に添えた。


「ふふ。

これは私とあんただけの秘密にしておこうか」


その言葉に、美緒の胸がじんわりと温かくなる。


(信じてもらえないかもしれない)


そう思っていたからこそ、その一言が嬉しかった。

サラは、今度はリクへ視線を向ける。


「その方がいいんだろう? リク」


黒猫は静かに尻尾を揺らした。


『ああ』


もちろん、サラには「にゃあ」としか聞こえない。


「まあ、リクがしゃべるなんて話をしても、誰も信じやしないだろうけどね」


サラは肩をすくめ、小さく笑った。


「誰にも話さないよ」


だが、少しだけ悪戯っぽく目を輝かせる。


「ああ、でも……」


リクを見つめたまま、口元をほころばせる。


「リクが何を話しているのかは気になるね。

もしよければ、たまにはミオに通訳してもらえるかい?」


リクは静かに目を細めると、ゆっくりとサラを見上げた。


「にゃおん」


『構わん』


「……『構わない』って言ってます」


「そうかい」


美緒がそう伝えると、サラは嬉しそうに笑った。

相変わらず、サラには愛らしく鳴いている黒猫にしか見えない。


「ありがと。

ミオをよろしく頼むよ、リク」


リクもまた、小さく一声鳴いた。

その様子がおかしくて、美緒は思わず笑ってしまう。


穏やかな笑い声が、朝の日差しに溶けていった。


*


その日の仕事を終え、夕暮れが夜へと変わろうとする頃。

店の戸締まりを済ませたサラが、静かに口を開いた。


「……それで」


その声音に、美緒はハッと顔を上げた。


「今夜、森へ行くんだって?」


「……はい」


頷く美緒の隣には、リクが静かに座っている。


サラは窓の外へ目を向けた。

空には、二つの月が静かに浮かんでいる。


白銀の光が村をやさしく照らし、その美しさとは裏腹に、どこか張り詰めた空気を漂わせていた。


「今日は、満月だからね。」


「え?

満月、だから……?」


美緒は首をかしげる。

サラは少しだけ表情を曇らせると、言葉を選ぶように間を置いた。


「本当はね」


一呼吸置いて続ける。


「夜は、出歩かない方がいいんだ」


その声は、いつもの穏やかさを残しながらも、どこか切実だった。

美緒は思わず息をのむ。


「え……」


「森には……近づかない方がいい」


その声は静かだった。

だが、その一言に、美緒はこの世界に来た時の深い森を思い出す。


あの唸り声。

どこまでも続く木々。


胸の奥が小さく震えた。

美緒は思わずリクを見る。


リクは何も言わず、ただ静かに座っている。

サラもまた、その黒猫へ目を向けた。


「でも……」


ふっと微笑む。


「リク。今日じゃなきゃダメなんだろ?」


リクはサラの視線をまっすぐ受け止めると、小さく、こくりとうなずいた。


「にゃ」


その鳴き声だけで、サラには十分だった。

頬を緩め、小さく笑う。


「ふふ。本当に、言葉が分かっているんだね」


それ以上、何も聞こうとはしなかった。

代わりにサラは美緒へ歩み寄り、その細い身体をそっと抱きしめた。


「分かった」


耳元で、静かな声が響く。


「私はもう、これ以上何も言わないよ」


少しだけ抱きしめる力が強くなる。


「行っておいで」


そして、ゆっくりと身体を離す。


「ただ、一つだけ約束しておくれ」


それは、母が子を送り出すような優しい声だった。

サラはまっすぐに美緒を見つめた。


「きっと、ここに帰ってくるって」


その言葉に、美緒はサラの背へ腕を回す。

胸の奥に、小さな勇気が灯る。


「はい。必ず……帰ってきます」


声は少し震えていた。

それでも、美緒はしっかりと頷く。


「約束します」


サラは安心したように微笑む。

その笑顔を、月明かりが静かに照らしていた。



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