双月の学び舎へ
ペガサスの翼が、夜の風を静かに切っていく。
銀色の馬車は、双月の塔の街並みを抜け、やがて学園へと続く空を、ゆっくりと進んでいた。
淡い魔法の灯りが、家々の窓からこぼれている。
遠くには、いくつもの塔が月明かりに照らされ、その間を小さな光の粒が行き交っていた。
屋根の上を走っていく不思議な生き物。
美緒は窓に手を添えたまま、しばらくその幻想的な景色を眺めていた。
そう――。
ずっと、頭の片隅に引っかかっていることがあった。
意を決して、向かいに座るエルファルへと声をかける。
「あの……エルファルさん」
「はい。何でしょう?」
エルファルが穏やかに微笑む。
美緒は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「その……月渡りで、他にこちらの世界へ来た人は、いないんですか?」
美緒の問いに、エルファルは少しだけ目を細めた。
そして、静かに頷く。
「はい。おりません」
「……え?」
思っていたよりもはっきりとした答えに、美緒は目を瞬かせた。
エルファルは窓の外へ目を向ける。
「正確には、過去に月渡りとしてこちらの世界へ来た方はおりました」
「あ……やっぱりいたんですね?」
「……ええ」
けれど、とエルファルは続けた。
「その魂が、この世界に耐えられなかったのです」
美緒は息を呑んだ。
「耐えられ……なかった?」
「はい。世界の境界を渡るということは、想像以上に大きな負担がかかるようです。
身体だけでなく、魂こそが、異なる世界に馴染まなければならない」
エルファルは静かに言葉を選ぶ。
「過去の月渡りたちは、こちらの世界へ来て間もなく、消えてしまいました。
恐らくは……元の世界へ戻ったのかと」
「そうだったんですね……」
美緒は窓の外へ目を向けた。
遠くに見える街の灯りが、どこか滲んで見えた。
元の世界。
自分が生まれ育った場所。
学校も、駅も、家も。
もう遠い場所になってしまったような気がする。
それでも――。
自分は、こうしてこの世界で息をしている。
美緒はそっと胸元に手を置いた。
ここへ来てから出会ったものを思い浮かべる。
リクと出会い、サラと過ごした日々。
村の人たちの笑顔。
それは、決して当たり前のことではなかったのだと知った。
まだこちらへ来て、そんなに長い時間が経ったわけではないのに、この世界で過ごした時間が、少しずつ自分の中に根を張っている。
エルファルが再び美緒を見る。
「ですから、月渡りとしてこの世界に留まることができたのは――ミオさんが初めてになります」
エルファルは嬉しそうに微笑んだ。
「しかも、女神リーナ様が自ら選ばれ……。
そのうえ、聖属性をお持ちになっているお方……!」
エルファルは、美緒をじっと見つめ、ほうっと小さく息を吐いた。
その顔には、これまでとは少し違う表情が浮かんでいた。




