6.危険な男
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アンナリーザの後ろから歩いてきた男は、静かに笑った。
あまりに美しい男だった。
艶のある黒髪は、宵闇から這い出してきたようだった。彫刻のように整ったかんばせは美しく女性的なのに、薄いくちびるや高い鼻筋が、獣のような獰猛さを感じさせた。
血のような、真っ赤な瞳孔がアンナリーザを見つめて細められた。
一目で上質だとわかる黒の上衣に、銀の刺繍が施されたベスト。白のシャツは胸元が少しはだけ、男性らしい骨ばった首筋が覗いていた。
「 ……貴方は?」
オティリオが誰何するように、目を眇める。
貴族ではない。貴族同士の顔なんて、子供の頃から叩き込まれる社交の基礎だ。
こんな男、一度見たら忘れるはずがない。
「俺?俺はダンテ 」
「…ダンテ? 」
月光が淡く男の輪郭をぼかした。首筋に黒い影がかかり、真っ赤な瞳が血を吸ったように鮮やかに染まる。
「 ずいぶん面白い話をしてるんだね」
「……面白い話? 」
いつの間にか、アンナリーザとダンテとの距離が縮まっていた。後ずさるように一歩下がれば、オティリオの胸元にぶつかる。
「 そう。ファミリーがどうとか、皇帝陛下がどうとかーーそういうのって、俺に聞かれちゃって大丈夫?」
ダンテが笑った。声音はからかうようなのに、赤い瞳からは何の感情も伺えなかった。
「…衛兵!!! 」
オティリオがアンナリーザの腰を抱き、すぐさま自身の後ろへと引いた。慌ててアンナリーザもオティリオの背中越しに辺りを見回す。
けれど。
返ってきたのは静かな沈黙のみ。
静かだ。
誰も、訪れない。
「……どういうこと 」
ぽつん、と零れた声は、オティリオにも聞こえていた。
「分かりません。とにかく、大広間に戻りましょう 」
「…ええ 」
頷いて、素早く踵を返した瞬間。
乾いた銃声が、響いた。
「 ……っ……!!!!」
熱い鉄塊が、アンナリーザの脇腹を掠めて、壁に突き刺さる。脈が激しく跳ね動いているみたいな、激しく脈動する感覚に、目眩がした。
熱い。
「アンナリーザ!!!! 」
オティリオの手のひらが、アンナリーザを支えるように動く。
「 困るな、行かれちゃ。俺はその子に用があるんだから」
「…っ…、お前……!!何のつもりだーーー!! 」
熱い。
耳鳴りがする。
きぃん、と音が割れるように反響した。
視界が黒く塗りつぶされていくのに、身体中から熱い何かが零れ落ちていく。
咄嗟に手のひらで抑えた脇腹を、ぬるりとした熱い液体が濡らしていく。
「…アンナリーザ、血が…っ… 」
オティリオの声が、遠くに聞こえる。彼の指先が冷たい。
「 ほら、どいて?俺、お前には興味ないからさ」
「 彼女に触れるな…!!」
「だから邪魔だって」
冷たい指先が、離れていく。馬鹿になっていく耳に、オティリオのうめき声と打撲音が響いた。
「 …アンナリーザ…んー、アンナリーザか。アンナリーザ、俺の声、聞こえる?」
誰かに抱き起こされた。
その動きでさえも激しい痛みとなって身体を襲った。苦悶に顔が歪んだのがわかる。
「 ……っ、う……」
「 よかった、生きてた。でもおかしいな、聞いてた話と違うね」
男の言葉が頭に入ってこない。
熱い。
痛い。
くるしい。
「 ま、いっか。行こう、アンナリーザ」
視界が赤くなる。
身体中が燃えているみたいだった。
火に焼かれているみたいだ。血に染め上げられていくようで。
大嫌いな、赤。
それと同じ色。
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「………ん… 」
微かに意識が浮上する。薬草のツンとした匂いが鼻を突いた。橙色の灯りが視界の端に映る。木目の天井と、木目の壁。
「あ、起きた 」
かつん、と床を叩く足音がする。質のいい革靴が木目を叩いた音だ。
聞こえた言葉を探すように、身体を動かそうとした瞬間。
「……っい……!! 」
太い針で刺されたみたいに脇腹が痛んで、寝台に倒れ込むように頭を預けた。
「ああ、ほら。駄目だよ、急に動いたら 」
「…っ…あ、なたは… 」
掠れた声で、どうにか紡いだ。
あの時と、一寸も違わない容貌で、ダンテが笑みを浮かべた。
「 俺はダンテ。ダンテ=アヴォレード」
「 …アヴォ、レード……」
そういうことか、と痛みの回った頭でなんとか理解した。アヴォレード家ーーー五大ファミリーと呼ばれるうちの一つの家門だ。この男に見覚えがなかったのも、銃を持っていたのもそのせいだ。
「そう。 ちょっといろいろ確認することがあってさ。撃っちゃってごめんね?」
「 ……撃った?」
アンナリーザの脇腹を撃ったのはこの男だったのかーーいや、状況的にそうしか有り得ないのだが。
すぐさま逃げなければならない。そう頭では理解している。けれども身体中は重石を下げたみたいに重く、痛みは歩くことさえままならないほど強かった。
痛みが思考をじんわりと鈍らせていく。
「痛い?ごめんね、女の子にはなるべく優しくしてあげたいんだけどさ。逃げられたらこまるから、痛み止めは打ってないんだ 」
ダンテの言葉が頭の中に堆積して、そのまま流れていく。
「 アンナリーザ…アンナリーザ=ディ=ロレンツォ」
ダンテが紅い瞳を細めて笑う。骨ばった指先がアンナリーザの髪を掬い、絡めるようにして指先に巻きつけた。
「 合ってる?」
「…… 」
分からない。
ただ、頷いていた。
なぜそうしたのかも分からない。痛みのせいで、上手く言葉を拾えなくなっているのだ。
「 そう、よかった。間違ってたら大変だからね」
「 ……」
「 ああ、駄目だよ。気を失う前にもう一個だけ聞いとかないと」
アンナリーザは虚ろな瞳でダンテを見上げた。
聞いとく?
なにを?
脇腹が燃えるように痛みを主張した。火がついたみたいに激しく痛んで、呻く。
「……俺と結婚しよう? 」
「 …は、………?」
理解できた言葉に、一瞬なにを言われているのか分からなくなった。
結婚?
ロレンツォ侯爵家の令嬢であるアンナリーザが、ファミリーと結婚するというのか。
「 ほら、答えて?うんって」
ダンテが笑う。
綺麗なかんばせが、獣を追い詰める獅子のように見えて。
結局、何と答えたのか覚えていない。
ただダンテが笑って、アンナリーザに痛み止めを打っただけ。
そこまでしか、覚えていない。




