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1.面倒な夜会

****


橙赤色の輝きに彩られた綺羅びやかな広間。耳に心地よいはずの音楽は、いまは賑やかしい男女のさざめきによってかき消されている。


アンナリーザは溜息を扇の裏に吐き出した。


そもそも、舞踏会ーー夜会と名のつくものは好きではないーー現に、滅多に顔を出さないアンナリーザが参加しているのを見てとって、憶測めいた嘲笑を漏らす貴族たちが視界の隅に映り込む。


あの男の命令がなかったら、こうしてこんなところまで出向いていなかったというのに。

身に纏った濃紺のドレスが瞳の端に映る。


「 ミス=ロレンツォ。お久しぶりですわ。イリトルウィヤが糸を紡いでくださったのかしら。」


「 ミス=ヴィエリ」


ヴィエリ伯爵令嬢ーー目にも鮮やかな赤色のドレスを纏った彼女が優雅に微笑む。彼女の自慢なのだろう豊かなブルネットが、ジャンデリアの白い光に輝いた。


このひとはあまり好きになれない。少しだけ、アンナリーザは身を引く。


よそ行きの、社交辞令的な笑みを浮かべたまま、「 こちらこそ、お久しぶりですわ」取り敢えず、無難にそう返す。


「よければご一緒させていただいても? 」


柔らかく彼女ーーコンスタンツェが微笑む。


断るという選択肢はない。鷹揚に頷いた。


「美しい薔薇ですわね。 」


貴族らしい文面で彼女が言う。

「 ええ、本当に」確かに、窓の外に見える薔薇は美しい。月光を浴びて仄かに浮かび上がる鮮赤は、まるで女神フェリスディーリアのようだ。陽光の下であれば、格別であっただろうが。

なんでも、コンフォルトーラ公爵家が王室から特別に賜ったという薔薇だったか。名前は確かーー〈女王の愛し子ラマンタ=デラ=レジーナ〉生涯真紅のドレスを愛着したと言われる、故エウジェーニア女王に擬えてつけられたという。


「そういえば、ロレンツォ侯爵様はお元気ですの? 」


どくり、と心臓が脈打つ。おくびに出さないように小さく息を吸う。


「…さあ、元気だと思いますけれど。父は仕事で多忙ですから、あまり顔を合わせませんの。」


「 そうだったのですね。これは失礼なことを申してしまいましたわ」


どうせ思ってもいないだろうに、申し訳なさそうにコンスタンツェが眉を下げた。


「 ミス=ロレンツォが久々に来てくださって、皆が浮足立っているようですわね」

 

冗談かーーそうでなければ皮肉だろう。


「 …それなら嬉しいことですわ」


コンスタンツェについていくうちに、令嬢たちが集まるテーブルにつく。伯爵令嬢や子爵令嬢が多い。コンスタンツェの取り巻きだろうか。


「 まあ、ミス=ロレンツォ。」


「 ティアテティーアも予想できないことですわ、御機嫌よう、ミス=ロレンツォ」


「 お久しぶりですわ、ミス=ロレンツォ」


令嬢たちは口々に言う。

口先だけの社交辞令に始まり、話題は直ぐに最新の歌劇へと移る。

アンナリーザは基本的にロレンツォ侯爵家の別宅に籠もっている。そんな歌劇を見に行くことなんてないしーーつまり、話題になんて入れるわけがない。


「 ええ、そうなのですわ、コンスタンツェ様。ディートリンデ様の歌は本当に素晴らしくて。演目も素敵ですし」


「貴女もそう思う?わたくし、ディートリンデ様の歌を見たさに、お父様に頼んで三度ほど観に行きましたのよ。 」


なんでもないことを話すような口ぶりで、それでも青い瞳に自慢げな色を乗せて、コンスタンツェが言う。すぐさま、まあすごい、流石ですわ、と追従が飛ぶ。


「ミス=ロレンツォもご覧になって? 」


楽しげに飛び上がったコンスタンツェの青の瞳が、明確にアンナリーザを捕らえて、歪んだ。

扇の裏で深々と息をついて、静かに微笑む。


「わたくし、歌劇は好みませんの。」


「まあ、それはーー 」


驚いたように、というか、僅かに嬉々とした瞳を覗かせたコンスタンツェに内心呆れる。貴族にとって腹芸は出来て当たり前。感情を表に出さないなんて、その初歩だ。まして、負の感情ならなおさらに。


どちらにせよ、アンナリーザを見下す優位な話の種を見つけたとでも思っているのだろう。ーーこれだから、社交は嫌いなのだ。


「でしたら、ミス=ロレンツォもよろしければ今度ーー 」


「ミス=ヴィエリ 」


不快な言葉を口に出しかけた、コンスタンツェの言葉を遮る。


「 同じことを何度も言うのって疲れると思わなくて?」


『歌劇は好みませんの 』ーー暗に、もう一度言わせるつもりか、と問う。


コンスタンツェの蒼玉のような瞳がぱちりぱちりと瞬いた。一瞬、その目に苛立たしげな影がよぎる。


「 …ご不快にさせたのなら申し訳ございませんわ。」


悔しさを歯噛みするような様子は無く、静かにコンスタンツェが微笑んだ。腐っても伯爵令嬢ではあるようだ。


「構わなくてよ 」貴族らしい品の良い笑みを浮かべる。


「 コンスタンツェ」


「 ラインフェルト様!」


と、アンナリーザの後ろに影が差す。その姿を見てとって、コンスタンツェが嬉しそうに声を上げた。


「 これは、ミス=ロレンツォ。」


ーーー最悪だ。よりにもよってこの男か。アンナリーザは苦虫を噛みつぶしたような気持ちを押し隠すように、扇を口元に寄せて、笑みを作る。


「ミスタ=ラインフェルト。お会いできて光栄ですわ。 」


「嫌に他人行儀ですね、よしてくださいよ 」


目の前で可笑しそうに笑ったのはーーオティリオ=ディ=ラインフェルトーーラインフェルト侯爵家の次男だ。まさかこの男も招かれているとは思わなかった。


くすんだ金髪を撫でつけ、整った鼻梁の端には色っぽい黒子が一つ。甘やかにこちらを見下ろすブルーグレーの瞳。


「 ラインフェルト様、いらしていたなら教えてくださったらよかったのに」


淑女らしさも忘れたように、コンスタンツェが頬を膨らました。


微かに苛立つ。コンスタンツェは伯爵家の一人娘だからか、酷く甘やかされて育ったと聞く。貴族らしくない、と言われればそうなのであろうが、彼女の仕草にはどこか人目を引く愛らしさがある。


「はは、ごめんよ、コンスタンツェ。私も忙しくてね 」


「先ほど来られたのですか? 」


「 ああ、うん。そうだね」


「 でしたら、あちらでご一緒にお話しませんか?」


コンスタンツェは恋する乙女のように頬を染めて言い募る。


オティリオは困ったように微かに苦笑して、アンナリーザの方をちらりと見やる。


一体何が言いたいのか。アンナリーザは曖昧な微笑を返しておくにとどめて、『どうぞ、ごゆっくり 』の意を込めて、一つ頷く。


オティリオは若干顔を引き攣らせーーコンスタンツェを見下ろした。


そもそも、婚約者でもないコンスタンツェを敬称もなくファーストネームで呼ぶなんて、勘違いされても仕方ない。自業自得だ。


「 困ったな」


…正直、どこがいいのか理解できない。この男に入れあげている令嬢たちは顔だけしか見ていないのだろう。


「 ミス=ロレンツォ」


なぜそこで名前を呼ぶのか。

げんなりした表情を隠すために扇をすいと上げる。


「 …なにか?」


コンスタンツェは話を遮られたからか、笑みを浮かべてはいるが、不機嫌そうなまなざしをアンナリーザに向けてくる。


「貴女は咲きこぼれるどんな花よりも美しい。貴女を手折る栄誉をいただいても? 」


「 …貴方を待ち焦がれる花もいるというのに。」


思わず呆れる。この男は真剣に何を言っているのか時々分からなくなる。コンスタンツェから同伴の誘いを受けたのにもかかわらず、返事をせずにアンナリーザを誘ってくるとは。

なんなのだ、本当に。すべてを引っかき回した天空神クラーヴィナのようではないか。


アンナリーザの遠回しなコンスタンツェへの言葉に、思い出したとでもいうように、灰色がかった青い瞳がコンスタンツェを捉える。


「ああ、すみません、コンスタンツェーーいえ、ミス=ヴィエリ。私と貴女の糸は解けてしまいましたが、貴女にもイリトルウィヤの導きがあるとよいですね。 」


「 …な…ラインフェルト様…?」


ぎょっとしたように、コンスタンツェが目を見開いた。


微笑んでコンスタンツェに告げた言葉に、アンナリーザは呆れーーを通り越して嫌悪を抱く。


イリトルウィヤの導きーー即ち、貴女とはもうこれっきりですけれど、他にいい男性と巡り会えたらいいですね、と婉曲に告げられたコンスタンツェは、可哀想なことに真っ青になって震えている。


この女性はあまり好きではなかったが、流石に同情する。


この男はこういう男なのだ。好きに遊んで、都合が悪くなったら簡単に捨てる。


「…ディモスも驚きあきれるほどのお花遊びでございますこと」


気づけば、思わず苦言を呈していた。


ちらり、とオティリオがアンナリーザを見下ろす。


雄神ディモスは狩りを司る神でありーーまた、その美貌から数々の浮き名を流したことで知られる。


「ははは、ディモスが得意とするのは狩りですから。今度は美しい赤い毛並みの獅子を射止めようと思っているところです。 」


さらりと、アンナリーザの赤毛を撫でられ、そのまま口づけられる。


鳥肌が立つ。最悪だ。今日は長袖のドレスでよかった。


「ディモスにも太陽は射抜けないように、貴方も瞳を焼かれる前に、その弓を下ろしたほうが良いかもしれませんわ」


雄神ディモスは、身の程知らずにも闇の女神サグラティウィルーナに恋をし、無理やりに関係を持った。それに怒った双子の姉である光の女神エドゥアルシーナが、ディモスの目を焼いたというのは有名な神話の一節である。


オティリオは困ったように苦笑した。


「 イリトルウィヤが運命の糸を紡いでも、貴方は直ぐに断ち切ってしまうようですね」


「 わたくしたちの糸が交わらないのは、未来の女神ティアテティーアでなくてもよく知っていることですわ。」


静かに返す。なぜだか分からないが、この男はやたらとアンナリーザに構う。


婚約者も作らず、その甘い美貌で様々な女性を虜にし、遊んでは捨て、遊んでは捨て、を繰り返している。今回のコンスタンツェだって、その一つだ。オティリオにとっては、数々の花のうちの一つに過ぎない。


「 ははは、手厳しい。貴女の御心に叶うように振る舞えればいいのですが」


「 それは、ラーヴァローラがセトゥを殺すようなものですわ。」


いつの間にか握られていた手を、緩やかに引っ込めて、微笑む。


「 …そういうところ、燃えますね」


「何を言っているのかしら?ミスタ=ラインフェルト 」


「いいえ、 貴女は罪な女性だと、そう思っただけですよ。ーーそうだ、どうです、私と一曲踊っていただけませんか、美しいひとよ」


アンナリーザは恭しく差し出された手を静かに眺めて、拒絶の意を示すように扇を開いた。


「 わたくし、夜会では、ラーヴァローラの眷属となることと決めておりますの」


「 …それは残念だ。では、私が軍神レネドになれば、踊ってくださいますか。」


貞淑を司る女神ラーヴァローラ。その夫が軍神レネドだ。


思わず息をついた。


「 ディモスがどれほど努めようと、レネドにはなれぬものです。」


こんなことをしているうちに、コンスタンツェはいつの間にかいなくなっている。


目の前で残念そうにしながらも甘やかな微笑を浮かべる男をちらりと見やって、心底コンスタンツェに同情する。


「 それでは、わたくしは失礼いたしますわ。」


「…ええ。貴女に父母神の御加護がありますように 」


くるりと踵を返した。今日はもううんざりだ。貴族の付き合いは疲れる上ーー面倒な男にも絡まれた。


暗いけれど、庭の薔薇園でも見ようか。気晴らしには丁度よいだろう、と思ってそのまま足を向けた。


と、月明かりの下にうっすらと赤いドレスが浮かび上がる。小さな少女の影。


「…ミス=ヴィエリ 」


ぽろり、と口に出ていた。


ぼんやりと東屋らしいところに腰掛けていたコンスタンツェは、初めてアンナリーザに気づいたように、何度かゆっくりと瞬いて、そのまま、力なく俯いた。


綺麗に巻かれた金髪が、萎れた花のようにくたりと落ちる。可愛らしい顔立ちは、月影に隠れてしまっている。


取り巻きの令嬢たちもおらず、ぽつりとひとりで佇む様子に、自然と口が開いていた。


「このようなところにずっといては、お風邪を召されてしまいますわ 」


コンスタンツェの顔が僅かにアンナリーザを捉える。


ややあって、小さく首を振って、ぽつりと零した。


「 …わたくしのドゥリオンはラインフェルト様であると、そう、思っていたのです」


少しの困惑に、アンナリーザは小さく眉を寄せた。何を言っている?


「ラインフェルト様も、わたくしのことをティフィスだと…何度も何度もそう言ってーー 」


「…あの男が、そんなことを? 」


「 ええ、ええ!そうですわ。わたくしのことを愛していると、ティフィスだと…そう、何度も!」


目を見開く。


なんということだ。遊び癖の悪い男だとは思っていたが、ここまで最低だとは思わなかった。ティフィスとは、運命の女性という意味で、主に恋仲の相手にしか使わない。逆に女性が男性に対して使うのはデュリオンという言葉だ。そういった線引きは上手い男だと思っていたのだが。


「 とんでもない屑ですわね」


「 え?」ぎょっとしたように、コンスタンツェがアンナリーザを見つめる。


口が滑ったかもしれない。


すました顔で、コンスタンツェの青い瞳を見つめ、そのまま口を開いた。


「あの男はああいう男ですわ。ーーミス=ヴィエリも流石にラーヴァローラに背を向けた訳ではございませんでしょう? 」


「 なっ…!」


はくはく、とコンスタンツェが顔を真っ赤にする。


「 わ、わたくしはまだラーヴァローラの眷属ですわっ!」


「 それなら良いことですわ。闇の女神サグラウィルティルーナのように、ディモスに穢されてからでは遅いのですから。」


一線を越えていないならばいい。それならば、彼女の名誉に傷は付かない。


「 …貴女には婚約者がおられるでしょう?」


「でも…きっとわたくしに幻滅しておられるわ 」


先程の威勢のよさからは想像もできないほど、しおらしい声音が落ちていく。


アンナリーザは自身の赤毛をグシャグシャとかき混ぜたくなった。今日はほんとうに最悪な一日だ。夜会なんてやはり参加するべきでなかった。


どうせなら、この少女のことはあまり好きになれないままいさせてほしかったのに。今までの行いを許してしまいそうになるではないか。


「 幻滅しておられるかどうかなんて、確認してみないとわからないことでございましょう?貴女のデュリオンーーミスタ=アスコリが」


「 ……っ」


コンスタンツェはアンナリーザの言葉に肩を震わせて、俯いた。


「…ニコラ様はこんなわたくしを許してくださるかしら?こんな、不義理を …っ」


「貴女がラーヴァローラの眷属であり、その心をデュリオンに捧げるのなら、許してくださるのではなくて? 」


「 …!」


潤んだ青色の瞳が、アンナリーザを捕らえてまた緩るかに細む。


「 …そう、かしら」


「 わたくしにできることはこんな助言くらいですわ。あとは貴女が行動なさらない限り変わらないのではなくて?貴女の威勢があれば大丈夫ですわ」


最後に皮肉を交えて言えば、コンスタンツェがぱっと顔を上げた。いろいろなことを思い出したのか、その頬は赤く、視線は気まずげに揺れている。


「あ…その、わたくしーーー 」


「別に謝罪はいりませんわ。貴女の謝罪が欲しくて言ったわけではありませんもの。」


彼女の顔色が良くなっているのを見て取って、アンナリーザは立ち上がる。


「 それでは、わたくしはお先に失礼いたしますわ。貴女のご友人たちが心配なさる前に、戻ったほうがよろしいですわよ」


「 …えぇ」


薔薇園に座り込むコンスタンツェから背を向けて歩き出す。


オティリオがまさかティフィスなんて言葉を使うとは思わなかった。あの男は、そういった線引きだけはきちんとすると思っていたのに。貴族社会でその言葉を使うことは、明確な口説き文句であり、そこには責任も伴うものだというのに。


そこまで考えて、首を振る。

アンナリーザには関係のないことだ。

あの男にわざわざ苦言を呈してやる必要性なんてアンナリーザにはない。


そもそも貴族社会なんて好きになれない。嘘と虚飾にまみれた社交辞令ばかりの世界が。


ふと空を見れば、真っ黒な空に闇の女神サグラティウィルーナが流した涙のような、真珠の雫みたいな月が零れ落ちている。


「 ……」


ーー早く帰りましょう


あの男の顔を立ててやる必要なんてないではないか。夜会に出席した時点で、アンナリーザは彼からの命令を遂行している。


そう、早く帰ろう。


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