10.アヴォレードの当主
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月光の光の中に、一人の男が佇んでいた。風が彼の黒髪を揺らし、闇のなかに溶かしていく。
エルザは微笑みを浮かべたまま、その男のそばへと歩み寄る。
「 当主」
当主ーーアヴォレード家当主、ダンテ=アヴォレードが静かに振り返った。血のような不吉な赤の瞳が、エルザを捉えてつまらなそうに歪む。
「 …なに?」
「 こんなところにいては、お風邪を召しますよ」
アンナリーザを療養させている屋敷の、深い濃紺の屋根の上。ダンテは立っていた。
彫刻みたいに、どこか作り物じみた綺麗な頬には傷一つなかった。
「 アンナリーザは?」
ダンテはエルザの忠告には答えず、ただそう問いかけた。
エルザは黒のドレスの裾を払い、笑みを浮かべてただ答える。
「 傷口を縫い、痛み止めを処方しております」
「…ふうん?」
「 ……」
エルザは笑みを深めた。この主には、聞いておかなければならないことがある。
「何をお考えですか? 」
アンナリーザに問われた時。答えなかったのではない、知らなかったのだ。ダンテは気まぐれで、その真意は読めたことなどなかった。
侯爵家の令嬢を撃ち、さらには連れ去ってくるなんて、聞いていない。アヴォレード家は台頭してきたマフィアだと言えど、王権に逆らえるほど強くはない。武力では、勝っていても。
全面抗争する気なのか。革命を起こす気か。
アンナリーザを攫ったことが、その引き金として作用するのかーーー様々な可能性が頭を巡る。
アヴォレード家はマフィアといえど、他家ほど積極的に革命派の運動に参加したことはない。エルザとて、当主の命とあらばその決定に異論はないがーー
「 …秘密」
ダンテが軽く笑った。薄いくちびるが跳ね上がり、牙のような白い八重歯が覗いた。
「 当主」
思わず声音が厳しくなるのがわかった。
ダンテは楽しそうに瞳を細めると、軽く両手をゆらりと振った。
「 冗談、彼女と結婚しようと思ってさ?連れてきちゃった」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
音としては捉えられても、言葉として頭の中で意味を構築していかない。
「 …は?」
「だから、俺のお嫁さんにしようと思って 」
「… 」
お嫁さんーーー妻?
侯爵家の、ご令嬢を?
撃って、怪我をさせて、攫ってきて?
そして、妻にする?
当主の行動は突飛で、掴みどころがないところがあった。けれどもこれは、予想の範疇を超えている。超えすぎている。
「…ご自分が、何を仰っているか、わかっておいでなのですか?」
声を潜めて、尋ねかける。
ダンテは小首を傾げると、愉快そうに笑った。
「 もちろん。はじめからそのつもりだったし」
「 彼女のご家族ーーロレンツォ侯爵は了解しているのですか?そもそも、貴族の結婚には皇帝の了承がいります。それは、どうするおつもりで?」
別に、皇帝を慕っているわけではない。アヴォレードに仕えるものに、当主以外に忠誠を誓うものなんていないのだから。
ただ、そのすべてを無視するのであれば、それは皇帝にとっては反逆と同じことだ。仮に、アヴォレードは皇帝との敵対を選べたとしても、皇帝派筆頭たるロレンツォ侯爵家が承知するはずがない。
「 黙らせるよ、上手くね?」
ダンテは笑ってそのまま視線を夜空へ向けてしまう。その仕草だけで、言外にこの話は終わりだ、と告げられているのだと分かる。
「 …」
真意がわからない。
何を考えているのかわからない。
けれども彼は、アヴォレードが不利になることはしない。だからこそ、彼を信じ、ついて行く者がいる。エルザのように。
「…アンナリーザ様が、当主にお会いしたがっておりました 」
「ふうん?嬉しいな」
ダンテの口調は軽く、本心でそう思っているようには見えなかった。
「会いに行って差し上げては、いかがですか? 」
「 …」
ダンテはひらひらと腕を振ると、一度だけエルザを振り返った。
真っ赤な瞳が、エルザを捕らえる。
「ラインフェルト侯爵家を探ってきて。一カ月あげる 」
にこ、と細めた瞳は、獰猛な獣のようだった。
息を呑まれる。視線が離せなくなる。
ただ、惹かれる。
「 …承知いたしました」
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ふ、と吹いた風に紛れるように、小さく息をついた。エルザが去っていったのは、気配でわかっていた。
ダンテは屋根の上に腰を下ろすと、長い脚を静かに組んだ。
「…俺の聞いてた話と違うんだけど」
ぼやくように言い、それから小さく舌を打つ。
「 あのクソジジイ」
視線をずらし、夜の空を静かに眺めた。
星はまるで銀砂のように無造作に散らばっていた。月だって、空に落ちた塵のようなものだ。誰が夜空を綺麗にするのだろうか。あれだけの銀砂が零れていれば、掃除するのも大変だろうに。
ダンテは静かに目を瞑る。
静かに考えて、数秒。薄く瞳を開けた。長い睫毛が鬱陶しくて、邪魔だった。
長い指先を遊ばせ、つまらなそうに視線をやる。
やらなければならないことは、沢山あった。
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