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9.囚われの身

******



「 …アヴォレードが?」


目の前の男ーーー少しやつれたように見えるラインフェルト侯爵家の令息、オティリオにファヴィオは静かに目を向けた。


侍女長であるヨハナと別れてから四半刻ほど後。本宅に戻ってすぐに、ラインフェルト侯爵令息オティリオが屋敷で待ち構えていた。


アンナリーザをアヴォレード家の当主であるダンテ=アヴォレードが攫ったという、にわかには信じがたい知らせをもって現れた男に、ファヴィオはむっつりとくちびるを引き結んだ。


「 ええ…彼は発砲し、アンナリーザの脇腹を撃ちました。私も、彼に殴られました。」


見れば、彼の綺麗な顔立ちには、痛々しいガーゼが貼られていた。

ファヴィオは小さく息をつくと、オティリオを見上げるようにして視線を合わせた。


「 …それで?ラインフェルト侯爵令息においては、私に何をお求めで?」


「…決まっています、 アンナリーザの解放です」


オティリオは顔を上げると、青灰色の瞳を強く瞬いた。


「アヴォレード家に直訴しましょう。ラインフェルト侯爵家も私兵を出します。皇帝陛下の許可も取る。 」


「… ほう?」


「 小貴族だけならまだしも、此度の件は忠臣たるロレンツォ侯爵家のご令嬢、アンナリーザが重傷を負い、攫われたんです。陛下だって私兵を出すことを止めはしないでしょう」


「 …なるほど」


ファヴィオは低く相槌を打ち、それからオティリオを見つめた。


「ですが、なぜ?わがロレンツォ家が兵を出す道理はあっても、失礼だが貴方方ラインフェルト侯爵家が兵を出す必要はないのでは? 」


「 …私が彼女のドゥリオンだからですよ。貴方もそのつもりだったでしょう」


「 ……」


ファヴィオは瞑目し、ややあってから手を伸ばすと煙草に火をつけた。立ちのぼる白煙が辺りを烟らせる。



『 アンナリーザ、そう、呼んでみて』



金髪の女の姿が、朧に蘇った。淡い金髪だった。まるで、月光を編んだみたいな。清廉で、儚くて、美しいのに、どこか強い。


『 …ファヴィオ』


金の瞳が、ファヴィオを見つめて、困った子供を見る母親みたいに優しく緩んだ。


ーーージュヌヴィエーヴ


愛する妻の、生前の姿がなぜか思い出されて。


深く深く息を吐いた。煙草の煙が、鼻を指す。



「 ………わかりました。ロレンツォも私兵を出しましょう」



『…貴方はとっても、不器用なひとね 』


困ったように、優しく微笑んだジュヌヴィエーヴの言葉が、耳の中に蘇って、思い出に耽る間もなく、消えた。




******


あれから何日経ったのか、アンナリーザには分からなかった。時間の感覚はひどく曖昧で、意識だって気を張り詰めていなければすぐに無くなってしまいそうだった。


「 ……ここから、出して」


寝台の上で横たわったまま、掠れた声で男を見上げた。


長身の男だった。アンナリーザの見張りでもしているのか、狭い個室の扉の前に立ったまま微動だにしない。体格の良い体つきに、貴族社会では見ない、剃り上げた頭。素肌がむき出しになったそこには、黒黒と入墨が入れてあった。


「……当主のご命令ですので、それはできません 」


「……いつまで、閉じこめておくつもりなの… 」


「 申し訳ありませんが、お答えできません」


アンナリーザが一度意識を失い、目を覚ました時にはダンテはすでに姿を消しており、代わりにこの男が立っていた。


「 ……失礼いたします」


と。


がちゃり、と扉が開いて、一人の女が顔を出す。きっちりと引き詰めて結い上げた黒みがかった茶髪。青玉のような美しい瞳の下に、婀娜っぽい泣きぼくろを持った妖艶な女だった。


「ディエゴ、貴方は一度下がっていて? 」


「 ですが…」


「 当主がお連れになった女性の着替えを見たいと?」


「 ……」


長身の男はディエゴ、と呼ばれていたらしかった。二人はしばらく問答すると、ややあってディエゴが静かに退出していった。


女はアンナリーザに微笑みかけると、寝台のそばのローテーブルに水差しと手拭い、それから医療器具だろうかーーガチャガチャと何かを置くと、エプロンを身に着け始める。


「 失礼いたします。わたくしは、アヴォレード家に仕えております、エルザと申します。当主の命より、アンナリーザ様のお着替えと、治療をさせていただきますね」


エルザ、と名乗った女がくちびるに鮮やかな笑みを乗せる。艷やかな紅のくちびるが、橙色の明かりに照らされて、妖艶に動く。


「 ……ぅ…」


ほとんどエルザに抱き起こされるようにして、寝台から起き上がる。激しい鈍痛に、思わず顔を顰めた。


「あら…相変わらず適当なんですから…… 」


エルザはアンナリーザの夜着をはだけさせると、躊躇なく傷口を確認してそう言った。


「 これでは化膿してしまいますわ」


「 ……化膿…?」


「ええ… 縫合も雑ですし…なによりこんなに無理やりに塞いでは跡が残ります」


エルザが脇腹の傷をなぞり、その指筋の動きにさえ刺すような痛みを感じて、呻いた。


「 …っ……」


「 申し訳ありません、痛かったですね。すぐに治療いたしますからね」


エルザの指先は慎重で、それでいて優しかった。

麻酔、というものを打たれ気がついた時には治療が終わっていたらしかった。先ほどより痛みは引いているものの、やはり痛いものは痛い。


「 ……ここは、どこなの」


「 こちらですか?」


エルザが痛み止めの薬湯を用意している隣で、アンナリーザは呟くように尋ねた。


「 こちらは、アヴォレード家の所有する別邸の一つですわ。小さい家でございますから、あまり使っておりませんの。ですからもし、汚いところがあったらすぐにお申し付けくださいませ」


「… …貴女たちは、わたくしを連れてきて…どうするの?」


「…… 」


エルザはアンナリーザの言葉に微笑みだけを返すと、薬湯の入った木匙を差し出してきた。


「 痛み止めでございます。お飲みください」


「…わたくしの質問に答えて頂戴 」


「……当主のお考えは存じませんの 」


「それなら、あの男を連れてきなさい。直接、聞くから」


痛み止めの薬湯を煽るように飲み、眼の前の女を睨みつけた。


喉の奥に、苦みが広がる。鈍痛が身体中を蝕んでいた。思考は今にも消えそうで、けれどもなんとか保った意識を、繋ぐ。


なぜあの男は、アンナリーザを撃った?


なぜあの場に、生誕祭にいた?


なぜ、ここへ連れてきた?


窓から差し込んだ月光の、冷たい白の光が、橙色のランプの明かりを上書きするように満ちてゆく。


エルザの形の良い頬が、白く淡くなっていって。


彼女は微笑んだまま、赤いくちびるを開いた。蛇のように長い舌が、ちらりと覗く。


「 おやめになったほうがよろしいかと」


妖艶な美貌に一部の隙もない笑みを浮かべ、エルザは静かにそう告げた。


「…なぜ 」


少しでも、この場所のことを知りたかった。

ダンテが何者なのか、少しでも。


細い糸を手繰るように。


この女の口から、なにかを。


「 旦那様はお忙しい方ですので」


素気ない返事だった。これ以上、話すことはないと言いたげな口調。


「…侯爵家の娘一人攫っておいて、よく言うわね 」


痛み止めが効いてきたのか、それとも鈍い痛みに感覚が麻痺したのか、思考の歯車が回り始める。


「…今は、いつなの 」


「 生誕祭から三日が経ちました」


エルザは微笑む。


まるで、無力な子供を相手にするみたいに。


「…そう」


この女は、ダンテ=アヴォレードに関しないことであれば、答えてくれるのかもしれなかった。正確には分からないが。


アンナリーザが逃げ出せるわけがないと思っているのだろう。この屋敷の構造も知らなければ、一体何人の人間がいるのかも分からない。そんな状態で、さらに怪我をしたまま進むなんて無謀だ。


「…貴女は、あの男の部下なの? 」


エルザが笑みを深めた。泣きぼくろがゆるりと持ち上がる。


「 広義で言えば、そうですわ」


「…広義? 」


「 ええ」


エルザはそれだけ言うと、アンナリーザの身体を寝台に横たえた。てきぱきと毛布をかけると、話は終わりだと言わんばかりに口を閉ざしてしまう。


身体が重くなっていく。


寝台に沈み込むような、そんな感覚。


何も得られなかった。なんの、情報も。


(……助けて )


エルザが戸を閉める音がする。

月光が柔らかく頬を撫でた。


『 …アンナリーザ』


それが、母の優しい手のひらみたいで。


痛い。

くるしい。


「 …おかあさま」


『 アンナリーザ、わたくしの大切な子。どうか幸せになって』


金色の目が、まるで満月のようだった。



『 貴女は、きっと特別だから』



母は心配するような、憂いを帯びた瞳でアンナリーザを見ていた。





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