第九十七話 <蒸気船の見える窓>
それから数日後、ヒーナは港町ジブラへ向かっていた。
ジブラには、陥落した日からずっとフランの蒸気船艦隊が駐留している。
大破したドーファン号は、なんとか首都プリスの南にある港町ガガリアまで曳航され、新兵器の修繕され、大砲を五門積んで改築された。
また、撃沈されたサンパレイユ号の代わりに新しい蒸気船ドラクロワ号が与えられる。
この新型艦には、マストも帆もなく、純粋な推力は蒸気機関を動力として回る、船の後部に付いた巨大な水車だけとなる。
それは、この船が鋼鉄で出来ており、その重さから風を受けて進む事が出来ないからである。
武器は大砲を船首と船尾に三門、右舷と左舷に十門づつ搭載。
また動力部を狙われないように、鉄のカバーで覆われており、ドラクロワ号は正に鋼鉄の水上要塞のようであった。
アンブリオンとデフューズ、パミュール号といった旧蒸気船は、火炎弾を発射する装置を右舷と左舷に取り付けられ、さらに、ロウの運んできた大砲も船首に一門づつ備え付けられた。
ドラクロワ号を旗艦として、その艦隊総指揮兼船長としてロウ。
改造されたドーファン号には第七師団の副師団長であったジャコブという腹の出たハゲ頭の中年男が船長になった。
アンブリオン号には海賊飛魚団の女頭領ファーゼ、デフューズ号にアルガ爺。
パミュール号には旧第八師団時代の義勇兵隊上がりで大抜擢さた青年、トスカンが船長を務める。
何れの船にも、操船員として元海賊が配置され、この辺りの地理に一番詳しい月影の海賊団の者が散り散りに操舵手として配属された。
得意の海上で、最新鋭の艦隊を以て戦えるとあって、第七師団の意気は上がった。
「元帥殿、ご覧の通り、艦隊はいつでも出れます!」
ロウは自信たっぷりにそう言うと、窓の外に停泊中の艦隊を眺める。
港の少し入った所、ギリギリ潮の匂いが届きそうな場所にある兵舎の三階の窓から見えるのは、その手前の魚市場や水産加工場の屋根の高さを越える大きな船体の四隻のマストと、さらに一回り大きな黒い船が巨大な煙突から上げる灰色の煙であった。
その大きな船を見ながら、ヒーナは言う。
「港町セゲロを攻略できたら、ポード国へチェックメイトです。重要な戦いですが、くれぐれも無理はなさらないで下さい…」
そう言い終わると、ヒーナはハゲ頭のタコ親父を見つめた。
ロウはこの娘の言わんとする意味が何となく理解出来る。
だが、元海賊だった荒くれ達を率いる者として、そのような優しい命令をする事は出来ない。
ヒーナはそれをよく理解しているからこそ、ロウにだけそう言ったのだろう。
「ヒーナ様…あなたの部下は立派に師団長になった。あなたのおかげで目覚ましい活躍が出来たからです。このポード国が支配していた町でさえ、立身出世を夢見る若者がフラン軍へ志願している現状です」
ヒーナは窓の外で、物資を運んだり剣の訓練をしたり、腕立て伏せやスクワットをして鍛錬している若い兵士達を見下ろした。
「その志願兵の憧れの人物は、私なんかじゃなくて、ロウやベッヘルといった師団長達じゃなくて?」
ロウは言葉ではなく、少し苦笑いをしてその質問をかわす。
と、そこへ、扉をノックする音が聞こえて、他の船長達が入って来た。
むっちりとした肉感的な美女と、枯れたような浅黒い肌の老人は懐かしい顔である。
ヒーナは二人にニッコリ微笑んだ。
さらにファーゼには抱きついてきて抱擁を交わす。
その後ろにいるのはどこかで見たことがあるような顔の、二十代の前半らしい青年だ。
青い目に赤い髪、そばかすのあるその顔は日に焼けて赤い。
彼がトスカンであろう。
ヒーナは握手をして、
「よろしく、船長」
と声をかけた。
トスカンは、「はい!」と大きな声で答え唇を噛み締めた。
その後ろには、腹の出た頭の真ん中だけ髪のない中年男がいる。
元第七師団の副長という事だが、ブランに初めて蒸気船に乗せてもらった時にも彼はいなかったのではと思い起こしていた。
ジャコブというのは彼であろう。
「ジャコブさん、はじめまして。宜しくお願いします」
ヒーナの声に、笑顔のジャコブは、
「ご期待に添えるよう努力します」
と、答えて席についた。
ソフィアとジュリアの二人がその後に続き、皆にミツカイコーヒーを出した。
作戦会議が始まる。
今回の最大の問題は、出撃時期と相手の数であった。
ヒーナは厳命する。
「士気はどうあれ、出撃はポード軍のネスト攻略戦が始まってからです。いいですね…」
現場としては、新しい武器を搭載した新鋭艦の性能を早く試したい。
来る日も来る日も、身体の鍛錬や泳術の基礎訓練と、大砲の弾込め訓練だけをされ、実弾の発射も禁止されている。
これでは折角の高い士気もどんどん低下してしまう。
「一日でいいですから、実弾の発射訓練を…」
という現場の意見に、ヒーナは少し考えてから、口を開いた。
「分かりました。では、兵士達の間に、噂を流して下さい。『あの大砲はただの飾りで、本当はまだ試作段階でまだ使えない』と…」
ジャコブはそれを聞いてふふっと笑った。
「なるほど、大砲の威力や数なんかが敵に知られないように、ですな?」
ファーゼは不可解な顔をして、
「噂を流す事がどうしてそうなるのです?」
とたずねる。
それにアルガ爺が答えた。
「この町は元々ポード国領。勿論敵の耳や目がいたるところに付いていると考えて相違いない。兵士は夜にバーやビストロ、娼館なんかに繰り出すでしょう。そこで噂が広がってから、大砲の実弾訓練をする。そしたら敵はどう思いますか?」
それにはトスカンが答えた。
「兵士の噂を否定する為に、実弾の演習をしている。つまり、敵のスパイには、大砲が本当は完成しているかどうか分からなくなる、という事か…」
ロウは感心しながらつぶやいた。
「当然、実弾演習をしたら兵士の噂はおさまる。しかし、特定の船、特定の大砲だけでしか実弾の演習を許さなかったらどうか?」
「それは良いわね、そうしましょう!」
ヒーナはロウに微笑んだ。
トスカンがうーんと唸ってから言う。
「そして敵の諜報がちゃんとその事を伝えていたら…敵の狙いはその船に集中しますね…」
アルガ爺がコーヒーカップを傾けながら、
「それは使えるな」
とつぶやいた。
「囮がいて、そこへ細けぇのが行ってくれりゃあ、他で敵の大将を集中攻撃できる」
ジャコブは感心してうなずいた。
「なるほど…問題は百を越える小船をどうやって殲滅するか、ですな?」
ヒーナがそれに対して疑問を言う。
「それが引っ掛かっているんです…どこから、百を越える船をかき集めて来たんでしょうか?」
それにはロウが答えた。
「聞けば、海賊団もいたとか。ポード国の海賊団は大所帯でも六つ、小さいのを併せたら十は下らない。そこが二隻づつ船を用意して二十から三十にはなるでしょう。あとは、漁師の船。これだけでも百はある。さらに客船も含めたら数だけは百を越えるでしょう…」
それに付け加えて、ジャコブが言う。
「漁師組合と貨物船組合がその戦いに参加しようとした、という話しは聞いています。その時、貨物船組合は、海賊の参加を聞いて船を出すのを止めたそうですが…」
それを聞いたアルガ爺が笑った。
「そらそうだ、貨物船なんて海賊に襲われる側だからなぁ」
ヒーナは腕組みをして考えていたが、
「それはつまり、付け入る隙があるという事ですね…」
と言うと、ニッコリ微笑んでコーヒーを飲んで、また言葉を続ける。
「フラン国は海賊退治に成功し、貨物船が安心して往き来できる国です。対してポード国には海賊が多く、貨物船組合としては悩ましい。そこで、ポード国の海全てがフラン国領土になれば、海賊退治をして安全な海になる…」
アルガ爺は笑いながら、
「なるほど…そいつはいい。その噂を流せば、貨物船組合は次の海戦に嫌が応にも出なくちゃならねぇな」
とつぶやく。
「…でも、そうしたら敵の数が増えませんか?」
ファーゼが心配そうにたずねる。
それにジャコブが答えた。
「そう、貨物船が増える。海賊船ならともかく、商船が増えて、何か困る事があるかね?」
ヒーナは会議を終えて港町ジブラを出て、急いでネストの町に向かった。
近衛兵百名に、伝令隊、それに給仕係が付いている。
ジブラを出る別れ際に、ロウは赤いスカーフをヒーナに渡してこう言った。
「ウチのかみさんが、ヒーナ様への感謝の気持ちとしてプレゼントしろと、うるさくてねぇ」
そして照れ臭そうに頭をかきながら、
「本来なら、あのバカ息子が渡すべきなんでしょうがねぇ。本当に救われたのはあいつの未来だってぇのに。まったく…照れ屋は誰に似たんだか…」
とぼやいた。
「あら?よく似てる親子ですよ」
ヒーナが笑いながらそう答えると、ロウは豪快に笑いながら、
「まったくで…」
と言って兵舎へ港町へ戻って行った。
その後ろ姿に逞しさと温かさとを感じながら、ヒーナは、
「ありがとう!大事に使います!」
と声をかけた。
すると、ロウはまた照れ臭そうに笑いながら、大きく手を振っていた。
ヒーナは首に巻いた赤いスカーフを撫でながら、その時のロウの姿を思い起こした。
春の陽射しは暖かく少女の頭上に輝き、風が優しく頬を撫でて通り過ぎて行った。




