第九十六話 <懐かしい町>
モナリの町にヒーナが入ったのは、アドリアンに正式な諜報部長官の辞令が下った翌日であった。
「モナリの町は相変わらずね…」
春の暖かい風を受けて、ヒーナは目を細めながらつぶやいた。
頭の上の羽根が揺れ、夏用の薄手の白いマントがなびく。
大通り、南側の屋根が高く、北側の屋根が低い町並み。
その先にある噴水が四方にある中央広場。
馬車の駅と市場、ビストロやカフェ、酒盛り場。
モナリの町は一年ほど前と変わらない。
「で、何であいつらも一緒なんですか?」
ヒーナの近衛隊隊長として三百の近衛兵を従えて同行するウォルズがたずねる。
彼の言うあいつらとは、ヒーナの後方から着いてきている商隊と、そこに付き添っている一騎の騎馬であろう。
「彼等は彼等なりに、敏感に商機を感じたんでしょう。クワイ国側でなく、こっちに来る方が戦がある、と…」
ヒーナが素知らぬ顔でそう答える。
それに不満そうな若い近衛隊長は、
「商隊はそうでしょうよ。でも、あの諜報部長官殿が付いて来る必要ありますか?しかもコブ付きで!」
と文句を言う。
彼の言う「コブ」とは、劇場でヒーナの命を救った、ヒーナ役を演じていた女優イメルダである。
彼女もまた、エリーゼの治療で一命は取り留めた。
しかし、完璧に傷はふさがり、外傷は綺麗になくなったのだが、以前のような凛とした声が出ず、かすれたような声にしかならないという後遺症が残った。
梟の事もあって、彼女は、傷が治ったときには女優として演じる事を辞める決意をしていたのである。
だがそれは、若い近衛隊長にとって、とても面白くない事になった。
最終的に自分達が守るべきヒーナを、暗殺者の凶弾から身を呈して守った一般人が、商隊としてとはいえ着いて来ているのである。
まるで、近衛隊なんかにヒーナの護衛は任せられないと言われているようだ。
「アドリアンさんは梟党の調査の為、イメルダさんはその調査を助ける為よ。梟党はたくさんアジトを持っているみたいだし、ポード国の支配を受けた町は詳しく調査をするって言ってたわよ」
「正式な辞令が下りてからでもいいんじゃないかと思うんですがね…」
少年は合点がいかないといった顔で町並みに目を反らせた。
ヒーナ達が隊列をなすその沿道には、多くの住人が出て来て見物し、歓声を上げている。
中には、若い近衛兵に黄色い声援をかけている女性もちらほらいて、ウォルズも無愛想な顔ばかりはしていられない。
そうこうしているうちに、一行は広場にたどり着き、広場沿いの兵舎へ入って行く。
先にモナリに入っていた第十師団長ベッヘルが、ヒーナを見付けて挨拶に来た。
軽く挨拶をした後に、
「折角の市民の皆様のお出迎えだ、もっと愛想を振り撒かないと、人気が出ないぜ~?」
と、ウォルズをからかう。
真面目な近衛隊長は、食ってかかろうと息を吸い込んだが、彼が文句を言うより先にヒーナがベッヘルに問いかける。
「他の師団はどうです?」
「セルドとラグンはもうネストに行きましたぜぇ~。港町ジブラにはロウの船団が着いたと連絡がありましたし元第八師団勢揃いですよ~」
そう答えると、ベッヘルはヒーナを見つめた。
ヒーナは、少しだけ続きを待ったが、その後ろに言葉がないようなので、少し戸惑いながらも、
「あのぅ…ヤードさんは?」
とたずねる。
ベッヘルは、
「ヤードは現第八師団でしょう、元じゃあない」
と言って笑いながらも鋭い目で、
「そんなに気になりますかい?」
ときき返した。
ベッヘルのきいたその意味に気付き、ヒーナは頬を紅潮させながらも、
「…そ、そんなんじゃありません!気にならないですよ、別に!」
と言った後、プイと首を回した。
その回した方向から、ヒーナの声が聞こえるくらい近くまでヤードが来ている事に気付いて、少女は耳を赤く染めた。
「ヒーナ様、よくご無事で…お疲れでしょう。部屋は三階に用意させています。左隣にソフィアとジュリアの部屋、右隣は伝令兵長、向かいは近衛隊で固めています」
ヤードは顔を見るなり雑談することもなく、生真面目に仕事をする。
そんなヤードをベッヘルがからかった。
「おいおい。久々に会ったのに愛想がないね、お前さんも~」
ヤードがすこし鼻を動かしたのを確認してから、ベッヘルは続けた。
「そんな事は第八師団時代の副長の仕事だろうに~」
それにヤードが反論をした。
「ヒーナ様は今、元帥だ。副長の仕事をする者がいないと…」
ベッヘルはわざとらしく、呆れたといった顔と仕草をしながら、
「職務に真面目すぎるのか、そうでなければ愛の成せる業かねぇ~」
と言い放って兵舎へ引き上げる。
「まったく、あの男は…師団長になっても変わりませんね…」
今度はヤードが呆れたといった顔でベッヘルの背中を見送った。
そんなヤードに、赤い顔が治まったヒーナが話しかける。
「ヤードさん、一つお願いがあります。イメルダの部屋も用意して欲しいの。出来れば私の隣がいいわ」
初めて元帥の命を受けたのだが、ヤードは少し考えて、
「イメルダ…誰です?」
とたずねる。
「劇場で私の命を救った方です。私の役をしていたのよ」
ヤードは感心しながらそのように部下に手配する。
その夜、部屋を出て身体を洗いに行こうとしていたヒーナに、丁度部屋を出たところのイメルダが話しかけてきた。
「これはヒーナ様!ご挨拶に行こうと思っていたところでしたのよ」
イメルダは、舞台上で聞いたあの声ではなかった。
掠れていて、所々声が消えているようだ。
しかし、その格好は舞台の上で軽やかに躍り、歌っていた時のように、飾り気はないが鮮やかな色のドレスを着ていた。
「その声…申し訳ありません。私達の計画がもっとちゃんとしてれば…」
「何言うの、もったいない…。ヒーナ様を殺そうとしたのは奴等なんだ。アタイも、その奴等の仲間だった…こうして命を救ってもらって、なおかつ牢でなく立派な部屋まで用意してもらって…本当に有り難く思ってます」
イメルダはそう言いながら涙ぐんだ。
「命を救ってもらったのは私も同じです。その節は本当にありがとうございます」
ヒーナはペコリと頭を下げた。
「ミツカイ様…」
イメルダは驚いた顔でヒーナを見つめた。
この娘はなんて素直なんだろう。
イメルダが最初に思った事である。
そしてその後、自分が命をかけて救った事、暗殺に加担しなかった事を、心から誇りに思った。
結果として声は枯れ、舞台で演じる事が出来なくなった。
しかし、そんな事が全く苦ではなく、むしろ自分は正しい行いをしたと胸を張る事が出来る。
イメルダは浴場へ行くヒーナと別れ、夜の町に繰り出した。
イメルダが馬車に乗ってたどり着いたのは、モナリの北端にある大きな建物であった。
玄関の門をくぐると馬車が置けるくらいの庭があり、馭者をしていたアドリアンをそこに待たせて、単身でドアの金具を叩いた。
ここは、モナリでも公演し女優として活躍していた頃の出資者の家である。
出資者は、果物の干物、乾物で財を成した商人で、観劇する時のお菓子としてイメルダの公演でも売られていた。
「ようこそイメルダ様、さ、こちらへ…」
執事らしき老人が屋敷へ招き入れる。
鮮やかな色のドレスは、その大きな家の中へ消えて行った。
翌日、訓練に向かおうとするヒーナを呼び止めたのは、アドリアンとイメルダであった。
アドリアンはカッターシャツにマントを羽織っているが、その腰にはベルトにさした手斧が見える。
イメルダの方も、カッターシャツにマントという男装のような格好に、帯剣していた。
「元帥殿、妙な噂がありましてな…」
そう切り出したアドリアンは、部屋へ戻るように、扉を開けてヒーナを促す。
しょうがなしに部屋に逆戻りしたヒーナは、自分の椅子に腰かけると、何も乗っていない綺麗な事務机越しに二人を見上げた。
「ネストの町へ発つのはいつです?」
いきなりアドリアンがたずねる。
「最初はネストには行きません。港町ジブラでロウと相談します」
ヒーナが答えると、アドリアンとイザベラは顔を見合わせた。
そして、イメルダが言う。
「ネストの西に梟が賭場を開いていたアジトがあります。ネストがフラン国に落とされて以来、そこは閉鎖され博打は行われてこなかった…昨日、そこへよく通っていた資産家から聞いたのですが、最近そこへ人の出入りがあるのだとか…」
その話しにアドリアンが付け足す。
「ポード国と梟は、おそらく繋がっているというのが我等の結論だったな…ということは、当然この動きは…」
アドリアンがそこまで言うと、ヒーナが応えた。
「ポード国がネストを取り返そうと画策している、と?」
ヒーナの言に二人はうなずいた。
「では、そのアジトは町のどこにあるのですか?」
ヒーナの言葉を待っていたかのように、イザベルはマントの中から丸まった羊皮紙を取り出すと、事務机の上に広げた。
そこには、二重の壁と二本の水路、南北西と三つの門を持つネストの町の概略図が描かれていた。
「この辺りです」
イメルダは町の西側、水路の間の少し南寄りの場所を指さした。
ヒーナは以前、エリーゼを葬儀に出るように説得する為にこのネストの町を通った。
その時の事を思い出して、
「そんなところに…アジトらしきものなんてあったかしら…?」
と見た景色を頭の中でたどってみた。
小麦畑が広がる長閑な田園風景しか思い出せない。
「あるわけないですわ、ヒーナ様。この辺りは地下水脈が多く、そのおかげで地下に空洞が多くあります。梟のアジトはまさにその地下洞を利用して作られてますもの…」
イメルダの言葉に、ヒーナは少し驚いた。
「地下…」
そして、自分がイヌガル要塞でとった戦法、レーリンが砦の中で急襲された事を思い起こし、思わず「あっ!」と叫んでいた。
ヒーナはその後、すぐにヤードとベッヘルを呼び付けて、作戦会議を開いた。




