第九十三話 <見物人と戦う人>
春を過ぎ、季節は夏になろうとしていた。
野原には赤や白の躑躅が競うように花開き、黄色くて丸いタンポポ、白い綿毛になったタンポポ、その白より少し小さくて色鮮やかな白詰草、薄紫色の小さなスミレなどが咲き乱れている。
そんな色鮮やかな野原を左右に見ながら、ナコン中部にあるナコン地方最大の町、タマラを出たリーエン軍の隊列はゆっくりと南西へ移動していた。
シーアがタマラに戻り、数百の兵士と共に再び前線に戻る為の隊列である。
前線では第五師団とその師団長のガロ将軍が踏ん張っていた。
その隊列で最も目を引くのは、なんといっても黒いミツカイ、シーアの姿であった。
シーアはその美しい身体の曲線がわかるような黒色の衣を着て馬にまたがっていた。
胸は首まで肌が見えず、しっかり襟まで一枚の布で作られている。
しかし、大きく開いて肌が見える背中、肘を少し過ぎた辺りまでの袖、左右には腰の部分までのスリットが入っており、飾り気はないが清楚な造りの服ではない。
そのドレスの下には、リーエンの男性が履くような、大腿の中ほどまで丈のある白い股引きのようなものを履いている。
身体に張り付いたような黒い絹の衣をまとって、時折白い下着がスリットの隙間からのぞく。
そして馬の歩みで上下に揺らされるその姿は、とても艶かしいものであった。
その色っぽいミツカイの噂は瞬く間に広がり、進軍二日目には、沿道に沢山の見物人が集まるようになり、さらには、隊列の最後尾に着いてくる者も多数出る始末である。
シーアはそれを分かっているかのように、事ある毎に休憩をし、着いて来ているナコンの住民に微笑みかけたり、話し掛けたりして愛想を振り撒いた。
その休憩中には時々、馬を下りては躑躅の花をもぎとり、その花のお尻を吸う。
ほんのり甘い花の蜜を味わったその後、花を道端に捨てるのだが、後続の男達の中にはそれを拾って吸った後をチューチューと吸う者まで現れる始末であった。
一日で行ける距離を四日かけ、シーアが最前線に着いた頃には、着いて来ていたナコンの住民は数千程に膨れ上がっていた。
それを出迎えたガロは、少し不機嫌な様子で、
「何をなさっているのですか…」
と絶句した。
「私は元の世界で、己の姿を売る仕事をしていました。私の外見が、容姿が、何に使え何の役に立つのかはよく知っています…」
シーアの言葉が終わらない内にガロが強い口調で言う。
「このような政情不安な地域で、裸同然の格好で行進するなど、暴行、暗殺をしてくれと言っているようなもの…以降は許しませんよ!」
「ここは徴兵してはいけない地域です。そこで人を揃えるには、こうするしか…」
シーアが反論すると、ガロは険しい顔になった。
「そもそも、なぜ徴兵してはいけないというのか分かってないのか…。それに彼らは素人、戦闘になれば一目散に逃げ惑うでしょう。一部が瓦解すると我等まで混乱し、簡単に敗戦につながる…」
「大丈夫よ!彼らに銃を配って後方から支援させれば…」
「銃を…政情不安でかつ、蜂起するような住民に銃を?!今はそれでいいかも知れない。だが、後々それが大きな憂いになるかも知れない事が、どうして分からないのか!」
「私の…ミツカイのやることに反対するというの?私はリーエン様から…」
その言葉を遮るように、ガロは、
「反対です」
ときっぱりと言った。
「反逆者として処分されたとしても、ですか?」
シーアは鋭い視線でガロを射抜いた。
しかしガロは一つも動じることなく、
「反対です」
ともう一度ハッキリと言い放った。
「あなたが反対だろうと、私はこの作戦で行くわ!彼らは私の支持者、私の支援者なのよ!」
呆れた顔で何も言い返さないガロは、さのまま作戦会議をするテントの中へ入って行った。
シーアの傍に居た伝令兵長が、
「ガロ様を処分なさるのですか?」
と問う。
今は亡き、カン将軍の同僚であり戦友であったガロを指名したのはシーア自身であった。
だが、その報を受けたガロは浮かない顔で、「カンと同じ道を歩みたくはない」と言ったといわれる。
その真意は分からないが、シーアを歓迎してはいないのだろう。
しかめっ面のシーアは、伝令兵長の方を見向きもせず、
「処分などするか!」
と怒鳴って会議用のテントへ入っていった。
翌日早朝シーアは馬にまたがり、着いて来た上に自宅へ戻らなかった住民達の寝起きしたテント群の中へ、鎧兜の姿で入って行った。
帰らなかった住民達には、野営用のテントと食事も与えられ、そこで一夜を過ごしたのだった。
シーアの姿を見て、テントから顔を出していた住民たちは、ゾロゾロとテントから這い出て来た。
朝起きて食事をとっている者もちらほらいるテント群の真ん中で、十名程の兵士に付き添われながら、騎馬のシーアが声を上げる。
「ナコンの皆様、私はこれからナコンの方々をクワイ国の圧政から救う為、単身出撃します。もし、私を助けようという方がいらっしゃるのなら、どうかその銃を取って私を助けて下さい!」
シーアの後ろには、付き添いの兵士達が牽いて来た荷車に銃が大量に積んであった。
「他の兵士達はどうしたのですか?!」
一人の若者がたずねる。
「ここを守る為に、この場から離れられません。兵の数が足らぬのです…。もし、ナコンの方々の力添えを頂けるなら、私はどんなに心強いか…」
そう言うシーアは涙を浮かべてはいたが、とても力強い瞳をしていた。
少しの間、静寂があたりに広がる。
春になったとはいえ、まだ早朝の空気は冷たい。
「俺はムスイ村のジャラだ!」
そう言いながら、人相のあまりよくない背の高い男が前に出てきた。
「俺は付いて行くぜ!こんな可憐な女の子だけを死に行かすなんてナコンの男の名折れだ!」
ジャラはそう言うと銃の方へ歩こうとする。
そこへ、慌てて下馬したシーアが抱き付いた。
「ありがとうジャラ!一緒に戦いましょう!」
シーアはとても可愛い笑顔で男の顔を、息がかかるくらい近く、真正面から見つめた。
男は耳を赤くしながら、「あ…はい!」と、ぎこちなく返した。
それを皮切りに、住人達は次々と銃を取って意気を上げるのだった。
テントが小さく見えるほど、ミラの身体は大きい。
大きな身体に汗を大量にかくせいか、彼女はよく香水をふる。
その都度、テントの中はむせ返るような香水の臭いが充満し、将兵達は何かにつけて外へ出たがる。
そんな、二、三人の隊長が外でたむろっているテントの中へ、伝令兵が飛び込んで行った。
「ミラ様!シーアが千ほどの兵を従え南西へ行軍しています!」
明日、明後日にも矢が揃い、大攻勢をかけようというこの時に、まったく腹立たしいことだとミラは思った。
舌打ちをしたミラに、隣に座っていた、唇の上に短いヒゲを生やした筋肉質の男が言う。
「と、すると、今、本陣は手薄なのでは?」
それに答えたのは伝令兵であった。
「いえ、敵陣にはまだ二千余りの兵が残ったままです…。その、シーアが率いているのは民兵のようです…」
「ん?あの、行進に着いて来ている住民に、武器でも持たせたのか?」
副将、唇の上に短いヒゲをつけた筋肉質の男、ジャオがそうたずねると、伝令兵は、「まったく、その通りで…」と、うなずいた。
クワイ軍の本陣テントに笑い声が響く。
「ジャオ、この戦いはもらった。あの小娘はバカだったのか!」
そう言って大笑いするミラ。
「私が行って蹴散らしてきましょう!」
笑いながらそう言う副将ジャオを「いや待て!」と制したミラは少し考えてから、
「私が行く」
と言ってニヤリと笑った。
ナコン西部、二軍が睨み合うその南西、つまり、クワイ軍の南側には、細くて流れが急なフイ川が東西に流れている。
その川の南側から射撃を受ければクワイ軍はひとたまりもないことは承知していた。
しかし、そこへ向かうには、リーエン軍は南にある山岳地を越えなければならない。
この山岳地というのが難物で、断崖絶壁の切り立った山々で、木はそのてっぺんに少ししか生えていない。
そして、フイ川を作る水が各山々から滝のように流れ落ちている。
その絶壁の山の下も、巨大な岩がゴロゴロと転がり、とても陣を張れるような場所ではないし、そこでまともに戦闘できるのかも定かではない。
さらに、魔物が潜むという噂もある不気味な場所である。
シーアは今回、民兵と共にその山岳地を越え、南方と東方でクワイ軍を挟み込み、十字砲火を浴びせようというのである。
平地である北でなく、わざわざ山岳越えをしてまで南方から銃撃する一つの理由は、この流れが急なフイ川を挟んだ方が、直接接近戦にならない分、民兵の腰が退けないのではという配慮と、難所を越えて戦場へ向かい民兵達の退路を断つ事で、簡単に崩れる事を防ぐ意図があった。
勿論、ガロはこの作戦に猛反対したが、「このままではいずれ消耗戦になって自滅する」という現実もあり、シーアが自分の意見を押し通した。
ガロは会議の最後に、
「隊列や陣形が崩れても敗戦ではない。己に負けること、これが一番の敗戦理由だ。まずは己の弱い心に勝ちなさい、いいですね…」
という言葉を残し、渋々承認して作戦は決行された。
意外にも、この辺りで育ったというナコンの住民が、まだ歩き易い道を知っていたので、山岳地は無事に通過できた。
だが、通常の行軍でも数時間で行ける道程を踏破できたのは、夕方にさしかかろうかという時間になってしまっていた。




