第九十一話 <劇場の上で>
「ヒーナ様、よくお似合いですよ」
給仕係のソフィアがドレスを着せた後、一歩下がってヒーナを見つめてそう言った。
ヒーナは薄い青色のドレスを着ていた。
ウエストの部分はきつく縛られて窮屈だが、ドレスの裾は広がり、ふわっとしていて、まるで絵本のお姫様になった気分であった。
袖口とスカートの裾は緑色のフリルになっていて、ボタンは全て黄色で出来ている。
このボタンが、普通のドレスにはない、実用的なものと、ただの飾りだけのものが混在して付いている。
このドレスはチョビヒゲのパトリという仕立屋デザインの新作だそうで、赤い鎧下の上下よりはまだ着たいと思わせる。
とはいえ、その鎧下は愛用しているのだが。
「軍の関係者がこんなドレスを着ていていいのかしら?」
ヒーナがつぶやくと、ソフィアは、
「あら?お気に召しませんか?」
とたずねた。
「いえ…そういう訳では…」
ヒーナの頬が少し赤らんだ。
城から劇場までは馬車で半時間ほど移動する。
馬車自体がそれほど早く進まないのと、警備の近衛隊の馬が怪しげな場所を回避しながら先導するので半時間かかるのだが、もし騎馬で飛ばせばその半分以下の時間で行けるだろう距離である。
ヒーナは、真っ白なドレスに身を包んだエリーゼと一緒に、真っ黒の鋼鉄製の馬車に乗った。
四頭立ての食パンのような形の馬車で、上部に小さなフランの旗が掲げられている。
その小さな窓から、外の街並みを眺めていた。
そんなヒーナをじっと見つめているエリーゼが話しかける。
「お腹が苦しくなくて?」
日か落ちた後の暗い窓の外から目を離し、エリーゼを見たヒーナは、
「平気てす。食事、食べられませんから…」
と、少し残念そうに答えた。
エリーゼはそんな様子を見て笑う。
「でも、美味しそうなのが出るわよ。ちゃんと誘惑に堪えてね。城に戻ったらセレナにとっておきのクリピネット包みを作ってもらうから」
とはいえ、劇場で出る料理が食べられないのはおしい。
ヒーナは少し拗ねたように、外の真っ暗な街並みを眺めていた。
黒髪のカツラをかぶった背の低い少女が落ち着きのない様子でウロウロしていた。
普段は、観客のざわめく声がここまで聞こえてくるのだが、今回ばかりは静まり返っている。
この夜の公演は天覧、つまり、本物のミツカイ様が見に来るのである。
「少しは落ち着けよイメルダ」
見かねた青年が、黒髪のカツラをかぶっている少女に声をかける。
「落ち着け?無理に決まってるでしょ!」
少女はヒステリックに声をあらげた。
「あんたたち、ミツカイ様を殺す気なんだよね…」
青年を睨み付けながら、イメルダというカツラの少女は低い声でそう言った。
青年は両手のひらを上に向けて、
「そんな大それた事、出来る訳がないだろう?」
と言った。
「一人の女は騙せても、イメルダという女優は騙せないわよ」
怖い顔で青年を睨むイメルダは、その背後にただならぬ殺気を感じて思わず振り返った。
そこにはいつの間にか、濃い紫のマントをまとった細身の中年男が立っていた。
マントの胸の部分には、小さな梟の紋章が付いている。
「お前の人気が出たのは我等のおかげだ。戦争孤児のお前を一人前に育て上げた十年以上の梟党の恩を忘れたというのなら、この場で舞台を下りてもらって構わないぞ」
静かに、しかし殺気のこもった声でそう言う男の瞳は、左目の焦点だけが微妙にズレているようであった。
イメルダは、怖い顔でじっとその目を見つめてからため息をついた。
「判ったわ…アタイは女優として演技するだけ。それでいいわね?」
紫のマントの男はニヤリと不気味に笑った。
「あぁ、それでいい。きっといい舞台になる」
しばらくして劇場がガタガタと騒がしくなった。
近衛隊の兵士達、次いで二人のミツカイが劇場に現れたのだ。
劇場の支配人が笑顔で二人のミツカイに挨拶に行く。
二人は、二階正面のテーブル付きの観覧席に座った。
タキシードのウェイターが、料理を運んで来て、舞台の幕が開く。
劇は、主人公のミツカイ、ヒーナが、苦労してイヌガル要塞を落とす姿が描かれた歌劇である。
だが、よく調べて作られた訳ではないらしい。
ファーゼはか弱い女ですぐ弱音を吐くし、ロウは快活な美青年で、ファーゼとヒーナとの三角関係に苦しむ。
ベッヘルは人相の悪い野蛮な男で、度々ヒーナに夜這いをかけては撃退される。
ヤードは常にワインを飲んで酔っていてロクな仕事もしない副師団長になっていた。
事実と違う脚色がいろいろされていて、イヌガル要塞を焼き落としたという事以外は、お世辞にも事実通りとは言えない。
二人のミツカイは脚本の意図する所とは違う箇所で笑ってしまっていたが、しかし、主役のイメルダの演技は圧巻であった。
イメルダは舞台狭しと、歌い、踊り、泣き笑い、まさに一人舞台のようであり、二階席から見ている二人の少女も、いつしかその劇に夢中になっていった。
劇も終盤になり、イヌガル陥落の場面で、ポード軍の兵士は長い鉄の筒を担いで、セットの砦の中から、鉄の筒の先をイメルダへ向ける。
イメルダは、客席に背中を向けて演技しており、鉄の筒はその客席に向かっていた。
「イヌガル戦に銃なんてあったかしら?」
とヒーナが首をひねったその時、
パン!
と銃声がなった。
瞬時に飛び上がった舞台の上のヒーナが、血飛沫を上げてそのまま客席に落ちた。
「イメルダ、貴様!」
男の野太い声が響く。
「ミツカイ様!命を狙われてるわ!逃げて!」
イメルダの叫び声が客席から響いた。
口からは流血している。
「構わん、撃て!」
そう叫ぶ男の両脇の男が銃を構えたその時、鈍い音が聞こえ、両脇の男が倒れた。
見ると、胸や頭に手斧が刺さっている。
「エドワール!」
劇場に雄叫びのような声が響く。
見ると、ミツカイの二人の居る二階席の真下に、仁王立ちの革鎧の男が立っている。
もっさりとヒゲが生え、少し太ってはいるが、その男は二十年前からよく知っている。
銃を投げ捨て、倒れた男の銃を奪い、舌打ちしながら、
「アドレアンか…」
とつぶやいた。
そして、
「こうなったら、全員殺せ!」
と叫んだ。
舞台の上の俳優や裏方の者達が、弓、槍、剣を持って舞台に迫り来る近衛隊の兵士達と交戦する。
その間に、エドワールは舞台の袖から梯子を伝って上に逃れる。
アドレアンはその後を追った。
「くそ!」
そうつぶやきながらエドワールは劇場の屋根に逃れる。
梯子のような細い階段を上って屋根に出たエドワールが見たものは、劇場の周りを取り囲むフラン軍の兵士達、およそ二千人程の姿であった。
「なに…!」
エドワールは悟った。
自分達の計画は事前に発覚していたのだと。
「エドワール、あきらめろ!」
追って屋根の上に出たアドリアンが叫ぶ。
振り返り、自虐的に笑ったエドワールは、
「これは副師団長様、お久しぶりです」
と言ってまた笑った。
アドリアンは怪訝な顔でエドワールを見つめた。
「お前を裁く前に、事実を知りたい…」
「では先に僕の疑問に答えてもらおうか」
エドワールは少し不愉快そうな顔をしてそう言ってから言葉を続けた。
「何故僕がフランで有名じゃない?ミツカイ殺しとして名が通っていないのは何故だ?!」
それを聞いたアドリアンは、エドワールに聞きたい質問が一つ減った。
やはり、あの時リュリュを殺したのはエドワールであったのだ。
込み上げる怒りを抑えながら、アドリアンはうなる。
「リュリュ様は戦死と報告した。ポード軍の兵士に殺されたと。だから、お前などはただの給仕係としてしか記憶されていない!」
それでエドワールはつまらなそうに、
「ポードでは有名なのになぁ…」
とつぶやいた。
「こちらの番だ…お前は何故リュリュ様を殺した!」
「…何故?あの娘の心は僕から離れていたからだよ。あのポードの襲撃の夜、満月の元で僕らは抱き合った。出撃前にはいつもそうしていた…」
エドワールは劇場の屋根の上、月明かりを見上げて星空をあおいだ。
「あの時、抱き締めた後、あの娘は瞬きをしたんだ。パチパチと、二回…」
そう言うと、アドリアンに向き直ったエドワールは、恐ろしい顔に変わって、
「それで、殺した。しょうがないだろ、愛していたんだ!」
と叫んだ。
それで、アドリアンはエドワールに向かって走っていた。
無言だった。
制御できない憤怒と強い殺意が身体を突き動かす。
走り寄って、背中に担いでいた長い鉄の棒を降り下ろす。
ガン!
と音がして屋根が壊れた。
「危ないな、殺す気か?」
エドワールがニヤリと笑う。
「そんな理由で…リュリュ様を!」
咆哮と同時に踏み込み、鉄の棒を横に振り抜くアドリアン。
飛び退いて避けるエドワール。
エドワールはそれで、屋根の淵まで来ていた。
もう退く余裕はない。
しかし、この男はそんな状況でも笑っていた。
「何故笑う?!」
そうたずねると同時にアドリアンの鉄棒が襲い来る。
エドワールは踏み込まれる前に、持っていた銃を撃った。
アドリアンは鉄の棒を振り上げたまま後ろへ倒れ、そのまま屋根を一回転、転がるが、持っている鉄棒のおかげ落ちずに止まった。
「何故笑う?面白いからさ。当たり前だろ?」
エドワールは笑いながら倒れて血を流す元副師団長に近付いた。
近付きながら、腰の固い革のポーチから新たな弾を出して、銃に詰め込み始めた。
「二十年も無駄にしたバカな恋敵が目の前にいる…しかも、僕のこの手でトドメをさせる。楽しくて笑っちゃうね!」
「恋…敵…?」
月明かりが髭に付いた黒い血を照らす。
ゴポゴポと血を吐きながら、アドリアンはそうきいた。
「知らなかったのか?前の副長が戦死してから、リュリュ様が本当に恋していたのは僕じゃない。新しい副長、つまりお前だよ!」
そう吐き捨てるように言うと、エドワールはアドリアンの傷口、左胸の上の辺りを踏みつけた。
アドリアンは血を吐きながら、苦痛に顔を歪め、叫び声を上げた。
「リュリュの気持ちが僕からだんだん離れていった…どうしようもない。他の男に取られるくらいなら、リュリュの気持ちがまだ僕にある間に…ちゃんとした理由だろう?これを聞いたらしようがないと思うだろ?」
そう笑って、銃口を足元の顔に突き付ける。
その時、
「旦那!」
と叫び声を上げたのは、後を追いかけ屋根に上がって来た鼠のグリューであった。
エドワールがそちらをふと見たその時、アドリアンは胸を踏み付ける足を右手でつかむと、そのまま目一杯の力で引っ張った。
エドワールは簡単に屋根に倒れた。
そこへ、身体を起こしながら鉄棒で一撃を加える。
悲鳴とも断末魔ともつかない喉の奥から絞ったような声が上がり、エドワールは屋根の上を転がって行った。
そして、劇場の屋根から地面に落下した。
高さは十メートルもない。
しかし、横転して落ちたのだ。
命はあっても無事には済まないだろう。
見届けたアドリアンは、血と涙を流しながら屋根の上で倒れ込んだ。




