第九十話 <気付いた事>
大きな発見をしたかも知れないと、上機嫌のグリューは、鼻唄混じりに、プリス裏路地にある自宅へ戻った。
機嫌の良いグリューの目の前で、幼い少年が転んでしまって泣いている。
「おぉ、どうしたい?痛かったかい。よしよし、そんな事で男が泣くもんじゃないよ」
そう言いながら少年の身体に付いた砂ぼこりを払ってやって、グリューは背中の革袋に手を突っ込んで、クッキーを取り出した。
「ほら、これでも食べて元気を出しな」
泣いていた少年がすっかり笑顔になって、礼を言って走って行く。
「おや、旦那お帰りかい?」
「今回は随分長かったねぇ」
近所に住むおばさん達が立ち話を中断して小男に声をかけた。
「ご婦人方、ごきげんよう」
グリューが挨拶を返すと、隣に住むおばさんが、
「あんたが居ない間に、ヒゲの男がたずねて来たよ。二、三日前だったかしらね…」
と教えてくれた。
「あぁ、革細工職人ですよ。もう会いました、ありがとう」
グリューは丁寧に言うと、自宅の扉を開ける。
このグリューの自宅は、ヒーナが情報の褒美として買い与えたものである。
豪邸を買おうとしていたヒーナに対して、「自分の身の丈に合うというのは大事なことです」と説得して、この両隣と壁が一つになっている、長屋のように連なった家の一つに落ち着いた。
「本当にこの家でいいの?」
とヒーナに対して、
「この家がいいんです」
と我を通してここに決めたのは、家の中に居てもかすかに感じられる隣近所の人々の生活が、荒んだ少年期を過ごしたグリューには心地良いという事もあったからである。
いつもは行商に出ていて家におらず、左右の目の色が違う怪しい小男を、この近所の人々は特に敵視する事もなく受け入れてくれた。
グリューもまた、近所にお土産物等を配って付き合いを深めていた。
鼻唄混じりに暖炉に火を入れて湯を沸かす。
そこへ、向かいのおばさんが夕食を差し入れて来た。
「ほら。今晩は豆の煮込を作ったのよ。肉ばかりじゃなくて、野菜も食べなよ」
そう言って湯気の上がる深い皿を差し出した。
グリューは皿を受け取りながら豆の煮込みに指を突っ込んで、その指を口に入れる。
「うん、うまい!さすがですな」
おばさんは笑いながら、
「当たり前よ。これでウチの子供達は育っているんだからね」
と胸を張った。
「それよりあんた、奥さんはもらわないの?」
と心配そうにたずねる。
グリューは少し照れながら、
「いやぁ、こんな稼業じゃ、嫁さんを放っておくことになるし、逆に嫁さんが心配になって商売にならねぇや…」
と言って頭をかいた。
「そうね…気になっている人でもいれば、一緒に歌劇でも見に行けばいいじゃない?今はあの黄薔薇団が、イヌガル要塞の戦いをやっていて凄い人気よ。ミツカイ様の活躍がスカッとするんだってさ」
「へぇ、そりゃあヒーナ様にも見て頂きたいなぁ」
「ミツカイ様は忙しいから…だけど、今度の公演で天覧されるんじゃないかって噂よ。それより、ヒーナ様役のイメルダって女優が、これまた可愛いのよ!」
おばさんはそれからひとしきり、俳優がどうこうとか、ゴシップな噂話をして帰って行った。
グリューはせっかくの豆の煮込みが冷めるんじゃないかと気が気ではなかったが、なんとか料理が温かい内に食卓へ置くことができ、スプーンですくって食べ始めた。
豆の煮込みをかきこみながら、グリューはふと、さっきの歌劇の事を思い出した。
そういえば、カントアの町で見付かった水死体、あれはプリスの劇場支配人に雇われている小間使いのじいさんだと特定できた。
さっきのおばさんの話には出てこなかったが、今日立ち寄ったその劇場で、近々その話題の歌劇をするせいか、死んだ小間使いの話題はいっさいされていないようであった。
「歌劇か…天覧されるのかなぁ…」
グリューは、柔らかい豆を噛み砕きながら、ヒーナの姿を思い浮かべていた。
夜中、ふと目を冷ましたグリューは、こっそりと扉を開けて外へ出た。
家から持って出たキセルをくわえると、キセルの先が赤く光る。
そして、溜め息でも吐くかのように煙を吹く。
意識がふわりと宙を浮きそうな心地を味わいながら、
「歌劇、か…」
とつぶやいた。
そして思い出す。
水死体になっていた小間使いのじいさんは、誰かに殺されたんだろうなぁということを。
水の中ではなく、地上で殺されて、ウジが湧くまで放置され、溜め池に棄てられたと考えるのが正しかろう。
しかし、なんで劇場の支配人の雇っている小間使いのじいさんなんかを、殺す必要があったのだろうか。
水死体の身元が、劇場の支配人の雇っている小間使いのじいさんだと知れたのは、カントアでこの老人が宿を取っていたおかげである。
その宿は、カントアの中でも、中の上くらいの宿で街道に面している。
プリスで聞いた事も合わせると、この老人はとても良く働き、カントアで先行公演を開いている黄薔薇団に早めに公演日程を伝える為に来ていた。
日頃の働きの慰安も込めて、良い方の宿へ泊まれるように支配人が計らっている。
三泊の予定だったが、初日の夜にはもう消えていた。
それで、その宿の受付で、消えた老人の特徴を聞くと一致したというのが身元が特定出来た経緯だ。
黄薔薇団にその小間使いのじいさんの事を聞いたが、知らないと言う。
しかし、公演予定日には間に合うようにプリスに入っていし、黄薔薇団がカントアへ発った翌日に水死体が発見されている。
黄薔薇団のマネージャーは、劇場の支配人に使いを出したと言っていたが、支配人の話では、小間使いのじいさんが帰らないので心配して人を出したと言っていた。
こうした細かな話の違いがどうもひっかかる。
もし黄薔薇団がその小間使いを殺したとして、何故殺す必要があったのか。
何かを見たのか、何かを聞いたのか、何かしたのか。
「劇場…黄薔薇団…天覧…殺人事件…」
ふと、何か思い至ったグリューは、くわえていたパイプをポトリと落とした。
「まさか…」
そうつぶやくと、急いで家に入り、身支度をして、まだ日も昇らない早朝に家を出た。
ヒーナはこの日、プリス城の謁見の間の真下にある大きな食堂で、バート国から来たという亡命者と昼食会をしていた。
二人のミツカイと、第一執政のシャロン、技術長官に任命されたブラン、それにバート国から亡命してきた者の中でも主だった十名ほどが同席していた。
バート国はクワイ国に滅ぼされ、その中核にいた大臣や軍の幹部などは、処刑されるか、左遷されるかしている。
フラン国へ逃げてきた者は百名ほどで、火薬を調合する技術を持っている者を中心に、ほとんどが軍の関係者や技術者であった。
バートから南東のフランへ行くには、山の王のそびえ立つ危険な山岳地を越えねばならない。
それは後悔の道といわれ、進むことも戻ることも困難であるのみならず、ブーブーガーや小鬼、熊や山猿といった、危険な魔物や動物が出る。
そんな道を越えて来たとしても、政治的な理由から受け入れてもらえなかったり、もしくは捕らえられて敵国へ引き渡される可能性もある。
エリーゼは鶏肉の赤ワイン煮をフォークでつつきながら、
「こちらの料理には慣れまして?」
とたずねた。
すると真っ黒な肌の背の高い屈強そうな男が、
「こちらの食事は、美味しくて豪華ですな」
と答えた。
「故郷の料理は違うのですか?」
ヒーナがたずねると、その肌の黒い男は、
「バート国の料理には香草がつきものでして…」
と答える。
「皆さんの好きな食べ物は何ですか?」
ヒーナがそうたずねると、バート国の者は皆、一様に微妙な顔をした。
そこへ、新たに料理が運ばれてくる。
それは、白く半透明な薄い皮に包まれた野菜であった。
「これは?」
エリーゼが物珍しさにたずねると、
「生春巻きです」
と、元バート国の者が答える。
エリーゼがどうして食べようか躊躇しているところを、ヒーナは手で掴んで赤いソースに付け、カブリとかじりついた。
「うん、サッパリしてて美味しいですね!」
そんなヒーナにこの会で始めて笑顔になったバート国の人達は、
「ミツカイ様のお口にあってよかった。夏の暑いときはこの生春巻きをよく食べます。これなら食欲も落ちないので暑い季節には最適です」
と少し誇らしげだった。
しかし、その笑顔もすぐに寂しそうな顔に変わっていく。
故郷のモノを食べ、故郷の話をしたことで、余計に郷愁の念が強くなったのだろうか。
バートからの亡命者の一人が、
「国破れて山河あり…」
と、つぶやいた。
それで何名かがうつむく。
屈強そうな男がそれを聞いて、
「失礼。これは我々に伝わる亡国の詩でして…」
とうなだれる。
「春望、ですか?」
ヒーナがたすねた。
意外な人から質問に、
「ご存知で?」
と驚くバートの人々。
「えぇ、有名な詩ですから…」
ヒーナが答えると、バート国の料理は人々が吟う。
「国破れて山河あり、城春にして草木深し。時に感じては花にも涙をそそぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす…」
そして、涙を流す。
「これは昔、バートのミツカイ様が戦の後によく吟っていた詩です。そのミツカイ様が戻られた後も、この詩だけは語り継がれてきました…」
湿っぽい昼食を終えたヒーナは、城の自室の窓を開け、ぼうっと空を眺めていた。
春望は、まさに今の彼らの状態を表している。
それを素直に可哀想だと思えない自分がいた。
そして、春望は他人事ではない。
クワイ国はバート国を飲み込んで強大になった。
フラン国もポード国の西征を乗り越え、より国力を増した。
報告では、マルグ国もリーエン国としのぎを削っている。
もし、ポード国に飲まれそうになれば、当然クワイ国にも攻め込まれるだろう。
このまま、雪の攻撃をかわしているだけではいけない。
そうだと、いつか、春望を唄い涙を流す事になるのではないか。
ヒーナはフラン国の東へ赴任する前に、新たな決意を胸にしていた。




