第八十九話 <砕けた皿の欠片>
首都プリスから歩いて半日の宿場町カントアは、自然に湧く温泉があるという事と、首都という人口密集地に近いという両方の理由で、プリスから東に行く人々の交差点になっている。
そんな賑わっている街道筋を一つ奥に入った細い道の一角に、普通の家とさして変わらない大きさの建物に、「銅鍋亭」という看板を掲げているだけの二階建ての安宿があった。
グリューは、カントアに宿泊するときはいつもこの宿にする。
理由の一つは宿泊費が安いということである。
「帰ったよ」
粗末なカウンターに着いたグリューが、ベルを鳴らしながらそう言う。
すると、カウンターの奥の部屋から、人相の悪い男が出てきた。
その男は眉のない切れ長な目でグリューを睨み付けると、何を言うでもなくまた奥に引っ込んでから、大きな鍵を持って来てグリューへ手渡した。
元山賊の、鼠と呼ばれる小男が銅鍋亭を使うのにはもう一つ訳がある。
この、鍵を持ってきた人相も愛想も悪い男は銅鍋亭の主人である。そしてこの主人もまたグリューと同じ、スネに傷を持つ男なのである。
主人の顔や態度で、普通の客は寄り付かないというのも、グリューが銅鍋亭を常用する理由の一つだ。
「鼠の、あんたに客だよ」
いつもは無口な主人が、鍵を渡す時に珍しく声をかけた。
「客?ヤバイやつかい?」
「さぁ、どうだか。だが、あんたが知らないのなら、そういう類いのだろう?」
銅鍋亭の主人はそこまで言うと、そのまま奥へ引っ込んだ。
ヤバイ奴、つまりポードやクワイからの暗殺者であれば、この店の主人がそう教えるハズだ。
主人がわからないという事は、少なくとも、会ってすぐに害を及ぼすような相手ではないことは確かだろう。
グリューは、この宿に戻った時から、テーブルに腰掛けてずっとコチラを見つめている、背の高いフサフサのヒゲの男の席に、意を決して歩いて行った。
「アッシに何か用でしょうか?」
恐る恐る鼠が声をかける。
「鼠殿は行商人と見受ける。革製品なんかを行商する気はないかね?」
テーブルに腰掛けていた男は、そう言うと、床に置いていた背負い袋から、ベルトを一本出して、テーブルの上に置いて見せた。
「行商の勧誘で?」
グリューがたずねると、男は椅子に座って、「商いはそれだけではないが…」と答えた。
グリューも男に倣い、椅子に座ってベルトを手に取る。
革のベルトには、細かな薔薇の模様の細工が施されていた。
「ほぅ。これは見事な…」
と感心するグリューに、ヒゲの男は、
「山を踏む気はないかい?」
と低い声でたずねた。
「山を踏む」とは、山賊や盗賊の中で使われる隠語で、何名か集めてどこかを襲ったり盗んだりする事を言う。
つまり、このヒゲの男は賊の仕事にグリューを誘っているのだ。
一瞬でグリューの顔色が変わる。
「旦那、何でアッシを?」
「鼠のグリュー。それなりに名の通った賊だぜ?山賊はこの前にブルアの町でほとんどやられたからなぁ…」
ヒゲを撫でながら穏やかにそう話す中年男は、横目でグリューの顔を見ていた。
グリューは少しの間目を閉じると、ヒゲの男に向かって目を見開き強い口調でこう言った。
「もうその因果な稼業は終いにしたんで。この話しは聞かなかったって事で」
そうして席を立とうとするグリューに、ヒゲの男は、
「明日も来る。悪い話じゃあないぜ」
と言って席を立ち、そのまま銅鍋亭を出て行ってしまった。
グリューの手元には、細工の入った一本のベルトが残された。
翌日、日中に昨日の水死体の身元などを調べたグリューは、早くに宿に戻ってワインを飲んでいた。
赤黒い葡萄酒はカップの中で波打って、鼠といわれる小男の意識を揺さぶる。
「で、山を踏む気になったかい?」
ふと気が付くと、昨夜のヒゲの男が同席していて、そう声をかけてきた。
「昨日も断ったと思いますがね。どんなに金を積まれても、アッシはやりませんよ」
ほぼ酔っているような状態のグリューは、そう言って男を追い払おうとする。
「ほう…」
腰の剣をスラリと抜いたヒゲ男は、その剣をグリューの顔に突き付けて、
「だったらここで死んでもいのか?」
ときいた。
「旦那、よして下せぇよ。そんな気もないでしょうに…ヒック…」
グリューは少しだけしゃっくりをしながらそう言うと、剣を突き付けられているとは思えないほど呑気にワインを飲んだ。
「オレの事を調べたのか?…」
「えぇ。そら、あんな話をする人間のこと、調べないわけないでしょう?」
「で、何か判ったか?」
「ルーゴから来た革細工職人。しかも情報通と来れば目星は付きますよ。アッシをここで殺したら、その聞きたい話も聞けませんぜ?」
フッと息を吐いて笑うと、ヒゲの男は剣を収めた。
「じゃあそこの酔っぱらった鼠にきこう。ブルアを襲撃した時、山賊達を率いていたのは誰だ?」
「山サソリと呪い藤という二つの山賊団の頭ですよ。どちらかと言うと、呪い藤の頭アンクロズでしょうな」
グリューがワインを飲みながらそう答える。
ヒゲの男は鼠の向かいの席に座りながら、
「眼帯の男だろ?ソイツの上だ」
と言う。
グリューは少し訝しげに向かいに座った男を見た。
「上?ヤツラの上なんて…」
そう言いながら、山賊が虐殺を行ったあのノイック村を思い出していた。
「そうだ。金髪で、目の焦点が合わない中年の男が居なかったか?」
「あぁ…そう言えば…。いや、それかどうかは分からないですが、確か…分け前の話になった時…アンクロズが、『あのお方は分け前が要らないから』とか言っていたなぁ…。その時に誰かが、『あのお方って?』とたずねやしたが、アンクロズは『この襲撃を計画たお方』としか言わなかったが…」
「そいつは?」
ヒゲの男がたずねるも、グリューは頭を横に振った。
「いや、アッシは見ていないんで。なんでも、山賊団の山サソリと呪い藤っていうのは、縄張りで互いに争い合っていた犬猿の仲だったそうで…それを組ませて町を襲わせるとか大層な骨を折ったハズですが、見返りは何も要求しなかったと…」
グリューはヒゲの男に見つめられながら、ワインをまた一口飲んだ。
「アッシが知りうる情報はこれだけですよ、アドリアンの旦那」
すると、アドリアンは残念そうな顔で首をひねった。
「そうか…しかし、それが奴だとしても、いったい何の目的で…」
「旦那が探してるのは、その山賊を煽動した男ですかい?」
グリューの問いに、アドリアンは首を横に振った。
「わからん。だが、探してる男がそれではないかという話があった…」
「そうですかい。見付かるといいですな…」
グリューは昨日の革細工のベルトをテーブルに置いて、席を立とうとする。
それを、アドリアンは呼び止めた。
「情報料代わりにそれは持っていってくれ。金持ちに売ると十ラングくらいの値は付くぞ」
アドリアンはそう言い残して銅鍋亭から立ち去って行った。
「…なんて事があったんですがね…」
グリューは首都プリスのカフェで、昨日の出来事をヒーナに報告していた。
「そのアドリアンって男、ヒーナ様がワザワザ会いに行ったっていうじゃないですか…」
ヒーナはミツカイコーヒーを飲みながらグリューの話を聞いていた。
「えぇ、そうよ。…あの人は今コッチに来てるんですね…」
「誰を探しているのかご存じで?」
グリューがたずねると、ヒーナは少し考えてから、
「エドワールという男よ」
と答えた。
「エドワール…はて、どっかで聞いたような…」
グリューは首をひねりながらそうつぶやくと、自身もミツカイコーヒーの入ったカップを口元で傾ける。
「もしエドワールが裏で糸を引いていたとしても、私達がその陰謀は打ち砕いたから安心していいのではないですか?」
隣の席に座るガモが、そう言って笑った。
「なんか色々引っ掛かるんですよ。寝覚めの悪い…」
グリューは鬱陶しそうな顔で考え込んでいる。
「そういう時は、今知っている事実ダケを繋げようとしないで、その他に何か隠されている、繋ぎのような事象があると思った方がいいんじゃない?」
ヒーナは考えながらそう言って微笑んだ。
「砕けた皿の欠片が足りない、と…」
鼠はそうつぶやきながら、頭を横にしたり縦にしたりしてうんうんとうなっている。
「欠片だけとは限りません。そのお皿を仕舞う食器棚がないとか、全体で見たら、もうすでに明らかになっていたり…」
ヒーナはそう言いながらも、ふと思い付いてガモにたずねてみた。
「ガモさん、アドリアンさんはグリューに会う為だけにカントアまで来たのでしょうか?」
「ん?」と声に出しながら、ガモは、
「それ以外に何かがあると?」
ときき返した。
「その何か、ですけど…プリスとかカントアで調べたい事が他にあるんじゃないかしら…」
ヒーナの言に、グリューはふと、
「エドワールを見た、とかですかい?」
と答えた。
「そうね…でもそれだと、グリューと話をするより、直接本人を探すでしょ?」
「じゃあそのエドワールに繋がる何かを見た、とかでしょうか?」
ガモがそう言ってコーヒーをすする。
ヒーナがそれで、眉間にシワを寄せながら、
「ちょっと待って!」
と叫ぶように言い放ち、目を閉じ、コメカミの辺りに人差し指を押し付け、グリグリと回した。
「あの時、何があったかしら…」
ヒーナはつぶやく。
ブルアの町が山賊団に襲われた当時、ポード国の西征、つまり、フラン国の東側を奪い取る為の大攻勢があった。
指揮していたのは勿論、銀のミツカイ雪である。
雪はポード国内の反乱分子をまとめあげ、または征伐してその西征にあたった。
つまり、ポード国内では雪に反発する者がいなくなったということだ。
そして西征と時を同じくして、それに抵抗しようとするフラン国では、内部で色々な事件が起こる。
山賊が町を襲撃したり、小鬼などの妖魔が暴れたり、第三執政の国庫からの横領が発覚したり。
これら全てが偶然ではないとしたら。もし、これら全ての糸を手繰り寄せていくと、雪につながったとしたらどうだろうか。
ブルアの町で山賊を退治した後、ヒーナは「空のリンダ」に襲われた。
これはまさしく雪の差し金だろうが、なぜ、わざわざ城という、リンダにとって一番危険な場所にまで来てヒーナを襲ったのか。
なぜ、城の中にまで侵入したにもかかわらず、女神フランではなくヒーナを狙ったのか。
もしかすると、このパズルをはめる額縁は、ポード国の西征という既によく知っている事象なのかも知れない。
ポード国の大攻勢に合わせて、全てが計画されていたとすれば辻褄が合うのではないか。
ヒーナの話に、グリューもガモも、二人してあんぐりと口を開いたまま、絶句していた。
ようやく言葉を取り戻したガモが、
「…ですがヒーナ様。もし、それが全て雪の差し金だとしても、雪一人でそんなに沢山の事を計画して実行出来ますか?軍を動かす準備だけでも大変なものですよ…」
と、素直な疑問を言う。
「だから、欠片が足りていないのよ…」
ヒーナはそう言ってから目を開け、力強い瞳でガモを見つめる。
「ガッド…その名前、すっかり忘れていたけれど、モナリに駐留していた第六師団の副師団長だった男でしょ?」
ガモは少し言葉につまりながらも答える。
「え、えぇ。フラン軍を裏切り、ポード側に寝返って、モナリの門を開けた男です…」
と言った言下、
「あ!それはエドワールの兄では…」
と、ガモが自分の言葉に反応して、思わず叫んだ。
「それはつまり、エドワールだから出来た事。行方不明の弟にガッドは会ったんじゃないかしら…そして、門を開けてポード国に寝返らせるように何らかの工作をした…」
ヒーナがそこまで言うと、グリューが続きを待ちきれないとばかりに口を出した。
「つまり、エドワールが暗躍していたんだ。フラン国の中を荒らし、モナリを奪い取る算段までしていた」
「フラン国内を荒らしていたのがエドワール?その欠片同士はまだくっつかないんじゃないかしら?」
「そうか!」
ガモが突然叫んでから言う。
「ヒーナ様がモナリに赴任したら指揮官がヒーナ様になる可能性がある。そしたら、第六師団がモナリの守備から外されるかも知れない。それではガッドを寝返らせる意味がない。そうならないよう、ヒーナ様の腕試しくらいの、ブルアの町を山賊団に襲撃させるという事件を計画をした。そして、そこでリンダにヒーナ様を殺させる予定だった…」
続いてグリューが口を出した。
「ところが、ヒーナ様はあっという間に山賊団を葬ってしまった。焦ったリンダは城まで追って来た、と?」
グリューの言下、ガモは大きくうなずいた。
「足りてない欠片は、もしかすると個人じゃなくて、もっと大きなものなのかも…」
ヒーナがつぶやくと、ガモとグリューはハッとした顔でヒーナを見つめた。




