第八十八話 <蠢く梟>
ポード国の首都ロンドから、ミュルエル湖の東岸にある町、ミュルエルまでは馬で二日ほどである。
そのミュルエルから南に行く湖畔沿いの細い道を四頭の馬が牽く漆黒の馬車が走っていた。
この焦げた一斤の食パンのような馬車が真っ黒であるのは、全てが黒鉄で出来ているからである。
扉も鉄製なら、小さな窓までも、鉄の扉を閉められるようになっている。
さらに、大きな外装に似合わずに中はそれほど大きくない。
それは外枠が中の箱の天頂部分を吊り下げ、外装の中を吊られてる鳥籠のような状態であるからだ。
これは多少左右に揺れても、中の箱は揺れないで客を運べるようにという工夫である。
乗客の安全と乗り心地とを追求したこの型の馬車は、高貴な客を乗せる為にフラン国で開発され、今世界に数台しかない。
馭者の座る両側に梟の像を設置し、客車後方の両側にコウモリの羽根を模した黒鉄の翼を付けた馬車が、ミュルエル湖の東岸で停車した。
すぐに人相の悪い男が二人下りてきて辺りを見渡す。
その後から、えらく血色のいい派手な老婆が馬車から下りて来た。
その老婆の胸には梟を象った、宝石でできたブローチが光る。
「梟党の実力を解っているのですかね、あの小娘…」
先に下りた人相の悪い男が、馬車から出る老婆の手を引きながらそうボヤく。
「小娘?…あぁ、雪様の事かいね?あの娘は頭がいい。だから信頼できるさな。空のなんとかっていう方はダメだがな…」
老婆はそう答えると、杖をついて葦の生い茂る湖畔に向かって歩いた。
その先には、レンガでできた小屋が建っている。
老婆は真っ直ぐ小屋に進み、当然のように中に入る。
小屋の中は外見と同じく質素で、小さな暖炉とテーブルがあり、そのテーブルには藁を編んで、ザルや籠を手作りしている老夫婦がいた。
しかし血色のいい老婆は、その老夫婦がまるでいないかの如く、何も言わずにそのまま進み、暖炉の横まで行くと、杖で、
コン、コンココン
と床を叩く。
すぐに床下から、
コンコン
と床を叩き返すような音が聞こえた。
老婆はまた杖で、
ココン、コン
と床を叩く。
すると、床下が開いて地下へ誘う階段が現れた。
「あの雪様が実権を握っている限り、ポード国は安泰さなぁ」
老婆は人相の悪い男にそう言い残し、階段を下りて行った。
石が組まれて整備されている階段の下は、薄暗くはあるがジメジメしていて気持ち悪いというわけではない。
所々ランプが灯っていて、松明やランタンなど灯りを持っていなくても不自由はしない。
えらく手入れをされ、こざっぱりとした清潔な通路になっていた。
そこを少し歩くと、人相の悪い男が鉄格子越しに監視をしている部屋の前を通る。
ババがこの前を通ると、人相の悪い男達数人がバタバタと鉄の扉を開けて通路へ並んで出迎えた。
「誰か来たかえ?」
老婆が声をかけると、男の一人が、
「昼前にミツカイ殺しが一人で来ました」
と答えた。
老婆は満足そうに頷きながら、
「そうかい。あの男は気が早いねぇ」
と言いつつ、杖をついて歩く。
すると、その前方にある重たい鉄の扉を、並んでいる男の一人が押し開けた。
扉が開いて初めて目に入るのは、正面の壁に貼り付けられた黒い旗と、一対の花瓶である。
花瓶とはいえ、高さは一メートルほどある。
右側は暗い紫色の硝子地に白い硝子で馬や湖の景色が立体的に浮き出ている。
左側は濃い赤色の硝子地に白い硝子で湖畔に佇む二人の男女が仲良く湖を眺めているところを立体的に浮き出るように作られている花瓶で、二つとも素人目にもそうとう高価なモノであるのがすぐに分かる。
その二つの花瓶の真ん中には黒地に紫色の、木の枝で眠る梟を象った旗が貼られている。
そしてそこから、足元には赤い絨毯が敷かれていて、進むべき道を表していた。
「ババ様、おかえりなさいませ」
入って左のカウンターにいる若い娘が、老婆の姿を見て元気よく声をかける。
「今日の入りはどうだね?」
老婆がそうたずねると、気の強そうな若い娘は、ニッコリと微笑んで、
「赤六、青二、紫が二、白一ですわ」
と答えた。
この色は客の層を表す隠語である。
赤は一般の細かい客、青は小金を持っている裕福な者、紫は重要人物でコチラの色に染めた者、白はまだ色に染めてない重要人物を表す。
「白…誰だい?」
老婆が鋭い視線を投げる。
鼻の高い、切れ長の目の女は、
「都市開発長官のロビン様です」
と簡潔に答える。
「ロビン…紫二人の客かい?」
老婆がきくと、カウンターの女は微笑んでうなずいた。
「よし。キャサリンを呼んで昼食は何でもお出ししておくれ。頼んだよ」
老婆はそう指示すると、カウンターの向かい、入ってすぐに掛けられている梟の旗の正面を右手に、赤い絨毯にそって進んで行った。
通路はすぐに折れ曲がり、右手と正面に、鉄で枠を補強された質素な木の扉があった。
その右手の扉を開けると、さらに石組の通路がある。
先程までの通路とは違い、赤い絨毯も敷かれていなければ、灯りも松明が壁に掛けられているだけで、飾り気はなかった。
その通路から、二番目の片開きの扉を開けて老婆は中に入っていく。
その部屋は石壁が剥き出しになった、牢獄かとも思えるような窓一つない薄暗い部屋であり、真ん中に小さなテーブル、開けた扉の裏側にベッドが置かれていた。
灯りはテーブルの上と壁に掛けられたランプだけである。
すでに部屋の中には、ベッドに腰掛け、カップを片手にくつろいでいた金髪の男がいたが、ババが入って来たのを見て慌てて立ち上がる。
歳は三十後半から四十くらいだろうか。
目鼻立ちはそれなりに整っているが、どことなく軽薄そうにも見える。
入って来たババの方を見るも、左目の瞳は動かないで真っ直ぐ前を見ていた。
その様子を見て、男に手のひらを見せたババは、テーブルの椅子に「よっこらしょ」とつぶやきながら腰を下ろして、じっと男を見つめる。
「よく来たね、ミツカイ殺しのエドワール。実の兄を売って得た報酬はもう食い尽くしたのかねぇ?」
男はまたベッドに腰掛けながら、
「ここの博打と女のせいで、もうすっからかんですよ。でも、また兄を殺すような仕事は勘弁願いたいのですが…」
と言ってニヤリと笑った。
「ほぅ、あんたの兄はガッド以外にもいるのかえ?」
老婆は顔が笑いながらも、目だけは笑わずにそうたずねた。
「いえ、いない事にしておきますよ。血を分けた身内の幸せの為にもね」
エドワールもそう言って笑った。
そこへ、食事が二人分運ばれて来た。
黄色い油がうっすらと浮いた合鴨のスープ、鯛の大蒜オリーブオイル煮、白いパン、赤黒い野菜のジュースが狭いテーブルに並んだ。
「まあ、食べながら聞きなされ」
ババはそう言うとジュースを飲んだ。
エドワールもベッドからババの向かいの席に移動してジュースを飲む。
「あんたに、とっておきの仕事が出来たよ」
ババはその内容を説明し出した。
その部屋の中からは、時々笑い声も漏れでて来た。
フラン軍の再編成は周知され、軍関係者がようやく新しい地位と赴任地を宣告された事で、大きな混乱もなく速やかな移動がなされていた。
大きな変更点は、モーリス元帥が東の守りから西の守りを任されるようになった事である。
第三師団も西のシュルベルの砦へ移った。
師団が移動したというよりは、指揮官や主だった者の移動というのが正しい。
兵士の大半は、デキャルトの町にいたレーリンが率いていた第二師団の残兵であった。
そして、ヒーナは正式に東方面最高指揮官を任命され、ポード国にあたるように命じられた。
そんな往来する人が多いフラン国の首都プリスに隣接している宿場町カントアの貯水地で、一人の水死体が発見され、黒山の人だかりが出来ていた。
「ここの水は入れ替えるんで?」
鼻もアゴも尖った出っ歯の小男が、官吏にたずねる。
官吏とはその地域の警察活動をしている者でフラン軍に属する班長以上の位の者が務める。
非常時には当然兵士としてかり出される。
「あぁ。酔っ払いが死んでた水だぞ。しかもウジまで湧いてやがった。そんな水が飲めるか?」
少し痩せ型の神経質そうな官吏が答える。
「酔っ払いがこんな溜め池に落ちますかね?」
小男がたずねる。
「池の畔に空の酒瓶があった。酔っ払って、ここの水を飲もうとしてボチャン、だろ?」
官吏は答えながら、革鎧の首の隙間から手を入れてボリボリと自分の胸を掻いていた。
「旦那、そんな死に方でウジなんか湧くもんですか?」
「怪我してて死にかけ、痛み止の酒を飲みすぎて水死。それでいいだろう。こんなのは誰がどう見たって事故だ…」
面倒臭そうにそう言う官吏は、
「池から水が抜けたら引きあげだ。お前も、もう帰れ」
と言って小男を追い払う。
それを人だかりの中で見ていた行商人の男が、隣に立っている背の高い中年男に、
「あいつですよ」
とアゴで小男をさした。
「チョロチョロと嗅ぎ回る姿はまさにネズミだな?」
背の高い中年男は少し失笑しながら言う。
「えぇ、鼠のグリュー。アドリアンさんが一番会いたかった奴ですよ」
行商人風の男はそう言うと、
「じゃあ私はこれで。またいいネタを仕入れときます」
と、足早にその場を後にした。
「さて、ブルアを襲った山賊の生き残り…どう料理してやろうか…」
アドリアンはヒゲを撫でながら小男の姿を見守っていた。




