第八十七話 <闇の出入口>
ヒーナも椅子に座った。
目の前の男、アドリアンは不愉快そうな顔でテーブルの上を見ている。
ヒーナは、言ってはいけないのかもと思いながらも、
「リュリュというミツカイは、今のあなたを見て何て思うかしら?」
と声をかけてみた。
しばし沈黙の時間が流れる。
――― やはり、言わなければよかった… ―――
と、ヒーナが後悔しそうになったその時、
「リュリュ様はオレがこうやって生きている事を望んではいないだろう…」
と、ぼそぼそとした口調でアドリアンが答えた。
そして、決意を込めた悲しい目でヒーナを見つめ、
「分かった…話そう…」
と言った。
「オレは二十年前、今は誰もいなくなった第四師団の副師団長を務めていた。第四師団はリュリュ様の師団だったが、ある戦いで副師団長が戦死してな。オレはその時戦いでたまたま活躍出来たから、副師団長に抜擢されたのさ」
それからその続きを、アドリアンは悲しい目で、ぼそぼそと髭を動かしながら語り始めた。
副長になったアドリアンが最初に知ったのは、リュリュと戦死した元副師団長が恋仲だっという事であった。
リュリュは人知れず泣いていたのたが、そんなミツカイの心の隙間に入り込んだ男がいた。
リュリュの給仕係をしていたエドワールいう青年である。
リュリュは次第にエドワールに惹かれていったが、リュリュが本当に恋をしていたのかは定かではない。
だが、エドワールやアドリアンのみならず、師団の若い兵士達、老兵までもが皆、リュリュに多かれ少なかれ思いを抱いていたのは間違いない。
そのリュリュが死んだのは、イヌガル戦で勝利し、ネストを陥落させ、ミュルエル湖畔でポード軍の夜襲を受けている最中であった。
テント群に南北の二方から襲い掛かったポード軍は、リュリュの休む中央の本営にまで届く勢いであった。
南方の襲撃を抑えたアドリアンは、ふと胸騒ぎがして、単騎で本営へ確認に戻った。
その時、騒然とする野営テント群の中、月明かりに照らされて重なる二人の影を見た。
それは、リュリュとエドワールであった。
そして、そのままリュリュは崩れ落ちた。
駆け付けて「どうした?」と問うアドリアンに対し、エドワールは「リュリュ様がポード兵に殺られた」と血の着いた剣を納めながら答えた。
そのポード兵は北側、ミュルエル湖方面へ逃げたと言う。
細かな光の粒になるミツカイを呆然と眺める事しか出来なかったアドリアンは、敵を追うと言って走り去るエドワールに声すらもかけられなかった。
そしてエドワールは忽然と消え去り、行方はようとして知れなかった。
「そのエドワールを最後に見たのが、オレが率いていた隊で班長をしていた奴の兄、ガッドだ。そのガッドが言うには、ミツカイ様が天に帰る光が立ち上る中、エドワールが腰に下げる剣からも少量の光の粒が立ち上ぼり、その光の塊に集まって行った、と…それを問い質そうと振り返ると、エドワールはもうそこには居なかったそうだ…」
「それは…」
ガモが思わず口をついた。
「あぁ、そうだ。エドワールの剣にリュリュ様の血か、何かが付いていたという事だ…」
ヒーナは、じっと話を聞いて考えながら口を挟んだ。
「でも、それだけだと亡くなる前、抱き締めた時に付いた血、だとも考えられます…」
そう言う少女にアドリアンは鋭い視線を投げる。
「剣にか?まぁ、そうだったとして、おかしな事がもう一つある。ポード軍の動きだ。ミツカイの光が立ち上った後も、奴等は退却せずにしばらく交戦していた。勝利の宣言もなかった。まるで、ミツカイを仕留めた事を知らなかったようだった…自分達がそれを狙って奇襲したにもかかわらず、だ」
黙って聞いていたウォルドも疑問を口にする。
「リュリュ様を殺したポード兵が、それを報せる前にフラン兵に討たれた、とか?」
アドリアンは首を横に振った。
「仮にそうだとしても、普通はフランのミツカイを討ったぞ、とわめき散らすだろう?これは色々な話を聞いて、後から判明した事だが、ポード軍の作戦は、南方から奇襲をかける事を陽動として、本命は北の湖側から船で乗り付けて奇襲をかけるというものだったようだ。たが、リュリュ様が倒れたその時は、本営までポード軍は届いてなかった…」
「それでは…エドワールはとても怪しいですね…」
ヒーナのつぶやきにうなずいたアドリアンは、疲れた口調で言う。
「だからエドワールをずっと探して来た。残念な事に、奴はフランの標準的な青年で、これといった特徴がない…そこで、網を張る事にしたのさ」
アドリアンは言う。
その場から逃げるとあれば、ポード国とは反対のクワイ国側へ移動するのではないか。
そして、移動しつつ糧を得るなら行商人になるというのが、一番動き易く怪しまれない。
名前は偽名を名乗って行商すれば、特徴のない青年一人、見付けるのはそれこそ非常に困難になる。
五年間探し回った結果、クワイ国側のこの地で網を張る事にして早十五年が経った。
革細工目当てで来る行商人から情報をもらい、時には賭事をする連中からも情報を集める。
さらに個人的に何人かの密偵も雇っていた。
エドワールに関係しそうな事のみならず、怪しい人物、おかしな事、情報はなんでも集めた。
そして、たまにその情報を確かめに遠出する。
そして、逆に、アドリアンがここに居るという騒ぎになりそうな接触は全て絶ち切った。
その為にプリスからの訪問客とは合わないようにしていたのだ。
「今では、リュリュ様が殺されたという事すら、時々夢ではないかと思う事もある…ずっと、悪夢の中にいるようだ…」
アドリアンの瞳は悲しみをはらんで潤んでいた。
重い空気の中、髭の男は続きを語った。
「実を結びそうだったのはついこの間さ… 」
そして、ブルアの町を襲うように山賊達を煽動したのが、エドワールだったようだと告げた。
ヒーナのみならず、ガモ、ウォルドも驚いて声を上げた。
ブルアの町を襲った山賊共を退治したのは、まだ数百人しかいなかった結成当初の第八師団であったからだ。
ヒーナ達がその討伐をしたことをアドリアンは当然知っているというふうに、
「だが、町を襲った中にエドワールは居なかった。焼き殺された中にも、牢に閉じ込められて水死した中にもだ。もし山賊が町を占拠していたなら、おそらくエドワールが姿を現しただろう…」
と、語る。
苦い顔でそう言う中年男に、
「では、ブルアの町を、山賊が襲うがままにすればよかったと?」
と、少女が鋭い言葉をぶつける。
それでアドリアンは少し笑って、
「いやいや、個人の復讐の為にフラン国民に難儀をかけるなんて道義はない。だから、あれで良かったんだ…」
と答えた。
ヒーナは何か忘れているような感じがしながらも、ここに来たときには必ず会ってくれるという条件で、元副師団長を職人街に置いて階段亭に戻った。
別れ間際アドリアンに、フラン軍に戻る気はないかとたずねると、
「エドワールの件が片付いたら戻るさ…二十年前からそのつもりですよ」
と答えた。
ランプのオレンジ色の灯りが机上を照らし、部屋の隅には暗がりが薄く広がっている。
「雪様、例のババが来ましたよ…」
エーマが少し嫌そうな顔でそう言った。
「いいわよ、入ってもらって」
雪は書き物の手を止め、手早く書類をまとめた。
そこで、エーマが招き入れたのは、杖をついて歩く、丸く太った老婆であった。
顔にはシワも多いが、シワよりも脂っぽいツヤが目立つ。
杖をつく手の指には大きな宝石の指輪がはめられており、太い身体を隠すように藍色のワンピースと、その上から水色のガウンを羽織っていた。
ワンピースの胸に付けられた梟を象った宝石のブローチが、キラリとランプの灯りを反射する。
「お久し振りです雪様。リーエン国はどうでしたかな?」
ババの挨拶に、雪は左手を上げて答えた。
「挨拶はいい。それより、表で睨みをきかせているであろう連中を、中に入れたらどうだ?」
「奴等はこのババの剣と盾。物騒なモノを雪様の前に持ってきては無礼かと…」
老婆は恭しく礼をした。
「わかった、今日はそれでいいわ…。それで、ババ様自らがお越しなのは何を言いたいのかしら?」
雪は無表情の中にも、軽い嫌悪の念を張り付かせた顔でそうたずねた。
「そうそう嫌いなさるな。またまた妙案をお持ちしたのですからな…」
老婆はそう言うと、雪の、テーブルを挟んで右斜め前にある椅子に腰を下ろした。
そして、
「ポードの経済はどうだ」
「町の治安がこうだ」
「軍の兵士はどうだ」
と、世間話を始めた。
それは、部屋の隅っこでハーブ茶をすするエーマが、日中の疲れから居眠りしてしまうくらいのとりとめのない内容であった。
そして世間話も尽きた頃、
「ヒーナという小娘が邪魔ですなぁ?」
と老婆が、まるで庭の木でも切ろうかというように言った。
港町ジブラを手中に納め、ネストを陥落させたエリーゼは、ミュルエル湖畔の戦いで退却せずに意地を張り続けていた。
そのままならば、いずれは自滅したであろう。
そして、ポード軍はまた、ネストを奪い返し、いずれは港町ジブラも奪還し、フランとポードの軍事的な均衡は保たれる。
だが、そこへヒーナがやって来て、エリーゼ以下遠征部隊を逃がした。
さらにその時、ヒーナとエリーゼは喧嘩になったが、現在、二人の関係は良好である。
そして、国力を増したフラン国はまた、御使い降ろしを考えているという。
だから、ここでポード国の劣勢を覆すには、ヒーナ暗殺という手段が一番簡単でリスクが少ない。
「どうやるのだ、リンダも失敗したのだぞ?」
雪は、化け物とよく形容される老婆の顔を見つめた。
老婆はそんな雪の視線など意に介さないかのように、
「フラン国民は小娘の活躍に大歓喜。その娘を讃える歌劇がもうすぐ完成します…」
と言って、出された赤ワインを口に含んだ。
それを見て、雪もハーブ茶をすすってから、
「劇場への移動中に暗殺するのか…」
と言うと、ババは、
「移動中は警備が厳しいでしょうな…」
と言って、ニヤリと笑った。
化け物とはよくいったものだ、と雪は思いながらも、
「百万ラング。成功したらさらに五百万だ」
と、老婆の案を承認した。
老婆が去った後で、大きなため息をついた雪に、ババがいた時には一言も発しなかったエーマが声をかけた。
「いいのですか?」
大きく伸びをしながら
「何がだ?」
雪がきき返す。
「ヒーナですよ。雪様はあの娘と戦うのを楽しみにされているじゃありませんか…」
エーマは少し低い声でそう言った。
「私の気持ちだけで、いたずらに兵の命を弄ぶようなことはしない。居なくなってくれれば、ポード軍は楽に勝てるようになる…」
雪は目を閉じて静かにそう返すと、首をゆっくり左右に倒した。
ポキポキと小さな音が鳴る。
「それは…」
それでもまだ不満そうなエーマに、雪は一言付け添えた。
「心配するなエーマ。あの白金の娘が暗殺されなかった時には、戦うしかなくなるのだからな…」




