第八十六話 <革細工の注文>
階段亭の前の街道をそのまま北へ向かうと、やがて街道は西へ折れる。
既に人通りはほとんどない。
街道というよりは農道に近いような細く頼りない道になってきて、長閑な風景も寂しくなる。
南に広がる牧草地に牛がいるくらいで、人の姿はとんと見ない。
春もだいぶ暖かくなって、騎馬だと流れる風が気持ちいい。
馬を走らせる事、一時間と少しくらいで、煙突から煙を上げ道沿いに建ち並ぶ小屋の一群が見えてきた。
「あれですか?」
ヒーナがたずねると、ガモは、
「そうです、革細工職人の小屋が並んでいます」
と答えた。
ヒーナは、そんな小さな宿場町くらいの規模はある小屋郡の、東の端に馬を留め、近衛隊を引き連れて道の真ん中を歩いた。
歩きながら、左右の小屋、一つ一つをゆっくり見ていく。
西の端、小屋がなくなった所で、
「お金はある?」
と、ヒーナはガモにたずねた。
「えぇ、少しなら…」
と答えるガモに、ヒーナは、
「鐙とか轡にいい革細工を入れたら、いくらくらいするのかしら?」
とつぶやいた。
「鐙も轡も、細工用に新調しないといけないですし、恐らくかなりな額になります…手持ちじゃとても足りませんよ…」
少し狼狽するガモに、ヒーナは苦笑しながら、
「それじゃ、近衛隊全員分の馬に、なんて無理ね…」
と、肩を落とした。
「とにかく、組合がそこですから、話しを聞いてみましょう」
ガモに連れられて入ったのは、この街道筋で一番大きな三階建ての建物である。
入ってすぐ、革の臭いが鼻につく。
同時に、正面にある棚にところ狭しと並べられた革細工製品が目に入った。
「いらっしゃいませヒーナ様。何か御用ですか?」
左手奥にあるカウンターにいた中年のおばさんが声をかける。
ヒーナはニッコリと笑いながら、
「えぇ、近衛隊に揃いの革細工が入った鐙とか轡が欲しくて…」
と答えると、棚に並ぶ革細工製品を見て回る。
中年のおばさんは、カウンターを跳ね上げ中から出て、ヒーナの隣に来た。
「ヒーナ様の近衛隊になら、予備も考えて百セットは必要ですね…どんな細工を入れますか?」
おばさんはそう言いながら、革製の手綱を手に取ってヒーナに差し出した。
「これなんかどうです?革の表面を削って、薔薇の透かし彫りを施しています。ヒーナ様なら、これが薔薇じゃなくて梅になるのかしらねぇ?」
「そうですね…もしそれで頼んだら、お値段はどれくらいになるのかしら?」
「少々お待ち下さい!」
にこやかなおばさんはそう言い残して階段を上がって行った。
そこで、ヒーナは声を抑えてガモに話しかける。
「当たり、かも知れないわね?」
不審な顔でガモがたずねる。
「何が当たりですか?」
「おかしいと思わない?私がヒーナで、しかも近衛隊の数が五十だと知ってるような口調よ?それに、私のマントの絵柄が梅だとも…」
「ヒーナ様…あなたはとても有名人ですよ。それくらいは…」
ガモの反論に、ヒーナはそれでも首を傾げた。
「私の近衛隊なんて、ここに来る前にできたのよ。辺境のおばさんが知ってるなんてのはおかしいわ…」
それを聞いて、ガモは思わず「あっ」と声を上げた。
近衛隊をウォルドに任命したのは、レーリンの葬儀の後、首都プリスを出て、このルーゴに来る直前である。
それまでは、近衛隊などというものは第八師団にはなかったのだ。
「つまり、私の正確な最新情報を、誰かがここに流したって事よ。それは恐らく、敵や密偵じゃなくて、ここに来る行商人じゃないかしら?」
ヒーナの言に、ガモはうなずく。
「それで、情報を得ているから捕まえられないのよ、アドリアンさんは…」
ヒーナはガモからアドリアンに関する報告を聞いて以来、ずっと考えていた。
彼の情報に、いくつか腑に落ちない所があったのだ。
アドリアンが北の辺境に居座り、彼を探している人間の前に姿を現さずにいれる理由である。
その男は飲んだくれている上に賭事もする。
盗んだモノを食べたりもしているようだが、ずっとそれだけで生活をしている風ではない。
失踪して以来そんな生活を二十年も続けていれば、酒代に遊び代と、余程蓄えがなければ生きていけない筈である。
それでも酒を買ったり賭事も出来るのなら、何らかの収入があると考えるのが妥当である。
それが何かというと、恐らく革細工職人の手伝い、もしくは職人そのものをしているのではないか。
それも常時ではなく、たまにである。
たまにそうして収入を得ては遊び、なくなっては働くという生活をしているのではないか。
そして、ここへ来る行商人から情報を得ているのではないか。
だとしたら、ガモが村で聞き込みをして、ヒーナがルーゴまで探しに来た事は、恐らくアドリアンに伝わっていると思われる。
だから、階段亭の北の村にあるという彼が住んでいる家にはいないのだろう。
と、すれば、仕事場であるここにいる可能性が高い。
納得したガモが、
「じゃあ、ここを探してみますか?」
と声を小さく低くしてたずねた。
「いえ、出て来てもらいましょう」
ヒーナはニヤリと微笑んだ。
そこへ、組合のおばさんが降りてきて、「お待たせしました。手綱一個の値段は百ラングほどだけど、百個まとめて注文下さるなら、まとめて九万ラングでどうかしら?」と言った。
ヒーナは少し困った顔で、
「それじゃあ、十万でお願いするわ」
と答える。
値交渉する筈が、逆に値段が上がった事に組合のおばさんばかりでなく、ガモも驚いた。
「その代わり、気に入った模様を入れて欲しいの。デザイン料も含んで、それでどうかしら?」
「はい、それはもう!」
おばさんは満面の笑みで承諾した。
ヒーナの目の前にあるテーブルの上には、革製の手綱のみならず、模様が入った革の切れ端のような欠片が何枚も並び、さらに鐙や轡がテーブルから溢れんばかりに乗っていた。
「どれもダメね…職人の腕は良くても、デザインが古臭けりゃ意味がないわ…」
ヒーナはため息をついた。
困り顔のおばさんの横で、革細工職人の親父が声をあらげた。
「しかしねぇ、ミツカイ様。この中のどれかから選んでもらわねぇと、作業に取り掛かれないですよ!」
「納得いく仕事をするのが職人じゃないの?ここの職人は、お客が納得いかないモノを十万ラングも払わせて売り付けるつもりかしら?」
ヒーナは声こそ大きくないが、言っている事は喧嘩を売っているに等しい。
だが、職人気質の親父は痛いところを突かれたようで、ぐうの音も出ないでいた。
「何も、細工自体が嫌だとか、悪いとか言っているんじゃないのよ。絵柄、模様の選択に構図がピンと来ないの。納得いかないモノを使って士気が上がるかしら?」
うーんと唸る親父を横目に、ヒーナは続ける。
「軍の仕事をしてたとかで、本当の勇壮さ、ミツカイの可憐さを解っている人はいないのかしら…」
ヒーナの言に、おばさんと親父は顔を見合わせた。
心当たりがある、と言わんばかりの顔である。
「いいわ、明日また来ます。その時には少しでも軍の事が解る職人を連れてきて頂戴…」
そう言ってヒーナは席を立つと、職人の町を後にして階段亭に戻った。
翌日昼前に、革細工職人の町に到着したヒーナは、馬を横付けして組合の建物に入った。
昨日のおばさんに連れられ、二階の一室に通されると、そこには既に、昨日の親父と、もっさりと髭を生やした背の高い男がいた。
部屋に入るなりヒーナは、
「アドリアンさんね?やっと会えたわ」
と言った。
背の高い、少し贅肉の付いた髭の男の顔が歪む。
「目的はそれか…」
だが、ヒーナは悪びれる様子もなく、
「デザインをお願いするわ。考えて来てますよね?」
と言って席に座った。
随行していたガモとウォルドは折角アドリアンに会えたのに、と少し困惑しながらも、万が一の事を考えて入口を近衛隊で固める。
その様子を横目で見ながらも、全く動じる事もなく、汚い髭の男アドリアンは羊皮紙に書いたデザイン案を三枚出した。
「一番自信があるのはこれです。吹雪に耐えて咲く梅の花の図柄で、梅の花のところ、革の表面を削って紅、白、黄色の三色に染めます。雪の模様は三種類の大きさ金型でくりぬく事にします」
それにニンマリと微笑んだヒーナは、
「吹雪の量がもう少し多目の方がいいわ。こっちの黄梅に被るくらいで…」
と注文する。
しばらく、二人はデザイン案をああだの、こうだのと、小一時間話し合った。
そうしてやっと、
「カワイイです、これで行きましょう!」
と、納得したヒーナは、椅子の背もたれに身体を預けた。
そこでやっと、革細工職人の親父は胸を撫で下ろした。
ふぅっと息を吐いたヒーナは、テーブルの向かいの席で羊皮紙に決まったデザインを清書している髭の男に向かってたずねた。
「やっぱり、リュリュさんも可憐で激しいミツカイだったんですか?」
男の手は一瞬ピタリと止まり、少ししてから何事もなかったようにまた動き出した。
表情は、羊皮紙に向かってうつ向きになっているので分からない。
「昨日、アドリアンさんの作品を行商人に見せてもらいましたよ。なかなか素晴らしいデザインのベルトでした…」
ヒーナがそう話しかけるも、髭の男はずっと書いている手を休めるどころか、少女の顔も見ようとはしなかった。
「おい、何とか言えよ!元第四師団副長はそんなに偉いのかよ!」
入口付近で立っているウォルドが堪り兼ねて叫んだ。
それで、アドリアンはペンを止めて顔を上げ、威勢のいい少年を睨み付ける。
近衛隊長代理はその迫力に思わず次の言葉を飲み込んだ。
しかし、目の前にいる少女は怯まずに質問する。
「リュリュさんは公式では戦死。でも、本当は戦死ではないのですか?」
アドリアンは、今度はそう言うヒーナを睨み付ける。
しかし、怖じけないで真っ直ぐに男を見つめる少女は、その瞳の奥に、ただ殺気や怒気といったもの以外の悲しい何かがこもっている事を発見した。
「二十年…長かったでしょう…苦しかったでしょう…」
ヒーナは切ない顔になってつぶやく。
アドリアンは突然、頭を下げたかと思うと、椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がって叫んだ。
「小娘に何が解る!」
その咆哮は、怒りと悲しみと苦しみをはらんで、ビリビリと部屋の者達の心を震わせた。
皆が唖然とする中、ヒーナは、
「私にはあなたが苦しみの中にいる事しか解りません…」
と答えた。
それで一瞬、眉間を上げて唇を尖らせたような、不思議な顔をしたアドリアンであったが、すぐに顔を隠すように下を向いた。
それで、ヒーナも立ち上がって話す。
「二十年は長いのです…人々の記憶からも忘れ去られていきます…」
それを聞いたアドリアンは、髭だらけの顔を上げた。
「リュリュ様を忘れるというのか!」
その声は怒気に満ちていた。
一方のヒーナは冷静であった。
「そうよ、人は忘れるわ。今の若い子がリュリュというミツカイを知っていると思いますか?子供達はどう?二十年も前の話よ」
「子や孫に語り継ぐべきだ。どんなミツカイがいたのか、何を成したのかを!」
「じゃ、あなたはレーリンの前のミツカイを全員知っているのですか?」
ヒーナの質問に何も答えられなくなったアドリアンは、「ぐう」と唸って席に座った。




