第八十三話 <雨と涙の違い>
シーアはパッチリと、大きな瞳を開けた。
白い天幕の向こうに、灰色のテントの天井が見える。
テントの上から、ポツポツと音がする。
どうやら、外は雨のようだ。
シーアの青黒い鎧は脱がされ、茶色い革の鎧下姿で、ベッドに寝かされていた。
「お目覚めですか、シーア様」
声がかかった方に首を向けると、シーアの世話係であるユメという少女がいた。
質素な着物に、胸から膝まである白い前掛けをしている。
彼女は、背こそシーアよりはるかに低いが、年はシーアとそう変わらない。
シーアは来年に成人する事を伝えたとき、ユメはもうとっくに成人したと答え、二人で驚いた事があった。
そのあと、実際に年齢を言い合って初めて、成人の年齢が、シーアの元いた世界と、リーエン国とで違う事を知って、二人で納得した事があった。
「力の使い過ぎで気を失われたようです。ご気分は如何です?」
ユメはお茶を運んで来てシーアのベッド脇にある小さなテーブルに置きながら、心配そうにそうたずねる。
「そんなことより、戦闘はどうなった?!」
シーアは布団をはね除けて飛び起き、ベッドから出てブーツを履こうとした。
「マルグ軍は去りました、お味方の勝利です…さ、お茶をどうぞ…」
ユメはシーアをなだめながら、ベッドに座るようにうながす。
「ユメ、カン将軍を…」
そこまで言って、シーアは、カン将軍が凶弾に倒れていた事を思い出した。
シーアはうなだれ、ベッドに腰を下ろす。
長くて濃い茶色の髪が、ハラリと前にこぼれた。
「伝令隊長を呼んでくれ…」
シーアはそう、つぶやくようにユメに言う。
短く返事をしたコウメは、テントの外へ出ていった。
雨足が激しくなった。
ポツポツと小雨だったものが、だんだんと多く、大きく、強くなる。
それはまるで、退却するマルグ軍に追い討ちをかけているかのようで、サーヤの顔をさらに曇らせた。
「あの丘はなんと言うの?」
雨風の音に消されそうな声で、サーヤは並走するハラルドにたずねた。
そのハラルドのサーヤを挟んで反対隣、少し遅れて走っていた伝令隊長が、ハラルドに代わって答える。
「丘は、地元民の間で『茶葉山』と呼ばれています!」
そういえば丘の南東面は、美しい茶畑であった。
それも、退却時にサーヤが、金色の能力で両断してしまったせいで今はめちゃくちゃであろう。
戦闘があった西側も含め、茶畑以外、丘のほとんどはただの雑木林である。
普段ならある程度は配慮して力を使えただろうが、退却出来なかった味方も同時に切り捨てるつもりで、丘に金の線を入れて爆破した。
茶畑などに構っていられる状況ではなかった。
しかしそれも、サーヤが気に入らない事の一つだ。
迫り来るリーエン軍に対し、躊躇して混乱するマルグ軍。
丘を下ったほとんどの者がミツカイの黒い力で押し潰された。
あのまま居たなら、黒いミツカイに殺られるのを待つだけ。
死刑を待つ囚人と同じである。
と、すれば、出来るだけ速やかに退却するしかない。
また作戦を練り直して再戦をするのだ。
「あの丘は私の進撃を止めた。茶葉山などという名前は不似合いだ。今から『断切山』と呼ぶ、いいな!」
サーヤは、雨で視界が悪いからか、眉をひそめ真っ赤な目で前方を睨んでいた。
だが、その雨はサーヤにとって都合が良かった。
止めどなく流れる涙は、みな雨だと取り繕える。
部下に、男共に、負けて泣いているところなど見られたくもない。
まして慰めの言葉などかけられた時には、情けなくてもっと泣けてくる。
山の呼称を変える事などどうでもよかった。
そこにわざわざ命令を入れたのは、そうでも言わないと泣いて落ち込んでいると見抜かれそうで恐かったからである。
冷たい雨の中、マルグ軍は東へ走っていった。
こうして、リーエン軍は何とか最低の危機は脱した。
しかしながら、これはただ、燃えている火に水をかけただけの処置である。
一時的に火は小さくなり、炎の広がりは抑えられた。
しかし消えたわけではない。
少し風が吹けば炎は再び勢いよく燃え上がるだろう。
また、西側にクワイ国というもう一つの火種がある。
一時命を繋いだが、まだまだ予断を許さない状況であった。
青い空が曇り始め、いつの間にか黒い雲に覆われていた。
ポツリポツリと雨が落ちて、乾いた地面に染みを作っていく。
だが、黒山の人だかりは雨から逃れようとはしなかった。
ただ、総じてうつむき、濡れていく地面を見つめている。
「あの棺桶の中にはレーリンはいない…」
深く掘った穴底に置かれ、土をかけられている棺桶を見ながら、エリーゼはそうつぶやいた。
「それでは、祈るのを止めますか?」
ヒーナは自分でもいやな事を言う女だと、言ってから思った。
しかし、エリーゼは嫌そうな顔をせず、「ふっ」と笑ってから、
「祈るわ。レーリンが守ろうとしたものが皆、あの娘に感謝しているという事が伝わるように…そして、あの娘が元の世界で幸せになるように…」
と言って、笑顔が薄く張り付いた顔を上げた。
エリーゼの頬から垂れる雫は、涙なのか雨粒なのか分からない。
しかし、笑顔ながら泣いているのは分かった。
エリーゼは、主だった参列者の最初にレーリンの棺に花を入れる役目であった。
エリーゼが入れたのは、黄色いタンポポを幾つも摘んで束ねた冠のような花束であった。
ヒーナは、献花するのは好きな花でいいと言われていたが、無難に白い菊を選んだ自分が恥ずかしかった。
そして最後にも、エリーゼは山盛りのケチャップパスタを棺に入れていた。
その姿は、レーリンへの深い思いを嫌が応にも想像させる。
報せを聞いて、狂ったように泣いたというのは、ただの噂ではないのであろう。
棺が完全に埋められた直後、レーリンの親衛隊長であったマルク、副師団長であったパトリスがヒーナの前に現れた。
「ヒーナ様…我等の西方の守りを交代し我らが葬儀に参列できりようにして頂いた事、エリーゼ様を連れ帰って頂いた事、レーリン様もきっと感謝しておられます。そのお気遣い、我々は感謝の念に堪えません…」
パトリスはそう言いながら目頭を押さえた。
そこへ、プーンと羽を鳴らしながら狂いウサギのピートが飛んできた。
「武人が泣くとは情けない…」
うっすら笑っていたエリーゼの顔が曇る。
そこで親衛隊長のマルクが、「面目ない」と頭をかいた。
そこで、ヒーナがアゴを少し上げて、
「あら?目を真っ赤にして泣いてたのはだーれ?」
とたずねた。
「オイラは武人じゃない!それに、目は元々真っ赤さね!」
そう文句を言いながら飛んできて、ヒーナの黒いベールの着いた頭の上に留まったピートに対して、エリーゼが、「何の用?」と短くきいた。
ピートは赤い目をギョロリとむいて、
「新しいコマが欲しいだろ?」
ときいた。
「コマ…?」
瞳を上に向けてヒーナがたずねる。
「欲しい時はこちらから知らせるわ」
そう言ってプイと横を向くエリーゼに、ピートは、
「シャロン様が考えておかないと、って言ったんだね」
と言い放った。
とりあえず、冷たい雨にうたれ続けると風邪をひいてしまう。
「考えておくわ…」
と低い声で言ったエリーゼは、そのまま馬車の方へ歩いて行った。
慌てて後を追いかけるヒーナの頭に、ピートはつかまったままムッとしていた。
その後、プリス城の謁見の前の真下にある広い宴会場で、女神フランを交えて、エリーゼ、ヒーナ、そしてシャロンの四人が同席して夕食会を行った。
フランの左隣にシャロン、右隣にエリーゼ、正面にヒーナが座る。
シャロンの後ろには長机が用意され、執政官達が座る。
エリーゼの後ろにも同じように長机があり、第二師団の副長パトリス、親衛隊長のマルク、第一師団の副長である小ブリュノが座っていた。
ヒーナの後ろにはベッヘル、セルド、ラグンが座る。
これは夕食会とは名ばかりの、食事をしながらのフラン国の最高会議である。
基本的には、フランと同じテーブルについている者しか発言権はない。
後ろの長机で控えている者達は、フランと同席している者から意見を求められた時だけ発言する事ができる。
四人が着席したところで、まずは全員にワインが運ばれて来る。
ヒーナはお酒が苦手なのでハーブティーが運ばれて来た。
続いて、蒸した小海老をたっぷり乗せて深い皿に入れた卵のプリン、大皿に盛られたドゥミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグ、そして、バスケットに山のように盛られたパンがテーブルに置かれる。
フランがパンをとると、全員が食事に手を付け始めた。
第一執政のシャロンが、
「まず、世界の戦況をここに確認しよう」
と言ったのが、食事会議の始まりであった。
まず、バート国がクワイ国に滅ぼされた事で騒乱がより深まった。
フラン国で新しいミツカイが降ろされた事を受け、クワイ国とポード国は暗殺者を送る。
二人を、新しい白金のミツカイ、ヒーナは退けた。
同時に、ポード国がフラン国の東側を侵略するも、第八師団のヒーナと、第三師団モーリス、第五師団ゴルドがこれを退けた。
この時、ゴルドが戦死し、ポード国のミツカイ雪が降格された。
フラン国はここでポード国に対して攻勢をかける。
西側でクワイ国の侵攻を防いでいた第二師団のミツカイ、レーリンに加え、ヒーナ率いる第八師団を派遣してクワイ国への侵攻しているようにみせかけ、その実、東側のポード国へ、エリーゼ率いる第一師団と、ブラン率いる第七師団の蒸気船団を派兵。
ブランが蒸気船の機動力で一気に港町ジブラを落とし、次いでエリーゼもネストの町を陥落させた。
レーリンとヒーナもフラン国旧領であったシュルベルの泉を手に入れる。
しかし、レーリンがジルの奇襲により死に、その場でヒーナはジルを倒した。
「レーリンを失ったが、ポード国の雪、クワイ国のジルといった主力のミツカイを倒している…戦況としては悪くないのだ…」
シャロンはそう締めくくった。
「雪は死んでいません…」
ヒーナはそう反論する。
それに対してエリーゼが、
「今、雪が復帰したとしても、戦争を仕掛けて来るのは夏以降よ」
とヒーナを制する。
「ポード国には空のリンダ、クワイ国には岩落としのミラというミツカイもまだ残っている。対して我が国は二人ミツカイを抱え、国土も倍近くまで広がった…」
シャロンはそう言って、ワインを一口飲んでから続けた。
「ここで次の手が大変重要になる。フラン国が軍事的に何をするか、だ」
ヒーナはそこで、さきほど頭の上に乗った小うるさいウサギを思い出し、「御使い降ろし…」とつぶやいた。
エリーゼはヒーナの言葉を拾って、
「それが一番手っ取り早く、戦争に勝つ方法なの?」
とシャロンにたずねる。
代わりに、黙って聞いていたフランが答えた。
「ヒーナやレーリンの様に、戦争で直接的に勝利できるミツカイが来てくれるとは限りません。有効な一手であるとハッキリ言えない、つまり博打です」
ヒーナは思わず後ろを振り向いた。
ラグンもセルドも難しい顔をしていた。
ベッヘルは胡椒がきいたワインのカップを傾ている。
「ベッヘルさん…」
ヒーナに突然名前を呼ばれたベッヘルは少し驚いた顔をしたが、すぐにカップを置いて言う。
「ここ最近降ろされたミツカイは、銀の雪、白金のヒーナ様、黄金のサーヤ、そして黒のシーアです。力は皆強力だ。そして次、ミツカイが一人っきりになった大国クワイ国は、当然御使い降ろしをやるでしょうねぇ…その時に有効な一手が何かって事です…」
「う~ん」と、皆食事をしながらうなって考え込んだ。
会議は難航し、結局、とりあえずフラン軍を再編成してから決める事に落ち着いた。




