第八十二話 <丘を裂く大剣>
「リーエン軍を囲んで首根っこを抑え込め!」
マルグ軍隊長達の怒号が飛ぶ。
敵国深くまで侵攻し、もう冬を越し、春になった。
美しく華々が咲き誇る季節。
マルグ軍の兵士達は嫌でも故郷を思う。
そんな中の夜明けの襲撃。
マルグ軍兵士達の士気はかなり低くなっていた。
サーヤは親指の爪を噛んで、
「思うように成果が出ないな…」
と、イライラしていた。
「暗殺部隊ですか…」
ハラルドがそのつぶやきに反応する。
「違う…いや、それもあるが、あれは時間がかかる…しかし…そうじゃなくて兵士達が…いつもより鈍くないか?…」
サーヤの問いかけに、ハラルドは答えるのを躊躇した。
それを鋭く見抜いたサーヤは、「なんだ?」とたずねる。
観念したハラルドは、
「望郷の念です…」
と短く答えた。
今リーエン軍は、復讐に燃えている。
一方、マルグ軍は連勝してはいるが、その実態はサーヤと相手のミツカイとの直接対決で勝ちを得てきたものだ。
兵士達がどうの、戦略がどうのという勝ち方ではない。
それを見込んでか、今回のリーエン軍は、元からある軍団にミツカイをくっつけるという形で戦を仕掛けてきた。
恐らく、ミツカイが倒れても戦に勝つという姿勢なのであろう。
さらに、敵国に侵攻してから、一つの季節が過ぎ去ったこの時期は、花が咲けば咲くほど、木々が青々とすればするほど、兵士達の心を故郷が引っ張ってしまうのだろう。
「憧れを知る者だけが、我が悩みを知る、か…」
サーヤは少しだけ自分のいた元の世界を思い出す。
「それは、望郷の詩ですか?」
ハラルドは何気なくそうたずねた。
サーヤは答えず、その代わりにアゴで丘の下を指す。
丘の下では、マルグ軍がリーエン軍を半包囲していた。
「これで負けたら故郷を呪うぞ?」
サーヤは、親指の爪を噛みながらそうつぶやいた。
「シーア様!無謀です!」
カン将軍にそう叫ばれてもシーアの勢いは止まらない。
「今の兵士達は後退なぞしない!だったら、突破しかないんじゃなくて!」
シーアはカン将軍にそう言いながら馬を走らせた。
多少の傷では倒れないリーエン兵と、少しの傷で後方へ下がろうとするマルグ兵。
包囲を受けているとはいえ、リーエン軍の勢いは完全に相手を呑み込んでいた。
とはいえ、このまま正面を突っ切ったら前後に挟撃を受ける。
「しかし…突破してしまうと前後で挟み撃ちです!」
カン将軍はシーアの右隣に馬を付ける。
「かまわない!丘を登り、ミツカイを倒して勝利する!サーヤは今までそうやって勝って来た!」
シーアの言葉が風に流される。
シーアの周りを固める護衛の兵達は、寄ってくるマルグ兵達に銃弾を浴びせ倒して行く。
銃弾で倒れずに飛び掛かる兵士を、カン将軍が切り伏せる。
さらにそれをも突破したマルグ兵は、黒いミツカイをあと一歩で害せる距離に迫り来て、槍を構える。
その様子を見たシーアは手綱を引いて馬を止めた。
マルグ兵は走る方向を少し変え、斜面を強く蹴った。
それで、さらに勢いを得たマルグ兵は標的が振り上げた巨大な剣を見上げて驚きつつも槍を突き出す。
シーアは容赦なく巨大な剣を振り下ろす。
届かなかった槍に交差する巨大な剣の切っ先が、不幸な兵士の頭を捉えたその一瞬、シーアの瞳が青色に戻った。
「シーア様!やはりこれ以上は…」
カン将軍が剣で潰された兵士の死体を確認しながらそう忠告した。
その時、
「黒のミツカイだ!」
「シーアがいるぞ!」
と、マルグ兵が丘の斜面を駆け下りて来る。
所々に高い木々が生える丘の斜面。
その傾斜に、登り始めた朝陽が射し込み、兵士達の鎧や剣、槍や弓をギラギラと光らせる。
ざっと百名はいようか、前方のサーヤの本陣を守る兵士達だろう。
シーアは馬上から巨大な剣を放り投げた。
ドサッと地面に落ちた剣は沈み込み、シーアは馬を飛び降りて迫り来るマルグ軍に対峙する。
朝日を吸い込むような黒鎧に身を包んだ少女は、両手を前に突き出し、瞳を黒く光らせた。
途端に迫り来るマルグ兵達の動きが鈍くなる。
そしてすぐに、転んだり、へたり込んだりして、兵士達は丘の斜面に這いつくばった。
その時であった。
「シーア様!」
と叫ぶ声。
ほとんど同時に、
パン!
と乾いた音がする。
次に、金属を突き破る固い音と、柔らかい物を貫く嫌な音。
そして、直後にパラパラと地面に雨でも降り落ちるかのような湿った音がした。
シーアの背中に寄りかかって倒れ込んだのはカン将軍であった。
「くそ!外したか…」
発砲音と声の方向をさぐるシーアは、樹上で次弾を銃に込めるマントを羽織った男を見た。
慌てて左手をそちらに向けて目を光らせる。
すると、その者が持っていた銃と弾は、枝を折りながら地面にドスンと落ちた。
後ろから来たリーエン軍の兵士達がその樹上の男に銃弾を浴びせる。
今度はその男が悲鳴を上げながら地面にドスンと落ちた。
さらにシーアは辺りを見渡し、他の木の上に二人いるのを見つけた。
一人は案外近い木の上にしがみ付き、もう一人は少し遠くにある太い楠の枝の上だ。
遠い方の一人は銃を構えて狙っている。
パン!
シーアは左手をそちらに回すのに間に合わず、銃弾が襲いかかる。
と、その銃弾は少女に当たらず、手前の地面に落下した。
もう一人は近くの、他の二人より細い木にしがみついていた。
木から飛び降りると、筋肉質な大男であるのがわかった。
羽織っていたマントを脱ぎ捨て全裸でシーアに飛びかかる。
何も着ていないのは、シーアの力で重くなるモノを無くす為だ。
シーアの能力を利かないようにするには、的確な方法である。
ミツカイに飛び掛かる全裸の屈強なマルグ兵を、リーエンの兵士は銃撃した。
しかし、どの弾も地面に落下して届かない。
剣を抜いて助けに行こうとする兵士も、装備の重さに耐えきれずに転んだりひざまずいたりした。
先程、弾除けにシーアが、自分の周りに物を重くする力を使っていた。
そのせいで、裸の暗殺者以外が近付けないのだ。
たった一度、全容も明かさずに披露しただけの力が、こうも簡単に看破され、対策されている事にシーアは驚きを隠せなかった。
そして、自分の周りに重力場を張っている事を忘れていた。
黒いミツカイに飛び掛かった男は、太い丸太のような腕で背後から抱き付く。
海老ぞりになったり、前に屈んだりして抵抗するも、男の向きを変えるくらいが精一杯で、暴漢の筋肉で固い腕から逃れられない。
男の腕が細い首に回った。
ミシミシと骨が軋む。
そのままシーアの背後から、腕で首を締め付けているのだ。
ミツカイにしては背の高いシーアであったが、そんなシーアより男の方が随分と背が高い。
抱き付かれた時に、シーアの頭は男の喉元であった。
しかし、首に腕がかかってからは、徐々にシーアの顔の位置が、重力に反して上がっていく。
そして次第に、色白であった少女の顔は真っ赤になっていった。
重力場が解け、ミツカイの元に駆け付けようとしたリーエン兵達も、地面に這いつくばっていたマルグ兵達も立ち上がり始めた。
リーエン兵は暗殺者に銃口を向ける。
しかし、その男はミツカイの身体を斜面の下、リーエン兵達の方に向けていた。
「待て、撃つな!」
隊長達が制止する。
無闇に発砲すると少女を撃ち抜いてしまう。
が、完全にシーアの足は地面に付いていない。
これでは間もなく絞め殺されてしまう。
剣を抜いた兵士たちも駆け出していたが、はたして間に合うか、という距離である。
苦悶の表情を浮かべたシーアの顔は赤色を通り過ぎ、みるみる赤黒く変わっていった。
それをリーエン兵達は苦々しい顔で見つめながら駆けつける。
「ぐわっ!」
その時、シーアの背後から首を絞めていた男が突然悲鳴を上げた。
死の苦しみから解放され、ドサッと地面に落ちた少女は激しく咳き込みながら息を吸う。
直後、ほぼ同時に何発もの銃声が、股間を抱えている裸の暴漢を貫いた。
暗殺者は倒れ、そこへ駆け付けた兵士達がトドメとばかりに剣を突き刺す。
シーアは涙を流して苦しみながら、自分を殺そうとした男を見る。
と、その男の死体の向こうに倒れているカン将軍が、仰向けでなくうつ伏せで、しかも手に先が赤く染まった剣を持っているのを見付けた。
身を挺してミツカイを守り、重傷を負って死の間際にあるカン将軍が、最後の力を振り絞って全裸の暴漢の股間を刺したのであろう。
オス猿の咆哮のような咳をしながら、シーアは四つ這いのまま倒れているカン将軍の所まで進んだ。
シーアがたどり着いたときには、カン将軍は既に息をひきとっていた。
シーアは苦しい顔のまま無言で目を閉じる。
首を絞められて苦しくて出る涙ではない涙が、彼女の頬を流れ落ちる。
思えば、「ミツカイに任せていたからここまでマルグの侵攻を許しているんだ」という論調が吹き荒れるリーエン軍の中で、シーアの味方になってくれる数少ない将軍の一人であるカン将軍は、先輩のミツカイがいないという状況の中で、シーアにいろいろ教えてくれた。
戦闘や軍事行動のイロハは勿論の事、食事や文化、礼儀や仕来りまで、ここ一カ月と少しの時間で、カン将軍から習った事はとても多い。
シーアは薄い青色の瞳を見開いた。
そうこうしている間にも、マルグ軍の兵士達は斜面を下って迫り来る。
迎撃しようと兵を率いてきた隊長のジュウビが、「シーア様、退いて下され!」と叫んで前に出ようとした。
そこに、シーアは立ち上がって答える。
「退かない!カン将軍の仇は私が討つ!」
低く大きな声でそう言うが早いか、両手を前に突き出した。
まるで墨が水を一瞬で染めるように、シーアの瞳は黒く染まり、全身からすごい量の黒い湯気が立ち上る。
と、突然マルグ兵達は地面に転げ、何かが潰れて砕けるようなものすごい音と同時に断末魔の叫び声を上げる。
と、シーアはその場にへなへなと座り込み、黒い湯気が消えると同時に、前のめりに地面へと倒れ込んだ。
斜面のマルグ兵達は酷い様子であった。
足や腕が折れ、鎧兜に潰された兵士達の凄惨な光景がそこに広がっていた。
その光景に、味方のリーエン軍ですら息をのんだ。




