第七十九話 <楓並木の戦い>
道幅は十メートル以上はあろうかという幅広の道を、落とし穴を避けてジグザグに進むフラン軍と、それを追うポード軍は、まるで一匹の蛇のようにくねくねと蛇行していた。
「ダメだ…倒せなかった」
そう言いながら後退して来たリンダは、何故かサッパリとした顔付きであった。
「行け行け!敵のお尻に噛み付いてやれ!」
と指示を出す伝令隊長の隣で、ジャンは少し不満そうに、
「リンダ様ともあろうお方が…」
とつぶやく。
「そのリンダ様は調子が悪かっただけだ…」
と、リンダは口を尖らせる。
「あんなにハツラツと戦っておいて、よく言いますね…」
半ば呆れたような顔のジャンは、リンダに汗を拭くように、仕草で伝える。
リンダは腰の手拭いを取って汗を拭いた。
ここに来て、少し手足が震える。
だいたいの敵は空気になる能力で殺せている。
暗殺、不意討ちのみならず、真正面から向き合っても、その力のお蔭で怪我をすることなどなかった。
だが、大ブリュノは真正面からとはいえ、近付けないし勝てる気も殺せる気もしない。
このような剛の者がまだフラン軍にいた事にも驚いているし、のみならず、エリーゼの風下に立っている事にも驚きである。
あの強さならポード軍では師団長は固い。
それほどエリーゼは魅力的なのか…。
汗を拭きながら、ふとマントを見ると、白い布は深く斬り込みが入っていた。
「そんなに暑いですか?」
ときくジャンに、リンダは正直に、
「これは冷や汗だ…」
と答えた。
ポード軍の背後から、砂糖楓の並木を、柔らかい風が吹き抜ける。
「あの時、この風が吹いていれば…」
リンダは少しだけ悔しそうにつぶやいた。
その時、背後から風に乗って伝令兵の叫び声が聞こえた。
「リンダ様!リンダ様にご注進!」
そう言いながらやって来るのだが、その伝令兵が通った後から、兵士達がどよめいていた。
「なんだ?」
やって来た伝令兵にたずねるリンダは、その後ろにいる騎馬の男を見た。
格好は立派な兵士である。
鉄の胸当ての下に革のつなぎを着て、毛皮の腰巻きを巻いている。
その姿より左目の横から鼻の下を通って唇にまで付いている刀傷の方に目がいく。
相当深いのであろう、その周りの男達と話す時に唇が縦にも裂ける。
その男達に囲まれて、声を発している少女がいる。
リンダは伝令兵の答えを聞かぬ間に、吸い込まれる様に、その男達の間に駆け込んだ。
そこに居たのは、男達と同じ脚の太い小ぶりの馬に乗った、目の間の離れたつぶらな瞳の少女。
そしてその後ろに、栗毛の戦馬にまたがった白い肌に黒髪の少女。
凛とした冷たい表情の中でありながら、強い意志を感じる雰囲気を持つ少女を、リンダはよく知っていた。
「雪!」
背の低い馬にまたがった男達の間で、リンダは思わず大声で名前を呼んだ。
「リンダ…元気だったか?」
雪は馬上でそう言って微笑んだ。
しかし、すぐに険しい顔になって、
「何故追撃している?!」
ときいた。
「敵が逃げたから…」
と答えるリンダに、
「あれはどう見ても罠だ、引き返せ!」
と怒る雪。
「罠…あぁ落とし穴がなぁ…」
暢気にそう返すリンダに、雪は、「早く退却させろ!」と怒鳴る。
横でそれを聞いていたジャンは、すぐに伝令を呼んで退却を指示した。
「いいか?こういう場合、ああいう峡路に入らず、手前から弓兵を並べて射かければ、こちらの被害は少く済む…」
雪はリンダにそう説明しながら、退いてくる味方に備え、本陣を下げるように指示を出す。
雪とエーマ、縦口のジーゴ達、それにリンダとジャン、伝令隊長といった本陣の中枢が後退し、付き従う兵士達も後軍の前まで下がった。
その時、林の両側を偵察していた伝令兵が帰ってきた。
伝令隊長がそれを聞いて雪へ伝える。
「道の両側に伏兵は居ませんでした。しかし、今は両側共にこちらに迫り来る二、三百程の部隊がいます。右側は馬面の隊長が率いているそうです。左は、あのベッヘル遊撃隊です…」
それを聞いた雪は顎に片手を当てて考える。
馬面の隊長ラグン、それにベッヘル遊撃隊は、いずれもヒーナの部下である。
と、すれば、この穴を掘ったのもヒーナの指示だ。
何故味方まで危うくなるような罠を作ったのか。
理由は簡単、それを上回るリターンがあるからであろう。
そして、それは彼女の仕業であれば必ず、防御でなく攻撃に特化する。
つまり、この罠を利用してポード軍を攻撃しようというのだろう。
そして、「ダメだ…やられた…」と落ち込んだ。
「落とし穴を無視してでも、左右に飛び退けと伝えろ…」
力なくそう伝令兵に言う雪に、ジャンが疑問を口にする。
「道には落とし穴、それに道の両側は草むらに砂糖楓の林です。落とし穴が偽者だとしても、そちらに本物の罠があるのでは?」
そんなジャンをチラリと見た雪は冷たい表情で、「それはない」と一言だけ答えた。
そして、
「ここは危険だ、まずは穴に落ちる覚悟で道の外に出る事、次に全力で後退するんだ、早く!」
と、眉をしかめて指示を飛ばした。
それで慌てて伝令兵が、退却のラッパを鳴らす。
「そろそろよ!」
エリーゼは興奮した様子でそう言い、ヒーナの顔を見た。
「最後尾のブリュノさんは、ちゃんと偽物まで辿り着きましたか?」
ヒーナはエリーゼを見つめ返して質問する。
「えぇ、もう大丈夫な頃合いよ!」
そう答えたエリーゼの言葉に、
「では前に出ます!」
と言い、ヒーナは押し寄せるフラン軍の中を馬に乗ったまま前進した。
前進しながら、
「回避の太鼓!」
と、伝令兵に叫ぶ。
まもなく、
ドンドン!ドンドン!
と太鼓が鳴る。
蛇行していたフラン軍はそれを聞くや否や、まるで紙が破けて二つに裂けるかのように、濃い茶色の土の部分をも踏んで、馬や馬車までが大慌てで道から外れる。
人や馬はまだしも、馬車に至っては道に外れたおかげで車輪がハマって動けないものもあった。
交互に続く色が濃い茶色に変わっていた場所は、ただ色が変わっているだけで罠ではなかった。
いや、わざと色を変えていたので、それが罠であると言えば罠なのだろう。
最初の幾つかは穴を掘って蓋をした、ちゃんとした落とし穴であった。穴の底に杭まで立ててあり、落ちたら無事では済まないようになっている。
しかし、それは最初の幾つかだけで、それ以降の濃い茶色の地面の下には何もない。
ただ少しだけ掘り返して水を巻き、元に戻して固めただけの地面であった。
左右に分かれたフラン軍の真ん中を、馬に乗って羽根付き兜の少女が駆け抜ける。
やがて馬を乗り捨て、仁王立ちになって両手を突き出す。
そんな光景を見ていた、ポード軍は唖然としていた。
そう言えば、退却指示のラッパがパーパー鳴っている。
だが、追撃隊の先端に行けば行くほど、何故追撃している側が退却なのか、間違えじゃないのかと疑い、最初は何が何だかさっぱり解らなかった。
だが、ポード軍のフラン侵攻作戦前からいる古参兵は、この左右に割れる光景でピンと来る者が多かった。
周りの兵士達に「逃げろ!」と叫びつつ、罠があるかも知れない事を承知で、フラン兵に続いて色の違う地面の上を走って道の外に出た。
その刹那、道の上を白金の濁流が突風のように吹き抜ける。
ジグザグと隊列を成し、ミルフィーユの様に折り重なっていたポード軍は大半が消え、白金の光は後軍まで貫いていた。
肩で息をしているヒーナに、空馬を持ってきたエリーゼは、感心しながら声をかけた。
「やっぱり…凄い力ね…」
馬にまたがり、ぐったりしながらヒーナは言う。
「回避の太鼓を止めて、反転攻撃の指示を!」
「分かったわ…」
それに力強くうなずいたエリーゼは、伝令兵に叫ぶ。
「全軍攻撃!残りのポード軍を蹴散らすわよ!」
その後、退却するポード軍を少しだけ追撃したフラン軍は、並木道を戻る事なく、西にあるネストの町へ戻った。
これで、フラン軍のポード国侵攻作戦は一応の終了を迎えた。
結果的に、ネストの町と港町ジブラを手に入れたフラン国は領土を広げ、ポード国は領土を切り取られた形になる。
ただ、今はそんな戦果を考える余裕もなく、エリーゼとヒーナは首都プリスに急いだ。
レーリンとの別れ、いや、自分達の心の整理をする為に。




