第七十六話 <黒い力>
雪は世界の中央の山地を抜け、ルドラの町までやって来た。
後悔の道から町入る北門は、常に三名の町が雇った私兵団が守っている。
「だから、私はポード国のミツカイだ。何度言ったら分かる?」
雪は眉を寄せて抗議する。
しかし、門番達は半笑いで相手にしていない。
「はいはい、ミツカイごっこなら他所でやりな」
この北門から町に入ろうとする他所者は、基本的に罪人であるか、何かからの逃亡者である。
そんな者達は町に無用なトラブルを招く疫病神なのだ。
門番達はそんな厄介事の種を町に入れない為に居る。
日はもう落ちようとしている。
雪は取り合えず、元気のないエーマをちゃんとした宿で眠らせたかったが、それが出来ないのであればしようがない。
また馬にまたがり、今晩も野宿かと覚悟していた。
その時、何騎もの馬の足音と共に、
「雪様!やっと追い付きました…」
と声がする。
その方を振り返ると、毛皮のマントを羽織り、黒金の胸当ての下に革の鎧下を着込み、茶色い髪を後ろに結んで、髭のない、こざっぱりした男がいた。
一瞬誰かと訝しんだが、左目の横から唇まで刀傷がある。
これがあの小汚なかった縦口のジーゴであると認識するまでに少し時間がかかった。
後ろの男達は、あの山賊達であろうが、全員さっぱりとしており、鎧を着て身なりを整え勇壮に見える。
あの、小汚ない山賊達だとは思えなかった。
「見違えたぞ。皆男前だな」
雪は少し微笑んだ。
「雪様、ルドラには入らないので?」
ジーゴは少し心配そうにたずねた。
雪は背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見たまま、
「門番に事情を話したが、入れてもらえなかったのだ…」
と言った。
雪の言下、「あいつら~!」と山賊達はうなり声を上げる。
雪は彼らに、
「まぁ待て。門番には門番の仕事があるんだ。ここは素直に退散するさ…」
と諭す。
すると、山賊達は何か決心した様に馬を降り、ぞろぞろと雪の前に整列した。
そして方膝をついて、頭を下げる。
「雪様、オレ達を手下にして下さい!」
少し眉毛を動かした雪は、
「私に関わると死期が早まるぞ?」
とたずねる。
「あの山道で人を襲い生活するのは、生きた死人も同然です!」
山賊達はうなずく。
「我々の中には、元傭兵、元兵士もいます。きっとお役に立ちます…」
山賊の一人が訴える。
ジーゴが何か思い付いたように、雪の顔を見つめた。
「そうだ!手下にして頂けるなら、あの町の中で泊まれるようにします。雪様の手下になった最初の仕事です!」
それに、雪はうーんと考え込んだ。
確かに、それは嬉しいし、何よりエーマをゆっくりと休ませる事が出来る。
「それは有り難いのだが…」
雪がそこまで言うが早いか、山賊達は喜んで馬にまたがった。
そして、ルドラの北門に雪を連れて向かう。
「なんだ?…ジーゴじゃあないか!」
門番の一人がそう言うと、残りの二人も「おぉ…」と感嘆する。
「その格好は何だ?」
門番の質問にジーゴは神妙な顔付きで答える。
「じつはな、この娘達を通してやりたいのさ…」
門番がジーゴの後ろを覗き込むと、先程追い返した小娘がいた。
馬にまたがり、胸の前に具合が悪そうな青い顔をした少女をくくりつけている。
これは門の前で押し問答した時と同じである。
ジーゴの手下の一人に金貨を一枚づつ手渡されながら門番は、「…何かの儲け話か?」とたずねた。
ジーゴは頭を左右に振る。
「いやいや…後悔の道が余程辛かったんだろうなぁ…」
そうつぶやくと、うつ向いて黙った。
そして、少し経ってから暗い顔を上げると、鼻をすすりながら言う。
「まぁ、あの器量だし、立ち居振舞いも立派なもんだろ?どこかの良家の娘なのは間違いない。だから身内を探してやろうっていうのさ」
「なんだよ、お前らの獲物かよ…だったら最初から付いてこいよ」
門番の一人がそう言うと、
「もしかして、ホントにここから出て行ったミツカイ様だったら恐ろしいだろ?」
とニヤついた。
「なるほど、ちげぇねぇ~」
そう言い放って門番の三人は大笑いする。
町の中へ入ったところで、
「あんなので門番が務まっているのか?」
と、雪が苦言を呈した。
「下々には下々の作法があるのですよ」
ジーゴはウィンクした。
町の宿、と言っても老婆の管理人が一人いるだけの、ボロの空き家のような宿に、雪とエーマは三泊した。
こんな最果ての小さな町でも行商人は頻繁に訪れる。
でも、さすがに山賊達全員分の空部屋はなく、酒場で朝まで過ごしたり、娼館に泊まったり、果ては町の中で野宿までして山賊達は雪の出発を待っていた。
宿はボロとはいえ、今まで露天で寝ていた者にとって、屋根と壁があり、ベッドがあるという事だけでどれほど有り難いかが身に染みる。
エーマの容態を見た老婆が、美味しいとは到底思えないような薬湯を作って飲ませてくれ、エーマは少しづつでありながらも回復していった。
その間の食事は本当に粗末で味も悪い。
町の食堂や酒場を渡り歩いたが、どこも山鳩の燻製というパサパサの肉や、ジャガイモのフライというもっさりとした揚げ物、たまに川魚の揚げ物、焼き物が出る。
飲み物は少し砂が沈んでいる水か、アルコールがきつめの甘くもない山苺のリキュール、渋味の残る赤ワインなどしか出ない。
雪が美味いと思えるものはなかった。
しかしそれでも最初は、温かい料理が出るだけで、雪は嬉しかった。
ところが三日もいると、食べ物の油が回ってきたのか、そんな料理にだいぶ参って来た。
「雪様、もう大丈夫です。先を急ぎましょう!」
そう言って微笑むエーマだが大事をとって、五日間その宿に逗留した雪達は、そのまま急いでポード国の首都ロンドへと旅立った。
身体にピッタリくっついた、真っ黒のドレスを着た少女がリーエンという神がいる上座の右の下手に座っている。
そこには座布団が敷かれていて、この黒いドレスの少女以外にも、リーエン国を支える大臣や軍人が多く座っていた。
しかし、この少女程目立つ存在はいない。
リーエンは数段高い舞台の上、御簾の向こう側で伏し目がちに弔問客の挨拶を聞いていた。
リーエン国の謁見の間は上座に畳が敷かれている。
国主リーエンの居る正面の上座は、ひときわ高い段になっており、その中央にのみ八段の畳の階段がある。
リーエンはその段の上、御簾の奥に坐しており、その顔をハッキリとみる事はできない。
二段づつほど低くなった細長い畳の階段が左右にあり、そこの紫の座布団の上に国の主要人物が座る。
謁見者はこの上座の前にある広い畳の上に靴を脱いで上がり、上がった者だけがリーエンと話をする事ができるのである。
畳の間は謁見の部屋の奥三割ほどの広さしかない。
残りの部分は木でできた広間で、靴を履いた来賓が立ったまま控えている。
主賓の三名が挨拶を終えたところで、真っ黒なドレスの少女は立ち上がり、大臣に連れられて謁見の間を辞した。
立ち上がったその身長は百七十センチはあろうか。
身体の線が露なドレスだけあって、そのしなやかな体つき、豊かな胸、締まった腰、つり上がったお尻の形などがよく分かる。
多くの弔問客は、エミーの葬儀である事を忘れてしまっているかのように、そのドレスの少女にみとれていた。
退出するその背中に、
「色気ばっかりで、どれ程の力があるのかしら?!」
と、ヒステリックな嫌味の声が届く。
振り返った少女は、切れ長な青い瞳を狐のように吊り上げていた。
濃い茶色の長い髪が、振り返った拍子に頬へ当たりハラハラと弾ける。
胸の前にかかる髪を片手でサッと払い除けたその少女は、先程の嫌味の主を探して来賓の顔を見て、茶色くて太い眉を眉間に寄せる。
そんな様子の黒いドレスの少女に、畳の上で立ち上がった緑色のマントの筋肉質な男が大声で言う。
「シーア殿、いい機会だ。退出前に参列者の皆様に、貴女の力を少しだけ味わってもらってはどうかな?」
彼はリーエン軍第三師団長でカンという。
軍人の中の軍人といわれており、現場からの叩き上げで師団長まで上り詰めた男だ。
彼の言葉を受け、無言ながらもうなずく黒いドレスのシーアは、一旦強く眼を閉じ、カッと見開いた。
途端に、薄い青色の瞳が黒く光る。
さらに黒い光がシーアの身体の周りから、まるで煙の如く立ち上がった。
「何よ!何も起こらないじゃない!」
甲高い女の声が響く。
ミツカイの力を味わう事になって少し身構えていた聴衆も、シーアの様子が変わっただけで、何も起こらない事で一安心してホッと溜め息をついた。
「本当に色気だけで何もできやしない!そんなミツカイが…」
そう騒ぎながら、批判をする婦人が一歩前に出ようとしたその時、
バタン!
と何の前触れもなく床に倒れた。
倒れた婦人の予想外だったようで、靴が脱げて床にそのままの形で置かれている。
カンは少し頭をかきながら、
「あぁ…いい忘れましたが、動かれるなら靴を脱がれた方がいい。…倒れられたご婦人、怪我がおありなら是非リーエン軍の事務室までいらして下さい」
と言うと、シーアの耳元に寄って、
「もういいでしょう?」
と囁いた。
すると、シーアの眼はまた薄い青色に戻り、身体から立ちこめる黒い光の煙も消え去った。
「フン」とでも鼻を鳴らしているかのように、アゴを突き出したまま踵を返したシーアは、色っぽい姿と不思議な力を人々の記憶に残し、謁見の間を去って行った。
「それで?そのクソ婆はどうして転んだんだ?」
金色のミツカイ、サーヤはそうたずねてキセルを吹かす。
「状況から察するに、動く人間を転倒させる力なんじゃないですか…ね?」
ハラルドはサーヤの顔色をうかがう。
「ふぅ~」という言葉でも発しているかのように煙を吐きながら、サーヤは薄く雲のたなびく空を見上げた。
「ずいぶんセコいミツカイだな…」
「えぇ…全くで…」
ハラルドはニコニコと微笑んでうなずいた。
口ではそう言うものの、サーヤは本当にそれが黒いミツカイの能力だと考えてはいなかった。
姿形を伝え聞く限りでは、東アジアか東欧の出身で、年齢はサーヤより上であろう。
だが、そんな事はどうでもよい。
最も大事なのは、その黒のミツカイの能力である。
黒から想像すると真っ先に影を思い浮かべる。
最初は、影を操って転ばせたのではないかとも考えた。
しかし、影が動くという事は人が動いたという事で、人が動けばそれに付いて影も動く。
転倒した婦人が身動き取れなくなったなら理解できようが、そうではなく、歩き出そうとして転んだと、偵察兵たちがハッキリ報告している。
身動きがとれないなら、当然転ぶ事も出来ない筈である。
そして、妙なのが靴が脱げたという点だ。
いったい何の力なのか。
黒のミツカイとはどういう戦いをするのか。
「面白い…」
サーヤは思わずつぶやいてニヤリと笑った。




