第七十五話 <後悔の道で>
山肌が露な荒涼とした山々の間を、獣道とも言えないような細い道が、途切れ途切れに通っている。
ここは世界の中心にある山地である。
その中央にそびえ立つひときわ大きな山が「山の王」と呼ばれている巨大で美しい火山である。
山の王は左右対照で、綺麗な三角形をしている。
頂上で七人の神が最初にミツカイ降ろしを行ったとされている伝説の山であるが、頂は雲に覆われており見えない日が多い。
その山の王がこれほど近くに見えるこの場所は、標高が高くて夏でも涼しいが、空気は薄く息苦しくさえ感じる。
今は春先であるにも関わらず冷たい風が吹き抜け、コートに手袋は欠かせない。
この道は各国の亡命者や捕虜脱走者、罪人等が通る、別名「後悔の道」と呼ばれる山道である。
だが、道などとは名ばかりで、獣道とも言い難い、ただただ自然にそういう風体に見えるだけの途切れ途切れの足の踏み場が通っているのみである。
たった二人の少女が、こういう場所を行く姿は珍しいかった。
彼女らの装備だけはそれなりだが、二人とも、その深緑色のコートも、背負い袋も、口元を覆うフードですら薄汚れていて小汚い。
これが少女だと分かるのは、強く吹き付ける風がコートの上からでも解るくらいに身体の線を露呈してしまっているからと、その歩き方である。
そのうち、後ろを歩いていた小さい方の少女が両膝から崩れ落ち、地面に両手をついた。
前を行く少女はすぐに気付いて駆け寄り、背負い袋から水筒を出して、倒れた少女を介抱している。
そんな様子を望遠鏡で覗いていた歯抜けの男が、嬉しそうに振り返って、
「お頭~!久しぶりの獲物ですぜ~」
と言ってニッと笑った。
望遠鏡を持つ彼の手の指は三本しかない。
「小さいな…」
麻袋に穴を開けて、すっぽりと頭からかぶったような服を着た男がそうつぶやいた。
無精髭が口の周りから頬から、うっそうと生えて汚ならしい。
そんな不潔な部分よりも特徴的なのが、左目の横から唇にかけてついている刀傷である。
唇は上下とも完全に切れていて、そのせいで彼は、縦口のジーゴと呼ばれている。
「武器も持っているみたいですが、どうしやす?」
三本指の男がたずねる。
「コチラは十人いる、それであんな小娘どもを脅せないなら、山賊は廃業した方がいいな」
そう言って大声で笑った。
つられて他の山賊達も笑うが、そんな騒ぎも、強風がかき消してしまう。
そしてすぐにジーゴは真面目な顔になった。
「このままじゃあヤツラのエサだ…生きてるうちに助けて差し上げよう、な?」
ニヤリと笑ったジーゴの口は、横だけでなく縦にも開いた。
荒い息のエーマの顔は青ざめていた。
雪は、彼女の背負い袋を下ろし、フードを脱いでエーマの口元に水筒を近付けた。
「しばらくここで休んで行こう…」
無表情に近い顔であるが、わずかに眉間に皺が寄っている。
「すいません…急がなければならないのに…」
エーマは乱れた呼吸の下から言葉を出す。
雪は頭を振って、
「そんな事はいい。私達は今、二人で一人の運命共同体だ。休む時は何も考えず、とにかく休め…」
と言って、エーマの頭の下に背負い袋を入れた。
その時である。
「お嬢様方、お困りですかな?!」
野太い大きな声が背後でした。
雪はピクリと頬を動かし、ゆっくりと振り返る。
そこには、馬にまたがった男達が十人ばかりいた。
皆一様にニヤニヤと笑っている。
男達が乗っている馬は、通常の軍馬などより背が低い。
しかしながら、脚が太くて頑丈そうな馬であった。
すっくと立ち上がった雪は、
「あぁ困っている、連れが疲れで倒れてな。その馬を一頭でもいいから売ってくれないか?」
と、堂々と言う。
まさか少女がそんな態度で出るとは思わず、少し面食らった様子の大きな刀傷のある顔の男は、
「いくらで買うのかね?」
と、その傷のある頬を撫でながらたずねる。
「金貨百枚でどうだ?」
無表情に雪が答える。
それに後ろの男達が口笛を吹く。
しかし、刀傷の男は両手のひらを上に向けて肩をすくめた。
「残念ながら、それじゃ足りないなぁ~」
雪は無表情のまま、
「なるほど…希望を聞こう…」
と言って刀傷を睨み付けた。
その迫力にたじろぎそうになる縦口のジーゴは、思わず眼をそらせて、
「…そ、そうだなぁ…」
と考えるふりをした。
そして、少しぎこちなく、
「その娘は帰してやる。だが、お前自身、それと有り金全部を頂こう。それでどうだ?」
と提案する。
「私が欲しいのか?」
雪は眉一つ動かさずに言い放つ。
今までのこの少女の様子にただならぬモノを感じてはいたジーゴだが、手下の手前、簡単には退くことができない。
「…そ、そうともさ。その寝ている小娘は器量が今一つだ。それに体も弱っている。それに比べてお前は器量も良いし金になる…」
「なるほどな…で、私を何処に売るのだ?」
「このまま真っ直ぐ二日ほど行ったら、ポード国に着く。そこに小さなルドラって町がある。そこで人買いに売るのさ」
少し刀傷のある頬をひきつらせながら、ジーゴがそう説明すると、雪は考える間もないほどあっさりとうなずいた。
「わかった。そこまで連れて行って私を売ればいい。その代わり、ルドラまではこの娘も一緒に行く。いいな?」
雪の迫力に、ジーゴはうなずくしかなかった。
雪は疲れて動けないエーマを馬の前に乗せ、その後ろに手綱を持って跨った。
そして、エーマの胸の辺りを、自分の胴体ごとまとめて紐で縛り、エーマの体が傾いて落ちない様にする。
背負い袋などの荷物は馬の背に乗せて、雪は背筋を伸ばして馬を駆った。
雪のような白い肌に、黒くて長い髪がなびく。
その姿に何人かの山賊は見惚れてしまっていた。
その後、エーマを馬に乗せる時や、馬に乗る時、一時下りて食事をとるとき等、何かにつけて山賊どもが手伝ってくれた。
お昼に粗末な食事と休憩を取っている時、縦口のジーゴが横に座って、「親はいるのか?」と雪にたずねた。
雪が、「あの娘にはいるが、私の親はこの世界にはいない」と答えると、「そうか…」と寂しそうな顔をした。
雪は顔にこそ出さなかったが、
この者達は本当に山賊なのかしらん?それとも田舎の山賊は皆親切なのかしらん?
と、考えていた。
夕方まで馬の上で過ごしたが、未だに山肌は荒く、大地は荒涼としていた。
しかし、少しづつではあるが、草の集まりをちらほら見かけるようになった。
ずっと吹いていた強い風は時折程度に収まっていたが、違いはその程度である。
先頭を行っていた男がふと馬を止めた。
素早く腰の望遠鏡を取り出し、左手の山の高い方を見る。
雪もゆっくりと手綱を引いて馬の歩みを止めた。
「さっきから動いていた、山影のあれか?」
雪はそっちを見ず、背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ前を見てそうたずねた。
それを見ていた縦口のジーゴは、「そうだ…」と嫌そうな顔で答えた。
「熊とかじゃないのか?」
雪は続けてたずねる。
「熊?あぁ…熊ならいいがな…熊は彼奴に食べられる方だ…」
そうこう話している内に、望遠鏡を覗いていた三つ指の男の顔が青ざめる。
「お頭…ヤツラだ!」
聞いた途端に縦口は叫んだ。
「全員走れ!ヤツラだ!」
そう言うが早いか馬の腹を蹴る。
全員の馬が嘶きを上げて駆け出す。
山賊達は次々と馬を駆った。
雪も平然と馬を走らせる。
長く伸びた馬の列に、隠れて近付く必要の無くなったヤツラが襲いかかろうと、山の斜面に姿を現した。
雪はそれを横目でチラッと見た。
紫色の肌、熊皮の腰巻きをした、体長二メートルは悠に有ろうかという巨体。
髪の毛は赤髪で、山羊の角が生えており、顔は山羊というより雄牛に近く、口からは怒った犬のように牙が露になっている。
脚は膝を曲げたような格好で、それでいて二メートルはあるのだから、それを伸ばすともっと背が高くなるのだろう。
ひょろっとしているが筋肉質で、長い腕に武器とおぼしき丸太のような棍棒を持って、それを引き摺っている。
「あれは何だ?!」
雪が叫ぶ。
縦口のジーゴが雪に振り返りながら、
「神の古い失敗作さ!」
と答えた。
「…ブーブーガー?」
雪はつぶやいた。
鳴き声からついたその名前の生物は、もう何百年も前に人間によって討伐が行われ、その生息域は極端に縮小し、今は伝説上の生き物である。
「私より、アレを捕らえて売れば金になるわよ!」
雪が文句の様にそう言うと、
「よせやい、こっちが食われちまう…」
とジーゴが返す。
そう言っている間に、怪物は岩場をピョンピョンと、大きく跳躍しながら近付き、山賊の馬の列に割り込んだ。
「速い…」
雪は思わずそうもらした。
かつて、人が十人が束になってかからないと一匹倒せないといわれた山羊のような、雄牛のような、悪魔のような怪物は、それだけに全ての身体能力が人間とは桁違いである。
山賊の列の後方の三名が、ヤツラ二匹に割り込まれて馬を止めた。
それを見た雪は、手綱を思いきり引いて、馬首を返す。
「何してる?!」
ジーゴは叫んだ。
反対を向いてブーブーガーに向かう雪に、山賊達は驚いた。
「あいつらはもうダメだ!引き返せ!」
そう叫ぶが、聞き入れる様子がない。
「くそう!」
思わず声が裏返りながら、ジーゴも馬首を返す。
そして首を後ろに向けて、
「お前たち!逃げたきゃ逃げろ!」
と叫んで雪を追った。
雪は、胸の前に頭があるエーマに向かって、
「エーマ、起きているか?!」
と叫ぶ。
「はい…」
とかろうじて答えるエーマに雪は、
「ならば紐を解く。手綱を握ってくれ…」
と命じた。
エーマは弱々しくも、慣れた手付きで手綱を握る。
それを確認した雪は、コートの中、背中をまさぐって少し長い鉄の棒を取り出した。
それには木製の取手と小さな鉄のレバーが着いていて、右手で取手を握り、レバーに指をかけ、左手でその鉄の真ん中辺りを持って、怪物に向かって突き出す。
怪物の内の一匹が、後ろから迫り来る馬の蹄の音に気付いて振り返った、その瞬間である。
パーン!
という銃声が響き渡り、山肌にこだました。
振り返った怪物は「ブ!ガー!」といううなり声を上げて後ろへ倒れる。
倒れた怪物の頭から、緑色の血が流れていた。
しかし、その銃の反動で雪は上半身が仰向き、馬の尻の上に寝転がるような格好になった。
そのまま転がるように落ちてしまったが、エーマが機転を利かせて馬の足を遅くしてくれた為に、幸い、それほど怪我もない。
急いで立ち上がった雪の前に、大きく跳躍して来たもう一匹のブーブーガーがうなり声を上げる。
怪物は両腕を振り上げていた。
見上げた雪は咄嗟に左の、山の斜面下へ跳び退いた。
ドン!
音と同時に地響き。
怪物が棍棒を降り下ろした場所は大穴が開いていた。
斜面を転がる雪の先に跳躍したブーブーガーは、腕を伸ばして獲物を捕まえようとしていた。
その腕に、プスプスと矢が刺さる。
怪物に矢を射ったのは、馬で駆け付けたジーゴとその手下であった。
「ブーガー!」
ヨダレを飛ばしながら怪物が咆哮する。
そしてグッと屈んだかと思うと、その瞬間、大きく飛び上がり、空中で棍棒を振り上げた。
ジーゴたちの傍まで飛んで棍棒を叩きつけようというのだろう。
空を飛ぶ怪物に矢を射るも当たらないし、第一刺さっても効いている感じがしない。
怪物が空に上がって下りて来ようというその刹那、奴は白い粉の様になって、パッと弾けて消え去った。
山賊達は何が起こったか分からず眼を見張った。
粉雪のように舞い散った怪物の後から、人の大きさ程はある棍棒だけが空から降って来て、ガランゴロンと音を立てて岩場を跳ね飛んで行く。
はらはらと雪が降り落ちるその向こうには、泥だらけのコートを来て肩で息をしている黒く長い髪の少女が立っていた。
「じ…嬢ちゃん…あんたはいったい…」
生唾を飲んでジーゴがたずねる。
そこへ、馬で駆け寄って来たエーマが答える。
「このお方はポード軍総司令官、銀のミツカイである雪様よ」
弱々しくもハッキリとしたその声を聞いて、山賊達は次々と馬から下りてヘナヘナとその場へしゃがみ込んだ。
「あの…雪よりも冷たいといわれる…雪…様…」
「後ろの三人は無事か?!」
叫ぶ雪に、エーマが答える。
「全員無事です」
それを聞いて安堵したのか、雪は深いため息をついた。
そして、馬で雪の傍まで近付くエーマに、
「正体を言ってしまったのか…」
と、少し口惜しそうに言う。
エーマは少し納得がいかない様な顔で、
「何か不都合でも?」
と、馬に上がる雪にたずねる。
エーマの後ろにぴったりくっつくように乗った雪は、
「私にいくらの値段が付くのか、試してみたかったのだ…」
とつぶやいた。
エーマも雪も互いの顔は見えなかったが、お互いに微笑んでいる事を悟りながら、馬をゆっくりと歩ませ、地べたにへたり込む山賊達に近付く。
そして、雪は馬上から縦口のジーゴへたずねた。
「一つ聞きたい、何故親がいるかどうかたずねた?」
青ざめてすっかり毒気を抜かれた様な山賊達は、雪を見上げた。
泥だらけではあるが、透き通るような白い肌。
それに黒くて長い髪が強い風にたなびく。
濃い深緑のコートの前がはだけて、細かい模様が彫られた銀色に輝く鎧が見える。
山賊達はまるで女神を見るかのような眼で雪を見上げていた。
風が吹き抜けるまで、山賊達は無言であった。
風が治まり、ようやくジーゴが口を開く。
「オレにもいろいろありまして…親がいるのなら、人買いに売るのは辞めようと…」
雪は少し眉を寄せて、「賊が情けをかけるのか?」とたずねた。
「オレたちは山賊ですが…人を殺める事などついぞありません…何せ、人は商品ですから…」
冷や汗をかきながらそう言うジーゴを見下ろす雪は、ふっと笑ってから、
「すまない、さっきは助かった…これはその礼金と、馬の代金だ」
そう礼を言うと、金貨の入った小袋をジーゴの前に落とし、「後悔の道」を下り始めた。
風はときどき強く吹いて、雪の髪はなびく。
山賊達は、その雪の香りを風が運んで来るようで、しばらくの間、去っていく雪の後姿をぼうっと見守っていた。




