第七十二話 <葬儀の前にする事>
胴回りは成人の男三人分はあろうかという巨体で、革のサンダルを踏み鳴らしながら、黒い服を来た女が両開きの朱色の扉に両手をついた。
「ふんっ!」と鼻息を吐いて大女が踏ん張ると、重々しい音を立てて朱色の扉が開く。
その向こうには、赤い絨毯の一本道が出来ており、その両脇には何百という兵達がぎっしり詰め込んだように整列していた。
兵士達はみな両脇にうなだれて整列しており、赤い絨毯の道が、まるで低木林の中を真っ直ぐ走る一本道のようだ。
その道の先には階段のような段差が八段あり、階段の上は舞台のようなっていて、何本もの太い朱色の柱が支える施政殿といわれる建物がある。
普段はこの中にクワイ国の国主クワイがいて、国の主要な人物に面会したり、政事的な意志を表明したりする。
だがこの時は、施政殿の前の階段の上に、女神クワイが立って兵士達を見下ろしていた。
女神の左右、一段低い場所に、このクワイ国の首都ベインに駐留している師団長、政を司る大臣達が並ぶ。
その二段ばかり下に、各隊長達がコチラを向いて並ぶ。
女神クワイがこうして外へ顔を見せる時は、いつも単色で花柄のドレスを着て、その上に美しい色とりどりの薄衣を数枚羽織って軽く帯を巻いたり、羽織っているだけで裾で床を擦ったりしていて、艶やかで華やかであるのだが、今日はがらりと雰囲気がちがう。
髪の毛はいつも通り、長い黒髪を後頭部でまとめ上げるスタイルであるが、いつもは頭頂に飾り物のヘアバンドやかんざしがきらびやかに光っているのだが、この時はシンプルな白色の櫛が載っているだけであった。
白一色の柄のない着物を内側に、外側は黒一色の薄手のモノを羽織っているだけで、飾り気など全くなく、鎮痛な面持ちで兵士達を見下ろしていた。
そんな静かな中、赤い絨毯を騒々しく足を踏み鳴らし、巨体を揺らして歩く女に、兵士達は順々に振り返った。
大女の束ねている金髪は乱れ、白い肌は紅潮している。
「…ミラ、どうしたのですか?」
その女にクワイが問う。
女神の表情は少し困ったような色を帯びていた。
「ジルが死んだ、その理由をお聞きになられましたか?」
凛とした、しかし大きな声で、ミラという大女が叫ぶように言う。
それに女神は頭を縦に振りながら、
「…えぇ…。とても悲しい事です…」
と答えた。
「では、失礼して…」
と断ると、ミラは階段を上がり、女神クワイの正面一段下でクルリと振り返った。
そして、うなだれる兵達をギロリと睨み付け息を吸い込み、
「軍師ガンリョとテムは前へ出ろ!」
と怒鳴った。
元々二人は兵士達の先頭に居た。
隊長の身分なのだが、敗戦者として遠慮して一番下に下がって沈黙していたのだ。
そう言われてミラの正面、赤い絨毯の道に歩み出て、階段の一番下の段を上った。
二人を鋭い目付きで睨み、ミラは大声で言う。
「お前達の愚策でジルは死んだ!敵の砦内に侵入し、単独で行動させるなど…いったい誰の進言か!」
テムは黙って歯を食いしばってうつ向いた。
それで、ガンリョは階段を一つ上がった。
「私です!」
静まり返った施政殿の中にまで通るようなハッキリとした声であった。
「発案、進言したのは貴様か!」
ミラの怒鳴るような問いかけに、ガンリョは毅然に答える。
「はい!反対するテムを説き伏せ、ジル様をそそのかしたのは私です…」
ガンリョの目にはうっすら涙が貯まっていた。
刹那、ミラは階段を数段一気に飛び下り、ガンリョの頬を思いきりビンタした。
そのまま後方へ吹き飛ぶガンリョは、階段下の赤い絨毯に背中から叩き付けられる。
首の骨が折れたのではと心配になるほどの吹き飛び方であった。
「失策に於ては、それを採用した司令官の責任である!罰する法はない。だが、それにせよ今の一発はクワイ国民の総意である!」
ミラの声だけが施政殿前の広場に響いた。
テムが命令して動かないガンリョを兵士達に運び出させる。
「お邪魔しました。クワイ様、どうぞ…」
と、ミラが恭しく礼をして退くものの、女神は少し困った顔をしていた。
肩までの長さの黒髪の少女は、馬に上下に揺られながら、細かく積まれたレンガのトンネルを抜ける。
朝の斜めの陽射しが届かなくなった頃、トンネルの壁が緑色に変化する。
このレンガの壁の外側覆っている蔦が、ここまでその手を伸ばしてきているのである。
デキャルトの町の外壁は、その覆う蔦のせいで、「緑の壁」と呼ばれクワイ軍から恐れられていた。
内側に住むフラン国民にとっては、その蔦を操る緑のミツカイに何度助けられ、安全を保証されてきた事か、事例は枚挙に暇がない。
しかし、その護り手は最早いない。
フラン国の西端は情勢不安に陥り、住民達は恐慌し、パニックになっても不思議ではないが、そんな様子はまるでない。
それは、ここに白金のミツカイが居るからである、と隊長達が言う。
しかし、ヒーナはそれを心地よくも、面白いとも感じられないでいた。
寝る前には、あの満点の星空と共に、不意討ちのような形で殺されたレーリンの顔が思い浮かび、思わず涙が流れてしまう。
また、食事をすると、ケチャップパスタで口の回りを真っ赤に染めたレーリンの笑顔が思い出され、涙や鼻水が溢れそうになり、味わって食べる事など出来ないでいた。
それでも、あと二週間後までにレーリンの国葬の準備の為にプリスへ帰らないといけないこの時期に、第八師団を率いてデキャントの町を出撃するのは、後顧の憂いを絶つ為である。
「考え過ぎじゃないですかい?」
と白波のロウは言うが、ヒーナは真剣な顔で、
「まだあの軍師が生きています。ジルを敵陣に放り込み、単独で暗殺をさせるような、とんでもない発想をする軍師です…この空白の時期に必ず何かをするハズです…」
と答える。
今回の作戦は単純にクワイ軍をチチェンから出さない為の一手であった。
「ガンリョ様、起きて下さい!ガンリョ様!」
ふらつきながら歩み寄る伝令兵に耳元で騒がれ、目を瞑ったまま不機嫌そうに、
「聞こえてるぞ」
と答えたガンリョは、上半身を起こすでも、目を開けるでもなく、両脇を頭の後ろで枕がわりにし、足を組んで寝そべったままであった。
その場所は屋根の上。
ガンリョはチチェンのほぼ中央に位置するクワイ軍の五階建ての事務棟、その執務室の窓から出て、突き出ている四階の屋根の上で日向ぼっこしていたのであった。
「では、注進致します。フラン軍第八師団とおぼしき一団がこちらに進軍中とのことです!」
伝令兵の報告に、ガンリョは思わず体を起こした。
「なにぃ!…」
そう叫び、口惜しそうに、
「遅かったか…」
とつぶやく。
「遅い?いえ、敵軍の到着は明日の昼頃かと…」
伝令兵は恐縮した。
「そうじゃない、敵は早い。遅いのはコチラだ…」
ガンリョはそう言ってから、また屋根の上に寝転がった。
そして、
「テムはどうしている?」
とたずねた。
「テム様にも今伝令が届いているかと…ガンリョ様を探すのに少々手間取りまして…」
それで方目を開けたガンリョは、伝令兵をギョロリと睨んでから、フッと笑った。
「テムに任せる、最悪チチェンが落ちなければ何をしてもいい、と伝えろ」
ガンリョの言葉に、「は?」と間抜けな声を出した伝令兵を構いもせず、元軍師はそのまま空を見て目を閉じた。
「あの…ガンリョ様は指揮なさらないので?」
伝令兵が至極当然の事をたずねた。
ガンリョはジルと長年行動を共にしてきた軍師であったにも関わらず、ジルの国葬に出席する事すら許されなかったのである。
しかし、その代わりと云わんばかりに、ガンリョは軍師という身分から、消滅した第四軍団の長という出世を遂げて、チチェンの守備隊として赴任したのであった。
テムも同じく第四軍団の軍師として派遣されていた。
伝令兵の言う通り、フラン国の第八師団が攻めて来たのであれば、軍団長自らが指揮を採らないのは何故なのか、納得がいかない。
「俺は療養中だ、首が痛む…そうテムに言えば分かってくれるさ」
納得がいかないながらも、伝令兵は屋根の上をおぼつかない足取りで窓の方へ歩いて行った。
「あ、そうそう…」
と、ガンリョはその背中に声をかける。
「テムもわかっていると思うが、門の周りから兵士をのけておいてね、っと言っておいて。言えば分かるだろうから」
そう言ってガンリョは手のひらをヒラヒラと振って、また眠りについた。
フラン軍第八師団がチチェンに到着したのはその翌日。
昨日と同じく、時折突風が吹くものの、春先の陽射しが柔らかい、暖かで穏やかな日であった。




