第七十一話 <悲悲哀哀>
エリーゼがネストの町を占領し、いろいろな処理を済ませ、ポード国の首都ロンドを目指して出発する頃は、緑のミツカイを失う直前であった。
エリーゼはまだその事を知らず、ネストの町の陥落に予想以上の時間がかかった事を考慮して、第八師団を援軍として東方戦線に送ってくれるように、レーリンに手紙を書いている。
一方、同じ東方戦線にあたる第七師団は、蒸気船の圧倒的な力で沿岸部の制海権を手に入れていた。
だが、不慣れな海戦のせいで、五隻の蒸気船の内、一隻が沈み、もう一隻が大破、勝利後に手に入れた港町ジブラまで曳航しなければ動けない、という損害を受けていた。
それでもエリーゼの東侵に同調し、三隻の蒸気船は威勢よく煙を上げて、ロンドの東南東に位置する港町セゲロを目指した。
しかし、対するポード国は私掠船や海賊船まで刈り出しての大船団でこれに抵抗した。
蒸気船の足を活かしてこれを突っ切る事もできたのだが、後方に憂いを残す事を嫌い、侵攻出来ずに睨み合っていた。
「ここに来て抵抗が激しいな…」
エリーゼは、青トンボの伝令兵からの報告に、不満そうに腕を組んで露天に置いた椅子に座る。
一万を少し下回る程の軍勢を率いてネストを出発し、ちょうど三日が経っていた。
「セゲロ港を手に入れられないと、蒸気船団はジブラの港に足止めですな…」
第一師団の近衛隊長リオルがそう言いながら不快な顔をした。
「既にサンパレイユ号は撃沈、ドーファン号は修理中です…。例え蒸気船と言えど武器は同じ。三隻で大小五十余りの船の相手はキツいでしょう…」
そう言いながらコーヒーをすするのは、第一師団副長のブリュノである。
第一師団には隊長にブリュノという人物がもう一人いる。
副長の方のブリュノは体格も大きくなく、軽装で二本の短剣を使って素早く敵を仕留めるのを得意とするが、隊長の方のブリュノは背が高くて筋骨逞しい。戦場では大鉈を振り回して暴れ回る。
故に副長のブリュノを小ブリュノ、隊長のブリュノを大ブリュノと呼んで区別している。
「海上で言えば悪いとこばかりではないわよ…」
とエリーゼ。
「バート国からの亡命者の中に、効果的な火薬の調合を知る者が居たの。リーエンはそれで銃という新兵器を作ったそうで、その技術者は、さらに発展させた大砲というモノをもたらしたわ。それを修理中のドーファンに積み込む予定よ…」
「大砲…とは?」
皆が一様に首をひねった。
「火薬の力で大きな鉄の弾を発射するのよ。それがぶつかった相手の船はどうなる?」
エリーゼはそう問いかけてカップを傾けた。
少し暖かくなった風が草原を吹き抜け、少女の少し荒れ気味の長い金髪を流す。
「投石機で大きな石を投げるのと何が変わるのですか?」
大ブリュノが問う。
「威力が違うのよ。発射された鉄の弾は、真っ赤に燃えながら真っ直ぐ飛んで行き、厚さ数メートルの石壁に丸い穴を開ける。木の船なんて…」
隊長達は船の運命を想像して、生唾を飲んだ。
「まるでヒーナ様の白金の力のような…」
アノルドという衛生隊長がつぶやく。
エリーゼの師団では衛生兵は特別な意味を持つ。
白に赤十字の軽装で戦場を往来する彼らは、負傷兵をエリーゼの元へ運ぶのであるが、助からないと判断した兵士はその場に捨て置く事も多い。
しかし、連れて行かれれば確実に元気になって戦場に戻って来る。
故に兵士達は彼らを審判の天使と呼ぶ。
それを聞いて、フフッと笑ったエリーゼは、
「あの娘の力ほど強力じゃないわ。それに扱いも大変だし…だけど、やり方次第では、あの娘の力に匹敵する事が出来るはずよ…」
と言う。
それはつまり、全部隊が白金の力に近いものを手に入れる事になる。
隊長達の眼が輝いた。
「蒸気船の装備にしか出来ぬのですか?」
小ブリュノがたずねた。
エリーゼは少し暗い顔で、頭を振った。
「車輪を付ければ陸戦での使用が可能よ。でも…運用が難しい上に、敵に奪われればコチラがその砲撃を受ける事になるわ…」
それで、第一師団の隊長たちは腕組みをして「うーん」と唸ったが、隊長の一人、ジョセフという血気溢れる青年だけは目を輝かせ嬉しそうにしていた。
エリーゼはそれを見て少し考え事をしてから、
「とにかく…」
と話を続けた。
「大砲が実践配備されるまで、しばらくはこの装備で戦わねばなりません。今の戦法を続けます。負傷者は優先的に後方へ下げ、私の治療を受けます。衛生兵は負傷者に優先度を付けて私へ引き渡して下さい…わかりましたね」
エリーゼは東へ進行を続け、翌日、エミュエルと湖の南東の湖岸でポード軍五千と対峙した。
シュルベルの砦を近衛隊長マルクに任せたヒーナは、デキャルトの町まで退いた。
第二師団は第八師団の指揮下に入り、副長であったアベルがまとめていたが、やはり喪失感が強いのか、誰もが浮かない顔をしていた。
それはマルクも同じであったのだが、第八師団の近衛隊長になっている以上、悲しみを露に出来ないでいるようで、気丈には振る舞うのであるが、時々ぼぅっとしていることが多かった。
だから、デキャルトに一緒に戻さず、レーリンを失なった場所に置いておく事にしたのだ。
砦に残ったマルク率いる二千の兵士の中には、レーリンの近衛兵達もいた。
彼らは近衛兵でありながらレーリンを守れなかった事を憂い、自ら志願して砦に残ったのである。
季節は春へと移り、だいぶ寒さも和らぎ過ごし易くなった。
泉の周りにはツクシが顔を出し、気の早いタンポポが黄色く開いていた。
野生の薔薇の茂みに一輪、ピンク色の見事な花が咲いている。
「あれは…レーリン様のようだな…」
砦の石垣の上で、レーリンの近衛隊に配属されていたウィルズが、泉の傍の茂みを見つめてそう言った。
同じ近衛隊の兵士であったエリックも、その時同じ石垣の上で見張りをしていた。
エリックはウィルズの顔を見て、
「審判の天使に置いて行かれたような顔をしやがって…」
と、つぶやいた。
そして、
「レーリン様は緑のミツカイだ。咲くのなら緑の花じゃないか?」
と声をかけた。
「いや、そうでもない…」
ふと背後から声がして、振り返ると、そこには近衛隊長のマルクが立っていた。
エリック、ウィルズの二人は慌てて背筋を伸ばし、直立の姿勢になる。
「レーリン様は薄紅色の薔薇の花のような存在だった…」
二人の前を通って石垣から泉の傍らに咲く薔薇を眺め、
「…確かに、レーリン様のようだな…」
とぶやいて、顔だけをウィルズに向けた。
ウィルズは意を決して息を吸い込み、口を開いた。
「自分は、マルク様と交換で第二師団に着任したのです。それなのに…レーリン様を守る事が出来なかった…」
ウィルズは腕が細かく震えるほど強く拳を握っていたのだが、それを見る間も無く、三人は一様に目を伏せた。
ウィルズは続ける。
「自分は職務を全う出来ませんでした。これではどう…」
そこでマルクは右手を上げ、ウィルズに手のひらを見せて制止した。
「全てはミツカイ様同士で起こった事。我々がどうこう出来る事ではなかった…」
常に微笑んでいるような顔の彼は、そうでありながらも深い悲しみを漂わせていた。
「…それに…レーリン様はこの後も長くこの世界に留まれるお身体ではなかった。少しだけお帰りになるのが早まっただけ…それを受け入れられないなら、我等が準備不足であったのだし、危機感もなかったのだ。戦でもっとひどい目に合った幼子に笑われるだろう…」
とは言うものの言葉とは裏腹に、マルク自身がこの悲しみを受け入れられている様子はない。
そんな二人の間に割って入り、エリックが恐る恐るきいた。
「…クワイ軍は、また襲ってきますか?」
そんなエリックを見て、元々下がっていた目尻をもう少し下げたマルクは、
「向こうの方が損害が大きい…少なくとも年が明けるまでは襲っては来まい…」
と返した。
三人は首を左に向けて西の彼方を見つめる。
あの地平線の彼方はクワイ国である。
過日、このシュルベルを内部から攻め、指揮官である炎のジルを失った。
南門はジルと同じくして侵入した工作部隊が内側から開けたものの、南門外に待機していたクワイ軍が、そこから流れ込む所を白金の濁流で押し流されて、撤退した。
バート国を討ち滅ぼしたクワイ軍であったが、その時に四人いたミツカイの内の二人を失った。
クワイ国に降ろされるミツカイは、その昔からずっと、炎のミツカイが一人は存在して国を護っている。
クワイ国で残った二人のミツカイの内、クワイ国の象徴ともいえる伝説の炎のミツカイを失った事が、シュルベル砦奪還戦から撤退した大きな要因であろう。
「残った一人のミツカイが復讐に来るかも?」
エリックがぼそっとつぶやいた。
「さぁな…残りは茶色のミツカイ…だっけか?」
ウィルズが返す。
「目の前に岩を出す力があるミツカイ様だ…こちらの矢など通用しないぞ?」
マルクは目尻が下がっていながらも眉を寄せて眉間にしわを作った。
石垣の上に立ち尽くす三人に、少し暖かくなった春先の風が吹き抜け、髪とマントを乱して去って行った。
ウィルズは穏やかな青空を見上げてつぶやいた。
「…もぅ春になるんだなぁ…」




