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白金少女の物語  作者: 北野紅梅
第五章 快晴
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第六十三話 <錯誤の決断>

西向きの窓からは朝日が差し込むわけではない。

だが、空が白み外が明るくなれば自(おの)ずと目が覚める。

もう朝の空気は少し肌寒くはあるが、凍えるほど冷たくはない。

ベッドの上で身体を起こして目をこすっていると、静かに扉が開き、水を張ったボウルを持ってジュリアが入って来た。

半分しか開いてない目で給仕見習いの少女へ「おはよう」と挨拶をし、そのボウルの水で顔を洗い、口を漱(すす)いで身支度をする。


その間に部屋の真ん中に置かれているテーブルに朝食がセットされる。

真っ白なテーブルクロスの上にライ麦のパンとジャガイモのポタージュスープが湯気を上げて乗っている。

ライ麦のパンは、隣のスープのボウルくらいの大きな丸いパンである。


質素に見えるが、このパンは丸々一つは朝食だけでは食べきれない量だ。

食べ残りをそのまま腰からぶら下げる袋に入れる。

戦場では、いつ食事をとれるか分からないので、こうやって腰からぶら下げる袋にパンや干し肉などを入れておき、前線を交代した休憩時に、または戦場から戦場への移動時に、少しづつ食べて腹を満たすのである。


ヒーナが粛々と食事を終えてオレンジジュースを飲もうとすると、ドアを軽やかにノックして緑のミツカイが入って来た。


「おはよう」

笑顔でそう言うと、ヒーナの向かいの席に座る。


ヒーナも挨拶をして、テーブルクロスで口を拭いてから、「何か急ぎのご用ですか?」ときいた。


レーリンは、微笑んで言う。

「急ぎの用がなければ来てはいけない?」


「いえ、そういう訳では…」

少し困った顔でそう答えるヒーナに、レーリンはフフフと笑って、「冗談よ」と言ってから、

「敵はまだ門の前に陣取ってるわよ、知ってて?」

ときいた。


ヒーナはうなずいた。

「三千と数百くらいの兵士ですよね…早く撤退して欲しいのですが…」


レーリンは首を横に振った。

「奴らの目的はこの砦。シュルベルの地は手放さないつもりよ。でも、こちらは七千程はいる。まず、数で圧倒してるわ」


ヒーナはそこで提案する。

「討って出ろ、と?」


レーリンはうなずきながら言う。

「普通はそうして蹴散らすわよ。相手は恐らく、何か帰れない理由があるのよ。心の奥底では帰りたいけれど、メンツや意地を張って帰れない…。だから今仕掛けたらきっと全滅するまで戦うでしょうね…」


ヒーナは少し考えて、「何か相手の心を折る作戦がある、と?」とたずねる。


レーリンも少し考えて、

「それを相談しに来たのよ、帰る理由を与えてあげれば帰れるでしょ」

と微笑んだ。

そして、

「例えば…そうね、休戦協定を結ぶ、とか…」

と、茶色い頬に人差し指を当てて言う。


ヒーナもうーんとうなりながら腕を組んだ。

「後方に不安があれば引き返すかと…」


「例えば?」


「チチェンの町を襲う…っていうのはどうです?」

ヒーナはただの机上の空論を言った。

確かに、後方の拠点が攻撃されれば、後退するだろう。

しかし、目の前の部隊がシュルベル砦を出撃する一軍を素通りさせてくれるのか疑問である。


「それなら、そういう偽の報告をさせるだけでいいわね…」

レーリンはニヤリと笑った。


一方、ヒーナはまだ腕を組んでうんうんうなっていた。

「しかし…伝令兵に変装したとしても、自分の伝令兵の顔くらいは覚えているでしょうし…となれば、どうやって敵の伝令兵に嘘の報告をさせますか?」


レーリンも、腕と足を組んでうなった。

「さらに厄介な事に、この砦は長くクワイ軍に支配されていたから、住民の中にクワイ軍のスパイが居ると思っていいわ。だから、ここの村人に知れるような行動をとれば、必ずクワイ軍へ密告されるのよねぇ…」


「つまり、秘密裏に行動しても、砦の中の事は敵軍に筒抜け、と?」

ヒーナが眉を寄せてきく。

レーリンが細かくうなずいた。

「そうなのよ。もう少し時間があれば、スパイも割り出せるし、恐らくこの砦にあるっていう秘密の抜け道も見付ける事が出来るのでしょうけどねぇ…」


激しい戦闘中でなければ、北の通用門から村人が出入りする。

この門は泉の湿地帯に繋がっている為に、戦闘ではまず使われない。

衛兵が出入りを検査するが、村人かどうかだけのチェックしかしないので、実際、外に出て中の様子を誰かに語られていても分からない。

さらに、この砦には隠し通路があって、砦の門を全て閉鎖している状態であっても、出入りできる抜け穴があるという噂がある。

真実の程は定かでないが、そんなトンネルをクワイ軍が作っていたとしてもおかしくはない。


レーリンは頬に人差し指を当てながら言う。

「そういえば、クワイ軍の後詰めはチチェンの町にいたわね…確か、一万程…」


ヒーナは驚いた。

「え?!そんなに…。では、その部隊は援軍に来る可能性が大きいですね…。いや、もう出てるかも知れませんね…」


レーリンはうなずいて言った。

「でも、一万の内半分はすでに消え去っているわ。問題はその後詰めの指揮官があの炎のジルというミツカイだという事です」


「ジル…」

ヒーナは思い出した、自分が左手を斬り飛ばした少女の姿を。


その時、ソフィアがジャガイモのスープを持ってきてレーリンの前に置いたのだが、「ごめんなさい、もう食事は済ませたのよ」と言って辞退した。

代わりに、ジュリアが紅茶を持ってくる。

幼い少女に短く礼を言ったレーリンは、紅茶のカップを傾けながら、

「ジルを二度も撃退したのよね?」

ときいた。


ヒーナは少し暗い顔で、

「あの頃の私は無我夢中でしたから…」

と答えた。


レーリンは紅茶をすすって微笑む。

「勝てる時というのはそういうものよ」

そして、真顔になってため息をついた。

「さて、囲みもしないで玄関先に居座るクワイ軍を、どうやって帰らせましょうか…」


二人きりの会議はもう少し長く続いた。




グロウはテントの中で不機嫌そうに、昼食である骨付きの肉にかじりついた。

歯形の残った肉はプルンと揺れて骨に残る。

グロウはそれを仇の様に見つめながらもう一度食らい付こうと口の中の肉を噛み砕いて飲み込む。

ゴキュンと咽が鳴ったその時だった。


伝令兵長が神妙な顔でテントへ入って来た。

「副将様…フラン軍に妙な動きが…」


「ん~?」と、グロウは咽から声を出した。


伝令兵長は食べているグロウの傍まで歩み寄った。

「じつは今朝、ヒーナ直々の号令で、砦に残されたクワイ軍の武器防具が集められたのです。そして三千ほどの兵士がそれを装備して、東門から出て行ったと…」


グロウ副将は少しいぶかしげに眉を寄せ、「ん~?」と咽を鳴らした後、

「我が軍の装備を本国へ運ぶ…としても、わざわざ着る必要はないな…」

と、うなった。


伝令兵長も不思議そうな顔をしながら言う。

「数千も減らしては砦の守備が疎(おろそ)かになります。第一デキャルトの町に退く必要はないかと…」


グロウはそれを聞いて、肉の付いた骨を降りながら、

「東は本国だ。つまりその先…フランの東側、ポード国方面が危ういのかもな…」

とつぶやく。


伝令兵長はうなずいた。

「それに、敵軍には妙な噂も流れているそうです。後詰のジルが援軍を出さない。だからこの砦の守りは二千もいればいいだろう、というのです…しかし、実際に残った兵力は四千ほど、数字があいません…」


うーん、とうなるグロウは肉をかじる。

「相手はあのポード国一の策士といわれる雪を破った小娘だ。何か小賢しい事を考えているのだろう…どうせ何かしようというのなら、早く攻撃してくればいいものを…まどろっこしい奴らだ!」


そうぼやきながら肉を噛んでいるところへ、後詰めの軍に伝令させた兵士が戻って来た。

「ご注進!グロウ様、何とか援軍を寄越してもらえそうです。数は四千、これで対等に戦えましょう」


グロウはその知らせに満足そうな顔をする事がなく、鼻の頭にシワを作った。

「貴様、嘘ではなかろうな?!」


朗報をもたらしたのに怒鳴られた伝令兵は、少し萎縮しながらも、

「直接ジル様から聞きました。間違いありません…」

と答えた。


結局、この日は陽が落ちるまで両陣営に何の動きもなく、一夜明けた。

昼頃になってまたグロウの元に伝令兵長がやって来る。


その伝令兵長はまた腑に落ちないという顔をしていた。

「南のシュエットの森辺りで朝早く、我が軍の旗が立ったという情報があります…」


テントの中で食事を終え、お茶をすすっていた将軍グロウは、茶碗を上げた状態のまま固まり、伝令兵長へ視線だけ向けて、「ん~?」と咽の奥から声を出した。


伝令兵長は続ける。

「我が軍の援軍が来たという事ではないでしょう…なにしろ、その旗が立ったのは一瞬、ほんの少しの時間だけだったようで、それを見た者も、最初は見間違いか錯覚かと思ったようですが、その後、二度ほど旗が立ったようです…」


伝令兵はなおも続ける。

「しかも、昨晩遅く、東門から三千の兵が帰ってきたそうです。しかも、その三千はクワイ軍の装備をしておらず、フラン軍の鎧、軍旗を持っていたとか…」


グロウは何かを思い付いた様な顔をした。

「わかったぞ!」

椅子を撥ね飛ばして立ち上がると、そう叫んでイヤらしい笑みを浮かべた。

「奴ら、三千で我が軍の後方から援軍を装って近付き、同時に砦から討って出て挟撃するつもりだ!」


伝令兵長も明るい顔になって、「なるほど!」と声を上げた。

「さすがグロウ将軍!」


グロウはヒゲ面を歪めて得意気に語る。

「クワイ軍の格好をして東から出た三千は、鎧を脱いで帰って来たのではない。シュルベルに戻って来たのはデキャルトなどから駆り出した部隊よ。偽クワイ軍の奴等は南に回り、迂回して我等を背後へ出るつもりだ。援軍の偽報を与えれば、後ろから来るのは自軍だと安心している。そのマヌケを背後から襲おうというのであろう。それが証拠に南の森で軍旗が数回上がった。それは、長い棒を持って森を通ろうというのだ。旗を下げていてはどうしても通れない所があったのであろう…」


伝令兵もニヤりと微笑む。

「砦の兵士はその時討って出るんですね…それで合わせて五千で、砦の中は二千でいいと…」


グロウは大笑いした。

「確かに、よく考えた案だ。我々を逃さず、しかも最小の被害で済むようになっている。しかし、いかんせん小娘。よもや砦の中の様子が筒抜けだとは思うまい!」


伝令兵長はうんうんとうなずきながら、

「しかし、ならばどう対応なさいますか?」

ときいた。


グロウ将軍はニヤリと微笑んで、

「簡単な事よ、背後から来る援軍に似せたフラン兵どもに突撃して蹴散らし、そのままチチェンまで退却する!…敵はさぞかし驚くだろうて」

と言い、大声で笑った。


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