第六十一話 <経験の違い>
シュルベル砦の攻防戦で、クワイ軍に大きな被害を与えたフラン軍は次のような作戦をとった。
第八師団を緑のミツカイ、レーリンが率いて退却しつつ、豆を蒔いていた場所までクワイ軍をおびき寄せてその緑の力で足止めをする。
そして、第二師団を白金のミツカイ、ヒーナが率いて、罠にかかって動けないクワイ兵を、その力で掃討するというものである。
その後、力を使い果たした二人のミツカイは指揮、ましては戦闘などできないであろうから、砦まで退いてこもるという段取りであった。
砦の西門をくぐったウィルズは、肩で息をしながら、同じようにレーリンを護衛してきた若い近衛兵に、「なぁ」と声をかけた。
「その頭、貸してくれないか?」
その若い近衛兵は驚きながら、
「お前、その怪我で何するつもりだ?」
と聞き返す。
「有志でもう一戦やってくるんだ」
ウィルズは左手で頭の血を拭きながら答えた。
若い近衛兵は呆れた顔で、
「そんな状態で行けるものか」
と言う。
ウィルズは答えもせず、右肩を左手で何度か確かめるようにさわると、砦の石垣にもたれてから、上半身を屈める。
そして、勢いよく起き上がり、肩を石垣に、したたかに叩き付けた。
痛みに呻き声を上げ、苦痛に顔を歪める。
「おい…何してるんだ?」
呆れた顔から心配な表情に変えて、近衛兵がウィルズに近寄る。
ウィルズは苦痛に歪めた顔から少し微笑んで、
「肩が抜けてただけだ。骨は折れてないし、右腕はもう大丈夫」
そう言いながら右腕を回す。
そして、「じゃあ借りてくぞ」と、若い近衛兵の兜を取った。
近衛兵の、赤い鬣が付いた銀色に光る兜を小脇に抱えたウィルズは、キョロキョロと辺りを見渡し、水瓶を見つけて水を飲む。
「おい、待てよ!お前も行くなら俺も行く!」
そう言って、近くの近衛兵を見つけて赤い鬣の兜をを奪った若い近衛兵は、ウィルズに着いて行って二人で門から中に入る兵達に、「もう一戦しようという猛者はいないか?!」と有志を募った。
やられっぱなしだった上に美味しいところを白金のミツカイに奪われ、なんとなくいい気がしない兵達がその声を聞いて参加する。
「おい、誰の許可を得て出撃するんだ!」
ウィルズにそうきいたのはハゲ頭にバンダナのように赤い布を巻いている快活な初老の男であった。
「白波のオヤジか…」
ウィルズはつぶやいた。
「どうも、第二師団近衛隊のエリックです。こっちは第八師団近衛隊で、今は第二師団近衛隊客将のウィルズ…」
若い近衛兵が自己紹介をしていると、そのハゲ頭は馬を下りてウィルズに近付きながら、
「知ってるさ、その死に損ないの事はな…」
と言って微笑んだ。
「この場の指揮は、ヤード副長か近衛隊長のマルク殿が預かる筈だ。第二師団の面々が間もなくヒーナ様を連れて戻る、そしたら籠城だぞ?」
ウィルズは目深に兜を下げて言う。
「分かってるさ、それまで追撃してくる敵軍を防ぐんだ…」
ふんと鼻で笑ったロウは少し考えて、「何人欲しい?」と聞いた。
エリックが明るい顔になって、
「何人でも!」
と答える。
その足を蹴ったウィルズは、
「百や二百で十分だ」
と答える。
ふーんとうなってから、怪しいものを値踏みするような目でウィルズを見つめたまま、
「ローグ!」
と、叫ぶ。
すると、鋭い眼つきの少年がだらだらと歩いてやって来る。
その少年が、「何だよタコ親父…」と、何か文句を言おうとするが、ロウはそれをまったく聞かずに、
「若いの中心に百ほど連れて、この近衛隊の指揮下に入れ」
と命令した。
「また出るのかよ?」
と、きくローグの言葉に、ロウは答える代わりに、早く行けと言わんばかりに手を何回も振った。
面倒臭そうな顔をしてローグは自分の部隊に声をかけ始める。
「ウィルズ…俺も若い頃は何かというと無茶をした。だが、こればかりは親の頼みとしてきいてほしいのだが…」
と、ロウは真剣な顔をして近衛隊の少年に話しかけた。
「この砦までアイツは生きて帰ってきた。だがまた死地に出すことになる。どうか、無意味に命を投げ出すような命令だけはしないでやってくれ…」
ウィルズはその、低くて懇願するような声に、思わず顔を上げてロウの眼を見つめる。
ロウの顔は最初に声をかけてきた居丈高で自信に満ちた快活なベテラン兵のそれではなく、年老いた親のそれであった。
ウィルズは何故か、自分が故郷を出た時の両親の様子やその顔を思い出した。
間もなく、百数十のフラン軍急造部隊が、帰って来る兵達を逆走して門の外へ出た。
この時点で、半分以上の第八師団が砦の門をくぐっていた。
ウィルズ達が外へ出ると、最後尾のセルドの部隊が執拗に攻撃を受けているのが見える。
そこへ急造部隊は駆け付けた。
セルド隊は第八師団の他の隊と違い、三百の正規兵で固められている。
主に後軍を担当し、第八師団が前を向いて戦えるように支援している。
そして、このような退却の場面では、最後尾に付いて敵を防ぐという仕事は、彼らの重要な役目の一つである。
クワイ軍は集中的にそこへ攻撃をかけていた。
しかしセルドの方も慣れたもので、数に勝るクワイ軍に飲み込まれそうになったら、少し足早に前進して引き離し、また反転して抗戦したりという事を繰り返していた。
そんなセルド隊が後退するタイミングで、セルド隊の脇をすり抜けて少年達が突撃した。
新手の出現に、最初こそ不意討ちを食らったクワイ軍であったが、その数が百ほどとたかが知れている事を知り、すぐに盛り返していった。
追撃していたクワイ軍は千を越えていたのだ。
しかも、その後ろから続々と生き残りのクワイ兵が駆け付けて来る。
全部合流すれば、この場だけでも二千にはなろうか。
「おい、ヤバイぞ!」
エリックが悲鳴に似た声を上げる。
「分かってるさ…」
ウィルズはそう言って剣を振るのが関の山であった。
普通は味方の部隊があんなにもあっさり一気に消失したなら、どんな敵も敗走する筈だ。
しかし、このクワイ軍はそんな様子はない。
それどころか、激しく追撃して向かって来る。
ならばそれは、求心力のある将が率いているに違いない。
第四軍団の将軍か、そうでないなら副将か。
将軍イフサンはウィルズの目の前で豆の蔓に飲まれた。
その後は白金の光によって消されている筈だ。
だとすれば、今この追撃軍を率いていのは副将のグロウであろう。
その副将さえ討ち取れば勝てる。
しかし、その副将の居場所が分からない。
後ろからクワイ軍が続々と駆け付けて来るという事は恐らく後方に居るのであろう。
そこまで斬り進むには、果たして何人斬り殺さなければならないのか。
ロウの顔が、あの言葉が思い浮かぶ。
「無意味に命を投げ出すような命令はしないでやってくれないか…」
ウィルズは意を決した。
「皆、踏ん張れ!もう一度反撃だ!」
一旦反撃して隙を作り、その機会を見て反転退却しなくては。
やられた退いたのでは、面白いように狩られるだけである。
だが少年兵達は次第にクワイ軍に飲み込まれていった。
ウィルズも最前線で戦うものの、なかなか反撃して隙を作るまでに至らない。
かといって、焦って剣を振っても虚しく空を切るか、受け止められて相手の切っ先が自分をかすめる。
背後までクワイ軍に囲まれようかという時であった。
その急増部隊の背後にセルドの部隊が駆け付けた。
弓の斉射の後の突撃。
セルドの部隊は統制がとれていた。
「邪魔だ!」
「どけ!」
「ガキはひっこめ!」
少年兵に代わって先頭へ出る正規兵達。
ウィルズには、彼らの背中に三色旗の印が付いた白いマントや、銀色の鎧兜が神々しく光って見えた。
セルドが先頭まで来て、両手を膝の上について肩で息をしている近衛兵に、馬上から声をかけた。
「まだまだだな、少年!」
そう言って笑う。
ウィルズは救われたと思っってほっとため息をついた。
しかし、隣で渋い顔をしている海賊の息子はそうは思っていないらしい。
「何で戻って来たんだ!」
ローグは叫び返した。
セルドの三百が戻って来たとしても、数的な不利は何も変わらない。
囲まれるまでの時間が少し延びただけである。
セルドは少しニヤッと笑いながら、砦の門の上方を指さして叫んだ。
「あれを見よ!ヒーナ様が指揮を取られる!」
その大声に、味方ばかりかクワイ兵までも砦の門の上を望んだ。
そこには、白い羽根を揺らしながら仁王立ちに立つ白いマントの少女の姿があった。
それを見たフランの少年兵達が口々に叫ぶ。
「ヒーナ様が陣頭に立たれる!」
「クワイ軍へ反撃だ!」
「ここに味方が押し寄せるぞ!」
クワイ軍の攻撃の手が止まった。
明らかに動揺し後ずさる。
「よし今だ!退却!」
セルドの号令と共に、少年兵達は一斉に反転して駆け出した。
砦に戻ったウィルズは兜を地面に投げ付け、砦の壁を蹴る。
そして両拳を大地に叩き付けた。
「それ、俺の兜なんだけど…」
小さな声でそうつぶやいたエリックは、その直後に肩を揺らしておいおいと泣くウィルズに何も声をかけられないまま、自分の兜を拾って泥をはたき落とした。
ウィルズは悔しかった。
正規兵であるセルドとの経験の差など、それほどないと思っていた。
そこにヒーナがいる。
その事実を声高に叫ぶだけで相手の虚を突いて簡単に退却できた。
焦って剣を振る自分が愚かで稚拙な事がよく分かった。
それどころか、これでは助けに行った自分達が助けられた格好になっている。
そして、無駄に同胞を殺してしまった。
ウィルズは悔しさと後悔と自分の愚かさに、涙と雄叫びを垂れ流してむせび泣いていた。
丁度その頃であった。
砦の南門からベッヘル隊がヒーナを囲むようにして、第二師団が砦に帰還した。
その報を聞きながらウィルズはさらに、自分を助けてくれたヒーナは偽物だったと知る事になり、涙を流す事も、嗚咽する事も忘れて呆然としていた。
この愚かな近衛兵が泣く代わりに、空からはポツリポツリと雨が降り始めた。




