第六十話 <緑と白金の罠>
赤土色の荒野から徐々に緑の塊が散見できるようになり、やがて黄土色の土を草が覆うように生える土地へ変わって行く。
街道と呼んでも名ばかりで、両脇の赤い土を踏み固めて黄色くなっていると感じる程度であるが、それもだんだんと茶色くなり、踏み潰されない街道両脇に草が生え始める。
東へ進むにつれ、そういう大地のグラデーションを感じるほどに、愛国心より侵略心に火が付いてしまう。
冷たい雨が降りそうな灰色の空模様の下、見慣れたシュルベル砦の三つの物見塔の先端に、青と白と赤の旗が誇らしげにたなびいているのが見える。
その砦の前に立ち並ぶ人影は、右、左、中央の隊に分かれて横に並んでいる。
あの隊列の長さだと三千くらいは居ようか。
右軍も左軍もばらばらの鎧兜。
元は海賊や非正規の兵士が多いという。
中央の歩兵の後ろに揺れる白い羽根の付いた兜。
フラン軍第八師団、ヒーナが出てきているのだろう。
しかもこちらに行軍している。
イフサンは馬上で自分の武器を確認した。
腰に巻き付けた鎖を撫で、馬の背に付けた朱色の投げ槍を担ぐ。
顔にポツポツと降り出した冷たい雨がかかった。
「先行軍は歩を緩めよ!後ろが追い付き次第、武器を構え!」
イフサンはそう指示しながら考える。
中央のあの羽根付き兜に白マントは、フラン軍第八師団の師団長ヒーナで、そのミツカイは白金の光で敵も壁も消し去る力を持つという。
しかし、真っ直ぐ前に、一直線にしか放てないようだ。
しかも、一日に一回しか使えないと聞く。
ならば、そのミツカイの真正面にあたる中央の街道上を薄くして、左右の軍に厚みをもたせ、光が放たれた後に右左の両軍を展開させればいい。
「街道上を空けよ!中央本隊は右の第二軍に併合!左はグロウ副将が指揮!右はこのイフサンが指揮をする!」
その内に後軍が追い付き、全軍の攻撃体勢が整った。
イフサンは左を向いて、街道の向こう側を駆けるグロウを見る。
視線に気付いた副将グロウは大きくうなずき、手綱を放して右手を上げた。
「よし突撃だ!先の屈辱を晴らせ!」
クワイ軍一万は行軍から体勢を整え、そのまま向かってくるフラン軍三千に全軍突撃した。
それを見て取ったフラン軍は歩兵を前面に押し出して受けて立つ。
乱戦になる。
これでは白金の力は使えまい。
イフサンはほくそ笑んだ。
「我が軍に軍師など必要ないわ!」
フラン軍はその乱戦を嫌ってか、弓で牽制しながら徐々に後退する。
しかしそれは敗走に直結しかねない。
イフサンは手袋をしたまま、右手の親指と小指を曲げた三本の指で口の上の髭を撫でてつぶやく。
「策士と聞いたが、数の前では何もできないか…哀れよのう」
そして自らも先陣に立とうと前へ出る。
クワイ軍は勝利の兆しに、高揚して追撃の体勢になりながらフラン軍を追う。
いつミツカイの力を放つのか気掛かりだったイフサンも、いつの間にか手勢を従えてフラン軍の本陣を突く先頭を走っていた。
徐々に敗走の体勢に入ろうかというフラン軍。
イフサンは馬を駆り、朱槍を歩兵に突き立てる。
盾や剣で受けながらも及び腰のフラン兵を、獲物を狩るかのように追い立てた。
こんな風に戦うと血沸き肉踊る。
若い頃に戦線を逸脱し、無茶を知りながら敵陣に斬り込んだ事を思い出す。
あの時はそれで、膠着していた戦線が動き、クワイ軍が主導権を握って勝利した。
イフサンは逃げる歩兵を蹴散らし、あの羽根付き兜に近付いていた。
「イフサン将軍、危ない!」
不意に聞こえたその声に、「おう!」と返事をして辺りを見渡す。
しかし何もない。
「あれがイフサンだ!敵の将軍だ!」
と叫ぶフラン兵。
単純な手に引っ掛かったものだと、イフサンは髭を揺らした。
「やられたな…少し冷静になるべきか…」
そこへ弓矢が何本か飛んでくる。
馬上で屈んで交わし、羽根付き兜を追う。
手下もしっかり着いてきている。
これは行けそうだ。
イフサンは槍を振り上げて叫んだ。
「ヒーナ、覚悟!」
振り返った羽根付き兜の少女は、黒髪で色黒だった。
年の頃なら二十歳前か。
勢いに任せて朱槍を投げる。
色黒の少女に当たる寸前、色黒の青年が槍を剣で弾いた。
少女の脇に逸れ、馬の足元に突き刺さる。
その間も一気に馬を駆り、間を縮める。
馬首を横に向け、腰の鎖を引き外し、羽根付き兜との間に入る色黒の青年に鎖を叩きつける。
鎖は青年の馬の首に巻き付き、馬が悲鳴に嘶いて暴れた。
片手で手綱を握っていた青年は、体制を維持できずに落馬した。
「ヤード!」
羽根付き兜の少女が叫ぶ。
ヤードとはフラン軍第八師団の副将の名だったか。
ならば大物だ。
倒れた色黒の青年の上に馬を駆って走らせようとしたその時、兵士達の間をすり抜けてイフサンの馬に体当たりしてきた兵士がいた。
背格好からして少年兵のようだ。
馬が驚き、イフサンが振り落とされた。
イフサンの馬鎧の横、胸と前脚の付け根には、その兵士の剣が刺さっている。
「このガキが!」
イフサンは思わず叫ぶ。
部下達が駆け寄り、抱き起こされて立ち上がる。
少年兵も無傷ではない。
馬に何回か蹴られたようで、兜は飛び、頭から血を流し、右腕を左手で押さえていた。
「ウォルズ、下がりなさい!」
羽根付き兜が叫ぶ。
その声、その風貌、やはりヒーナではない。
イフサンはその娘を、デキャルトの町を攻めていた際に見たことも、声を聞いたこともあった。
第二師団のミツカイ、緑のレーリンである。
「ミツカイ様!ここでもうイケます!」
ニヤリと笑うミルクコーヒーのような色をした少女は、馬を飛び下り、羽根付きの兜を飛ばしながら地面に両手をついた。
両目が緑色に光る。
「ここにはたいした草木もない…何をするつもりだ…」
イフサンはそう思い警戒しようと身構えたその時、
「イフサン将軍!南東より敵影!数は三千!」
と、伝令の叫び声が聞こえる。
「構うな!それでも敵はこちらの半数だ!」
イフサンはそう叫ぶと、腰の剣を引き抜き、背中を見せて逃げ出す少年兵と第八師団の副将に向けて降り下ろし、怒声を上げる。
「朱槍を投げよ!」
慌てて部下達が槍を構える。
その時であった。
いたる所で地面がモコモコと盛り上がったかと思うと、足元から緑の芽が無数に現れた。
そのまま人の体を伝って瞬く間に蔓を伸ばし、分厚い真緑色の葉を無数に付け、太い深緑色の蔓を伸ばし急激に成長する。
その様子は植物と言うよりも、眼を持たないでうねうねと身体をのたうちながら獲物を探す無数の大蛇のようであった。
クワイ軍の大半はその緑の罠に身体を捕らえられ、身動きが取れない。
急激に成長したその蔓植物は、豆か何かのようだ。
まるで緑の牢獄であった。
その緑の牢は、街道を挟んで南北に二キロ、幅は数百メートルという広範囲に及んだ。
「ヒーナ…後は頼んだわよ…」
立ち上がり、馬に身体を乗せるのがやっとのレーリンは、そうつぶやいて後退すると、いつの間にか馬上で意識を失った。
近衛兵達がその周りをしっかり警護してシュルベルの砦へ向かう。
フラン軍に食い付いていたクワイ軍と、ごくわずかな後逸の部隊を残して、大半が緑の牢に囚われていたが、身動きが取りにくくなったというだけで、別段、命に関わるという訳ではない。
緑の罠に捕まっていないクワイ軍が、捕まって足止めされているクワイ兵を助けようと駆け寄り始めた。
レーリンが率いていた三千のフラン軍第八師団は、その隙にシュルベルへ退却する。
そこへ、南方から三千のフラン軍が駆け付けた。
その先頭は、白い羽根付きの兜をかぶり、白地に紅い梅の花の刺繍を入れたマントを羽織った少女、白金のミツカイ、ヒーナであった。
ヒーナは緑の牢獄の南端に着くと、北に向かって腕を付き出す。
眉間に皺が寄ると同時にヒーナの両手の前に光の円盤が現れた。
次の瞬間、円盤から緑の罠の幅いっぱいに広がる光の濁流が溢れだし、そのまま真っ直ぐ北へ走り抜ける。
クワイ兵達の怨みの叫びは、緑の罠と共に綺麗に消え去った。
そうして、力を使い果たしたヒーナもまた、倒れ込むようにして馬に股がった。
「ベッヘルさん、後はお願いします…」
ヒーナの言葉に従い、ベッヘルは意識が朦朧としているヒーナを囲って砦へと退くように命令する。
ベッヘルが先導するフラン軍三千の面々は、シュルベル砦へと駆け出した。




