第五十九話 <力押し>
ジルが戸惑う軍師テムと食事をしていた頃、クワイ軍第四軍団イフサンは、およそ一万の軍勢を率いてチチェンを発ち、シュルベルの砦に迫っていた。
迎え撃つシュルベルの砦のフラン軍は、第二、第八師団合わせて七千である。
シュルベルの泉と呼ばれるこの場所には、大小合わせて二十の池が密集している。
周辺の湿地も含めて広さが約百ヘクタール、最大の特徴は流れ込む小川の水量より、この泉から出ていく川の水量の方が何倍も多いという点である。
それでも枯れないということは、つまり、この地にはいくつもの湧水源が存在するということだ。
この泉付近はトマトやイチゴ、米を栽培する集落や、水性生物や水鳥を狩る狩猟をする集落が存在している。
シュルベル砦は、シュルベルの泉の南側にあった大きな集落に作られた。
ぐるりと石垣で囲まれ、石の物見塔が三つ立ち周囲を監視している。
北側は湿地であり、足元が悪く、元々狩猟をする集落だった為に、狩りをする村人用の小さな通用門しかない。
南と東西に大門があり、商隊の通行や軍事行動は専らこの門からなされる。
その砦のほぼ中央にある四角四面の木造の建物が、軍幹部が軍議をする用の会議小屋であり、Uの字型に革張りの大層な椅子が並んでいる。
この部屋は、真ん中の豪華な椅子の後ろの壁に、赤地に黄色い星が五つ丸く並んだ大きなクワイ国旗が貼り付けられていたが、現在は赤白青のフラン国旗に貼り替えられている。
「さて、ヒーナさん、どうやって勝ちましょうか?」
国旗の前の豪華な椅子に足を組んで腰掛ける緑のミツカイは、右隣に座る白金のミツカイにそう問いかける。
いきなりの唐突な質問に、ヒーナは戸惑いながらも、
「えっと…」
と言葉を出そうとする。
「敵は一万とは言え、半農の兵士がほとんどです。こちらは全員が職業兵士ですから、そんなに兵力差に怯える事はありません…」
クワイ軍は屯田兵制度を取っている。
春夏秋と農業をし、冬に兵士になるのだ。
だから冬にシュルベルに集結し、東へ侵攻する。
ヒーナの言に、ウンウンと一々相槌を打つレーリンは、
「そうね」
と同意する。
ヒーナはさらに戦略を述べた。
「ただ、恐いのは囲まれての籠城戦です。ここは旧フラン国領とはいえ、十年以上クワイ国が支配し、砦まで築いたのです。その支配よりフラン国の方が良いという印象を与えたいところですが、籠城戦で食料が尽きた場合、そうはいきません。住民と兵士のイザコザを懸念するなら、まずここを戦場にすべきではありません…」
そこまで聞いたレーリンは、
「ヒーナちゃん?」
と口を挟んだ。
「あなたのいいところは、その軍師のような先見の明と戦略的構想を自ら考えて実践する事ですね」
ニコニコとそういうレーリンに、ヒーナは調子を狂わされ、
「…は…はぁ…」
としか声が出ない。
「でも、あなたの悪いところもそれです」
レーリンは真顔になって、「それから、優しすぎるのは大きな欠点です」と、言い放った。
ヒーナは困惑しながらも言う。
「南西に小高い丘があります。左軍か本陣がその丘を背になるように配置し、クワイ軍を迎え撃てば、勝てない事はありません」
レーリンは厳しい顔で問う。
「今の現状で言えば、民意を気にかける事が第一優先にすべき事ですか?」
同席のマルクもうなずいて言う。
「迫り来る一万の軍勢から、奪い返したこの地を守るのが第一優先です」
レーリンがそんなマルクを右手で制して、穏やかな口調で、しかし厳しい顔で言う。
「あなたの言う通りにすると、致命的な欠点があります。この砦に何人残すのです?仮に千人残して六千で出撃したとして、一万のクワイ軍が二軍に分かれ、五千で砦と出撃部隊とにあたったとしたら?一千で五千に対抗することになるこの砦が早々と陥落したら?」
もしそう出るなら、クワイ軍は主力を砦の奪取に持って来くるだろう。
出撃部隊にあたるのは、足止めするだけの役目でいい。
そのまま砦が陥落したら、シュルベル奪還の為にフラン軍が取った作戦を正反対に実行された事になる。
何より、籠城戦による村人の負担を減らしたいにもかかわらず、結局籠城戦になり、しかも奪われるなどとは失態甚だしい。
ヒーナはそれが分かり、何も言い返せないでいた。
そこへ、ヒーナの隣に座っていたヤードが助け船を出す。
「籠城戦であれば食料の蓄えが必要ですね?」
レーリンがニッコリと微笑んでヤードに答える。
「大丈夫です、食料は三ヶ月分蓄えてあります。水はシュルベルから引き込んだ川と、井戸がありますから大丈夫でしょう。問題は、あなた達の心です」
ヤードの隣に座って、コーヒーを飲みながらレモンの砂糖漬けをかじっていたベッヘルが口を挟んだ。
「うちの師団長はそんなにヤワじゃありませんぜ~」
それに笑顔のままレーリンが答える。
「あら、部下はさすがに優秀な面々が揃っているのね」
そう言うと緑のミツカイはミルクコーヒー色のほっぺに人差し指を当てながら、
「…分かったわ、姫様の心はあなた方に任せるとして…ここは基本籠城戦術をとります。」
と、言う。
ヒーナは浮かない顔でうつむいた。
それに構わずレーリンは続ける。
「でも、ヒーナちゃんの策も少し採用しましょう。…三千…第八師団だけであの軍を打ち破れるかしら?」
会議が終わり、小屋から幹部の面々が出て行く。
ヒーナはあまり浮かない顔で緑豊かな村の中央を流れる小川のほとりを歩いていた。
走って本気を出せば飛び越えられそうなその川には、洗濯をする村の女性達が楽しそうにお喋りをしている。
「ヒーナ様!」
マルクがそう声をかけて駆け寄って来た。
「あぁは言いますがレーリン様はヒーナ様をとても評価されているのですよ…」
マルクの言葉にヒーナは唇を噛みしめながら、細かくうなずいた。
「ちゃんと私の策も加味して貰っています。それに…あの人はミツカイとしての経験も豊富です」
そう言いながらも浮かない顔のヒーナに、マルクは問う。
「ご不満な部分は、やはり戦術ですか?」
マルクは感じていた。
レーリンと違って、ヒーナは自分の力を使って直接兵力を消すという戦術を基本的に好かない。
イヌガル戦でもその力で砦を破って力押し、という戦術を取らなかった。
回りくどく地下にトンネルを掘ってそこに罠を仕掛けて、という方法を取った。
だからこそ、雪の裏をかき、雪を精神面で敗北感に落とし込んだのであろう。
しかし、今回のレーリンの作戦は直接的なものであった。
少しうるんだ瞳のヒーナは言う。
「私に直接、何千人もの人を消せという命令です。相手は侵略して来る兵士とはいえ、こちらも生き延びる為とはいえ、そんな事が許されるのでしょうか…」
そこへやって来たのは黒い革のジャケットを着つつも胸が大きく開いて金のネックレスをぶら下げたベッヘルである。
「やっぱりなぁ…」
ベッヘルはそう言うと首を横に振って言う。
「姫様、あなたは深刻に考え過ぎだぁ」
ヒーナはそれに抗議するように言った。
「深刻にだってなります!だって…沢山の兵士を一瞬で殺すのは私なんです。たぶん…奥さんも子供もいるかも知れない人たちを…」
それを聞いていたベッヘルは、真顔になって問う。
「英雄は悪い奴らだけをやっつける人間がなれるんですか?」
「物語や劇ではそうじゃなくて?」
ヒーナは即座に答えた。
ベッヘルもそれに即座に答える。
「あなたは過去に言ったでしょう?この世に悪はない、正義の反対はもう一つの正義だって?」
「そうだけど、それが何?」とでも言いたそうなヒーナの顔を見てベッヘルは続けた。
「それなら、現実じゃぁ英雄がやっつけてるのも英雄って事じゃないんですかい?」
それでヒーナはうつむいた。
ベッヘルはなおも続ける。
「あなたがこの作戦をしなきゃ、クワイ軍の奴らが英雄になる。ただそれだけの話ですぜ?」
「そして、こちらの家族がいる兵士達が殺される…」
マルクがそれに付け足した。
ベッヘルはヒーナの横まで来て、力ない少女の肩にそっと手を置いた。
「どうせどっちかが沢山死ぬんだ。だったら顔を見知っている方を生き残らせたい、そう思うのが人間ってもんじゃないですかねぇ」
ヒーナは割り当てられた自室で鎧姿に着替えていた。
その手伝いをジュリアがしている。
幼いながらもこの給仕係見習いはよく働き、よくヒーナの話を聞いてくれていた。
「このベルトを持ってて下さい」
両手を横に挙げているヒーナの右わき腹から、ジュリアがそう言って革のベルトを持った腕を出した。
ヒーナはベルトを受け取りながら、「ねぇジュリア?」と聞く。
「戦争は嫌い?」
唐突な質問ながら、ジュリアは少しも考えずに答えた。
「今の私の生きる場所です。好き嫌いはありません…」
そして少し考えてから、「あ、でも…」と続けた。
「ヒーナ様もソフィアさんも、それにヤードさんやベッヘルさん、他の隊長さん達は好きですよ」
この幼い少女にとって、戦争には自分も、それにその周りの人々も、それに食事をしたり、料理をしたり、寝たり、着替えたりという自分の生活も含まれるのだ。
それを抜きにして戦争というものをただの殺し合いとして第三者の視点から語ることなどできない。
それこそ戦争を知らないで、いや知ろうとしないで、ただ闇雲に批判だけする行為に等しいのだろう。
――― 私はその批判者になり下がろうとしていたのだろうか… ―――
ヒーナは暗い顔で光の漏れるカーテンの隙間を見つめていた。




