第五十三話 <敗者の意地>
雑木林を抜けると枯れた雑草が生い茂る。
この辺りは荒野であり、畑や果樹園や牧場もない。
街道がイヌガル要塞の南を東西に通ってはいるが、以前はイヌガル要塞自体が宿場町のような機能も果たしていた。
なので、この辺りにはまともな宿はない。
ヒーナは少しの供を引き連れ、朝早くから馬を駆り、昼前には雑木林を抜け、馬上でパンをかじり水を飲みながら、昼下がりにはイヌガル要塞の中に入った。
要塞の中は、焼け焦げた残骸と武器や鎧の破片が散らばり、真ん中に真っ黒な影が、さながら亡霊のように突っ立っている。
それが中央にそびえていた塔の無惨な姿なのであろう。
他は、焼けて崩れ落ち黒い骨だけになった建物がちらほら見える。
戦場の跡はさながら地獄の町外れのような荒廃の仕方であった。
その荒んだ中、唯一建物の形を残している武器庫に向かう。
一人が通れる分だけ分厚い扉を開けと、中は暖かい。
陥落前は武器庫であったが、武器は粗方綺麗になくなっている。
しかし、そこには明らかな生活の痕跡があった。
部屋の端に焚き火の跡があり、その上方の壁には穴が開いている。
焚き火は真っ黒だが、炭にはまだ赤い所がある。
傍には鍋と食器類、木ベラ、大きなスプーンが整然として並んでいた。
ベッドの代わりか、大きな木箱の上に麻布が何枚か重ねて敷かれているし、麻布の上には丸められた毛皮が置いてある。
だが、この建物の中を調べても、誰も発見できず、人影すらなかった。
あきらめて帰ろうと入口の扉へ振り返ったその時、外で馬のいななきが聞こえた。
そして、薄暗い武器庫の外、扉口に立つ人の影が二つ見える。
「お前は…ヒーナ!」
背の高い方の影がそう叫ぶ。
聞き覚えのある声。
間違えない、雪だ。
小さい影の方が手に持っていた炎を投げ捨て、屈んでから一気にこちらに飛び掛かる。
「エーマ、止めろ!」
雪の制止を聞いて、小さい方の影は、短剣を構えて屈んだ状態で止まった。
「雪様、コイツは敵です!今殺してしまえば、ここで死んだ兵士達も報われましょう!」
泥だらけの顔の少女が抗議をするが、雪はそれを片手で制して、
「お前は亡霊か?」
とたずねた。
突拍子もない質問に、頭が回らず答えられないでいると、
「死者に振り回されてどうする!」
と怒鳴った。
「死者に生者の行動を制限されてはいけない…」
エーマの目を見つめる雪は、なんだか悲しそうであった。
そして、
「それに、私は亡霊ではない。ここでこの小娘を殺しては、私が報われない。お前も後悔する事になるぞ?」
と、半ば脅すように言った。
それで小さい少女は短剣を下ろした。
しかしその少女、エーマの瞳から殺意は消えていない。
雪は地べたに転がる松明を持って、焚き火の方へ歩き出し、目だけヒーナに向けて、
「何しに来た?」
と、聞いた。
「お話ししに来ました」
とヒーナは答える。
雪はゆっくりと屈んで焚き火に松明を入れた。
「一人で来たのか?」
ぼぅっと灯ったオレンジ色の明かりが、雪の泥だらけの顔を照らし出した。
「要塞の中には私一人です。五十騎ばかり着いて来ていましたが、要塞の外で待つように言ってあります…」
それを聞いた雪は立ち上がってヒーナを見つめ、
「そういう軽挙に出るのはいかがなものか。部下の気持ちが分からんヤツは上に立つべきではない」
と、きつい調子で叱咤した。
「現に、エーマはお前を殺してしまうかも知れなかった。良くて相討ち、悪ければ返り討ちってところだろうが、身を危険に晒す、その使いどころが間違っている」
「はい…すいません…」
ヒーナは素直に反省した。
が、直後にわかに笑いだす。
すると、雪もつられて笑いだした。
「敵に説教する事になるなんてな…」
ひとしきり笑った後で、
「ここで何をしているのですか?」
と、ヒーナが質問する。
「亡くなった兵士たちの埋葬だ」
「…二人だけで?」
「先の戦いで、フラン国は優位に立った。 しかし逆にポード国は今、存亡の危機に直面している。同盟国のマルグとて、いつ牙を剥くかわからないし、全ての町や部隊で兵の再編成や訓練に忙しい。ここへ兵を派遣できないのだよ…」
炎に照らされた雪の泥だらけの顔は儚げに微笑んでいた。
「では、私もお手伝いを…」
と、言うヒーナに、
「やめてくれ」
と、言葉を遮るように雪が言う。
「ここで亡くなった者はほとんどがポード軍の兵士だ。敵であるお前に埋葬されて、快く思う訳がない…」
「ではせめて、フラン兵の埋葬だけでも…」
と、眉の端を下げてお願いする。
そんなヒーナをじっと見つめる雪は、さらに厳しい表情になった。
「そんな事をする為に来たのではなかろう?」
雪に対しては、本心を話した方が早いし、むしろ隠して話すほうが気分を害するのではないか。
そう考えたヒーナは、素直に用件を話す事にした。
「はい…雪さん、あなたをフラン国に迎えたくて来ました」
ヒーナの意外な申し出に、隣で聞いていたエーマは声を上げて驚いた。
そんなエーマが何かしら言い出す前に雪は、
「まぁ、そんなところだろうな」
と、鼻で笑い、「断る」とキッパリ言い放った。
「第六師団の長というのは肩書きだけで、追放されたと聞きました。どうしてポード国にこだわるのですか?」
ヒーナは訴える。
「なるほどな、世間ではそう言われているのか…」
雪は少しニヤケながらヒーナを見つめた。
「私の部下が聞き出した情報です。世間には知られていません…」
ヒーナは雪から視線を反らせた。
「まぁ、追放された訳ではないからな」
「そうでしたか…よかった…」
ヒーナの安心した表情で、雪が愉快そうに笑った。
「敵の事を心配してるのか?それとも、指揮官するのが私なら必ず勝てるという自信か?」
雪は意地悪くたずねる。
「いえ、そんな意味じゃ…ただ、ホントにあなたと轡を並べ、同じ戦場で戦いたいと…」
雪は少し口元をピクリと動かしたが、深いため息を吐き出して、
「まず、私に殺された多くの兵士達の肉親が黙ってはいまい…」
とヒーナを見つめた。
「捕虜から隊長になった例もあります…」
食い下がる小娘に、雪は眉尻を上げる。
「ヒーナ…じゃあお前ならどうだ?今の身分を罷免され追放されたとして、お前ならポード国に寝返れるのか?」
雪の質問に少し考えたヒーナは、うつむいて首を横に振った。
「まず、こういう交渉に当たろうというくせに、何の下準備もしていないのが気に入らない。考えなしの無手勝流で人が落とせるものか!」
叱咤というよりも雪は静かに怒っていた。
「私は…あのガッドを落とした時、人としての倫理を捨てたのだ…」
雪は少し虚ろな目をした。
だがすぐに目をつり上げて、
「反目する者を説き伏せようとするならそれくらいは覚悟しろ!」
と怒鳴った。
ヒーナは悲しげな表情で、
「ガッドさんは…」
と言いかけると、
「言うな!…だが、ガッドの事を言い出したのは私だ。だがもう言うな…」
と、雪も同じく悲しげな顔で火を見つめた。
焚き火がパチパチと、まるで二人の間の沈黙を埋めるように音を立てていた。
翌日、昼を過ぎた辺りで、第三師団一千を率いたモーリスがモナリに入った。
入れ違いで、ヒーナは二千の手勢と第二師団の親衛隊マルクの一千を率いて西へ行軍し、一週間後には首都プリスへ到着した。
プリスに着いたのは夕方であったが、羽根飾りの付いた兜をかぶり、刺繍の凝らした白いマントをなびかせ、皮の手袋で手綱を握りしめ、背筋を伸ばして馬に乗る少女に、プリスっ子達は総出で大通りに詰めかけ、歓声と声援を送った。
ヒーナはニコニコしながらも、プリスで美味しい店を探すのは骨が折れそうだと考えていた。
城に着いたヒーナは、フランとエリーゼと一緒に、談笑を交えた夕食を取った。
その後、「調度よかったわ」と含み笑いするエリーゼに連れられて馬車に乗り、プリスの町の中央広場に建っている劇場に足を運んだ。
この日の夜は冷え込んだ。
ヒーナは、鴇色のワンピースにチャコールグレーのマフラーをして、その上からあの白いマントを羽織っていた。
外套は劇場の入り口で燕尾服を着た係員が預かる。
梅の刺繍が入った白いマントを脱いで表れた、紫だちたる薄桃色のワンピースを見て、周囲の貴人たちからため息が漏れた。
胸元は繋ぎ目もなく、背中の小さなボタンを留めて着るような後ろ開きのワンピースで、全体が鴇色一色であるが、ウエストには梅の花を象った大きな白いリボンが巻かれている。
スカートの中には綿入りの黒いタイツを履き、灰色のオオカミの毛皮のブーツを履いてた。
黒髪はエリーゼと同じようにボンパトゥールにしたかったが、そこまで長い髪ではなかったので、そのままストレートに肩まで垂らしていた。
ヒーナはここに来てから一番のおしゃれをしているとは感じていたが、ため息が出るほど羨望の目で見られる程とは思いもよらなかったので、恥ずかしさからすぐに席を探して座ろうと、そそくさとホールに行こうとする。
そんなヒーナの後を追って、金髪をボンパトゥールにした青い目の少女が引っ張った。
「そっちじゃないわ、我らはこっちよ」
手を引かれて連れて来られたのは階段を上った二階の一室で、両開きに赤い革張りの扉には「特等席一番」と書かれた鉄のプレートが付いていた。
扉の前には給仕係であろう黒いタキシードに白い前掛けをした若い男が一人、扉の両脇には四人の衛兵が仁王立ちで立っていてる。
二人の姿を見た若い給仕の男は扉を開け、恭しく頭を下げた。
扉の向こうは部屋になっており、まず目に飛び込んでくるのは正面に見える舞台である。
ここは看板にあった通り、フラン国にとっての重要人物や国賓用の特別席であり、どれだけお金を積んでも一般人では入ることができない部屋であった。
舞台が正面に見下ろせる一番いい場所にあり、ゆっとりとした黒い革張りの椅子、脇には自分用の小テーブルまで用意されている。
テーブルの上には、小さな望遠鏡と今日の演目が書いた羊皮紙が乗っていた。
ヒーナが腰掛けると、それを待ってましたと言わんばかりに、舞台にかかっていた赤い幕が左右に開く。
舞台上には、管楽器を抱え、または弦楽器を担ぎ、または打楽器の前で棒を持ったたくさんの奏者がずらりと並んでいた。
中央真ん中に立つ燕尾服の男が白い指揮棒を持ち上げた。
演奏が始まる。
曲目は「バレイユ川を越えて」というそうだ。
最初はゆったりと、次第に早く、激しくなり、最後は華々しく愉快な旋律に変わっていく。
その変調の最初に、フルートの軽快な独奏があった。
帰りの馬車の中で、さきほどの演奏を思い出したヒーナは、向かいに座っているエリーゼに、
「最初はゆっくりでしたけど、最後はパレードみたいでしたね」
と微笑みかける。
エリーゼは馬車の窓枠のわずかな段差に肘をつき、手のひらに顎を乗せて窓の外を眺めていたが、
「ヒーナ、これはあなたの曲なのよ。今を時めく作曲家フランソワがあなたの活躍に敬意を表して、ね」
と、ヒーナに顔を向けずにぶっきらぼうに答える。
「私の…」
ヒーナは面映ゆいような感覚を覚えて苦笑いした。
「じゃあ、フルートの音の後に曲調が変わったのは…」
ヒーナは曲を思い出しながらつぶやくと、エリーゼがため息を吐きながら、
「フルートはあなたの声、指示や命令ね。イヌガル要塞の戦いを表してるんだから当然でしょ」
と、言う。
「イヌガル要塞で私は指示してませんし、中に入ってもいませんが…」
「いいじゃない、芸術は想像の世界よ。フランソワの頭の中ではあなたの号令で要塞が落ちたのよ」
いまいち納得できないヒーナは、「は…はあ…」と何とでもとれるようなうなずき方をした。
そんなヒーナの様子を横目でみたエリーゼが、
「いい?今度は私が曲になる番よ、ポード国を滅ぼすわ…」
と、肘をついたまま息巻いた。
「雪は、必ずやって来ます…」
真面目な顔になってそう言うヒーナに、エリーゼは依然肘をついたまま、
「心配しなくていいわよ、元から雪を倒すつもりで行くわ。私の願いをフラン様に叶えてもらう、これは機会でもあるんだから…」
と、つぶやくように言う。
しかし彼女の表情は曇っていた。
「エリーゼさん、願いって?」
ヒーナは思わずたずねる。
「私の弟は病気で、いつ死んでもおかしくないの…その病を治してもらうのよ…」
エリーゼは窓の外の流れる街並みを眺めながらそう答えた。
そして、
「ヒーナ、あなたはそんな悩みというか、どうしても叶えたい願い事がないみたいだけど…本当に、ここでの記憶を残すとか、そんな願い事でいいの?」
とたずねた。
ヒーナのいた元の世界は平和そのものであった。
熊野姫棗の周囲にそういう不幸な人はいなかったし、まして命を懸けるような争い事や、命を懸けてでも何かを成し遂げようというような事は思いもしなかった。
願いと言われても、ゲームが欲しい、おもちゃが欲しい、かわいい洋服が欲しい、アクセサリーやバッグが欲しい、おこずかいをもう少し多く欲しい、宿題を減らして欲しい、部活の練習をあまりしなくても強くなりたい等、どれもこれも、ここの人達やミツカイとして召喚された人達の重く、深刻な願いとは明らかに違う。
エリーゼの問いにヒーナが答えられないまま、馬車は城に帰り着いた。




