第四十八話 <路地裏の店で>
イヌガル要塞を破壊してモナリの町に戻ったヒーナは、何日かに分けて戦いに動員した全員と同席し、ソフィアの淹れたコーヒーを飲んだ。
これには、死んだ兵士達への追悼の意が込められ、今回は勝利を収めたというのにしんみりした、静かなお茶会となった。
しかしその数日間もその後も、モナリの町でのんびりとした日々を過ごしている訳ではなかった。
戦果に対する報償金の授与、命令違反の処罰、戦果や被害を鑑みての第八師団中の人事と再編成、再編成後の実際の訓練、また再編成など、師団長のするべきことは目白押しである。
そして、それらの結果をイヌガル要塞戦の報告書として作成する。
話を聞いては文書を書き、また話を聞くという作業の繰り返しでバタバタと忙しかった。
各一個部隊単位での訓練も終えて、この編成で行こうと確定し、書類を作って首都プリスに送り終わったのは、イヌガル要塞を焼いてモナリの町に凱旋してから、ちょうど二週間経った後であった。
ほっと一息ついて、執務室を出て、そのまま兵舎をも去り、最寄りのカフェに向かう。
護衛の兵士が何人か着いて来た。
ヒーナはこの日は気が抜けていたせいか、着ていた草色のチェック柄のワンピースの上から、あのミツカイの刺繍が施された白いマントを羽織った姿で町の広場に出た。
外は予想していたより寒い。
思わず背中を丸めてしまう。
熱いロールキャベツを一口で頬張ってしまった時のような口になって、ホッホッと白い息を吐いた。
――― さすがにこんな寒い日は外のテラスでお茶なんて無理か… ―――
昼を過ぎ、日は高く登り、まだ早い時間なのにそろそろ傾く準備をしている。
昼下がりのこの時間でこれほど寒いなら、今日はもうちょっとでも温かくなるとは望めない。
兵舎の広場を挟んで向かいには大きなレストランがある。
隣が馬や馬車、定期便の出る駅であるために人通りも多く、この時は丁度定期便が着いた時だったのか、店は昼をとうに過ぎているのに、馭者やその客を中心に混雑し賑わっていた。
――― ここはいっぱいね。別の所を探そう …―――
ガラスのはまった部分がほとんどの重い扉を閉めたヒーナは、ここで出される紅茶とレモンの砂糖漬けのセットを諦め、駅前の通りをまた歩き出した。
――― それにしても、今日はよく人にジロジロ見られる日だわ… ―――
それもそのはずである。
羽織っているマントは、兵舎のテラスから演説をし、町から出撃したときのものだし、その上、黒髪の少女である。
さらに、後ろに数名の護衛の兵士も着いて歩いているというのならば、ほとんど「私はミツカイですよ」と名乗りながら歩いているようなものである。
この時は完全に気が抜けていたのか、そんな事も気付かずに通りの奥の路地に入る。
そこに小さなバーらしきものがあって、壁にはめ込まれた小さなガラス窓のカーテンのすき間から覗いてみると、中に客は数人の派手な格好の女以外いないようだ。
ヒーナはそこへ入った。
後を追う護衛の兵士達が顔を見合わせる。
扉を開けたヒーナは少し入るのに躊躇した。
と、いうのも、そのバーは狭くて薄暗く、質素であって小汚なかった。
店自体が細長い造りで、左手に長いカウンターがあり、座面の高い椅子が八席ある。
他には二人がけのテーブル席が、扉の左右に二つ、カウンター席の背面に二つあるだけであった。
そのカウンター席の背後のテーブル席の間には暖炉があって、赤々と炎を抱えていた。
店の一番奥、カウンターの端には、派手な化粧、派手な格好の若い女性が二人座って葉巻を吸っている。
この女性達は何処かで見た事があるような気がするが、思い出せない。
とにかく、営業中ではあるようだ。
せっかく扉を開けたのだし、と、ヒーナは意を決して中に入った。
入ったときは、カウンターの中に店の者すらいなかったが、席に着こうとマントを脱ぐと、
「これはこれは、いらっしゃいませ」
と、奥から朗らかな笑顔で揉み手をしながら、派手な化粧で太った中年の女性が出てきた。
店がこんななのに、なぜこれほどに愛想がいいのかと不思議に思いながらも、「こんにちわ」と挨拶をしたヒーナは、紅茶を注文してマントを椅子に掛け、お尻の位置の高い椅子に座った。
護衛の兵士達は二人だけ店に入って来て、他は店の外で見ているようだ。
店に入った二人は、ヒーナの背後にあるテーブル席に腰掛ける。
店は昼間なのに薄暗く、窓には白だったのであろうレースのカーテンが、茶色くなって窓を塞いで陽の光を通さないでいた。
店内の何本かの柱には、ランプがかかかっているが、全て赤い布で覆われており今は灯っていない。
暗くてよく見るまで分からなかったが、この店の奥には急な細い階段があり、この建物には二階もあるようだ。
が、店舗が小汚ないせいもあり、あまり上に上がりたいとは思えない。
この様子では上の方がマシということはないだろう。
そんな事を考えて店内を観察していると、湯気を上げた白いカップと何か乗った小皿を、先程の女性が持ってきた。
ヒーナの前に置かれた紅茶は、お世辞にも綺麗とは言えないような、フチの欠けたカップに入って出てきた。
香りは悪くないが、味は良くない。
小皿に乗って出てきたのはベリーのクッキーで、これは確か市場で出来合いの物が売られていた、まさにそれである。
この店は路地裏とはいえ、人通りもそれほど少なくないし、広場にも近い。
――― この店は何で儲かっているんだろうか? ―――
そんな疑問を思い、紅茶をすする。
しばらくカップを両手で掴んで、暖を取っていると、男と女の話し声が聞こえてきた。
彼等は談笑しながら細い階段を降りて来る。
「おう?お前ら昼間っからこんなところで…」
階段を降りて来て最初に見えるのがテーブル席で、談笑していた男の方が、座っている二人の護衛の兵士に声をかける。
「余程活躍して報酬金が入ったのか、それとも入れ込んでる女でもいるのかねぇ?」
胸がはだけたようなカッターシャツの上から、胸の大きく開いた革のジャケットと、そこからのぞく金のネックレス、革のズボンにブーツ。
その男の話し方に声は、ヒーナもよく知っていた。
護衛の兵士二人は唖然としながらも、目だけ動かしてカウンターの方向、ヒーナの方を見た。
陽気に話し掛けたベッヘルだったが、彼等が護衛の兵士ではなかったかと思い出すと、彼等の視線の先にいる誰かが、今この場所ですごく会いたくない人物かも知れないと思い至った。
背中に氷が一筋流れるような冷気を覚える。
確かに、右斜め横から見られていると、目や触覚のない動物でも分かるくらいにジリジリと熱い視線を感じる。
そちらを見たくないが、見なければいけいような気もする。
ベッヘルは、とうとう意を決して、錆び付いた風見鶏のようにぎこちなく、頭だけそちらに向けると、案の定、第八師団を指揮する黒髪の少女がいた。
顔の前にカップを両手で持ち、アゴを引いて上目遣いでじっとベッヘルを見ている。
小さな呻き声を上げて後退りするベッヘル。
その間も少女はマジマジと見つめていて一言もない。
ベッヘルの方も何も声を出せないでいた。
その時、
「お!あの時の娘じゃないか?!」
と、ベッヘルの後ろから派手な格好の女が出てきた。
肩の部分がない胸元が大きく開いた赤いドレス。
お腹の所だけ締め付けるように紐の多い黒革のベスト。
ハッキリとした顔立ちの女。
以前カフェテラスでお茶をしている時にミツカイへの伝言を頼んできた、商売女のローラである。
「ごきげんよう。それと、この前はありがとうございました」
ヒーナは丁寧にお礼した。
カフェテラスでこのローラと出会った時、彼女はお茶代を全て出してくれていた。
「いやいや、こちらこそだよ。あの後すぐにイヌガルで戦があってさ。おかげでいい新年を迎えられるさぁ」
そう言いながらヒーナの隣のカウンター席に腰を下ろした。
「それで、ここで働く気になったのかい?」
ローラがそう聞くと、テーブル席でカップを傾けていた護衛の兵士達がコーヒーを吹いた。
むせかえる兵士を横目で見ながら、
「いえ、今日はお茶を飲める場所を探してて…」
と、ヒーナは苦笑した。
「ふーん、そうか…残念だね」
と鼻を上に向けてそう言ったローラは続けざまに、
「じゃ、お昼は食べたのかい?」
と聞いた。
「えぇ、しっかりと…」
ヒーナは微笑み答える。
「そうかい。だったら、私はまだだから、良かったらこんな小汚ないとこより他所へ行こう。美味いレバーの蒸し物を出してくれる所があるのさ」
それを聞いたカウンターの中にいる中年の女性が、「小汚なくて悪かったね」と嫌そうな顔で言った。
ローラは首をすくめるとヒーナに笑いかけた。
ヒーナも自然と笑顔になる。
「払いは後ろで突っ立ってる旦那がしてくれるよ」
ローラはベッヘルを親指で指差してそう言った。
「えっ?!」
思わぬ所から飛んできた災難に、ベッヘルは無意識にすっとんきょうな声を上げた。
そんな旦那の様子を意に介さず、ローラは小さめな声になって、
「あの旦那、あぁ見えても隊長さんなんだってさぁ」
と、目の間の鼻をくちゃくちゃにして笑った。
「ベッヘルさんですよね、よく知ってますよ」
ヒーナが紅茶を飲みながらそう言うと、
「そっかぁ、あんた第八師団だものねぇ…」
と、納得してからベッヘルに顔を向けて、
「へぇ、本当だったんだ…旦那は偉いさんなんだねぇ…」
と、少し驚いていた。
ヒーナが横目でその旦那を見ると、バツが悪そうな顔でテーブルに座る護衛の兵士達に視線を向けていた。
だが、兵士達は兵士達で、一言も話さず、気まずい顔で視線を壁に向けている。
「さっきの武勇伝がホントなら、たんまり報償金がでたんだろ?」
ローラは上目づかいでベッヘルにたずねる。
答えるかわりにベッヘルは苦笑いした。
「じゃあ旦那、行こうか?!」
ローラは椅子から跳び跳ねると、楽しそうにベッヘルの硬い腕にしがみついた。
そしてヒーナに向かって、
「行こう!」
と笑いかけた。
「あの、おいくらですか?」
ヒーナはカウンターの中の女性に聞く。
腰のポーチからお金を出そうとすると、ローラが、
「いいんだよ、ここのはお金をとれるような立派なもんじゃないさ!」
と言って扉に向かって歩き出す。
「こら!ローラ!」
中年の女性が怒鳴った。
「わかったわよ。この旦那からさっきたっぷりもらってるから、後で私が払うわ~」
そう言い返しながら首をすくめて、ベッヘルの開けた扉から出ていった。
扉を持ったままベッヘルは、空いている片手で顔をおさえる。
護衛の兵士達が白い目でベッヘルを見た。
ヒーナもベッヘルが開けている扉から出た。
外はとても寒い。
「あ、マント!」
ヒーナは忘れ物を思い出した。
その後から出てきたベッヘルが、護衛の兵士から受け取ったヒーナのマントを手渡す。
「ヒーナ様、大事なマントをお忘れですよ~」
「ありがとうベッヘルさん」
そう言ってマントを羽織り、
「さぁ、行きましょうか」
とローラに向き直った時、ローラは青い顔でヒーナを見つめていた。
「あ、あんた…ミツカイ様…」
その後の会食はしばらく無言だったが、ヒーナが話かけていき、だんだんとローラの態度も元に戻ってきた。
二人はまた合う約束をして、一方は兵舎、一方は小汚いバーに戻った。
「いやぁ、美味しかったですねぇ~」
ベッヘルは広場を歩きながらそうヒーナに話かける。
「レバーの蒸し物が、ですか?それとも昼間っから女の人と飲むお酒が、ですか?」
ヒーナはわざと冷たい言葉で聞いてみた。
「ヒーナ様、誤解なさってませんか?あそこに行ったのは、理由があるんですよ…」
ベッヘルは頭をかきながら言う。
ただの言い訳にも聞こえる。
「まぁ、彼女たちも商売ですから、よく行って上げないと干上がるそうですし。ね?」
ヒーナがそう同意を求めても、当のベッヘルは何とも答えられない。
「こんなとこで言うのはなんですが、ああいう商売をしている所には、表に出難い情報が集まるんですよ…」
「わかりました。その情報、後で執務室で聞きましょう。来て下さいね」
そう命令すると、ヒーナは一人でスタスタと兵舎まで戻って行った。
その後、執務室を訪問したベッヘルから、最新の情報を聞く。
その情報は二つあった。
一つはフラン国の北にあるリーエン国で、青龍のエミーと黄金のサーヤが戦った事である。
結果、エミーが死に、マルグ国がユードの町を手に入れたという情報であった。
何より、ヒーナが驚いたのは、もう一つの情報である。
ポード国は、軍司令官であった雪の任を解いたという情報だ。
雪は同時に第六師団長であったが、それだけは辛うじて解任されなかった。
しかし、それは名目ばかりで、実際には雪は追放に近い扱いを受け、ポード国の首都ロンドにはもういないという。
ヒーナはそれを聞いて、暗い顔にならずにはいられなかった。
寒い風は窓の外のみならず、ヒーナの心の中まで吹いていた。




