第四十六話 <青龍の悪夢>
サント砦から撤退し、港町ユードに入ったリーエン軍はおよそ一千ほどであった。
元々サント砦を守備していたのは三千に少し足らないくらいであったので、実に三分の二の兵を失った事になる。
西から絶えずクワイ国の侵略を受けているリーエン国にとって、これはかなりの損失であった。
一方、マルグ軍は今動員できるほぼ全ての兵力でリーエン攻略に乗り出した。
当初の計画では、大きな水場がないサント砦の攻略での、エミーの水の力による被害は知れていると試算していたのだが、その最初の戦いで、新兵器の銃によって思いがけない損失を被った。
その後処理、侵攻軍の再編成をする為に、マルグ軍はサント砦にしばらく留まるはめになった。
巨大なテントの中は、外と違って暖かである。
外に設置された、大きな四角い暖房器具は、煙突からモクモクと煙を上げ、その前の階段を登った所にある炉では、煌々と赤い炎が踊っていた。
それが湯を沸かし、沸かした湯はテントの内壁のパイプを通ってテント内を温めるという仕組みだ。
寒い冬場の遠征では、湯を大量に使うし、その一方で暖もとれるという装置であるが、遠征には向かない。
持ち運び組み立てが面倒であり、メンテナンスが大変な為であるのだが、サーヤが無理を言って今回の遠征にこの装置を持ち出したのだ。
こうして使用しているが、ミツカイ、サーヤが言い出さなければ使われる事がほとんどないような代物であった。
その暖かいテントの中で、朝からキセルから煙を上げて無愛想な顔をしている少女がいた。
「戦果がご不満ですか?」
チュニックにタイツ姿の小男、ハラルドがその少女に聞いた。
足を組んでその上に肘を付き、手のひらにアゴを乗せたまま、口からキセルを離し、
「当たり前だ!」
と、煙とともに乱暴な言葉を吐き出した。
「青い鎧のミツカイ、殺せと厳命したハズだろ!」
ハラルドは少し苦笑して、
「追撃して大分と敵の兵力は削りましたが…」
と弱々しく反論した。
「バカめ!次の目標は港町だ!そのエミーってヤツの得意なステージなんだろ?!私はともかく、味方に犠牲が多くでるじゃないか!」
「サーヤ様…下々の事を考えて下さるとは…恐れ入ります」
小男は恭しく礼をした。
それでサーヤはチッと舌を鳴らした。
「その件はもういい…」
「申し訳ございません」
ハラルドが深々と謝罪する。
その灰色の髪を見下ろしながら、
「その代わりに、敵から鹵獲した銃だ!全て本国へ送って、技術の奴等に同じものを大量に作らせろ!これに対抗する鎧もだ!」
「はい!」
と返事をして、いそいそとテントを出ようとする小男にサーヤは、
「あぁ…」
と、思い出した様に付け加えた。
「銃は二、三丁、それと弾は百発くらいは置いておけ、私が使う」
真っ暗な闇の中、白い扉の向こうに出ていこうとする男がいる。
鼻の下に細長い髭を蓄えた男性。
白いカッターシャツにグレーのベスト、フェルトの入った丈夫な黒のスーツを着ている。
家の玄関で後ろ姿のその男性の手にすがって、出ていって欲しくないと告げる。
しかし、黒い革の手袋をしたその手は冷たかった。
強く握っても、かつてのように握り返してはこない。
胸が痛い。
胸の中にある小さな風船がチクチクと刺されて、弾けて割れてしまいそうだ。
息苦しい。
「パパ、行かないで…一緒に遊ぼう!パパ…行かないで!」
エミーはパッチリ目を見開き、布団を蹴ってガバッっと上半身を起こした。
胸が鉄線で締め付けられているように冷たく、息苦しく、そしてシクシクと痛い。
うめき声が自然に口からもれ、両手で胸をおさえた。
夢だ。
また、あの日の悪夢。
「エミー様…また悪夢を?」
心配そうな顔のヨンジが、ベッドの隣にいて、エミーを覗き込んだ。
苦しそうに肩で息をしながら、エミーは胸を押さえていた。
「痛みますか?」
ヨンジはそう言って首を後ろに向けた。
誰かを探しているようだ。
おそらく医者だろう。
「何時もの痛みだ、大事ない…」
エミーは荒い息の中でそう答え、大きく深呼吸息した。
エミーの両親は彼女が九歳の時に離婚し、それからは親戚の家で暮らすことになった。
家から出ていったのはエミーの方になるのだが、いつも玄関から出ていこうとする父の夢を見る。
それ以来父親には会っていない。
もう、口髭以外の顔の細かな部分が思い出せないくらい昔であり、父親という者に対して、特にどうという感情もなくなったと思っていた。
しかし、馬に乗り、射撃の訓練をしていたのは、自分自身が父親の影を追い求めていたのかも知れない。
父親に近付こうとしていたのかも知れない。
そして、父親の夢を見て起きると、必ず何かの病のように胸が痛む。
この世界に来てリーエン様に謁見し、この世界の事情と自分の役割を聞いたとき、十八歳にもならない少女に何が出来るものかと思った。
エミーを一目見たリーエン様は、そんな少女の顔をじっと見つめて、悲しげな顔で、
「不憫な…」
と、嘆いた。
そして、
「そなたの望みを叶えたい、我らに協力してはくれぬか?」
と、落涙した。
そこで初めて、エミーは、自分の胸にくすぶっていたある想いに気付いた。
それは両親への想い。
懐かしくも楽しく、温かな家族への憧れ。
それが自分の行動、自分の願いの全ての根底にあることを自ら悟ったのだった。
エミーの決断は早かった。
すぐ背中まであった黒髪を切って、耳が出るくらいの短髪にした。
そして、快晴の空のような青い鎧を着て戦場に出向いたのだ。
それから幾多の戦場に出撃し、エミーは目覚ましい活躍を遂げた。
「この世界には四人の強力なミツカイがいる。赤、青、黄、緑の四人だ」
と人々にいわれるほどになった。
エミーはベッドから足を下ろし、ブーツを履く。
「鎧を着るわ、持ってきて」
エミーの言葉にヨンジが渋い顔をして、
「まだ休んでいて下さい。敵はしばらくサント砦に留まるでしょうから…」
と言って少女を寝かそうとした。
「寝ていられない。私は戦わねばならない。戦って取り戻さなければならないものがあるのよ…」
こういう悪夢を見て寝起きのエミーは、冷静な判断力に欠け、生き急ぐように戦場に向かう時が多い。
だが過去に、そのまま出撃して、大敗した苦い経験がある。
ヨンジはそれを言い聞かせてエミーを落ち着かせた。
八日間程後、マルグ軍はリーエンの港町ユードを目指して北進を開始した。
白馬にまたがる赤い鎧の少女は、手綱も握らず、退屈そうにキセルを吹かしていた。
冬の日は短い。
馬に揺られてお尻が痛くなる前に行軍が終わる。
暗くなりつつある空からは、かすかに雪がちらつくような寒さで、ゆっくりと馬を進めるのだが、風は冷たく肌をさす。
そこへ、赤い羽根のついた緑色の兜をかぶった兵士が馬を駆って来た。
「ご注進!ご注進!」
と叫んでいる。
赤い羽根付きの緑兜はマルグ軍の伝令兵である。
「補給部隊がリーエンの騎兵隊百により壊滅!物資を奪われました!」
伝令兵がそう言うと、
「なんだと!」
と、サーヤが怒鳴った。
「何の為に一千もの兵士を護衛に回したと思っている!」
サーヤがそう怒鳴るのは無理もない。
リーエン国のエミーは、そういう各個撃破の戦法をよくとるという話を聞いていた。
その為、一万という大軍で同時侵攻という形を取ったのだ。
サント砦を落としてからは、サント砦とユードの町への侵攻部隊との間を行き来する物資輸送部隊が狙われるというのも、作戦に折り込み済みだった。
だから、砦に二千もの兵を残し、輸送隊の護衛に一千もの兵を当てて、六千の兵士でユードを攻めるのだ。
「やられたのは、一番後ろの隊か?」
輸送隊は三隊に分けて、行き来している。
場所にもよるが、長くても二時間戦闘すれば後ろの隊がやって来る。
効率よく各個撃破するなら、一番後ろの隊を狙うだろう。
「それが…全ての部隊が壊滅です…敵は騎馬で遠くから、あの新兵器を使って、瞬く間に討ち果たしたと…」
「壊滅したのに詳細がわかるのか?」
「先頭の隊の生き残りが報告に来ました…今確かめに行っています」
その報が事実だったとすれば、敵は前方の部隊を最後にして、後ろから一つづつ潰したか、同時に攻撃をかけた事になる。
後ろからという事は、砦からある程度離れないと攻撃できない。
砦から見える範囲だと、援軍を出されるからだ。
三~四倍の兵士を相手に、その短時間で壊滅させるのは、かなり至難な技だ。
もしくは、銃の威力はそれほど凄まじいのか。
「よし、今日はここで宿営だ。補給がない場合の策を練らねばならない…」
サーヤは不満そうな顔ではあったが、時折ニヤリと笑っているようにも、楽しそうにも見える。
設営を済ませたマルグ軍は、サーヤのテントに集まって、夕食がてら軍義を開いた。
「ここから近くに林はあるか?できれば竹がいい」
ベーコンの入ったコンソメ味の熱いスープをすすりながら、サーヤがきいた。
このミツカイと同じ広いテーブルを囲む隊長達のうち、老齢で白髭の華奢な男が、
「たしか北西に竹林があったかと…」
と、答えた。
「よし、明日そこから大量に竹を刈り取って来い。何十本を一括りに束ねて銃の弾除けに使うんだ、わかったな」
サーヤの案で、食卓に、「おぉ!」と感嘆の声がもれる。
「それで一日費やするとして、ユードの町にはいつ着くのか?」
サーヤはまた隊長達にきいた。
「進軍が順調に行けば、あと四日間でユードの町に到着、さらに二日あれば囲えるでしょう」
と、黒い鎧の男が言う。
その黒鎧の男に、
「もう少し短くならないのか?」
と不機嫌な顔でサーヤが聞き返した時である。
「ご注進!」
と伝令兵がテントに入って来た。
「リーエン軍二千がユードの町を出撃して南下、こちらに向かって進軍しているとの事です!」
伝令に戸惑いを隠さないでざわめく隊長達を差し置き、サーヤは冷静な顔で、
「距離は?」
と聞いた。
「昼過ぎに出陣がありました。こちらが停止していれば、二日と半日でぶつかります」
報告を頭の中で整理しながら、サーヤは考え込んでつぶやいた。
「こちらが進軍すれば明日か明後日には対陣するか…」
その口に、コンソメスープに浸けたライ麦パンを運んでもぐもぐとしながら、サーヤはニヤリと微笑んだ。




