第四十四話 <燃え上がる要塞>
トンネルから出たリンダは、雪の顔を見てほっとため息をついた。
穴の中と違ってここは熱気がすごい。
時折強い風が南西方向から吹いていた。
要塞は内部では、高い壁に囲まれて出口は一ヵ所という造りのせいか、扉が落とされ閉じる事が出来ない門からは鞴のように風を呼び込み、要塞の中で渦を巻いて炎を煽った。
それで、中央の執務塔は元より、兵舎、食料庫、厩舎、農具小屋、訓練場という建物という建物が炎に包まれて黒い影にしか見えない。
唯一、北側にある武器庫だけは燃えていないが、これではそれが気休めにもならない状況だ。
ただ、地下のトンネルの事を思うと、地上の地獄のような業火もマシに思える。
トンネルにリンダが入った時には既にクロードは死に、クロードの連れていた兵は全滅に近い状態で、生き残った者たちは怯えていた。
要塞から下り始めた下り坂の時は何もなく、簡単に底までたどり着いた。
渡し板を下りて緩やかな坂を上ろうと少し行った所には、燃え跡の残る布切れが天井からぶらりと垂れ下がり、その下に焦げた死体があった。
さらに先には、落石の跡とポード兵の死体、その先には弓矢の刺さった死体と共に落とし穴が点在し、さらに行くと辺り一体が燃えた跡と木柵の焼け残りに黒い死体がある。
そして、それらが交互に続いている。
生き残り、壁にもたれて座っていた兵に聞くと、クロードは二つ目の落とし穴に落ちたそうだ。
まともに交戦していないポード兵達はいきり立ち、隊長の敵討ちと息巻いて先に進んだが、同じような罠や弓矢やにさんざんにやられたという。
罠をかいくぐってやっと敵軍の姿を見付けても、フラン軍は退却しながら距離を取ってトンネルの出口方向、坂の上から弓を射掛ける。
反撃しようにも、こちらが坂の下になるので、ポード軍の弓矢は届き難い。
さらに、そこにも落とし穴などの罠があった。
確かに、リンダがここまで来て、フラン兵の死体は数える程しかなかった。
そして、まだ先に木の柵が見える。
あれには油が撒かれていて、近付くと火矢で攻撃され、燃え上がるのだ。
そんな状態でもポード兵が退却しなかったのは、遅れて発動する罠を見たからである。
何人か集まってから落とし穴が開いたり、布を切り裂いたら爆発したりと、手が込んだ罠であった為に、進むことは当然ながら、退くことでも罠にハマるのではないかと、戦闘が落ち着くまで待っていたそうだ。
ここで休んでいた兵士のみならず、リンダもどうしたものかと困り果て、周りの隊長格に意見を聞いていた。
その最中に、雪からの伝令兵が「退却せよ」と告げに来たのだ。
リンダは退却路に罠が一つも無かったことに胸を撫で下ろし、トンネルを出て太陽の眩しさに目を細くしながら、司令官である雪を探した。
リンダの報告を受けた雪は、何かひっかかるモノが胸につっかえて飲み込めないでいた。
リンダは横で壊れた東門から出撃させろとがなりたてたが、その言葉を聞いていないかのように考え込んだ。
そんな時にエーマが、イヌガル要塞の被害状況の報告を持って来た。
雪が料理人や給事係、商人などの一般人を避難させた守り抜いた武器庫は無事であったが、それ以外の施設がことごとく焼かれていた。
特に被害が大きかったのは中央の執務塔で、これはもはや全焼していた。
食料庫は東門の近くにあった為、食料の一部は奪われ、残りは焼かれた。
それでも、焼け残りの中からかき集めれば、五千人の兵士三日分ほどの食料は確保できそうである。
そこまで聞いて雪は、ある一つの、大変な思い違いに気付いた。
それで、胸につっかえていたのがなんであるのかやっと分かった。
だがそれが解ったところで、雪を辛い自己嫌悪に追い込む。
「私は、間違っていた…今までの経験、知識といった常識に捕らわれ、その軍略の大前提に据えるべき敵の目的を見誤っていたのだ…負けて当然だ…」
雪の言葉に、リンダは怪訝な顔をする。
対照的に、雪は愕然としていた。
ヒーナがこれ程の相手とは思わなかったのである。
見かけは少し背の高い、頼り甲斐の無さそうな華奢な小娘であるが、その実、雪の知りうる常識や戦術をことごとく裏切り、今までの敵とは違った戦い方をする。
なにより、その戦い方が理にかなっている。
最初からそういう評価をしていれば、彼女の目的を間違える事はなかったのかも知れない。
ヒーナの目的はイヌガル要塞を奪取する事ではなく、イヌガル要塞を破壊する事にあった。
いや、それも正確な目的ではない。
ヒーナはポード軍に、モナリやホルンの町を攻められたくなかった。
だから、当分は戦いが出来ないように、その拠点であるイヌガル要塞に深刻な被害を与えに来たのだ。
そうすれば戦争する労力を割いて、要塞を修復しなければならない。
「ならば…話は簡単だ。私の最後の仕事、敵の目的を挫く簡単な策がある…」
雪のつぶやきに、リンダはより額のシワを深くした。
「何を言っている雪?…最後だって?」
それで雪はリンダの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あぁ…最後だ。私が発案した、モナリとホルンを落とし穀倉地一帯を占領しようというフラン国東部攻略作戦、その最終戦がこの戦いだ。作戦が失敗となれば、責任を取る人間が必要になる。…それに最適なのは私だ」
リンダは驚いた。
雪のシルクのような白い頬に残る微かな涙の跡には、こういう理由があったのか。
「今回の最大の誤算を少しだけ取り戻す。…まぁ、嫌がらせ程度だがな…」
雪のその言葉を聞いて、エーマはべそをかき、
「雪様…」
と、つぶやいた。
「全員ネクスの町まで退却だ。イヌガル要塞を遺棄する」
雪はそう号令した。
ヒーナはトンネルの周りを固め、本陣をその西側に置くために設営等の準備を指示し、時折穴の中の兵士と伝令のやり取りをしていた。
陽はそろそろ傾き、空は端から徐々に茜色になっている。
朝からの長い対陣の中、兵達は腰袋に入っている干し肉や水などしか口にしておらず、まともな食事をしていない。
穴の中の兵士を総交代し終えた頃である。
ポード軍退却の報が舞い込んできた。
「やった!」
とヒーナは一瞬喜んだが、要塞を破壊し過ぎたのたのでは?と、考え直してたちまち落ち込んだ。
第一、ポード軍にとっては、フラン国に侵略する拠点を一つ失ったに過ぎない。
今度はネクスの町から直接、モナリやホルンの町に遠征して来るだけである。
イヌガル要塞再建中は大丈夫、などと呑気な事は言えなくなった。
そんな深慮中のヒーナとは対照的に、周りの兵達は喜んでいた。
「イヌガル要塞に入りますか?」
と嬉しそうな顔のガモ。
「いえ、そのまま打ち捨てる事にしましょう…」
と暗い顔のヒーナ。
そんな様子を見ていたヤードは小さな溜め息をつき、ヒーナに声をかけた。
「あれだけ訓練や準備をして苦労の末に得た勝利です。素直に喜ぶのも指揮官の仕事ですよ?」
少し困った顔でヒーナにそう言う。
それに答えて、ヒーナは少しだけ微笑んだ。
「…そうですね…勝ったのに指揮官が落ち込んでいるようでは嬉しさ半減ですものね…」
そう言うと、馬にまたがり、兵士達の前に出た。
穴の中にまだ兵士がいるのと、テントの設営作業に手をとられているので、ここの兵士達はわずか四百名ほどであるが、やはり話す前には緊張する。
手が震えそうになるのを必死でおさえ、ヒーナは手綱を片手に握った。
そして、空いた右手で剣を抜き放ち、水色と茜色の層になっている空高くにその剣を掲げる。
「皆さん!我々の勝利、努力の勝利です!」
兵達は喚声を上げた。
夜、宿営でささやかな宴会が開かれた。
その頃には既にイヌガル要塞を攻めていた別動隊二千が合流し、その隊長達が訪れてヒーナのテントは賑わった。
しかし宴会場が本陣のテントの中では、その大きさから隊長とその側近くらいしか入れない。
出されている料理も、戦場ではそれほど豪華なモノは作れない故に、腸詰めをトマトと香草で煮込んだものや、塩樽漬けの鰯とチーズに冬野菜をオリーブ油で和えた冷菜、ライ麦パンなどしかない。
今回の作戦では、ソフィア、セナ、ジュリアの給事係三名もヒーナに変装して参戦している。
それで、三人は給事係としてではなく、兵士として飲み食いする側に回り、ヒーナ、ジュリアと共に女性陣を作って楽しく食事をしていた。
そんな様子を眺めながら、胡椒が効いた葡萄酒を傾けるベッヘルが、
「我らがミツカイ様は、今回は喜んでみえるが、俺達はそんなに完璧な働きだったかい~?」
とヤードに絡む。
ヤードは嫌な顔一つしないで、
「いや、最初は毎回のごとく、暗い顔だったよ」
と答えた。
ニヤけていたベッヘルは真顔になって、
「月影の、ユーベルが原因か?」
と聞いた。
それで首を横に振るヤード。
「それはないと言えば嘘になるかも知れないが、そうではない。恐らく、我々が勝ちすぎたのだろう…」
「勝ち過ぎると、何か不都合があった、と?」
ベッヘルはいぶかしんだ。
「おそらく、ヒーナ様はポード軍との均衡を保とうとしておられたのではないか?例えば、イヌガル要塞を巡って何年も争い合う、とか…」
ヤードの言に、ベッヘルは変な顔をした。
「夏前にあのお方は天下三分を提唱された、というぞ。その本人がポード国との均衡を?」
ベッヘルの疑問はその通りであった。
フラン国の西はクワイ国で、そのクワイ国こそが、力が均衡していた六ヵ国の一つを滅ぼし、三分の一に及ぶ領土、つまり他国の二倍の領土を支配したのだ。
あとの四ヵ国が六分の一の領土である以上、天下三分と言うのなら、普通は東のポード国を攻め取る事に血眼になるだろう。
「…確かに…だが、ヒーナ様の頭の中には、我々の未来の更に先を構想しておられる。それは決して、フラン国にとって不幸な未来ではない…と、私は信じている」
ヤードは曇りのない目で真っ直ぐにベッヘルを見た。
「その点は同感だ。あのお方はよく周囲に助けられている。しかし、その労力をいとわないで大いに助ければ助けるほど、我々の未来は開けて明るくなる。と、小官は確信しておるわけですがねぇ~」
ベッヘルはいつものようにおどけて言った。
「ところで、」
とヤードが、赤ら顔で葡萄酒に口を付けているベッヘルに切り出す。
「ベッヘル殿は何故第八師団に?」
真っ直ぐにベッヘルを見つめる目に、一瞬戸惑ったが、
「どうせなら、可愛い女の子と一緒に戦いたいだろぅ~?」
とおどけて返してみた。
しかし、真面目なヤードにそれが通じる訳でもなく、すぐにベッヘルも真顔になって、
「あの娘には義心ある。最初はそう思ったのだが…」
と、続けた。
「ロウが投獄された件があったろう?あれで分かったんだが、ヒーナ様のそれは、義心なんて生易しいモノじゃないな…あれは…なんと言うかなぁ…前の家業のに近い義なんだか…もっと燃え上がるように熱くて、ドロドロとした…」
ベッヘルは口を結んでうーんと考え込んだ。
山賊や海賊の世界でも、大所帯ともなれば義心は尊重される。
元々、社会の法や人情に叛いた世界である。
しかし、人の集団であれば、何の規則もなく束ねる事は出来ない訳で、結果、仁義に叶う行いをする頭に人が集まり付き従う。
義心には人が惹かれるのである。
だが、それとは少し違うとベッヘルは言う。
さらに熱くてドロドロとしていると。
ヤードは、オマージュが得意で、いつも人を煙に巻くような発言をしては本心を見せないベッヘルが、そんな風に考え込む姿を初めて見た気がした。
「侠…」
ふと、ヤードが口にする。
「おぉ~それだ!」
ベッヘルは合点がいったといわんばかりに、大きく頷いて葡萄酒をあおった。
「我ら騎士が訓練課程で教えられるのは、忠、信、礼の三訓だ。義も侠も入ってはいない」
ヤードもそう言って葡萄酒をあおる。
「あぁ、お前さんを見ていれば分かるさぁ~」
ベッヘルはまたいつもの調子に戻っていた。
そこへ、女同士の話に入れなくなったセナがやって来て、チーズに鰯を乗せて食べた。
そんな少年の様子をじっと見つめていたベッヘルは、
「ところで、」
と話を切り出した。
「ヒーナ様は好きか?」
ベッヘルの質問になんのためらいもなく、セナは、
「好きだ」
と即答した。
じっとセナの瞳を見ていたベッヘルは、少ししてからにっこり笑って、
「あまり面倒をかけるなよ~」
と言って、カップを口にした。
それでからかわれたと思ったのか、セナは立ち上がってローグ達の方へ去って行った。
そんな少年を黙って目で追っていたベッヘルは、
「よかったなぁ、副師団長殿。セナはライバルにはならないようだぜぇ~」
とニヤけて言う。
そんな、ベッヘルの視線は何かを見抜くように鋭かった。
「何のライバルだ?」
ヤードが問う。
「とぼけるなよ色男。既にローグとはライバル同士だろぅ?」
「白波の跡取りがライバル…?」
首をかしげながらそう聞き返すヤードは、酒のせいか少し頬が赤らんでいるようであった。
「あぁ、ヒーナ様を巡って、なぁ~」
ベッヘルは嬉しそうな顔をしていた。
「…な、何をバカな!」
思わず叫んだヤードの言葉に、テントの中は急に静まった。
普段勤勉実直で落ち着き払っているヤードの、そんな様子を見るのは珍しかった。
ヒーナも、その周りの女たちも、驚いてヤードを見つめていた。
隣に座っているベッヘルは、ヤードの耳に顔を近付けて、
「愛や恋ってのは、片方にその気があれば成立するんだぜぇ。あんたになくても、相手が想いを寄せればライバルも出来るってもんさ~」
と囁いた。
ヤードの元々浅黒い色の顔は、赤黒くなっていた。
「さっきからチラチラとこっちを見ていた師団長様に、気付いてなかったのか~?」
ベッヘルの言葉に、ヤードは押し黙って酒をあおった。




