第四十三話 <仕掛ける陣形>
薄く引き伸ばしたような雲が空にまばらに散らばっていて、強い風に急かされるように押し流されて行く。
膝に達しようかという枯れ草が生い茂り、焦げ茶色の枯れ草の間から赤茶色の土と、転がっている石ころが見える。
そんな空と大地との間に挟まれ、時々冷たくて強い風に吹かれながら、フラン軍三百強を率いるヒーナと、ポード軍三百程を率いるジャンは、互いににらみ合いの状態に入っていた。
イヌガル要塞の方から時折歓声が聞こえるが、どちらの軍のものか、何の歓声かは分からない。
しかし、ヒーナは少し焦っていた。
早く目の前の敵を何とかしないと、背後の穴が危ういかも知れない。
「何とかならないものでしょうか…」
ヒーナは思わずつぶやいた。
「作戦を立てる為に両翼から隊長殿を呼びますか?」
近くの伝令兵が聞くと、ヒーナは頭を振った。
「その隙を狙って来そうな敵です」
今の状態では後手必勝。
先に陣形を変えたり、仕掛けた方が不利になる。
「…そうか…ならば、隙を作って狙わせればいいのか!」
ヒーナは思わず頭を上げた。
少しして、両翼の隊長、ヤードとラグンへ伝令が走る。
それからしばらくして、軍使が一騎、白旗を掲げてフラン軍から出て、ポード軍の方へゆっくりと近付いて来た。
「フラン軍第八師団長ヒーナ様の言を伝える!」
使者はポード軍の前まで来ると叫んだ。
「イヌガル要塞から炎が上がっている!ポード軍はもう要塞にはいないだろう!今すぐ撤退されよ!さすれば追撃はしない、以上!」
使者の声でポード軍の兵士たちは要塞を見た。
確かに、黒い煙が幾筋も立ち上ぼっている。
ジャンもイヌガル要塞を一瞥してから、
「ミツカイの師団長とその副長が少数で、剣の届きそうな場所に居るんだぞ?その機会を…」
と言って、馬上で腕と背中を伸ばし、視線の先にある拳で、展開するフラン軍の兵士たちを握った。
「いかなご返答!」
フラン軍の使者が叫んだ。
「しかも即答を求めるのか…フランのミツカイは焦っているのか?」
ジャンがつぶやいた。
それを傍にいたポード軍の伝令兵が聞いて、
「私もそう思いました。急いでいるとしたら、何か目的でも…」
と、いぶかしげに言う。
「まぁ、それが解るようなら、オレも師団長になれるんだろうがな」
と言って、ジャンは少し笑った後に、
「使者殿!ポード軍第四師団、副師団長ジャンがフラン軍のミツカイ殿に御返事致す!」
と、叫ぶ。
フランの使者はそれで、
「ご返答やいかに!」
と大声で返す。
「弓矢でお応え致す!」
ジャンは、そう返した後、間髪入れずに、
「つまり、オレのケツをなめろ!それとも、その青いケツをなめに行ってやろうか、って事だ!」
と、大声で続けた。
それでポード軍の兵士たちはどっと笑い出す。
ジャンの傍らのガストンは、手のひらを顔にあて、溜め息をついた。
「ジャン様…」
ジャンはガストンの方に振り向き、頭をかいた。
「いやぁ、一度言ってみたかったんだよね…ほら、なんとかって武装集団を討った時に、これ、言われたろ?」
と、言ってから真顔になり、
「でも、雪様には内緒だぞ」
と声を低くした。
ヒーナの元に返って来た軍使は、浮かない顔をしていた。
「どうしたのですか?」
ヒーナが心配そうに聞くと、使者の伝令兵は答え難そうに、
「拒否されました…」
と言う。
拒否されることは予測していた。
あわよくば、とは思っていたが、伝令兵がそれだけで落ち込むのはおかしい。
「ポード軍は笑ってましたが、何と言って返して来たのですか?」
と、ヒーナは疑問を晴らす質問をした。
使者であった伝令兵は悩んだ。
侮辱するような言葉をそのまま言っていいものかと。
しかし、伝令隊長であるガモが常に、私情を挟まず、状況を正確に伝える事に心を砕いているのを見ている彼は、すぐに思い直した。
そして、姿勢を正すと、声を張り上げた。
「ポード軍隊長殿の返答をお伝えします。『弓矢でお答え致す。それと、オレのケツをなめろ。それとも、その青いケツをなめに行ってやろうかって事だ』以上です」
聞いていたヒーナは目を丸くして、
「まぁ!…」
ともらした。
しかし、すぐに口角を上げて、
「それじゃ、なめてもらいましょうか。ただし、お尻じゃなくて辛酸をね!」
と言い放って、明るく笑い飛ばした。
「おや、動いてるね?」
ジャンは、フラン軍の方に目を凝らしながら、そう言ってニヤリと笑みを浮かべる。
「白い羽根はミツカイ、ヒーナか…。それに青いトンボ印の旗指物は、伝令兵だな…」
ポード軍の陣営からでは見易くはないが、確かに馬上にあるらしい高さに、白い羽根が風も無いのにユラユラ揺れているし、青地に白いトンボの印を染め抜いた旗を背中に差した騎馬が、フラン軍の中を忙しく往来している。
青地に白いトンボの旗はフラン軍の伝令兵の物だ。
と、そのユラユラ揺れる白い羽根に、左右の両翼から、青いトンボ印の旗が二騎集まった。
その両側から寄る青旗の後ろに、両方とも騎馬が数騎着いている。
遠目だが、その格好からして、一般の兵士ではなさそうだ。
「両翼の隊長がミツカイに呼ばれた…と見るのが妥当か…ミツカイも移動している…」
ジャンは思わずつぶやいた。
前の戦闘でフラン軍の方が好調であったのに、退却の勧告を出してもポード軍はそれに従わない。
で、どうするべきかを協議をするのだろう。
今すぐ攻勢を掛ければフラン軍はすぐに動けまい。
当然両翼の行動が遅れ、前の様に後退しながら両翼を上げて両側から挟撃するという戦法は取れないだろう。
ならば、機会が到来した。
「全軍突撃!狙うはあの羽根付きの兜ただ一つだ!」
ジャンはこれ絶好の機会として突撃を命令した。
「ヒーナ様、来ましたね…」
ヤードがそう言って、目を細めてポード軍を睨んだ。
「はい、今までは順調です。手筈通りに動きましょう。私の前に二列、十名を残して左右に分かれ、敵の後背から突いて下さい」
ヒーナは顔を強張らせながらそう指示すると、二人の隊長は剣をスラリと抜いて自軍へ引き返して行った。
強い風が吹き、ヒーナの髪が流される。
ヒーナは身震いした。
寒い。
マントがないとこうも冷えるものかと、何も羽織らずに立っている兵士の苦労を思った。
やがて、突撃してきたポード軍が、迎え撃つフラン軍とぶつかる。
土煙に血飛沫が混じる。
兵士たちの咆哮に金属と金属がぶつかる甲高い音が混じる。
ぶつかり合う金属音から飛び散る火花、そして断末魔の悲鳴と怒号。
突撃してきたポード軍は真ん中を厚くして中央の羽根付き兜を狙っているようだ。
対するフラン軍は、剣を交えつつも、左右に分かれて中央を開ける。
「ミツカイは動いていない!今なら殺れるぞ!」
ポード軍の隊長たちから号令が響く。
顔ではなく後頭部が見える。
この兜の右側が少し凹んでいる。
羽根付き兜は後ろを向いていた。
その下には白いマントを羽織っている。
馬上のジャンはそのまま突撃し、あとは二列の歩兵十名程を抜けば、羽根付き兜の首を跳ね落とす事が出来る。
ジャンは、馬の尻を剣で叩き、手綱を強く引いて馬を跳ねさせた。
敵兵は馬の下敷きになるまいと左右に分かれた。
羽根付きの兜は目の前にいる。
そのまま馬を走らせ、追い抜きざまに羽根付き兜の下、首の部分を目掛けて剣を振り抜く。
兜は宙を舞い、マントがハラリと落ちた。
手応えがない。
「くそ、カカシか!」
長槍を地面に突き立て、それに横棒を括り付けて、羽根付き兜とマントを被せた物だった。
本物は恐らくこの様子を見ている。
ジャンは直感でそう思い、馬を停止させて辺りを見渡す。
早い流れで南に向かうポード軍。
その両脇をゆっくりと北へ移動するフラン軍。
その西側のフラン軍の中に、早い速度で北西に移動する十人くらいの塊があった。
その塊の中央に背中くらいの長さの黒髪、他の兵士の肩くらいまでの身長の者がいる。
その少女がチラリと振り返って、同じく馬上で首だけ振り返っているジャンと目があった。
少女は急いで視線を反らし、頭を下げて隠れようとする。
間違いない。
あれがミツカイ、ヒーナだ。
すでにポード軍の半分くらいはフラン軍の中を通り過ぎようとしている。
ジャンは思わず、
「ミツカイはソコだ!」
と、指差し叫んだ。
ポード軍の兵士たちが振り返る。
それとほとんど同時であった。
「全軍反転!」
「反転!ポード軍を追撃せよ!」
両側のフラン軍の隊長たちが号令する。
ジャンはここで「しまった!」と思った。
フランのミツカイは、こちらの無策な突撃を待ち構えていたのだ。
ポード軍の突撃は左右に流れるようにして避け、両脇から上がって反転し、突撃してきたポード軍の背後をつく。
その作戦が成功しやすいように、ミツカイのカカシを置き、それがバレた時にわざと見付かるように移動してポード軍の足を止め、そこで反転攻勢をかける。
今はポード軍の後ろ半分はフラン軍に飲まれ、人数的にも二対一の劣勢になっている。
さらに、今、前の半分が反転してしまうと、後ろの自軍とぶつかり合う。
部隊は混乱し、統率が効いているフラン軍に蹂躙されるだろう。
最善は、このまま後ろを捨て置き、前進する事だ。
しかも出来るだけ早く前に行きフラン軍と離れないと、後から付いて来る残り半分のポード軍は助からない。
つまりそれは、逃げるポード軍と、それを追いかけるフラン軍という形になる。
「全軍、全力で前進だ!急げ!」
ジャンは敗北感に見舞われ、しかめっ面になりながら全軍に敗走の命を下した。
南にそのまま走り抜けたポード軍は、イヌガルまで通じる穴の横を通り過ぎてイヌガル要塞方向へ走った。
彼らはその穴がイヌガル要塞までつながっているという確証を持っていなかったし、穴に逃げ込んでは隘路になり、もし突き当たり進退極まった時にいかんともしがたくなるという判断からである。
このジャンの判断は至極当然のものであったが、無謀にもトンネルに逃げ込まなかったのは、ヒーナにとって幸運だった。
ポード軍の後軍のほとんどを討ち果たしたフラン軍は、敗走するポード軍二百足らずを、ある程度までしか追走せず、穴の周囲に再集結した。
ガモに連れられて一時撤退し、戦局を見守っていたソフィア達が、ヒーナ達の元に戻って来た。
やっと話せるようになって、ヒーナは胸を撫で下ろす。
「無事でよかった…」
ヒーナはソフィアの顔を見て安堵の溜息をもらした。
「月影の…ユベールさんが…」
ソフィアはヒーナの顔を見るなり、そう言ってしゃがみ込んで泣き出してしまった。
ヒーナは駆け寄って、そんな、少しお姉さんのソフィアの肩を抱いた。
ソフィアはヒーナにすがって、更にメソメソと泣く。
傍まで来たジュリアも、そんな様子を見て半ベソをかいていた。
そこへガモが寄って来て、低い声で、
「月影のユーベル殿は、我々が敗走する盾になられて、戦死されました…」
と告げた。
ヒーナは一瞬眉を動かし、目を閉じた。
第八師団の部隊長格が討たれたのはこれが初めてである。
戦争であるのだ、覚悟がなかった訳ではない。
だが、実際にその場面になると涙を禁じ得ない。
泣きそうになるのを、ヒーナは歯を食いしばって堪えた。
「ユーベル殿は、リンド以下配下の者百名にソフィア殿を託し、数十名の部下と共にポード軍の追撃を阻むために盾になられました」
ガモは淡々と語っている様であったが、その顔は苦々しい表情であった。
「私を逃がす為に…私が討たれると敵軍は納得すると言ったのですが、ユーベル様は『それじゃ、戦いの後、誰がうまいコーヒーをいれてくれるんだ』と…」
そう言いながらソフィアは涙を拭った。
リンドや、月影の部隊の主だった者数名が、ガモの後ろまで来て下を向いていた。
ヒーナは目を赤くしながら、
「リンドさん、ソフィアを無事にここまで届けてくれた事、感謝いまします…」
と述べると、すっくと立ち上がって、
「ユーベルさんの代わりに、リンドさん、あなたが部隊を率いて下さい」
と命じた。
リンドは頷くと、言葉もなく、ひざまづいて頭を下げた。
「帰ったら、皆でソフィアのいれた美味しいコーヒーを飲みましょう」
そんな師団長の言葉を聞いたリンドの両肩は激しく上下した。
リンドは月影海賊団の懐刀と呼ばれるほど機転が利き、戦略的、政治的手腕に長けていた。
元々身寄りもなく、小太りであり、イマイチうだつの上がらないようなパッとしない風貌であった。
だから、いつも仲間内にさえ小馬鹿にされてきたリンドは、大型の商船で小間使いとして働いていた。
ある日、ポード国との国境付近で嵐に合い、海に放り出される。
その時に、その辺りを縄張りにしていた月影海賊団に助けられ、そのまま海賊団に居着いた。
その頃ユーベルは、小さな月影の海賊団を継いだばかりであった。
リンドはそんな頭の元でよく働き、自分も露ぞ知らなかった才能を開花させた。
そんな月影の海賊団にも、頭のユーベルにも、並々ならぬ思いがある。
リンドは頭を下げたまま、言葉もなく嗚咽していた。




