第四十二話 <雪を溶かす炎>
ポード軍遊撃隊の突撃に、ヒーナは迅速に対応した。
本隊をぐっと後退させて左右の両翼を上げ、伸びきったポード軍を両側からすり潰す作戦だ。
突撃された当初は、ヒーナの前の兵士が剣を交える所までポード軍は迫って来た。
しかし、すぐにこの陣形での作戦は効を奏し、ポード軍は被害が拡大する前に後退。
ヒーナはそれを追わず、二軍は互いに距離を取ってにらみあった。
一方、イヌガル要塞の中では、炎があちこちから上がってはいたが、武器庫の前のポード軍がじわじわとフラン軍を押し返していた。
要塞の中心にある執務塔はもちろんのこと、兵舎、食料庫、資材倉庫などにも火の手が上がっている。
時々火炎弾が飛んできたが、近くに井戸があるのと、その水の貯水池がある為、なんとかポード軍の背後にある武器庫の類焼は防いでいる。
「雪様!我が軍が、穴の周囲を占領!」
伝令の報告に雪は大きくうなずいた。
「クロード!千の兵を連れてトンネルから向こうへ出ろ!そこにヒーナがいる筈だ、討ち取れ!」
雪に呼ばれたクロードは、胸に腕を当ててかしこまった。
そんな部下の様子に、
「今はジャンがいない…頼りにしているぞ、クロード…」
と、雪は無表情ながらどこか寂しげにそう言うと、すぐにくるりと振り返り、
「全軍敵をイヌガルの外へ押し出せ!」
と檄を飛ばす。
クロードはそのまま雪の元を離れ、部下に声をかけて準備を始めた。
他の部隊長はフラン軍を押し出すべく指揮を取る。
ポード軍の意気は上がった。
「あ~こらこら、何をしている!押し返せ!穴周辺を守らないか!」
騎乗のベッヘルは単調にそう叫んでから、首だけ後ろに向けて変な顔をして舌を出す。
たまたま近くにいたローグがそれを聞いて、
「元傭兵のオッサン!そう言うならあんたも下馬して戦えよ…」
と声をかける。
「オレは今、部隊長役なんだ。そういう訳にはいかない」
少し声をおさえて、そううそぶくベッヘルに、少年は、
「中年になってもヤモメでいると、そんな風に偉そうにしたくなるもんかね?いっそ、嫁さん募集中ですって叫んでみたらどうだ?」
と白々しく言った。
それでベッヘルは頭を下げてローグに向かい、
「バカ、笑っちまうだろ~」
と言う。
「あんたが笑う前に、こっちは笑いを堪えるのに大変なんだよ!」
ローグが声をおさえて反論する。
見ると、周りの人相の悪い男共が、苦い顔をしてより人相を悪くしたり、歯を食いしばったり、頭を下げたり、中には目に涙を浮かべたりして何かを堪えている者もいた。
「どうした?」
とベッヘルが、その中の一人に真顔で聞く。
「隊長は…その…役者には向いてないようですな…」
ベッヘルに聞かれた部下は、目をそらし、兜の間に指を突っ込んで顔をかきながら答える。
「容姿は役者向きなんだがなぁ~」
と、ベッヘルがつぶやいたとき、
バタン!
と、何かが倒れた音と地響きがした。
後方から歓声と共に、
「門を破壊したぞ!」
と叫び声が聞こえる。
ベッヘルが後ろに顔だけ向けて、
「これでやっと帰れるなぁ~」
と言う。
ローグが、
「あんたらは穴から出てきたんだからまだマシだろ?」
と聞くと、
「あの穴の中な。岩盤は固いから崩れる心配はないらしいが、真っ暗な中、水が頭にポタポタ落ちてきて、結構キツイぜぇ~」
とベッヘルが答えた。
そして、
「ベッヘル遊撃隊は騎乗の為に一時後退!ロウの部隊に代われ!白波が前だ!」
と人相の悪い部下達に命じた。
後退するついでに、
「騎馬になったらすぐに突入する。その青いお尻に気を付けろよ~!」
とローグに微笑み、手綱を絞って下がって行った。
ポード軍は、北の武器庫前から移動して、東門の広場に空いた穴を拠点にして陣を敷く。
穴に突入したクロード隊の背後を突かせない為だ。
一方フラン軍は、騎乗したベッヘル遊撃隊が、ポード軍の陣の薄い所を狙って突撃を敢行。
ポード軍の背後に出て敵を撹乱する。
雪はそこにフラン軍と同じ騎馬を当てようとした。
しかし、厩舎を焼かれていた為にポード軍の馬は少なく、さらに穴に下りたクロード隊が使い果たしていたので数十騎も集められない。
仕方なく五百程の歩兵を後方に当てるように指示をする。
ポード軍はこれで挟撃される。
と、思いきや、歩兵の集結を待たずに再度突撃が敢行され、ベッヘル遊撃隊はポード軍の本隊の脇を通り抜けた。
さらに、騎馬の進路を空けたフラン軍も通り抜け、破壊された東門から要塞の外へそのまま走り去った。
そしてその後フラン軍自体が、じわじわと後退して、東門の外に退却する。
ポード軍の方は挟み撃ちを受けずに助かったが、燃え盛る要塞から出る手段は、壊れて門扉が倒れている東門から外に出るか、要塞の外に通じているであろう穴を通って外へ出るかの二通りしかなくなった。
当然、後退するフラン軍を追撃したが、防壁に上がる階段は壊され、中の通路も油が撒かれて炎上し、火を吹く防壁の中には到底入れるものではない。
東門の両側の壁という有利な場所から敵を攻撃する事が出来ない。
フラン軍はそのまま東門前に留まり、追撃しに出てくるポード軍を囲って討つ。
その状況に雪は、すぐに後退しイヌガル要塞の中に留まるよう指示を飛ばす。
まさにそのタイミングを見計らったかのように、フラン軍は南に退却して行った。
「雪!フラン軍が…」
血相を変えたリンダが叫ぶ。
「見れば分かる。それにあの部隊にはヒーナはいないぞ?」
雪は冷静に言う。
炎や戦場の恐ろしさにだいぶ慣れてきたエーマが、
「追撃はしないでいいかと…」
と口を出してきた。
「うむ。追撃するより穴を通ってヒーナのいる場所へ先回りしろと言うのだろ?」
雪はエーマに目をやる。
「はい。それに、ここの被害を調査しませんと…」
未だに勢いよく燃えて崩れ落ちている塔を見ながらエーマが不安な顔をする。
「これだけの被害を出したのだ。ヒーナを討たないと私は罷免だな…良くて退官、悪くすれば処刑だ」
そう言って雪はフフフと笑った。
「私の予想をはるかに越えていました…雪様が辞められるのでしたら、私もまた着いて行きます…雪様が何らかの刑に服されるような事があれば、私も同罪です…」
エーマはしょんぼりしながらそう言うと、雪に頭を下げた。
「何を言う…私も予想だにしていなかった。エーマ、お前のせいではない。私が、策でも用兵でも完敗したという事だ…」
雪は涙を流しているのを隠しもしないで、燃える執務塔を見上げる。
「何を言う!」
リンダが雪の前に出て、正面から雪を見据える。
「いいか雪、よく聞くんだ。私達は勝ってもいないが、まだ負けてもいない!兵をくれ!クロードの後を追って、あの娘を今度こそ討つ!」
リンダが雪に顔を近付ける。
「…千…」
ゆきは紅をさしたように赤い唇から言葉をもらした。
「好きにしろ…千の兵を使え…」
雪は銀髪の少女を一瞥もすることなく、そう言って燃える執務塔を見上げる。
「千だな、わかった!」
そう叫んで嬉しそうな顔で走り去るリンダの後ろ姿を無表情に見送った雪は、飛び跳ねて指示を飛ばす空のミツカイに少し笑った。
「あの用兵を見たか?…あの娘はこの要塞に居なかった…なのに、あの用兵だ。まるで遠くからコチラの様子を見てフラン軍にだけ聞こえる大声で指示を飛ばしているようだった…」
そう言う雪の顔は儚げに微笑んでいる。
「えぇ…」
と同意したエーマは、こういう時こそ自分がしっかりしないといけない、と思い直して、
「ですが、そんな兵器はありません。あれは第八師団の人材が優れているのでしょう」
と論説をぶった。
雪はそんな少女を見てフッと笑った後、また炎を発して黒くなっている執務塔を見上げた。
「私はこの戦いの準備に勤勉であったとは言い難い。対して、ヒーナは作戦も訓練も十二分に練れていた。そして、その発想が予想をはるかに越えていた。…今思えば、相手はこれくらい、これはない、こんな事は出来ないと、自分で思考の範囲を狭めていたのだ。そしてフランのミツカイは、最初から私の思考の枠の外にいた…前の敗戦から何も学んでいない…策略家だと?軍師だと?…笑わせる…」
雪はまるで自分を責めるかのようにブツブツとつぶやきながら涙を流していた。
炎に照らされた為か、少し紅潮した頬を流れる涙で、雪が溶けて流れていくのではないかと不安になるほどであった。
そんな雪を見つめるエーマの目にも涙が浮かぶ。
「雪様は各師団への指示や、軍の人事、マルグ国との外交指示など、とても忙しかったじゃないですか?!」
「それはな、エーマ。普通に暮らしているのに強盗に襲われた人の理屈に似ているな…」
雪はすぐに返事を返したが、エーマはその意味をすぐには理解できなかった。
ぐるりと頭の中に意識を巡らせたが答えが出て来ず、
「どういう意味です?」
と聞いた。
「何も特別な事をしていないのに突然不幸に見舞われた人は嘆く。その嘆きに同じだ。忙しければ戦に負けるのか?そうではあるまい。私達の準備や作戦が、相手のそれより遥かに稚拙だった…ただ、それだけだ…」
そう言うと雪は歯を食いしばった。
あの娘はその力で穴を掘った。
この要塞は小高い丘の上にあるが、一回あの力を使うダケではここには到達出来ないだろう。
最低二回は使っている。
一回目は丘のふもと、木立の影から斜め下へ向けて。
二回目は要塞の門近くへ向けて、斜め上へ。
フラン軍の進軍してこの要塞を囲うまでに数日かかったのはその為か。
フラン軍は三千で出撃した。
二千を東門に回し、残りの西南北で合わせて五百。
穴から出てきた騎馬の部隊が三百。
二百残る。
それは雑木林での奇襲による損失だと思っていたが、もし損兵が少なかったとしたら、その兵は何をしているのか。
「私がもし、ヒーナだったら…」
雪はつぶやいた。
ヒーナだとしたら、作ったトンネルを最大限に活かすだろう。
トンネルは隘路になる。
少数で大勢を相手にし易い。
また、穴を二回掘る時、一回目と二回目では一日時間が開く。
その間に兵を動員してトンネルに罠を仕掛ければ、それでポード軍の相手は十分出来る。
穴を開ける角度、位置、それを測らせる為だけの建築家でなく、穴の中に罠を作る為にも建築家の技術は使える。
用意周到、そこまでして、今雪が思い至るような事を計画していない訳はない。
「クロード…それに、リンダが危ない!」
そう目を見開いた雪の頬からは涙が消えていた。
「伝令!」
雪は叫ぶ。
周囲にいた伝令兵が駆けつけるが、まだ走って向かっている最中に、
「穴に下りたクロードとリンダに退けと伝えろ!私の判断ミスだ、一度イヌガルまで戻れと、な」
と叫ぶと、穴の傍まで歩いて行った。
エーマも雪の後を追う。
「エーマ!要塞の被害状況を調べさせろ!」
雪は後ろのエーマに命令する。
エーマは短い返事をしてすぐに武器庫の方へ走り出しながら、手の空いている兵士を集めて指示をし始めた。
雪は何かを決意したような顔で、熱せられた空気を背負って穴を見下ろしていた。




