第四十話 <練る者と腕まくりをする者と>
左側の耳の上、革の上に張られた鉄板が少し凹んだ羽根付きの兜をかぶり、右手を見つめながら、ヒーナは馬に揺られていた。
少し小雨が降っているが、林の中ではそれくらいの雨風はしのげる。
空模様より薄暗い一本道は、憂鬱で凄惨な戦いに導いているようで、気分も頭も重かった。
一昨日の夜、ガッドを突き刺した感覚が残っている右手には、何度洗っても拭いきれない血がこびりついている様で、とても、裏切者を討ち果たした爽快感などない。
最初にガッドが弓矢を受けた場所は右の脇腹であった。
それで絶命していたのかも知れない。
しかし、完全にトドメを刺したのは紛れもなくヒーナの突き上げた刃であろう。
あの後は、頭の手当てを受け、身体をお湯で拭い、すべての装備を洗った。
頭の傷は大したことはなく、血が出ていたが手当てを受けた今では痛みもない。
それよりも、返り血を浴びてまだ鉄臭い事の方が、ヒーナを陰惨な気分にさせる。
いずれかの装備なのか、自分の身体なのか、あるいはヒーナの鼻腔の奥なのか、血の臭いが染み付いている。
そして、同時に一つの疑問が持ち上がる。
「あれほど勇猛果敢な戦士が、何故フラン国を裏切ったのか?」
自身の保身や利益を求めて裏切ったなら、あの様な戦い方はしないであろう。
雪はどうやって彼らを寝返らせたのか?
ヒーナは結論を出せないでいた。
一日休養と雑木林の探索に充てた第八師団は、林の中で三人のポード軍の偵察兵と、二十人の伏兵隊を見つけ出し、討ち果たした。
状況から察するに、夜襲を掛けた部隊が捨て駒になり、安心して林を通っているところを襲う作戦であったのだろうか。
これで、林の中の安全は事実上保証された。
しかし、何か釈然としないまま、ヒーナは林を抜けて空を見上げた。
「赤子泣き…ですか?」
ブルアの町で聞いた言葉である。
フラン国では、降ったりやんだりしながら大雨になる天気を、赤子泣きと呼んでいる。
近くにいたロウが、
「いや、この季節でそれはありませんぜ。それに、南東の空は明るい。もうすぐ晴れるでしょう」
と言った。
遠くに見えるイヌガルの塔の影は、暗雲を呼び込んでいるかのように見えた。
執務室で大きな背もたれに背中を預け、足を組んで横向きに座っている雪は、伝令兵からの報告を無表情で聞いていた。
「フラン軍第八師団が林を抜けました。明日には到着するでしょう」
「予想より二日遅い。神速ではないな…」
自分で罠を仕掛けておいて、しれっとそうつぶやく雪に、エーマは少しぞっとしながら、
「まぁ、色々あったハズですから…」
と言って苦笑いをした。
「もうすぐあの女が飛び込んで来るだろうから、静かな内に聞いておく」
と、前置きして雪はエーマに首だけを向けた。
「奴等はどう攻めると思う?」
「間違いなくあの力を使って壁を破って来るでしょう」
エーマは少しにやけながら答えた。
「それは分かる、問題はその後だ。初戦の奇襲は失敗したが、こちらの方が数は上。今ここの兵士は四千と少し、対するフラン軍は三千。少なくとも有利ではない。そこを力任せに強攻したら、要塞の利点を活かした我らの有利は揺ぎ無い…」
雪は胸の前で腕を組んだ。
何かを考えながら、右手で頬をさする。
高台に建設されたイヌガル要塞には大門が一ついていて、それ以外は高い塀で囲まれている。
その一つの門は東、ポード国側に付いている。
ポード側にしか出入口を作る必要が無かった為と、堅牢な要塞にしたかった為である。
「敵は西から攻めるものと思っているな?」
雪の言葉で、
「あっ…」
と、エーマは声をあげた。
壁がその意味をなさないのであれば、東西南北、四方八方、どの場所から攻め込んでも何ら不思議はない。
だが、そうであっても数的な優位に変わりはない。
「しかし…あの力で壁を破った後こちらから要塞を出て奴等を襲う。そして、敗走する敵の鼻っ柱に既に出て伏せているジャン様が食らい付いての挟み撃ち…これ以上の作戦は有りません。あの力は一日一度。ならば、その日の内にそのミツカイを追い詰めれば、怖いものはないのです」
エーマは得意気だった。
だが一方、それを聞いていた雪は少し考え込んでいた。
「もし、相手が予想外の戦法で来たらどうする?」
とエーマに聞く。
エーマは考える様子もなく、すぐに、
「その内容によります。例えば…敵が二隊に分かれて要塞を挟撃しても、我らはミツカイのいる方、あの力を使った方を叩くだけです」
と答える。
そこで、扉を忙しなくノックする音がした。
リンダであろう。
二人は会話を中断することにして、うるさい少女に備えた。
フラン軍第八師団がイヌガルを囲ったのは翌々日のことであった。
そして、問題が起きた。
執務室で雪は、両肘をデスクにつき、両手のひらの上に顎を乗せ、無表情で伝令兵を見ていた。
そこへ、伝令兵が新たに飛び込んできた。
「雪様!要塞の北に第八師団長ヒーナがいます!護衛の兵は二百程。弓が届くか届かないか程の距離です…」
と、言いながらもその部屋の異様な空気を感じ取って、ついには押し黙った。
「これで四人目か…」
雪がつぶやく。
「北が二百とミツカイ、南も二百とミツカイ、西が百とミツカイ、東には二千とミツカイ…さて、どれが本物なのかしら?」
と、言いながらも、無表情な雪の頬が少しニヤリと動いたように見える。
「普通に考えたら、二千の兵士を従えてるのが本物で、東門の前にいる。つまり、門を破壊して突入しようという作戦だろう?」
リンダがさも見破ったりと、自慢気に言う。
「相手はあのヒーナだ、丘の上の事もある。奇策を用いるとすれば、どれが本物かは判らない…」
雪の言葉に、四人の伝令兵は互いに顔を見つめ合った。
伝令兵たちは皆、自分の報告が正しいと言いたげであったが、ここで余計なことを言えば、偽報罪に問われかねない。
言いたい言葉を噛み殺して控えていた。
「他に変わった特徴を見たものはいないか?」
雪の問いかけに、伝令兵たちはまた互いに顔を見つめた。
西側の伝令兵が、
「マントは白銀に輝き、白い羽根飾りの付いた兜もまっさらで綺麗な立ち姿でした…」
と答える。
他の伝令兵たちもうなずく。
エーマが、
「恐らく、アタリは西か東のどっちかでしょう…」
と、言う。
雪もその言葉にうなずいた。
北や南はこちらを惑わせるための偽者で、守備の兵力を分散させるつもりだ。
だとしたら、門から攻めるか、退きやすいようにフラン国の側を背にして西から攻めるかであろう。
「十中八九そうだろう、だが…」
雪はつぶやいた。
だが、もし西側だとすれば、こちらの作戦を見抜いている事になる。
例の力で西壁に穴を開けた後、ミツカイを追って出る事で、要塞が手薄になった所を正攻法で攻めて陥落させる作戦か。
そうだとして、それではフランのミツカイは、その護衛部隊と共に戦う時にわずか百の劣勢になる。
南北の偽者部隊が合流しても五百、数の上では不利極まりない。
それならその時には、林に回り込んでいるジャンが討ち果たして終わるだろう。
それに、だったらジャンが、既に西の部隊を背後から攻撃していてもおかしくはない。
ジャンが要塞を出るとき、連絡を一切するな、フラン軍の退却時まで我慢せよと厳命したが、彼は一個師団の副長まで上り詰めた男である。
ジャンはそこまで愚直で、戦場での勘働きが悪い男ではない。
その時である。
外で兵たちの歓声が上がった。
すぐに、
「急報!急報!」
と、叫びながら伝令兵が入ってきた。
「ジャン様の部隊が北のミツカイ隊を攻撃して突破、矢文を投げ込まれました!」
雪は伝令兵の差し出した矢に結ばれた紙を取り、おもむろに開いた。
その最中にリンダが、
「ジャンが蹴散らした隊にこそ、本物のミツカイがいるんじゃないか?!」
と、興奮した様子で叫んでいた。
エーマはそんなリンダを落ち着かせながら、
「矢文にはなんと?」
と聞く。
雪は冷たい視線で四人の伝令兵を見ると、
「兜はまっさらと言ったな?」
と聞いた。
伝令兵は皆、一様に視線を左上に向けてから、
「間違いありません」
「はい、兜もピカピカでした…」
「まっさらでした…」
「おろしたての様に輝いていました」
と、パラパラと答えた。
リンダはイライラして、
「兜が新しいか古いかなんて関係ないだろ?何を気にしている!」
と、わめき散らす。
そんなリンダに目もくれず、雪はゆっくりと口を開いた。
「ジャンが言うには、ヒーナは左側が凹んだ兜を好んでかぶっているそうだ。どうやら、前の奇襲で、奴の頭にまでは刃が届いたらしい…」
「つまり、兜が凹んでいるのが本物のミツカイか!」
リンダはそう叫ぶと、その目で本物を確かめるべく、執務室を飛び出して行った。
「それだけですか?」
飛び出したリンダを放っておいて、エーマが聞く。
「まだある。フラン軍は要塞から南西に少し行った所の、木立の並んだ影に固まり、何やらしている様だと。資材が運ばれ、建築技術者を連れて来ているそうだ」
「建築…」
エーマは最初に、何故ジャンが建築の技術者と判るのか疑問に思った。
雪はそんなエーマの様子を見て、
「この報が怪しいか?」
と聞いた。
「はい…建築の技術者と遠くからの偵察で判明するものでしょうか?」
「どうやって判断したかは知らんが、ジャンが命令を投げ捨ててまでの報せだ。それなりの価値はあろう…」
と答えて、雪は考え込んだ。
「仮にこの報せ、全てが本当だったとして…」
エーマも考え込む。
「東西南北、四方のミツカイは全てが偽者、建築の技術者を連れて、南西で何かをしている…」
はっとした顔でエーマは思い至った。
「櫓です!奴は櫓からあの力を使うつもりでは?」
南西の木立といえばイヌガル要塞のある高台の始まる手前になり、その辺りから緩やかな登り坂になっている。
「要塞の壁の高さに上がってまであの力を使うなら、なぜ高台に上がらない?遠くから狙う必要がある何かがあるのか?」
「この塔にいる雪様を直接狙っているとか…」
エーマの論はだんだん苦しくなってきた。
この塔を狙ってるなら、壁を破ってさらに塔ごと白金の光で消してしまえば事は足りる。
その距離から届くのであればなおさら、そこに櫓などを建てる必要はない。
「とにかくだ…」
雪は立ち上がった。
「ここにいても埒があかない。敵は攻めて来ている…」
そうつぶやきながら、雪は長く得物にしているナギナタを取って、肩から背中に吊るした。
「兵を東門の前に集めろ!」
集まっていた伝令兵は命を受けて飛び出した。
フラン軍第八師団の隊長のほとんどは、イヌガル要塞の東の門の前にいた。
兵士達の意気は上がっている。
何より、元ゴルドの私兵隊の意気は最高潮に達しているのではないかと思うほどで、彼らは故ゴルドの仇を討てると血気盛んであった。
だがその部隊も、北のミツカイ隊が交戦中との報を受け、動揺が走る。
「北の偽装隊は月影でしたか?」
馬上で、羽根付きの兜、銀のマントを羽織った女が問う。
「そうですぜお嬢、月影の所ですな、奇襲を受けてるのは。…万が一って事がなければいいが…」
隣で馬上の老人、アルガが答える。
ロウがその隣で馬の手綱を放して、
「それにしても…」
と、ハゲ頭に赤いバンダナを巻き付けながら続けた。
「お前にゃその格好は似合わねぇなぁ、ファーゼ…」
ファーゼは羽根飾りの付いた兜をかぶった頭だけをロウの方に向け、
「そのセリフを聞いたのはこれで四回目よ!何度も同じ芝居を見ているようで、いい加減うんざりだわ!」
と吐き捨てた。
「そんなことない、似合うよ」
とファーゼの傍らにいるセリング。
セルドが馬の上から、
「そろそろ半日、ヒーナ様はもう起きられているでしょう」
と言った。
「じゃあ、そろそろおっ始めるか!」
ローグがそう言うと、その前の、兜をかぶろうとしているロウが、
「ではミツカイ様、号令を」
と、わざとうやうやしく、偽のヒーナに声をかける。
ファーゼは笑っているロウに少しムッとしながらも、隊長達に馬首を向けて、
「では、号令の後、私は後ろの火炎弾隊に下がります。皆さんに武運を!」
と言ってから、「そうそう」と付け加えた。
「白波の親父も、後で女房殿を抱けるよう気を付けて。もっとも、その髪の毛と同じで、そんな気はとっくに枯れ果ててるかも知れないけど」
とウィンクした。
それで、隊長達は笑いながら持ち場に戻る。
間もなく、ファーゼの号令の元、二千のフラン軍兵士がイヌガル要塞の東門を攻め立てた。




