第三十九話 <雑木林の罠>
毛皮と羊毛の毛布をかぶり、フワフワの長い毛脚の敷物の上に寝転んだヒーナは、明日の事を考えながら眠りに着こうと目を閉じた。
ヒーナの眠るテントは二重になっており、テントの中にもう一つ小さなテントが張られ、その中で眠っているような形になる。
中の小さな寝るためだけの私室のようなテントは、師団長のプライベートを守るだけではない。
大きなテントの中には、他に衛兵用と給仕係用のテントもあり、合わせて三つの小さなテントがある。
だから、万が一攻め入られたり暗殺者が来たりしても、容易にどこが師団長がいるテントなのか分からない。
さらに、食事の度に給仕係が出入りするし、報告の度に伝令兵が出入りする。
その大きなテントの外と中には頻繁に人が行き来するので、二重になっているのは防寒や匂い対策でもあるのだ。
「失礼します、ヒーナ様…ヒーナ様…」
小さなテントの外から何度か、そう呼び掛ける声が聞こえる。
この声はガモであろうか。
ヒーナはゆっくりと目を開いた。
「ヒーナ様、起きておられますか?」
同じようにテントの外にいるソフィアが声をかけた。
どうやら給仕係用のテントから起きて出てきたようだ。
ヒーナは返事をして起き出した。
ソフィアがそそくさと入ってきて、赤い長袖長ズボン姿のヒーナに銀のマントを羽織らせた。
それで、ヒーナは小さなテントの外に出た。
「お休みのところをすいません。急ぎ伝えたい事があると、鼠が参りました…」
ガモはそう言ってヒーナの赦しを得ると、小男をテントに入れる。
「グリュー!」
ヒーナは寝入ろうとしていたのがウソのように、笑顔で小男を迎えた。
それで鼠のグリューといわれる小男は照れ笑いしながら、
「アッシが見たものは、もしかしたら…急ぎ報せないといけないものかも知れないと思いまして…」
と、夜遅い時間に訪問した事を詫びながら、自分が見たことを語り始めた。
鼠のグリューは、ヒーナがイヌガル要塞を攻めようとしていると知り、行商としてイヌガルとモナリ、そしてポード国の西の拠点ネスクを往来していた。
物を売る者として探索するに、イヌガルには五千ほどの兵がいて、雪は真ん中の大きな塔で一日のほとんどを過ごしているそうだ。
イヌガル要塞には他に、フラン軍の第六師団を裏切ったガッド、ミツカイである空のリンダもいる。
ところが、要塞では籠城しようと準備しているようには見えないという。
謝肉祭も終わって、蓄えようとすれば食糧はたらふく蓄えられるはずだが、もっても一か月くらいの蓄えしかないようだ。
ここまでは行商として、ポード軍兵士や要塞で働く人々から聞いた話である。
本題はこの先であった。
グリューはイヌガルを出て、前を行く荷駄隊が見え隠れするくらいの位置で何気に後を追っていた。
イヌガル要塞から出発したのは、食料や武器、材木などの物資運ぶ荷駄隊てある。
十名ほどの兵士が護衛する荷車と、それを牽く馬のセットが三つ、ポード国の町ネスクに向かって街道を東進していた。
要塞と拠点の町を行き来する荷駄隊、それ自体はなにも不思議ではない。
だが、今思えばグリューに何かの勘が働いたのかも知れない。
イヌガルから、東のネスクの町に続く街道を行く荷駄隊は、しばらくすると急に立ち止まって、キョロキョロと辺りを確認し始め、畑を行く農道に逸れた。
グリューは咄嗟に、街道脇の畑にあった農具小屋に身を隠した。
すると荷駄隊の運んで来た荷車から、何人もの男たちが出てきて、荷車に隠して積んであった鎧や武器を装着した。
その荷駄を護衛をしていた兵士たちはその時、荷車にあった荷を下ろし、荷車を近くの小屋へ隠した。
そして、荷である食料や水、毛布などを麻袋に入れて、荷車を引いてきた馬に背負わせ、馬の口を取ってそのまま農道を南へ行く。
これは、ポード軍の何かの作戦に違いないと思い、グリューは慎重に後をつけた。
荷駄隊だった者達は、人があまりいないような場所、小さな集落や竹藪、小高い丘を通って、林の中に消えた。
その林は、今フラン軍第八師団がテントを張っている前にある雑木林である。
ヒーナは少し考えてから、
「つまり…目の前の林にはポード軍が潜伏していると?」
と小男に聞いた。
「はい、林の中で見失いまして…、それから林の手前で身を隠して見張ってましたが、同じようなルートをたどって、南から林に入った一団が後から六つほど来ました。アッシが数えて百六十人は越えています…最後に入ったのは三日前、右目に草色の眼帯をした男がいましたね…」
聞いていたガモが険しい顔をした。
「その眼帯の男はおそらくガッドです…ポード軍に寝返り、モナリの町を陥落させた男です…」
「それなら…今度はフラン軍に寝返りたいとか…」
ヒーナのつぶやきに、ガモは首を横にふりながら、
「寝返ったのはガッド以下百名に満たない部隊です。捕虜はモナリ奪還の際に交換していますし、百六十はいるという時点で、元フラン兵ではありません…」
と言って眉を寄せた。
「だとしたら、私達を襲うつもりの伏兵だという事ですね…」
ヒーナは考え込んだ。
フラン軍第八師団の面々は、夜襲に備えて警戒体制を取った。
全軍の中で、未だに起きていた兵を取りあえず警備に就かせる。
まだ宵の口であった為、全軍三千名の内、ちょうど千名ほどの兵士がまだ起きていた。
それを四隊に分け、東西南北を警戒させる。
西側の、フラン国方面は薄く、東側の林方面は厚く。
相手を探すより襲ってもらった方が早い、という配慮から、出来る限り灯りを点けずに配備や指示が行われたが、それでも暗がりでは何も出来ない。
ちらほらとテントの間に灯りが揺れ動く。
きっちり鎧を着たヤードが、ヒーナのテントの中の小さなテントの外側から、
「配備はほぼ終了しました。ですが、これで夜襲は無いかもしれませんね…」
と苦笑した。
「はい…ないならないで、明日ここに留まって林の中を徹底的に捜索するだけです…」
と、テント越しにヤードに答ながら、中でソフィアに鎧を着せてもらっている最中、ヒーナは考えていた。
――― けれどポード軍にとって、林の中を通過している時に襲うのもリスクは高そうね ―――
ヒーナの考える通り、兵法の教科書通りの戦の常から言えば、林の中の一本道を通っている隊列が延びきっている時に、ヒーナを狙い隊列の横側から攻撃するのが一般的だ。
しかし、相手は雪、そんな普通の考えは承知しているし、こちらがそれを警戒して何か策を講じるのは判りきっている。
それをあえて外してくるなら、行軍の疲れを狙っての夜襲か、通過してから後背後を突くという作戦だろう。
しかし何れもポード軍は十分の一以下という兵力であり、勝ち目は少ない。
その時である。
「ヒーナ様!敵襲です!南東の雑木林よりポード軍が出現!数は二百程です!」
テントの外からガモの声がする。
「北の左軍に五十ほど残し反対側からの敵襲に備えます!それ以外の左軍は中央のテント郡を通って寝ている兵を起こして回りながら、南東へ!テント群を抜けたら戦わずに目の味方から、漏れ出て来た兵を倒すように指示して下さい!」
テントの外でガモが返事をしながら、部下の伝令兵に北の部隊へ走るように指示する。
「西の後軍は、全員南へ移動!敵の背後、敵軍の南西方向から攻撃!」
ヒーナの指示に応じてガモが伝令兵を飛ばす。
「東の前軍の右翼と、南の右軍の左翼を少し下げ、前軍は左翼で敵の北側を、右軍は右翼で敵の南側を囲う形で攻撃!」
「包囲ですか?」
ヤードが聞く。
「そうです。完全包囲、殲滅して背後の憂いを絶ちます」
ヤードはその言葉で、ヒーナは今回、本気でイヌガルに攻め入るつもりなんだと確信した。
着替えが終わり、小さな私室のテントから出てきたヒーナは、
「後ろに敵が残っていると思ったら、作戦に支障が出ます…」
と少し下を向いた。
「ならば、適時降伏勧告を致します」
そう言ってテントを出る副長に、ヒーナは、
「お願いします…」
と声をかけた。
戦闘は意外に長引いた。
既に一時間は経っているが、伝令兵からは包囲交戦中との答えしか返って来ず、なんの進展もなかった。
そこで、ヒーナはテントを出て包囲戦をしている方へ歩いて行った。
時々、「カン」とか「キン」とか、金属がぶつかり、弾き合う音が聞こえる。
テントを出ると、控えていたガモが伝令兵と共にヒーナの後ろを歩く。
夜の空気は寒い。
肩をすくめて背中を丸めると、ミシミシと革鎧がきしんだ。
羽織っているマントの襟を両手で握って隙間を閉じ、ガモたちに戦闘の様子を聞きながら歩いた。
ヒーナが前軍の右翼に近付くと、気付いた兵たちが道を開ける。
最前列に近付くと、ヤードの降伏を呼び掛ける声が聞こえる。
が、全員が戦っているという感じではない。
それどころか、戦っているのは、軍の一部の部隊だけのようだ。
兵士達の前に出てやっと、戦闘している姿が見えた。
右目に眼帯の男が、ボロボロになりながら剣を振っていた。
あれがガッドであろう。
鎧を着ていると言えるような格好ではなく、寒空に左肩はまるまる出ているし、上半身は鎧下状態で下半身は泥だらけだ。
兜も、もうない。
頭から血を流し、右半分の顔は真っ黒である。
汗なのか息なのか、全身から白い煙を上げている。
その姿がランタンや松明の灯りに照らされてオレンジ色にあぶり出されたり、真っ黒な影になったりして、さながらバケモノが剣を振り回して踊っている様であった。
ガッドの周囲のポード軍兵士は、見たときは五、六人いたが、間もなく二人が倒れて立ち上がらなくなった。
「なぜ降伏を受け入れないのですか!」
堪り兼ねたヒーナが叫んだ。
剣を振り回していたバケモノの顔がこちらを向いた。
周りの兵士たちがさっとヒーナの前に立ちはだかる。
それを押し退けて、ヒーナはマントを脱いだ。
そして、すらりと小剣を抜き放つ。
ガッドは剣を振り回しながら雄叫びを上げて向かってきた。
――― 話が通じない…ヤル気だ! ―――
ヒーナも向かって行く、が、足が少しもつれる。
――― 身体がまだ本調子じゃない!寒いから?寝てたから? ―――
ヒーナは「しまった」と思った。
ガッドはこの瞬間を狙っていたのかも知れない。
粘りに粘って、相手の将が出てくる瞬間を。
ガッドは叫ぶ為に大口を開けてはいるが、恐ろしい程の無表情で剣を振る。
このままでは凶刃の切っ先が届く。
ヒーナは両足にありったけの力を込めて踏ん張り、後ろに飛び退いた。
思わず肩をすくめる。
ガン
鈍い音。
ヒーナの左の頭にガッドの剣先が届いた。
強い衝撃で、羽根飾りの付いた兜が吹き飛ぶ。
ヒーナは意識も吹き飛びそうになるのを何とか堪えた。
なおも向かって来るガッドの地面を蹴る音の間隔が緩やかになり、近くで止まった。
ヒーナは背中から地面に落ちて、しかめっ面で相手を見上げた。
ガッドは薄ら笑いを浮かべ、トドメを刺そうと剣を振り上げている。
ヒュン、ドシュ
風を切る音。同時に突き刺さる音。
弓矢だ。
ガッドに刺さったのだろう。
となれば、ガッドには今、何らかの隙があるはずだ。
相手の安否は関係ない、今の機会に確実に息の根を止めないと殺される。
顔の左側に生温い滑りを感じながら、ヒーナは立ち上がり様に剣を突き立てた。
手応えがある。
「うぅあぁ!」
ヒーナの口から力み様に唸り声が漏れる。
力を込めて剣をそのまま突き上げた。
ガッドは剣を振り上げたままヒーナに寄りかかり、そしてそのまま身体を預けて倒れ込んで来た。
「ヒーナ様!」
ヤードの声。
「ミツカイ様!」
「師団長!」
周りの兵士達の声。
彼らの駆け寄る足音が聞こえる。
倒れ込む男の身体の下で、一緒に倒れたヒーナは、鉄の臭いと、身体に染みてくる生暖かいものを感じていた。




