第三十八話 <四度目の出陣>
フラン軍の第八師団は、ポード軍がイヌガル要塞を出撃したという報を受け、またモナリを出撃した。
これで四度目である。
何度も引き返したのは、ポード軍がモナリの街まで攻め上がって来ない限り、こちらも戦う必要がないからだ。
それにイヌガル要塞に続く雑木林、これが曲者である。
通過するのに一時間程しかかからないとはいえ、そこには伏兵を置き易いし、罠を仕掛け易い。
それを警戒して、という事もあり、その林に到達する前に敵軍が退いたというのであれば、フラン軍はさっさとモナリに引き返していたのである。
「今回は退きませんね…」
ヒーナは進軍の速度を緩めるよう命を出し、馬上で手綱をぎゅっと強く握った。
少女が着ている美しい白いマントは、初冬の曇り空の元でもほのかに輝いているように見える。
ヒーナと轡を並べるヤードは、少し心配そうに少女を覗き込みながら、
「雑木林が、近付きますね?」
と聞いた。
「えぇ…。向こうが退かないのであれば、雑木林に先に入った方がいいですし、退くのであれば雑木林の手前で引き返したいのですが…」
「今回も、退くとお考えで?」
「そうあって欲しいのも半分、戦闘になるのを望むのも半分です…」
ヤードには、この少女がここ最近、急激に大人びたように感じる。
前のままのヒーナであれば、好戦論など口にせず、頑なに開戦を反対したであろう。
戦争はただ殺し合うだけではないという事が、少しは解ってきたのであろうか。
「戦争を悪とお考えであれば…」
ヤードは、少し聞きたかった事を聞いてみた。
「ヒーナ様の世界にあるという戦術、戦略の手引き書は悪の書として忌み嫌われているのですか?」
「いえ、そんな事はありません」
ヒーナは驚いてヤードの顔を見た。
その答えに、ヤードの顔は少し曇った。
「ならば、何故戦争が嫌いなヒーナ様が、その悪の書を読んでいるのですか?」
確かに、言われてみれば尤もな話だ。
「私は…チェスの為に読んでいただけです。戦術とか、参考になるかと…」
ヒーナはまるで言い訳をしているかのようであった。
机上の、あるいは空想の戦争と、実際のそれとが、かなりかけ離れたものであったと実感したのは否めない。
ストレス発散のお祭りのようなものなのかもと思える事もあったし、意地のぶつかり合いだと思った事もあったし、ただただ残酷で悲惨な暴力だと感じた事もあった。
「それに、私の読んでいた本は、世界中の沢山の人が読んでいる常識のような本なのです」
ヒーナは不思議そうな顔をするヤードに、少し言い訳を付け足した。
「戦争の指導書が常識ですか?!」
ヤードは目を見開いた。
「なんというか、常識というか、当たり前の事が書いてある部分も多いのです…」
「戦争の指導書に常識が…」
ヤードはなおも驚いていた。
ヒーナは、確かに額面だけで取ったらそうなるなぁと思ったが、他に例えようもなく、うーんと唸って考え込んでいた。
そこへ、
「ヒーナ様へ注進!」
と叫びながら、ガモが早馬で飛んで来た。
「ヒーナ様…」
少し言い難そうに戸惑ったガモはすぐにアゴを上げて、
「林にもその先にも、ポード軍の気配がありません!」
と、意外な事を報告する。
ヤードはさらに驚いた顔でヒーナを見つめる。
ヒーナも驚いた顔でガモを見つめた。
ヒーナの後ろで、ぼうっと空を眺めながら進軍していたベッヘルが、真剣な顔になって、
「ほぅ…伝令隊は何を伝えてるんだぁ?」
と言いながら、首元に巻いている毛織物のマフラーを少し緩めた。
胸元から金のネックレスが少し覗く。
「雑木林の入り口にいる偵察兵も、少し中に入った所に配置した偵察兵も、雑木林の出口にいる者も、皆ポード軍を見ていないと言います…」
ガモは少し困った様子で話す。
「まだ林に到着していないという事ですか?」
「それが…何とも…」
ガモはハッキリしなかった。
「おいおい、伝令隊がそれでは、誰も正しい情報を得られないだろぅ?」
ベッヘルが不満げに言う。
それに何も言い返せないガモは下を向いて唇を噛んだ。
この普段おちゃらけている傭兵上がりの元山賊の言は、尤もである。
戦場では、ましては策略を駆使する相手同士の戦場となれば、敵軍の動き、自軍の配置、その後の経緯など、正確な情報は必要不可欠なものとなる。
その上で策を用いる事をしないと、策を弄する事になったり、策が足らなかったりして、味方に致命傷を与え敗北を喫する事になる。
皆は一様に狼狽していた。
進軍しつつも、周囲の兵達からザワザワと不安の波が広がっている。
「皆さん、落ち着いて下さい!」
ヒーナはワザと大きな声で言った。
「敵軍がどう出ようとも気にする必要はありません!私達は戦いに出たのです、このまま進軍し、今日は雑木林の前で宿営します!」
ヒーナはまっすぐ前方を指差した。
「それと、例の建築家さん達も急いで呼んで下さい。宿営地の選定は白波隊に任せましょう…」
そう号令するヒーナの横で、ガモはうなだれていた。
「ヒーナ様、小官の処分はこの戦後でよろしいでしょうか…。それとも今すぐ退官致しましょうか…」
ガモの意外な言にヒーナは驚いて、
「何を言っているの!」
と思わず叫んだ。
ガモは悲痛な顔で、
「小官は味方を、その報告によって混乱に陥れました。これは果たすべき役割を果たさなかった、怠慢だ、愚行だと非難されるべき…」
と、うなだれる。
そう言っているそばから、ヒーナは首を左右に大きく振っていた。
「何を言っているの!あなたの情報を活用したからこそ、ベリーの丘からポード軍を蹴散らす事が出来たのです。今回、三度敵軍が退却したのも、あなたの情報があったからこそです!」
そう言いながら憤るヒーナはなおも言葉を続ける。
「もし、あなたを退官させるなんて事になったら、私は両目をくり貫かれたも同然です…」
ヒーナはそう言って、少し涙目になった。
ガモはそんなヒーナを見つめ、何かをつぶやいたが、周りには聞こえなかった。
ヤードがその横まで馬を進め、彼の肩をポンと叩く。
ベッヘルもその後ろまで馬を進め、
「まぁ何だ。お前は、その…ヒーナ様の両目だって事だなぁ~」
そう放言して笑いながら、
「今まで通り、ありのままを報告するようにしたらいいんじゃないか~?」
と、いつものように呑気に言った。
ありのままを報告する。
これは実に重要な事であるが、何者も出来てはいない。
情報には必ずその発信者の意思や意図が乗り、方向性を持つ。
そういった方向性を持たない情報などこの世には存在しないのであるが、その情報を用いて何かをするときには、必ずしもその方向性が良いように作用するとは限らない。
例えば、味方の左右の軍が押し込まれ、真ん中の軍が押していて突出している凸型のような状況で、味方の有利を伝えたい場合は、
「真ん中の軍が突出して押しており、間もなく敵軍の本隊を討ち滅ぼすでしょう」
と、報告される。
一方、味方の不利を伝えたい場合は、
「左右の両軍が押され、間もなく本隊が敵軍に囲まれるでしょう」
と、報告される。
同じ状況でも、報告者の主観や意図、立場などで、大きく違う報告になってしまうのだ。
ガモはそれを知った上で、方向性をなるべく乗せないように苦慮している。
なにより、その報告を受ける側のヒーナは、そいったガモの努力を感じていた。
だからこそ、安心して正確な判断が出来るのである。
今さらその役目を他の者に交代するなど、ヒーナには考えられない。
少女はふと思い至って、
「…これは、雪の策略では…」
とつぶやく。
それで隊長達ははっとした顔になった。
「…だとしたら情けない事に、小官は雪の謀略にはまったという事ですね…」
そう言って落ち込むガモを尻目に、ベッヘルが驚いた顔で、
「だったら雑木林の中どころか、イヌガルも出てないんじゃないですかい?」
と言う。
「そうかも知れません…しかし…」
ヒーナは遠くに見える雑木林の影を見ようと目を細めた。
「正の中に奇を入れ、奇の中に正を入れる…雪ならそうするでしょう」
と誰にでもなくつぶやいた。
それを聞いたヤードが、
「つまり、ポード軍は出ていないと見せ掛けて出撃している、出撃していると見せ掛けて出撃していない…って事ですか?」
と言うと、ヒーナはうーんと唸って考え込んだ。
これでは状況が全く分からない。
ヒーナが考え込んでいる間に、落ち込んでいたガモが、「そうか!」と声をあげた。
「我等は、敵の出撃を光の信号で伝えていました。三回の出撃で、雪はそのパターンを読み取り、我等の通信を真似て、偽の出撃情報を流したという事か…」
ガモはそのカラクリを一人で解いて納得したようである。
ヒーナがパッと明るい顔になった。
「だったら、敵は今回出撃していない!」
「それでは、林の前で一泊して引き返しますか?」
ヤードがそう言うと、ヒーナは浮かない顔になった。
「そうはいきません…。建築家さん達を呼びましたし、資材も運ばれます。…何より第一、これからは敵軍の出撃が判らなくなります。それは、敵軍の出撃に合わせてこちらも出撃、敵軍の退却に合わせてこちらも後退するという今の作戦が使えないという事です…」
「ならばモナリの町で守備戦をしますか?」
ヤードはハズレだと思う方をワザと言っているようである。
「いえ、折角出撃したのです…。今回はイヌガル要塞を落とす気持ちで戦いましょう…」
ヒーナはそう言うと遠い空を眺めた。
空を覆う灰色の雲は、かなり早く流れていた。
フラン軍の第八師団は、モナリの町を出て一日行軍し、雑木林の手前で宿営を建てた。
この晩秋から初冬にかけて、たった一ヶ月ほどで四度出撃したことになるが、四度目にしてやっと、両軍は刃を交える事になりそうであった。
イヌガル要塞の中央に塔のように建つ建物は、巨大な円錐形で執務塔と呼ばれている。
下層は兵舎、上層は会議室や執務室、最上部は物見櫓も兼ねた展望室になっている。
その塔の三階にある執務室、要塞の西側を見渡せる大きな窓がある部屋に、雪とエーマがいて、書簡を開いては読み、対応を話し合ったり、書簡を作ったりと、軍の事務処理に追われていた。
ポード国の首都ベルンに宛てての書簡を書き終わった雪が、革張りの椅子の背もたれに背中を預けながら、うーんと背伸びした時である。
ノックもせずに木の重そうな扉が開き、
「何でまた出撃しない!」
という銀髪の少女の声が聞こえた。
雪は伸びをした状態のまま、顔だけを扉の方に向けて、
「この要塞に守ってもらう為だ」
と淡々と返した。
「何度も出撃しておいて、よくいう…」
リンダも最近は雪に慣れて来たのか、言い返すようになってきた。
「敵を誘い出す為の出撃です。そして一旦要塞に退く。普通ならそこで追うものなんですけどね…」
エーマが横槍を入れた。
エーマは、雪のデスクから少し離れた所にある横向きの簡素な事務机に向かって書類を整理していた。
「今回は出撃しなくてもフラン軍のミツカイを釣り上げられただろう?」
雪はそう言いながら立ち上がって、完成させた書簡の何通かをエーマに渡す。
「だから出て行って打ち負かしたら早いだろ!」
扉を後ろ手に閉めてリンダが叫ぶ。
無表情ながらも雪は呆れた様子で、
「残念ながらそれはない。今から出撃する利を述べてみよ」
と淡々と言った。
銀髪の少女は目を見開きながらも言葉に詰まって、少し頭に血を回らせてから、
「…スッキリする…」
と、答えた。
雪はその言葉を聞いて何かをあきらめた。
「エーマ、このミツカイ様に説明して差し上げて」
そう言って革張りの偉そうな椅子まで戻って、また足を組んで座った。
「はい、いいですかリンダ様、相手のミツカイの特技は何です?」
今度は、ご用命を承ったエーマが、椅子から立ち上がって説明を始める。
「白金の光だ。激流のような…」
リンダは少しムッとしながも、答えるついでに反論する。
「だからなおさら、壁なんか意味はないし、要塞なんかに籠る必要はないだろう?」
リンダの反論に少しも動じずに、
「そこが見当違いです。もし雑木林の一本道で使われたらどうなります?第三師団のスベン様がどうなられました?」
と、丸顔の少女が言った。
力自慢のスベンは逃げる白金のミツカイを追って狭い橋の上に誘い出され、光の激流で一掃された。
「あぁ…」
急にリンダは勢いをなくして黙り込んだ。
エーマが続ける。
「あの力は一日に一度しか使えないと本人も言っています。それをイヌガル要塞の壁で使わせて、それ以外の事で使わせないという作戦です」
「…ん?」
リンダは一つ、腑に落ちない所を発見した。
「だったら、何でワザワザ荷駄隊に偽装させてまでガッド隊を伏兵に出したんだ?」
雪の命令で出撃の度に雑木林で伏兵していたガッド隊であったが、今回はポード軍の出撃がない。
その為に早くから、荷駄隊に偽装してイヌガル要塞を出て、外で再集結して林に伏せるというやり方でワザワザ雑木林に伏せさせていた。
それにもエーマがさっと答える。
「それは、相手の立場になれば分かります。誘い出した側の策士の雪様が、伏兵に絶好の雑木林に兵を伏せておかないのはオカシイでしょ?だから兵を伏せるのです。が…」
エーマは、ここまで饒舌に喋っておいてから、チラッと雪に目をやった。
雪は書類を書いていたが、エーマの視線に気付いて手を止め、エーマを見て軽くうなずいた。
それでエーマは、また得意気に語りだした。
「荷駄隊に変装して密かにイヌガルから出たガッド隊二百には、雑木林で伏せてもらっています。が、これはいわゆる囮です。既にジャン様も同様の方法で出撃されています」
「ジャンにも襲わせるのか?!」
ちっとも知らなかったリンダは驚いた。
そういえば、あのひょろっとした男を最近見ていない。
「そうですが、密かに出れる兵は小数になります。出来る作戦行動には限りがあるかと…」
エーマの歯切れは途端に悪くなった。
「何をさせるんだ?」
と、エーマに詰め寄るリンダ。
困った顔になったエーマに代わって、雪が言葉を投げた。
「今の予定では、最後の仕上げだ」
「最後の?」
リンダは雪の方に向き直った。
「予定は戦況によって変わってくるだろう。そこはジャンに任せてあるが、今の予定では詰めの部分を担ってもらう。大事な最後の一手だからジャンなのだ」
雪の言葉に、まだ納得いかないリンダは、ひょっとしてあのフラン軍のミツカイを殺すのが自分ではなくジャンになるかも知れないと思ったが、その前にヒーナを倒せばいいか、と思い直して何も言い返さなかった。
雪の方も、その役目を何故私にしないんだと抗議するかと思ったリンダが、何も言い返さなかったので、そこは触れないでいた。
リンダが納得して部屋を出るときに、
「出撃するなら真っ先に報せてくれよ」
と言ったので、
「あぁ」
と、雪は生返事を返した。




