第三十七話 <出撃と退却>
木漏れ日が時折、白い肌や茶色の髪、銀色の鎧を照らす。
背筋をすっと伸ばし、栗毛の馬にまたがりながら、雑木林の中を斜めに貫く陽光の柱の間を過ぎて行く。
その後ろには一回り小さな馬に乗った少女。
その後ろに茶色の馬に乗ったリンダとジャンが続く。
先行の部隊もまだ林を抜けてはいない。
もうそろそろお昼であろうか。
腹時計と相談しようかと思ったその時、前方と後方から同時に早馬が来た。
敵軍に何か動きがあったらしい。
「雪様にご注進!フラン軍第八師団の三千は、モナリを出て東進を開始したもよう!」
前方からの早馬が叫んでいた。
「雪様!フラン軍がモナリを出撃したようです!その数三千!こちらに進軍中!」
後方からも同じ報せのようだ。
「いよいよ決戦だな!」
リンダがニヤリと微笑んでいきり立つ。
「全軍停止!」
雪は叫んだ。
次にジャンが叫ぶ。
雪の周りの伝令兵が全軍停止を叫びながらぱっと散る。
「何故停止する?!」
リンダは異を唱えながら、前で止まった少女の馬のすぐ横を追い越した。
「リンダ様、全軍停止ですよ?」
一回り小さな馬に乗った少女エーマが言う。
小うるさい少女にリンダは眉をひそめたが、一瞥しただけで何も言い返さず、雪の隣まで馬を進めた。
「止まる必要などない!このまま進軍すれば、明日にはあの小娘の泣きっ面を拝める事になる!」
隣まできてうるさくがなりたてるリンダを、雪は無表情で一目見て、
「威勢がいいのは構わないが…」
と口を開いた。
「その小娘に怪我させられて、泣きっ面になって帰ってきたのはどこのどいつだ?」
リンダはそばかすの散るほっぺを膨らませながら、
「自分だって泣かされたくせに…」
とつぶやいた。
それでジャンとエーマの頬がピクリと動いた。
雪は相変わらず無表情のまま、
「ここにガッドの部隊を残し、後は撤退する!」
と告げる。
ガッドとは、フラン軍第六師団の元副長であった男である。
モナリの町を陥落させるさいにポード軍に寝返らせた。
彼の部隊は百に満たないフラン軍の寝返った兵士と、モナリの町を占領後すぐにポード兵になりたいと言ってきた志願兵と、武力で従えた元武装集団からなる。
モナリ占領後すぐに現れた志願兵は、いわゆるモナリの町の鼻つまみ者達集団だった。
新しい国になってから、自分達の過去の罪状を帳消しにし、尚且つ周りより優位に立とうという魂胆でポード軍の兵士に自ら志願したのだ。
これが五十人ばかりいた。
そして、元武装集団とは、ポード国内で、国王であるポードの許可も承認も得ず、勝手に税を徴収し、勝手に武装して自治地区のようなものを形成していた集団である。
彼らは雪に掃討され、降伏したところを兵士として使われている。
何度も最前線に立つ彼らは、今では数も五十ばかりに減っていた。
この、合わせて二百に満たない寡兵を、雪は雑木林に伏兵として置こうというのだ。
計画を聞いたリンダは、
「寝返り部隊なんかに伏兵が務まるのか?それに数も少なくないか?」
と、雪に意見した。
「むしろ、務まってもらわねば困る役目だ。それに…これは今回の作戦の一部だ」
雪はそう言い、隣のリンダを気にしながら馬首を返した。
続いてエーマやジャン、周囲の兵たちも反転する。
馬のいななきが、林の中を貫く林道のいたるところで聞こえる。
「リンダ様も早く。軍列を逆行することになりますよ!」
エーマの小言が聞こえる。
顔だけ横に向けた雪が、
「それとも、お前もガッドと共に伏せるか?」
と冷淡に聞いた。
少しだけ考えたリンダは、慌てて馬首を東に向けた。
浮かれた雰囲気が残るモナリの大通りに、落ち葉を巻き上げながら風が吹き抜ける。
「謝肉祭が終わってからというもの、風が冷たいわね…」
ヒーナは紅茶の入ったカップを両手で抱えてつぶやいた。
給仕係のような、濃い紺色の質素なワンピースに真っ白のエプロン、頭に白いフリルがついたカチューシャをはめている。
このエプロンとカチューシャは、以前、フラン国の首都プリスで料理をした時に一度だけ着た記憶がある。
しかし今は本来の役割で使っていない。
石畳の上には細工の細かな木製の椅子と、狭いテーブルが置かれているが、肝心の地べたが凹凸のおおきな石畳では、椅子も机もガタガタと不安定である。
同じような格好をして隣に座っている幼いジュリアも、揺れるテーブルを嫌ってか、寒いからか、湯気の上がっているカップを両手で抱え込むようにしてコーヒーをすすっていた。
「美味しい?」
ヒーナは隣の幼い少女にたずねる。
「はい、やっぱりミツカイコーヒーはクリーム多めがいいですね」
ジュリアの口からコーヒーの香りがする。
ヒーナがそんな格好でお茶を楽しんでいるのは、ミツカイだとばれないようにする為である。
遠巻きに警備兵はいるものの、彼らも完全武装している訳ではなく、腰から剣をぶら下げている程度で、街角でパンや干し肉を吟味したり、新しい形の服を見たり、カフェでソーセージを食べたりしている。
その時、
「あんたたち!ひょっとして…」
と女性の甲高い声がした。
ヒーナの隣に座っていた派手な格好の女性達が、ヒーナを見て声を上げているのだ。
「はい?…」
ヒーナが驚いて返事すると、派手な女性の一人が、
「ひょっとしてミツカイ様の、給仕係かい?」
と聞いてきた。
「ちょっと、やめなよ!」
そのテーブルを囲む内の一人の女が、声をかけてきた女を制止するも、彼女は止まらない。
「私はローラ、見ての通りの商売女よ」
女は自己紹介してきた。
彼女が着ているのは、肩のない、胸元が大きく開き、フリルが沢山付いている赤いドレス。
その上から肩の部分がない黒い革のコルセットのようなモノを着けている。
お腹の部分はヒモが多く、下腹にあたる何本かは結ばれてはいない。
髪の毛はボサボサの赤毛だが、頭頂部にある黒いカチューシャが、それをかろうじて押さえ込んでいる。
何より、紅茶もコーヒーも、初冬の澄んだ空の匂いも、全てが彼女のつけている香水の、甘ったるくて不自然な香りにかき消された。
「あんたたちがミツカイ様のとこの給仕係なら、伝えて欲しい事があるのよ、いいかしら?」
派手な女、ローラはそう言って険しい顔をした。
勢いに圧されたヒーナは否応なくうなずいた。
「だったら、そろそろ戦争してくれって伝えて。私達は股も商売も干上がってるのよ!」
ヒーナは反応に困った。
おそらく彼女たちの仕事は、軍に付いてくる商隊の一つだろう。
第八師団は兵士数も倍になったので、百人足らずくらいの商隊が、出撃時に着いて来る。
その中には、手紙の輸送屋、代筆屋、紙や服やアクセサリー、酒、食品、花や服など生活必需品を売る移動商店、薬などの行商、医者や売春婦までいる。
ヒーナは、イヌガル要塞からポード軍が出撃したという報を受け、モナリの町を出撃した。
だが、ポード軍はイヌガルに引っ込む。
そこで、攻めてこないならと、フラン軍第八師団はきびすを返してモナリの町に戻った。
ここ最近、そんなことが三度ほどあったのである。
おそらく彼女たちは、早く戦争をしに遠征に行ってもらって、そこで稼ぎたいのだろう。
「…こ、この町で…その、商売は…出来ないのですか?」
ヒーナは言葉を選びながら答えた。
そもそも、無垢な少女がミツカイとして選ばれるのだ。
そちらの方面の知識はとんと薄い。
「出来なくはないのよ。でも本来は、しちゃダメなのさ。私達の商売にも縄張りってもんがあるのよ。元々この町で商売してきた同業にとっちゃ、私達が邪魔なのは分かるだろう?」
女性は今は話してる相手が、新しいミツカイだとは思いもせずに、偉そうに語った。
「そうなんですね…」
相槌を打つヒーナ。
「そうよ。だから上得意とかはそっちの、この町の女で遊ぶし、私達は良い仲になった男くらいしか客に引けないのさ…」
ローラはあっけらかんと話す。
ヒーナはちょっと、その世界の事も詳しく聞きたくなった。
「そんなお客は多いのですか?」
思わず身を乗り出して聞く少女に、ローラも饒舌になる。
「そっちの子はまだまだ子供だしアレだけど、あんた…なかなか良い筋してるし、私達と商売するかい?あんたなら結構稼げるよ?」
ローラはヒーナ達を品定めする。
「いえ、ミツカイ様の仕事が有りますから…」
ヒーナは言葉を濁しながら、慌ててそれは辞退した。
「そうね…給仕の仕事があるもんねぇ…。まぁ、お金に困ったらおいで」
そう言いながら、分厚い唇を尖らせる。
そしてウェイトレスを呼びつけながら、
「それと…」
と、付け加えた。
「さっきの話、ミツカイ様に伝えといてくれよ」
ローラはウィンクして去っていった。
ケーキやパンを食べ終わって、またはコーヒーや紅茶、ワインやビールを飲み終わって、化粧をしたり、お喋りしていたローラのテーブルの、派手な女性達もパラパラと立ち上がってローラの後を追うように去っていった。
彼女達が去っていった後で、その席に市民の格好に剣を携えた警備兵が座った。
「何の話をしておられたのですか?」
「女同士の内緒の話です…」
ヒーナの答えに警備兵は眉をひそめた。
「彼女達がどんな女か御存知で?」
「あら?あなたは彼女達をよく知ってるのではなくて?」
「…そ、そんな事は…」
警備兵は慌てて否定した。
ヒーナはそれで少し意地悪だったかと反省して、
「ありがとう。彼女達の仕事の話を聞いたダケです。心配は要りませんよ」
と笑顔で答えたが、警備兵は赤くなってオドオドしていた。
この時、ヒーナは気付いてなかったが、帰る段になって、ローラがヒーナ達の分の代金を払って行ったのを知った。
ヒーナは驚いたと同時に、また彼女に会って話をしたいと思った。




