第三十五話 <古い御使い>
モナリを奪還してから、フラン軍の第三師団長モーリスは、一度首都プリスに戻り、またモナリに引き返していた。
収穫の秋を向かえたモナリの街に、ヒーナ率いるフラン軍第八師団が入ると、第三師団はモナリにそのまま残る千名と、モナリの南に位置するホルンの町へ向かう二千名とに別れた。
この再編成で、第三師団長のモーリスはホルンの町へ移動している。
プリスには今、ゴルドがいなくなって宙に浮いた第五師団の兵と、第六師団の捕虜だった兵の合わせて二千以上の兵士が余剰している計算になる。
だが、現実的には第五、第六師団は壊滅しているし、計算上宙に浮いているだけであって、実際問題余っている訳ではない。
第一師団長も務め、なおかつフラン軍の総司令官をも務めるエリーゼは、軍の再編成の指示、戦略拠点の整備の指示などで忙殺されていた。
さらに、彼女自身のミツカイの力による負傷兵の治療という大仕事があり、寝る間もない程に忙しかった。
エリーゼの私室はプリス城の三階にある。
細かな編成の指示を出しながらの負傷兵の治療を終え、やっとその三階の部屋に戻ってきたエリーゼは、後ろ手で乱暴に扉を閉めると大きなため息をついた。
そして、待ち構えていた給仕係のセレナから果物を絞ったジュースを受け取って、一気に飲み干した。
「それほど疲れているなら、軍の編成なんかはシャロンに任せればいいでしょ?あのお婆さんなら無難にやってくれるでしょうに…」
すでにエリーゼの部屋にいた茶色い肌の女の子がそう言って笑った。
茶色い少女はエリーゼが普段使う偉そうな革張りの椅子に深く腰かけていた。
エリーゼは不機嫌な顔でベッドに倒れ込むように座ると、その茶色い肌のお姉さんを一瞥もしないで、
「無難な編成ってだけでは、クワイ軍とポード軍に太刀打ちできないのよ…」
と反論した。
「新しいミツカイに手伝わせればいいじゃない?」
と、茶色の少女が言う。
「あの子にはポード軍を撃退する作戦に動いてもらっているわ。レーリン、あなたこそ手伝ってはどう?」
青い目の少女は、茶色い肌の少女の漆黒の瞳を見つめた。
「ベッヘル遊撃隊に、ヤード、セルドに仕官養成所の成績優秀者。新しいミツカイの所は人材に恵まれてるわね~」
レーリンと呼ばれた茶色い肌の少女が茶化すように言う。
茶色い肌、黒髪に黒い瞳の彼女は、レーリンという。
背は高く、細い。
顔や肌のツヤ、そのあどけなさがほんの少し残る顔から、少女と大人の女性の間くらいの年齢であろう事がわかる。
ただ、それも風貌だけで、彼女は大人びた落ち着いた空気をまとっている。
そのせいか、エリーゼより少し年上に感じた。
黒い髪を頭上で纏めて団子にしているし、緑色に染めたチュニック、膝くらいの短く青いズボン、その下に小豆色に染めた綿のタイツを履いている。
遠目に見たら男に見えるような格好で、普段エリーゼが座っている革張りの椅子の大仰な背もたれにもたれ、足を組んで座っていた。
「呼ばれてもないのにワザワザ男装をしてまで最前線から戻って来たのは、そんな愚痴を言いたかったからかしら?」
エリーゼが疲れた顔でミルクコーヒーのような色の少女を見る。
レーリンは第二師団長であり、ミツカイである。
普段は、侵攻が激しいクワイ国の抑えとしてフラン国の西の端、デキャルトの町に駐留している。
男装して来たのは、彼女が不在と知るやクワイ国が攻撃する、その監視の目を欺く為である。
「今、この首都プリスには宙に浮いた兵が何名いるのかしら…」
レーリンの切り出した言葉でエリーゼは、なるほどと得心した。
「兵を増強しろと?」
「それもあるわ。だけど、本命は第五師団ゴルド殿の私兵一千ですの」
「あの兵士が欲しいのか?」
「それと増援二千。それだけあれば、先の侵攻で失った旧領シュルベルの泉周辺の村まで取り戻しましょう」
レーリンの駐留するデキャルトの町からさらに西へ二日程の距離に、シュルベルの泉という綺麗な湧き水でてきた泉があり、周辺には村がある。
そこは昔、フラン国の最西端の領土だった。
そこから更に西は荒涼とした砂漠のような荒れ地であり、そこからがクワイ領であったのだが、今では、クワイ国がシュルベルの泉付近の村を占領して領土としている。
旧領奪還は、フラン国の西の問題であった。
「一つ教えておくと、ゴルド殿の私兵団一千は、自ら望んで第八師団に属したわよ」
エリーゼは面倒臭そうにレーリンに話した。
それを聞いて、レーリンは口を大きく開けて唖然とした。
「…え!…あの強情な部隊を…?」
「そうよ、私もあの者達は扱い辛いわ…」
エリーゼはそう言ってレーリンにうなずきながら、給仕のセリナが盆に乗せて持って来た夕食を、そのままベッドに置くように指示した。
「なんで…また?」
レーリンは心底驚いた顔でエリーゼにきいた。
エリーゼは、ベッドの上で、ナイフを入れる度に上下する羊肉の香草焼きに苦戦しながら、
「さぁねぇ…」
と答えた。
「あの、命令とあらばどんな障害も乗り越えるっていう気概、欲しかったのになぁ…」
レーリンは口を尖らせ、少し悔しそうだった。
エリーゼはそんなレーリンをよそに、やっと切り分けた羊肉をフォークに刺し、ドゥミグラスソースをたっぷり付けながら、
「そう言えばあの兵士たちの、そういう強情な所はあの子にそっくりねぇ…」
と言って、肉の刺さったフォークを口に入れた。
「うん、美味しい!」
と舌を鳴らすエリーゼを横目に、レーリンは、
「私も、その新しいミツカイに会ってみたいわ…」
とつぶやいた。
「あら残念だったわね、彼女は少し前にプリスを発ったわよ」
美味しいものを口にしてか疲れが吹き飛んだような顔のエリーゼは、そう言いながらも食事に夢中であった。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
エリーゼ付きの給仕係セリナが対応に出る。
「ウィルズさんが来られました」
セリナの報告にエリーゼはうなずきながらカップの水を飲んで口の中のものを流し込んだ。
セリナに導かれるまま部屋に入ってきたのは、ホルンの町でポード軍の第三師団と戦ったさいに、重傷を負ってプリスに運ばれた少年兵であった。
「何の用です?」
少年兵ウィルズはぶっきらぼうに言った。
浮かない顔であった。
「あら、随分と横柄な態度ね…」
エリーゼはからかうようにそう言った。
彼はかろうじて生きているという状態でここへ運び込まれた。
出血もひどく、水しか飲んでないせいか衰弱も激しかった。
生きているのが不思議なくらいで、意地か気力か何かそのようなものが、彼をこの世に繋ぎ止めていたのであろう。
そんな彼の治療には、リハビリも含めてゆうに一ヶ月もの期間がかかり、ようやく戦闘ができるまで回復した。
彼は全快するまでヒーナに会っていない。
その反動か、全快してからというもの、すぐに第八師団に復帰したいと何回も訴えたが、エリーゼはそれを許さなかった。
ウィルズの態度が悪いのはその為である。
「あなたに部隊に復帰してもらいます」
エリーゼの言葉に、少年の眼は輝いた。
「待遇は近衛兵長、ミツカイの身辺警護が主な任務です」
「ありがとうございます!すぐに用意します!」
ウィルズは跳び跳ねそうな勢いで部屋を出ようとした。
「待ちなさい!」
エリーゼが慌ててそれを制止する。
「あなたは近衛兵としての実績がありません。だからまずはその勉強から入ってもらいます。近衛兵見習いですね…」
エリーゼの言葉を聞きながらも、少年は待ちきれない様子だった。
「配属先は第二師団。ここにいる緑のミツカイ、レーリンの近衛兵として、です」
「よろしくね」
レーリンは目を見開いて固まっている少年を見上げて微笑んだ。
「…な…なんで、第八師団じゃないんですか?!」
ようやく声が出た少年に、エリーゼは、
「辞令は伝えたわ。もう戻ってもいいのよ?」
と答えてフォークを取った。
「納得出来ません!俺はもともと第八師団の義勇兵です!」
少年は激しく抗議した。
叫びながら、痛くないのかと心配なくらい自分の胸を強く叩いている。
「あら、そんなにヒーナって子の事が恋しいのかしら?」
レーリンが少年をからかう。
「…そ、そんなんじゃありません!」
少年は真っ赤になって答えた。
肉やパンを頬張りながらも鋭い視線のエリーゼは、
「軍全体からみたら、それが最良だからだけど…そう言っても納得しないわよね…」
と、モグモグしてつぶやいた。
そして、コロコロ笑うレーリンを制して、
「あなたの大事なお姫様はね…」
と、話し始めた。
「その力といい、戦い方といい、攻撃する方に長けてるわ。一方で防戦の経験はない」
「そんなことありません、ブルアの町では…」
と、少年の反論を、エリーゼは言葉で制した。
「あれは一度町を空け、占領させてから取り戻す。いわば再占領作戦よ」
エリーゼの論にウィルズは黙り込んだ。
「あの子は知ってか知らずか、自分の力を生かして、勝ちのパターンを…、そうね、いうなれば自分の力を利用した戦闘ドクトリンを形成しつつあるのよ」
エリーゼは水を一口飲むと続けた。
「それ自体はすごく良いことよ、強い部隊の常だもの。でも、それを部隊の全員が意識してなければしてないほど、雪のような賢しい的に、逆手を取って利用された時の被害は計り知れないわ…」
エリーゼは立ち上がってウィルズの顔を覗き込むと、
「それを防ぐのがあなたの役目です」
と言った。
「ならなおさら、第八師団に…」
と言いかけるウィルズに、
「ならなおさら、レーリンの元で勉強しないといけないのよ」
と言葉をかぶせた。
「第二師団はクワイ国の進攻を何度も食い止めてるわ。防衛の戦闘ドクトリンが出来上がっているという事よ。彼女の勝ちパターンを学びなさい。それはきっと、あの子の力になるわ」
ウィルズ少年は何も言い返せなかった。
確かに、今の自分はただの一兵卒に過ぎない。
命をかけてヒーナを助けると大口を叩きながらも、実際には弓矢の盾になるくらいしか出来ない。
しかも、そんな盾なら代わりはいくらでもある。
「期限を切って下さい…」
絞り出すような声でそう言った少年の顔からは、不満が消えていた。
「一年。それ以上経ってもモノにならないのなら、しょせん、あなたには無理な話だったのです」
エリーゼの言葉に、ウィルズはうなずいた。
「クワイ軍はそれまでに何度くらい攻めて来ますか?」
少年はまっすぐな瞳でレーリンを見つめた。
「毎年、謝肉祭が終わったらすぐ、大規模な軍事行動があります。その後はちょろちょろと攻めたり引っ込んだりで、来年の収穫までなら大小含めて五、六度くらいかしら…」
レーリンは指折り数えながら答えた。
「それで、一年で、必ずモノにします!」
右腕を胸につけてかしこまって言うウィルズに、エリーゼは、
「愛しい姫様の為に、ね?」
とからかうように付け加えた。
少年は真っ赤になりながら、
「失礼します!」
と言ってそそくさと退出しようとする。
少年の為に部屋の扉を開けながら、給仕係のセリナが、
「ほんとに、ヒーナ様がお好きなんですねぇ…」
と、真面目な顔で聞いた。
驚いて給仕係の少女を至近距離で見つめる少年。
彼は顔のみならず、耳まで赤くなった。
「お顔…真っ赤ですね…」
セリナの素直な言葉に、少年は自分の顔がどうなっているか意識してしまい、額から汗が吹き出し、さらに顔からは火を噴いて、慌てて部屋から出ていった。
その直後、エリーゼの部屋から廊下に少女達の笑い声が響いた。




