第三十三話 <異世界の知恵>
ヒーナはガガリアの町に来ていた。
風はすっかり熱気を帯びなくなりすがすがしい。
夕方にさっと降っては止む雨もなくなり、空に浮かぶ雲も分厚く綿を固めたような形から、うすく伸ばしたような形に変わっている。
街道の草むらなどでは、夕方になると虫の声まで聞こえてきた。
とはいえ、まだ上着を着込む程に冷えてはおらず、半袖一枚でも辛くは無い。
少し秋の匂いを感じながら、ガガリアの町の広場を抜け、あの、床に穴を開けた塩樽亭に入った。
一階の食堂の真ん中は、修繕もせずに穴が開いたままであった。
店主いわく、一度塞いだのだが、それを見たくて来る客が多く、また元に戻すと満席になったそうだ。
穴に落ちないように、穴の周囲に柵が設置されていた。
ヒーナの顔を見ると、丸顔で髭面の亭主がニコニコ顔で、塩樽亭の新しい自慢のテラスにヒーナを通した。
食堂の壁を抜いて一階に作られたテラスは、通りに面していて晩夏の香りも行き交う人々の息遣いも感じられる。
亭主は注文もしてないのに、勝手にミツカイコーヒーを用意してヒーナ達に出した。
警備兵の分も含めて七つカップを並べ、どうだと言わんばかりの表情でヒーナに微笑みかけた。
ヒーナは愛想笑いはするものの、どうしていいか分からずに少し困っていた。
「ほんとうは、コーヒーが苦手だって言おうかしら…」
と小声でつぶやいたのは、亭主には聞こえてなかったようで、意気揚々とカウンターの中へ戻って行った。
それから、甘いパンケーキの匂いが鼻をくすぐるほど気持ちよくなった通りに、ヒーナはこの世界へ来た頃の会議を思い出していた。
それは、ミツカイというものがフラン国にとって何者なのか、なんの自覚もなかった頃の出来事であった。
謁見の間の真下に位置する会議室には、女王フランを始め多くの人々が既に着席していた。
中央のテーブルは長い二列をくっつけたのだろう、長い一辺に何十人も座れるくらい、とても大きい。
その後ろに細長いテーブルが置かれ、そこにもペンを握った書記係のような人が何人も座っている。
彼らの服装も年齢も性別もバラバラで、何の集まりであるかが容易に推測できない。
質素な服を着た気難しそうな長い髭の老人、色とりどりの服を着ているチョビ髭の若い男、真っ白な服を着た頭髪のない怖そうな男、目の前に茶色い紙を広げて羽根ペンを持った中年の太った女、白髪の老婆、皮鎧を着た男など、少しクセのあるような人々が、何も話さず、押し黙って座っていた。
エリーゼと共に最後に着席したヒーナは、その異様な雰囲気に少し圧倒された。
「では、この新しいミツカイ、ヒーナに、未来の事を話してもらいましょう」
というフランの言葉に、待ってましたと言わんばかりに全員が口々にヒーナに向かって何か言葉を投げ掛け来る。
「街並みは?」
「料理の味はどうなっている?」
「…はどうか?」
など、質問ばかりのようで、最初に聞こえた数個の質問以外は雑音になった。
取り合えず、白い手を前に突き出して、口々に質問する人々を黙らせたフランは、
「そうねぇ…じゃあ…まずは、食べ物について話してもらいましょうか。…今日まで出されたモノは口に合いましたか?」
と、少し不安そうに、しかし優しくヒーナにたずねた。
「はい、美味しく頂きました…」
とヒーナが答えると、人々からどよめきが上がった。
「あなたのいた所でも、同じようなモノを食べていたのですか?」
と続けてフランが問う。
「はい、パンとかは同じようなモノです。こちらのは少し味がありませんが…」
ヒーナがそう言うと、白い服の髪の毛がない男が、
「何か入っているのですかな?」
と、しゃがれた声で、少し語尾を荒げてたずねた。
白い服の毛のない男はフラン宮廷料理長のモークという。
代々料理を生業としてきた家系で、料理の腕だけで今の地位を築いたという生粋の料理人だ。
「はい、バターとかハチミツが生地に入って焼いてあったり…私は、菓子パンの方が好きですが…」
「菓子パンとは?」
ハゲた男は怖い顔で聞いてきた。
「あんやジャムなんかを中に入れて、柔らかいパンを焼くのです」
「あんとは?」
尚も男はきく。
「小豆を砂糖で煮た詰めたモノです…黒色で、甘くておいしいですよ」
少し微笑みながらヒーナがそう言うと、男は唸りながら目を閉じた。
「他には、…パン以外には何かありますか?」
その隣の、白い服の若い男が、走らせていた羽根ペンを止めて聞いた。
この若い男はハゲた男モークの弟子でも、部下でもない。
料理部門の技術士官の若き優秀な人材でピーターという。
優れた兵糧を開発する事を任務にしているが、他にも、兵士たちの食事、栄養の管理をしている。
「…そうですね…出汁がないので…味噌汁とか食べたいですけど…」
「だし…?みそ…しる?」
「乾燥させた昆布や小魚、鰹節を水で煮て作った汁が出汁です。昆布だけで作ったモノは昆布だしと言います」
「カツオブシとは?」
「鰹という魚を干して乾燥させ、それを薄く削るんです。出汁は和食の基本ですから…」
「わしょく…」
若い男は不思議そうであった。
「…はい。大豆に塩をかけて発酵させて、味噌や醤油を作ります。味噌を作れたら、カツを揚げて味噌カツとか、醤油ができたら、すまし汁も出来ますね」
ヒーナは嬉しそうに話した。
「あぁ、そういったものなら、リーエンに有るのではないですかね?」
そう言いながら白い服の男は、隣の若い白い服の男にたずねていた。
隣の男は、腕組みをして難しい顔をし、首をひねっていた。
「じゃあ、茶碗蒸しはどうですか?出汁の中にといた卵を入れて、他に椎茸とか三つ葉、鶏肉、銀杏、ゆりねなんかを入れて蒸したモノです」
ヒーナの目はキラキラしていた。
「卵のプティングかしら?」
と隣に座っているエリーゼ。
「明日の食事はリーエン風にしてみましょう」
と、白い服の男。
「他、食べたいモノはありますか?」
白い服の男たちの質問は続いた。
ヒーナは他に、マヨネーズ、天婦羅、ラーメン、カレーライス、ハンバーガー、ケーキなどの事を話した。
その中には、いくつか既にこの世界にあるものがあった。
作り方が分からないものは、味や食感や色や形を、わかる限り伝えた。
ヒーナが食べ物の事を喋り終えると、白い服の男達は、一礼をして、手に持っていた白い帽子をかぶって退出した。
「では、服はどうですか?」
微笑みながらフランがたずねた。
「少し…皆さん沢山着込み過ぎて…その、ゴワゴワしませんか?」
ヒーナは言い難そうであった。
色とりどりの服を着ていたチョビ髭の男が、
「服はもっと質素なの?」
と、尋ねた。
このチョビ髭の男は、フランが公衆の面前に立つ時の衣装任されている仕立師で、パトリという。
他国にも名の知れたデザイナーで、色々な国から弟子志願者が来る程だが、フランは派手な衣装には何度もダメ出しをしている。
この派手な男がそんな有名人だとは思いもよらないヒーナは、Tシャツを教え、ジーンズとスニーカー、あとは制服であるセーラー服を教えた。
それらの素材となる生地は、ナイロンなど、この世界ではまだ未知のものであった。
その為に、派手な男とその周囲に座っていた太いオバサンや、細い男等は口々に何か話し合っていた。
一段落して、
「あなたの好きな服は何かしら?」
と派手な男が聞くので、
「白のワンピースか…ミニスカートにレギンスです」
と、答えると、派手な男の一団は、会議の後でヒーナの採寸をする約束をして、また集団で出て行った。
「街並みは、あなたの住んでいた所と比べてどうです?」
たずねるフランは、少し不安そうであった。
ヒーナは、
「レトロな感じがして、風情があっていいです」
と、にこやかに答えたが、少し真顔になって、
「ですが…路地が臭くて不潔です。あれは何とかならないですか?」
と、意を決したように言った。
それを受けて、初めてフランに謁見した時に、フランの傍らに居たシャロンという老婆が口を開いた。
「汚物を窓から棄てるからです。もはや風習だし、何よりも代替え手段がない…」
ヒーナの指摘はその通りなので、フランを始め多くの者が落胆して溜め息をもらしていた。
少し考えていたヒーナは、
「畑の肥料はどうしているのですか?」
と、きいた。
「鰯などの小魚を発酵させた肥料を使っています」
と、シャロンから少し離れた所に座っていた、日焼けしている中年の男が答えた。
この日焼けした男は、シャロンの部下にあたり農政を任されている男で、名はトリーエルという。
「高いのですか?」と、ヒーナ。
「値段ですか?」と日焼けの男。
ヒーナがうなずくと、
「はい、取れる作物によりますが、だいたい百キロの収穫に数キロ必要となります。値段は一キロ当たり五十ラングくらいです」
と、日焼けの男は細かく答えた。
「では一度人糞の肥料を作ってはどうですか?」
ヒーナの言葉に、日焼けした男は不可解な顔をした。
そこで、ヒーナは詳しく説明した。
「人糞を土の穴の中に集め、落ち葉や野草を混ぜて発酵させ、肥料を作るのです。人糞は各家庭から買い取ります。そして、鰯の肥料より安い値段で売るのです」
それを聞いて、みるみる日焼けの男の顔が明るくなっていった。
「なるほど、町から汚物が消え国も儲かる、一挙両得ですな!」
そう男が嬉しそうに言うと、老婆シャロンが、
「それに、失業対策にもなる…良くできた話ですが…人糞の肥料が、そんなにいいものなのですか?」
と疑問を投げ掛けた。
それにヒーナが答える前に、
「それは早速実験しましょう!やってみないとわかりませんが、価値はある!」
と言って日焼け男は会議室から出ていった。
シャロンは軽い溜め息をついてから、
「それで、街並みはどういうところがちがうのかな?」
眼光鋭く、しわがれ声でたずねた。
「携帯がないですし、電車も、車もないし…自転車、バイクなんかも…そもそも電気がないですよね…」ヒーナがそう言うと、そられが何かを分かっていないはずのフランだが、段々暗い表情になっていった。
「…あぁ…すいません」
そんな意外な反応に、話しながらヒーナは恐縮した。
だが、電気がないのは、毎日、日が傾いてから実感していたので、どういうところが違うか、感じた事を包み隠さず話したのである。
「でんき…とは?」
老婆はたずねる。
「エネルギーです」
とヒーナ。
「雷とは違うのですか?」
老婆の隣に座っている若い女性がたずねた。
この女性はシャロンの補佐官であり、都市整備で実績を上げた。名はジャンヌという。
「雷も電気です」
とヒーナは即答した。
「それを何に使うのかね?」
老婆は問う。
これではらちがあかない。
ヒーナは少し考えて、
「蒸気機関はご存知ですか?」
と聞いた。
老婆は顔を曇らせてゆっくり首をふる。
「ヤカンでお湯を沸かしますよね?その時にずっと火にかけておくと、ヤカンの口から勢いよく水蒸気が吹き出るでしょ?」
そう言うヒーナに、老婆ではなく、その隣に座る若い女性、ジャンヌがうんうん頷いていた。
ヒーナは少し不安があったが、気にしないようにして続けた。
「その水蒸気が飛び出る力で水車の様なものを回します。そういう仕組みを蒸気機関といいます」
頷いていた若い女性は、「おぉ」と声を上げ嬉しそうに、
「それなら風がなくても風車が回り、水がなくても水車が回りますね!」
と驚いていた。
「そうです。そしてそれに棒を通して車輪を付ければ…」
そこまでヒーナが言うと、
「馬がいなくても馬車が走る!」
とジャンヌが叫ぶ。
「車輪の代わりに水車を船の横に取り付ければ…」
と、そこまでヒーナが言うと、
「風も帆も無くても船が動く!」
と、ジャンヌが興奮して叫んだ。
「車の方は蒸気機関車、船の方は蒸気船といいます」
伝わった事に安心してニッコリ微笑むヒーナに、ジャンヌは興奮を隠せない様子で、
「今からすぐに作らせましょう!」
と、隣に座る老婆に向かって言った。
老婆は固い表情を崩さずに頷くと、ジャンヌは立ち上がって礼をして、嬉しそうに退出した。
「で、それは『でんき』なるものと関係あるのですか?」
老婆は鋭い瞳でヒーナに質問した。
「はい、その蒸気機関を使って磁石を回す事で、電気が生まれます」
「その電気で何をするのですか?先程の車や船は蒸気で動くのでしょ?」
「電気でも動かす事が可能です。モーターを使うのですが…それよりも、電気の一番の利点というのが、蒸気機関は力を発生させたその場でしかその力を使うことしか出来ないのですが、電気は電線を使って力を運ぶ事が出来るという点です。各家を電線で繋いで夜に明かりをつけたり、洗濯機や掃除機を動かしたり、冷房や暖房も出来ます」
ヒーナの言葉を聞いて、会議室はどよめいた。
何よりも、
「洗濯や掃除も機械がするのか?!」
と、驚いて声を上げたのは、ヒーナの隣に座っていたエリーゼであった。
「え…えぇ。電気から電波を出して、テレビや携帯電話といった通信も出来ます」
とヒーナが答えると、
「分からないわ…そんな機械をあなたみたいな歳の少女が理解して使いこなしたりするの?」
と、エリーゼが驚いた顔で固まっていた。
「えぇ、まぁ。…仕組みを理解しなくても、使い方さえ簡単なら、誰でも使えますし…」
そう言うヒーナの言葉に、エリーゼよりも衝撃を受けていたのは、フランのようであった。
いつも穏やかな表情のフランであるのだが、今は少し焦燥の色が見える。
そんなフランを気にしてか老婆シャロンが、
「我々には『でんき』まで到達する前に、まず蒸気機関をものにしろという事だな…」
と、言って、周りの若い者を追い立て、一礼をして退出した。
「…次に、軍隊はどうですか?」
そう尋ねるフランは少し疲れているかのようであった。
「軍隊は、領土、領海、領空という三つを専門とする、陸軍、海軍、空軍で編成されています。それぞれの主要な兵器は、陸軍は戦車、海軍は軍艦、空軍は戦闘機です」
ヒーナが説明していると、そこで皮鎧の男がたずねた。
「陸軍のは、先程の車だろうし、海軍のは蒸気船だろう。だが、戦闘機とはなんですかな?」
そうしゃべる皮鎧の男は技術士官長で第七師団長ブランという。
「飛行機です」
ヒーナが即答した事で会議室はまたどよめいた。
「ひこう?」
「はい、空を飛びます。」
「鳥の様にですか?」
「翼は動かないですが…あ、プロペラとかも使って…」
「それに何の利点がある?確かに飛びたいとは思うが、それは一部の人間の願望であって、軍事利用としては…どのように使っているのだ?」
「あぁ…」
と、ヒーナは少し考えて、自分が大量殺戮を師事しているように思え、とても悪いことをしている気分になった。
そこで、少し話題を替えてみようとした。
「えっと…火薬とかないのですか?」
と、ヒーナは問う。
「あるわ」
と、すぐにエリーゼが返事した。
「その火薬は、何に使っているのですか?」
「軍用としては敵を脅かす程度しか効果がない…」
と、皮鎧の男は不服そうだった。
「火薬から爆弾が作れます…火薬の塊を樽に詰め、導火線に火を着けるのです」
「どうかせん?」
「紐みたいなモノです…そこに火を着けます。火をつけて走って逃げ、安全な所まで行ったときに爆発するようにする仕掛けです」
「爆発させて破壊するのか?」
「じつは…その樽の外側に、釘みたいな、小さな鉄の塊を一杯張り付けておきます。そうしたら、爆発した時にその鉄の塊が飛び散って…」
ヒーナの言葉で周囲がどよめく。
みんな一様に痛そうな顔をした。
「それは…なんというか、残酷ですな…」
皮鎧の男は、頬がひきつりながらそう言った。
「それを飛行機で町の上に落とすと…」
ヒーナがそこまで言うと、エリーゼが
「ひどい…」
とつぶいたので、ヒーナはそれ以上言わなかった。
「そういうモノを落としていく敵の飛行機を撃ち落とす飛行機が戦闘機です」
ヒーナがそこまでしゃべると、その場の誰もが自分達の頭上を守る重要性を理解した。
「未来にはもっと残酷で凶悪な兵器があります。例えば、指を押すだけで沢山の人を一瞬で殺してしまうモノとか…。でも、そういう兵器を作った人はみんな、心に闇を抱えます…。私はこれ以上残虐な兵器の話はしたくありません…」
ヒーナはそう言ってうつむいた。
フランは頷きながら、
「それでいいでしょう?」
と皮鎧の男を見た。
皮鎧の男はすぐに「はい」と答えた。
「次に芸術です。先に…音楽とかはどうですか?」
フランはつとめて笑みを作っているようにも見える。
「音楽…」
ヒーナは思わずそう口に漏らしながら、昨日見に行った劇場での歌劇を思い出した。
そこではみんな、オペラ調の歌を歌っていた。
「マイク…がないですね…」
「マイク?」
立派な髭の太っちょの男が聞いた。
彼は芸術の中でも舞台芸術の監督をし、自身も歌手であり管楽器奏者であるプロバンという芸術家である。
「声を大きくする機械で、それで、囁いてるような声でも、こうやって大声で話しているように聞こえます」
「マイクね…どういう仕組みですか?」
立派な髭の男は、興味津々にヒーナを見つめた。
「電気で動きます。でも、私はその仕組みに詳しくありません…すいません…」
ヒーナは恐縮しながら答えた。
プロバンは少しがっかりした顔になった。
そこで、エリーゼが助け船を出した。
「いえ、いいのです…少し疲れてきましたね…今日はこれくらいにしましょう」
エリーゼがそう言うと、残った面々の前にカップに入ったコーヒーが運ばれた。
ヒーナの元に運んできたアンナに、
「コーヒー…牛乳はないですか?」
とたずねた。
ヒーナはブラックコーヒーは苦手であったのだ。
アンナは次に運んできた皿をヒーナの前に置くと、
「見てきます」
と言って下がった。
ヒーナはふと、皿の上を見た。
皿には丸くて固そうなパンが乗っていた。
そのパンの上とその周りの皿に白い粉砂糖の雪が降らせてあった。
そしてそのパンの傍らに、白いホイップクリームの塊が添えられていた。
ヒーナはそのホイップを少し指で付けて、なめてみた。
少し脂っぽいが、ふわふわの食感と甘さが口の中いっぱいに広がる。
ヒーナは会議室から出て行こうとしているアンナを、
「アンナ、牛乳はもういいです、ありがとう」
そう言って呼び止めた。
アンナが引き返して来たのを確認すると、ホイップクリームの塊をフォークですくってコーヒーに入れ、スプーンでかき混ぜて飲んだ。
それを見たエリーゼは少し驚きながらも、
「そんな飲み物があるの?」
とヒーナに尋ねた。
「えぇ…っと、確か、ウィンナーコーヒー、かな?」
「ウィンナー…?」
そうつぶやきながら、エリーゼも同じようにホイップをコーヒーに入れて、それをすすってみる。
口に入れた瞬間少し眉を上げて、
「うん、美味しいわ」
と微笑んだ。
その経緯を見ていた周りの者も、同じようにホイップをコーヒーに入れて飲み始めた。
コーヒーを飲んでいる時に、ヒーナは別室に呼ばれ、仕立師らによってその身体を事細かに採寸された。
その間に、先に会議室を出た者たちがちらほらと戻ってきたようで、ヒーナが冷めたコーヒーの前に再び座った時には、会議の始まりより少し人が少ないくらいの人数になっていた。
そしてその後は会食になった。
最初に、会議でよく質問をしていた白い服の若い男ピーターが、茶碗蒸しを持ってきた。
「まだ、試作品ですが…」
と説明されたその木製のカップに入った黄色いモノは、出汁のいい匂いを放っていた。
「まだ銀杏の季節ではありませんので、鶏肉、三つ葉、マッシュルームが入っています。作り方はミツカイ様に教えてもらった通り、昆布と小魚の干物を煮たモノに、卵を加えて蒸し焼きにしました、卵のプティングです」
と、まず、フランの前に一つ置かれ、続いてヒーナ、エリーゼの前に置かれた。
まずはヒーナに味見するよう勧められ、銀のスプーンでその表面をすくって口に入れた。
咀嚼した瞬間、魚と昆布の風味が口に広がり、懐かしくて涙が出そうになった。
「この味はよく似ています…」
ヒーナのその言葉で、会議室に感嘆の溜め息が漏れた。
その後運ばれてきたのは、大皿に盛られた牛肉のステーキに茶色いソースがかかったものだった。
一人一人がナイフとフォークを使って切り取り、自分の皿に持っていく。
ヒーナはエリーゼに小声で、
「最初から皿に取り分けられて来ないんですね?」
と言うと、
「え?…あなたの所では小分けされたのが出てくるの?」
とエリーゼが聞き返した。
「でも…フランス料理と言えば、色んな料理が一人分づつ皿に乗って出てくるって…」
「私はブルゴーニュの豪農の娘よ。貴族じゃないけど、高い教育を受け、裕福な暮らしをしていたわ。だけど、料理はこんな風に大皿に乗って出てきたし、故郷の味と言えば、このソースドゥミグラスよ?」
「フランス…ですよね…ソースはフォンドボーじゃないんですね…」
「何を言ってるか分からないけど…。それに、一人分が取り分けられて出てくるのはいいけど、その人が食べられないような料理だったらどうするの?…まぁ、肉が食べられない人なんて居ないでしょうけど」
肉を頬張りながら、皮肉って微笑むエリーゼの言下、
「居ますよ、菜食主義の人とか…」
とヒーナが即答して肉を口に入れた。
それでエリーゼは、口元に笑みを残しながら眉をひそめるという妙な顔になった。
その時、
「聞き流す事が出来ないですな…」
と、背後からしゃがれた声が聞こえた。
振り返るとハゲた男が怖い顔をして立っていた。
宮廷料理長のモークである。
「その都度色々教えてもらうのも面倒だ。明日の昼食後、この城の調理場へ来てください。夕食を共に作りましょう」
そう言われたヒーナが不安そうにエリーゼを見ると、エリーゼは視線をそらし、肩をすくめてから微笑んだ。
「こう見えても料理長は優しくて、料理は繊細よ。何よりも、同じ料理は同じ味で出てくるの、凄いわぁ」
と、エリーゼ。
「え!レシピとか無いんですか!?」
と、ヒーナは思わず大きな声を出した。
「レシピ…って何?」
エリーゼはまた笑顔がかたまった。
「いろいろな料理の作り方とか、材料とか、どの調味料をどのタイミングで、どれだけの分量入れるか、というのを書いた本です…」
ヒーナが少し不安そうにそう答えると、
「それがあれば、誰でも同じ味が作れる!」
料理長はハゲた頭を白い帽子で叩きながら叫んだ。
ヒーナはオープンテラスでコーヒーを飲みながら、半年くらい前のあの会議を思い出していた。
会議から半年経った今では、生クリームの入ったコーヒーは、ここガガリアでも既に伝わっており、メニューにしっかり載っていた。
ただ、メニューにはウィンナーコーヒーではなく、「ミツカイコーヒー」と書いてある。
そして、そこらかしこでオープンテラスが出来たのは、汚物を窓から棄てる習慣が無くなり、町が臭くて不潔でなくなったからだ。
これは、肥料を作るためにし尿を買い取る制度が出来た為で、レストランやカフェはその町の清潔さを誇るように、飲食する場所にオープンなテラスやデッキを設置するようになった。
ただ、肥料はまだ完成してはいない。
もし完成し売ることができたなら、いろいろな面を改善することのできる国家事業となる。
あの会議の成果である。
テラスでミツカイコーヒーを飲んでいるヒーナの耳に届くのは、「ガガリアまで蒸気機関車の走行試験をする」という話題だ。
街道整備が急ピッチで進められ、馬車による搬送も楽になったそうである。
街道脇に建設されている専用の線路を蒸気機関車が走る。
幸運なことに、蒸気機関はそれを夢想し研究したいた学者がいた為に、少し研究者を増やし、費用をかけただけで、一ヶ月後にはその開発に成功し、港町ガガリアとの輸送強化計画が持ち上がっていた。
実現すると、馬車で三日かかっていた道程が、一日で済むという画期的なものになる。
「いやぁミツカイ様…いや、第八師団長様かな?」
笑顔で、ヒーナと同じテーブルの向かいの席に座ろうとしているのは、あの会議の時の皮鎧の男、ブランである。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
ヒーナは腰を上げて男と握手をした。
「えぇ、ヒーナ様も元気そうで…」
ブランはそう言いながら、ウェイトレスにミツカイコーヒーを頼む。
彼は、今日も皮鎧を着込んでいて帯剣しており、とてもコーヒーを楽しみに来た客には見えない。
「それにしても、蒸気機関は素晴らしいですな」
椅子に浅く腰を下ろしたブランは、ニコニコと上機嫌だった。
「気を付けて下さい…。あまり蒸気機関が増えると、排気で健康に被害がでます。特に工業にたくさん使われると…」
ヒーナは心配そうに話した。
「健康被害の事はヒーナ様から聞いていたので考えてあります。シャロン様は蒸気機関の使用は、国が発行する免許制にする事を検討しています」
「なら安心です…」
「それに、まだ試作品ですし、本当に有用かどうかはわかりません。でも、エリーゼ様曰く、他国の牽制には十分効果的だと…」
そこでウェイトレスがコーヒーを運んで来た。
「ところで、今日は何でガガリアまで?」
ヒーナがたずねると、ブランは、
「ミツカイコーヒーを飲んでもらう為、って訳ではないですよ」
そう言って笑いながらコーヒーを飲んで、言葉を続けた。
「極秘裏に進めていた最新兵器の発表です」
「兵器…」
ヒーナは少しぞっとした。
「兵器と言っても、それで直接人を殺すもの、ではないのですがね…」
不安な表情のヒーナを気遣い、ブランはそう言及した。
「そこでも話題になってますが、蒸気機関車はまだ実用にはこぎ着けてません。が、道のようにワザワザ整備しなくとも蒸気機関を使える乗り物がありましたよね、…あれですよ」
ブランはウインクした。
そこまで聞いて、ヒーナは少しホッとした。
少し笑顔をこぼしながら、カップの底に残ったコーヒーの最後の一口を流し込んだ。
それを見たブランは、同じようにカップの中身を飲み干して、
「さぁ、行きましょう」
と港の方へヒーナを連れていった。
ガガリアの道は東西と南の港にむかって緩やかな下りになっている。
そのせいで、ガガリアで生まれ育った者は、港へ行く方を「下り」、町の東にある門へ行く方を「上り」と言う。
例えば、揚げ魚の美味しいレストランはどこにあるかと町の人間に訪ねると、「この道の先に理髪店があるから、その角を下りな」という風に教えられる。
ヒーナがテラスでミツカイコーヒーを味わった塩樽亭というホテルレストランは、南と東の港へと通じる岐路に建っている。
そこから港の方をみると、左右の建物に切り取られた港の景色と海が見える。
ヒーナはずっと、どこかで見たことがあると思っていたのは、この景色が何と言ったか、高名な画家によって描かれていて、首都プリスの美術館に油絵の名作として飾ってあったからだと、ふと思い至った。
そう、あの名画に描かれた景色も、今日と同じように晴天で海がキラキラ輝いていた。
少しの発見に、ヒーナはふふっと笑う。
ブランはそれを不思議そうに見ながら、ヒーナを港まで案内した。
倉庫街の東の港へと通じるなだらかな坂道を下って行くと、いつもは眼前に殺風景な荷物だらけの港を忙しなく動き回る人足たちがいる、華やかさのない光景が広がるのであるが、この日は到底人足とは思えないような人達が大勢いた。
おめかしした女性や、キッチリとした身なりの品の良さそうな男性。
エプロンをかけて、これからすぐにでも炊事をするかのような格好の女性、幼い子供の手を引いている若い夫婦。
手も足も止めてタオルで汗を拭う人足たち、派手な衣装に身を包んだ大道芸人までいる。
彼らが群がって見ている先は、陽を反射して輝く海の上に浮かんでいる小型船であった。
港に停泊しているが、その船は帆もなく、オールもついていない。
代わりに、巨大な水車が左右に付き、後方に付いている煙突からは、真っ白な煙を上げていた。
「蒸気船!」
船を見たヒーナは思わず叫んだ。
「木造ですが、帆を使わないで移動する船が実験中であったのです。しかしどうやって動かすかを、設計段階から悩んでまして…」
ブランはそう言って頭をかきながら、出迎えた兵士たちに、見物人を除けるよう指示をした。
「最初は人力で左右に六個づつ付けた水車を動かすように設計されたのですが、どうしても推力に欠けると悩んでいたんです…それで、試しに一双の大きな水車を付けた蒸気船にしたのですが…なかなかどうして、素晴らしい出来です」
嬉しそうに話すブランはヒーナを先導しながら、人をかき分けて出来た道を通っていった。
両脇の人々から、
「ミツカイ様だ」
「ヒーナ様だ」
と声が上がると、やがてブランの声も聞こえないくらいの歓声になった。
ヒーナたちはそんな民衆を避けるように、慌てて蒸気船に乗り込んだ。
二人が乗り込んだ事が確認されると、船までの桟橋が取り除かれ、小型船は汽笛を上げた。
ポーッ!!
耳の奥に残る音、ここの人たちにとっては、今までに聞いたことのない音であったろう。
ヒーナは「大きな音ね」くらいの反応であったが、見物人はみんな腰を抜かさんばかりに驚いていた。
船は出港するとき、周りに報せる為に鐘を鳴らす。
その代わりがこの汽笛だ。
「汽笛は蒸気の力を利用しています。鐘と違って音が遠くまで通りますが…見物人が腰を抜かすのが難点です」
ブランはふふっと笑いながらそう言うと、ヒーナに蒸気船の中を案内した。
最初は蒸気機関以外のすべてが木製で出来ていて、実験段階で火事になったそうだ。
今は両脇の水車の軸周辺や、火事になりやすい場所は鉄で補強してある。
火を起こして薪や石炭をくべる所は甲板上の後方に作られていた。
「この燃料を積む為に結構場所を取るのが問題です。このせいで、大型化しないと軍用には無理でしょうが、はたして、大型船を動かす大きい水車を、この力で回す事ができるのでしょうか…」
ブランがそう話している最中に、船は水車を回して海の上を進み始めた。
「そうですか…スクリューを使えればいいんですが…」
ヒーナは海面を掻き進むその水車を見ながらつぶやいた。
「スクリュー…?」
ブランは興味深そうにたずねた。
ヒーナはスクリューがどういうものか、ブランの持っていた羊皮紙を借りて、絵に書いて説明した。
――― そういえば、紙もこれじゃあ不便ねぇ… ―――
ヒーナは説明しながらも別の事を考えていた。
後に、蒸気機関を使った乗り物は、フラン国の陸海の運搬事情を激変させた。
一方肥料が完成するにはあと十年以上かかったが、根気よく続けたおかげでその後からは国家事業となり、農業政策の根底を変えた。
そして、後に紙は改良される。
ヒーナは蒸気の力でできた潮風を浴びて初めて、ポード軍の雪が言っていた、「ミツカイはこの世界に新しい文化や技術をもたらす側面もある」という、その本当の意味に触れた気がした。




