第二十九話 <流れ込む隙間>
翌朝、ヒーナの元にガモが来ていた。
朝食を摂っていた最中だったので、紐を持ってかじっていた腸詰めを慌てて皿に置いて、ヒーナは立ち上がった。
皿に転がった腸詰めの、歯形がついた断面から溢れた肉汁が、既に皿に置いてあった大麦のパンに染みていく。
「負傷兵が東門から出て、イヌガル要塞の方へ向かったそうです。重傷者も軽傷者も含まれており、その数は四百を越えているとの事です。同時に物資も運び出している模様です。結構な数の荷車が出ているとの事です」
ガモが静かにそう伝えると、ヒーナはテーブルの脇に立ったまま天を仰いだ。
丁度ヒーナの指示を受けにやって来たファーゼも、それを聞いていて、
「退却ですね」
と嬉しそうだった。
ヒーナは真顔で二人に向かい、
「とは限りません…。相手は奇策を用いる雪です。負傷兵を本国へ返しただけ、これから大攻勢を仕掛けるとも取れます」
と慎重な発言をしていたが、口角が上がり、時々ニヤリとしていた。
そこへヤードもやって来て、ファーゼと同じく指示をもらうついでに話を聞いていた。
「退却だとして、追撃はしますか?」
とヤードが聞いた。
「気掛かりは第六師団がどうなっているか、ですね…」
ヒーナはあくまでも慎重になっていた。
それは、上手くいきすぎているからである。
もちろん、雪は策略を練り、先を読めるのだろう。
だからモナリでの決戦は不利と考えての撤退で、モナリでの防衛戦を選ばなかった。
だがそれは、またモナリを攻め取ろうというつもりか、またどこかで戦争をするつもりであろう事が読み取れる。
負ける可能性が高いのに決戦して、兵力を減らし結局敗戦するより、兵力を温存して退却、整え直し、増強しての再戦の方を選んだのだ。
と、なると、その時の為に使える駒は温存するだろう。
「フラン軍第六師団の捕虜達は連れて行くでしょうね…」
ヒーナは呟いた。
「それは面倒だと思いませんか?」
とファーゼ。
「面倒だけど、それだけの手間を掛ける価値があるのです…まぁ保険のようなものですね…」
ヒーナがそう言うと、ファーゼは少し眉間に皺を寄せた。
「…保険…って何ですか?」
そう問われると、保険の意味は説明しづらい。
「保険…っていうのは、…そう、この場合は、これから退却事に追い付かれた時に交換条件に使うとか、捕虜交換に使うとか…」
「あぁ、保証金みたいなもんですね」
納得するファーゼに、今度はヒーナが小首を傾げる。
「保証金?」
「はい、宿屋に泊まる時なんかに、最初に多い目にお金を払っておいて、チェックアウトする時にかかった料金以外を返してもらう、あれですよ」
ニッコリと微笑みながらファーゼは言うが、ヒーナはそちらの方がピンと来なかった。
話が逸れたのでヤードが、
「では、追撃はしないのですね?」
と、話を戻す。
「…あ、はい。今は攻撃をかける準備と心積もりだけしておいて下さい」
ヒーナは慌てて答えた。
それにガモが、
「では、そのように連絡しておきます」
そう言うと、直立して右腕を胸に当てテントを出て行った。
他の二人、ヤードとファーゼは、ヒーナが朝食をとっていた席につく。
それでソフィアたちが朝食を運んできた。
ヒーナはまた椅子に座って、食べかけの腸詰めの紐を摘まみ、大きな口を開けた。
その時である、
「ヒーナ様!」
出ていったはずのガモが慌ててテントに飛び込んで来た。
ヒーナは驚いて口を開けたままで、顔だけをテントの入り口に向けた。
開けたままの口から、たらりとヨダレがテーブルに垂れる。
「ゴルド様の軍が!第五師団が出撃してモナリに攻撃をかけようとしています!」
と、ガモが叫ぶと同時に、ゴルドの伝令兵が飛び込んで来た。
「ゴルド様よりの伝言です!我が第五師団はモーリス様の許可を得、モナリに一番乗り致す、と!」
それだけ言って胸の前に腕を当てると、伝令兵はまた飛び出して行った。
あっけにとられてしばらく口からヨダレを垂らしたままのヒーナに、給仕見習いのジュリアがタオルを渡した。
ガモが、
「モーリス様に確認して来ます!」
と言って駆け出した事で、ヒーナは口が開いたままであることを認識した。
ヤードは、
「こんな事もありましょう…」
と、困り顔でヒーナに語りかけた。
「昨日のゴルド様の態度から、先手を打つべきでした…」
ヤードは胸の前で腕を組んでそう言う。
「先手?」
と、ファーゼが問う。
「先にモーリス様に釘をさしておいてもらう、って事ね…」
ヒーナはそう言いながら、まだピンと来てないファーゼを見て言葉を続けた。
「昨日の内に抜け駆けしないようにモーリス様から言ってもらっていれば、今朝の無駄な戦闘は避けられたでしょう…」
その日の朝は第五師団の攻撃で幕を開けた。
ベッヘルがぶつくさ文句を言っていたが、ヒーナ達は急いで身仕度をして第五師団に追いかけた。
その頃にはもう、第五師団は城門を無視して、その北隣に開いた穴に突入を開始していた。
しかし、雪率いるポード軍が、門の隣に開いた穴をただ放っておいて、何も準備していない訳はない。
穴の応急措置として、壁の内側に大きな石を積み上げた高さ二メートルほどの石山がまばらに築かれていた。
そして、石山に登ろうとした兵は、穴の両脇にまだ残る壁の上にいるポード軍の弓兵に背後から矢で射たれ、石山の隙間に入り込んだ兵はその先でポード軍に囲まれて殲滅させられた。
ゴルドはその様子を見て苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。
「まったく、あの小娘が昨日すぐに攻め込まないからこうなる!」
ゴルドは歯軋りしながら地面を蹴った。
「ゴルド様、第八師団が来ました!」
伝令兵の言葉に、
「やっと来たか!」
とゴルドは舌打ちした。
だが、やがて迫り来るヒーナ率いる第八師団の進行方向は、ゴルドのいる門の北側ではなかった。
「あの小娘、こちらを助けに来ないのか!伝令を出せ!」
土煙の方向を見たゴルドは憤慨して叫んだ。
「ゴルド様、何と伝えましょうか?」
呼ばれた伝令兵がそうたずねると、ゴルドの顔はさらに赤くなった。
「見て分かるだろ!こちらに増援に来ないとはどういう了見か聞いてこい!」
ゴルドは腕を振り回して怒鳴り散らした。
ゴルドはうろうろしたり、味方の不甲斐なさに怒鳴ったりしながら伝令を待った。
間もなく、伝令兵が戻って来ると、
「 ミツカイ様からのお言葉です。『功を焦って味方を殺すほど愚かな事はありません。私達は門の南側に穴を開けます。そこを引き上げて、私たちの後から着いて来なさい』との事です!」
と言い、伝令兵は足早に下がった。
ゴルドは激怒した。
みるみる顔が赤黒くなり、額に血管が浮き出る。
「たった今から、オレより後方に行く者は敵味方関係なく全員斬り殺す!全員全進!突撃だぁ!」
そう叫びながら剣を引き抜くと、フラン軍第五師団は崩れた壁にむかって突進した。
ヒーナたち第八師団は、町の大門の手前、向かって右手の少し南側で進軍を停止した。
先頭はギリギリ矢が届くくらいの距離である。
ヒーナは、隊列の中程から先頭へ歩いて出た。
その後ろには、ベッヘル率いる騎馬兵が数十騎ついてきている。
ヒーナが先頭へ出たとき、先頭の隊を指揮しているヤードと、ファーゼが歩み寄った。
「いいのですか?あれで…」
第五師団の突撃を見てヤードが、心配そうに言った。
「伝言通り後ろに着いて来ればよし、来ないで突撃すればなおよし、ですよ…」
ヒーナは、少し悲しそうな顔で答えた。
それを見ていたファーゼは、
「何でそんな顔をするのですか?」
と聞いてみた。
ファーゼ自身は、こちらを嫌っている相手が勝手に自滅したのだから、少し小気味良い感情を抱いていたので、不思議だった。
「第五師団の兵を思って、ですかなぁ~?」
ベッヘルがいつもの調子で口を挟む。
ヒーナが浮かない顔でうなずく。
そこでファーゼが、
「彼らが命を散らせなくとも、数日で町は落ちた。無理に攻撃する必要はなかったのに…と?」
と訪ねると、ヒーナはこくりとうなずいてから、すぐに厳しい顔になって、
「早く救います。被害は少ない方がいいですから」
と言って、両手を突きだした。
光の濁流が門の南側を押し崩す。
いつにも増して大きな光の濁流であった。
門の右側が少し削れるくらいの大きさで、門の両脇にある物見櫓の、南側の物見は崩れ落ち、門の扉は右側だけが、ぐらぐら揺れていた。
力を使ってふらつくヒーナを給仕係のソフィアが乗っている小ぶりの馬の馬上に引き上げた。
ソフィアとヒーナの二人乗りになった馬を確認したヤードが、自分の部隊に帰りながら突撃の号令を叫んだ。
同じく、ファーゼも突撃の号令を下す。
ベッヘルも、
「出番だぜ~!」
と叫んで騎馬でヒーナの馬を囲みながら、今開いた防壁に突撃していった。




