第二十五話 <雪が降る戦場>
丘と言ってもなだらかな丘、周囲が平地なので高く見えるが、実際はそんなでもない。
ただ、ポード軍の陣の背後は、結構急な坂も多かった。
しかし、時間にして十分程で先頭のヤード隊が登りきった。
頂上付近に近付いてようやく弓矢がパラパラと飛んできていたが、それでもまばらで、被害はかなり少ない。
丘の上から金属のぶつかる音と怒声、号令が聞こえる。
真っ黒い煙が上がる。
焦げ臭い。
ポード軍の陣に火を放っているのだろう。
奇襲は成功したようだ。
ヒーナが頂上に着いたとき、丘の上のいたるところから火が上がり、ポード軍は散々になって逃げたり戦ったりをしていた。
右手前方、燃えるポード軍の旗の向こうに固まった一団がある。
ヤードがしきりに「ポードの師団長を討て!」と叫んでいた。
そこに雪がいるのであろう。
彼女の近習の近衛兵であろうか、退きながら師団長を守って戦っていた。
ヒーナがそちらに駆け付ける。
ポード兵たちに囲まれ、緩い坂を下りながら、鎧も着けない軽装で、柄の長いナタの様なモノを構えている、深い茶色の髪、色白の少女が見えた。
――― あれが雪? ―――
「回避の太鼓を鳴らして!」
ヒーナの命令が飛ぶ。
ドン!ドドド ドン! ドン!ドドド ドン!
太鼓の音に、雪の一団を攻撃していたヤードたちが、左右に飛び退いていく。
突然散ったフラン兵に、怪訝な顔で坂を見上げる雪。
肩幅に両足を広げ、両手を付き出したヒーナと目が合う。
雪は一瞬ハッとした顔になり、すぐに「弓を!」と叫んだ。
その時、ヒーナの両手の前に光の円盤が現れる。
刹那、光の円盤から光の濁流があふれれだし、坂を下って迫り来る。
あれは何だ?第三師団を破った奴の力か…ならば、死ぬのか?
呆然として、ただその光が迫り来る中、何もできない雪。
瞬間、左腕を強く握られて振り返る。
そこには銀髪にそばかすのちらばる少女の顔があった。
その青い目には強い力が込もっていた。
すぐに、辺りが光に溶けていく。
体が軽くなり、リンダの顔の色が消えて背景が透けた。
そしてすぐに、全てが真っ白になった。
強い衝撃。
雪は堪えられずに目を閉じた。
ふと気がつくと、雪は草むらに横たわっている。
曇りがちな暗い空が見え、土と草の臭いが鼻につく。
「怪我はないか?」
その声はリンダであった。
遠くに金属のぶつかる甲高い音や喧騒が聞こえる。
「生きている…のか…」
雪は上半身を起こした。
身体に痛みはない。
「光の激流に流されて、ここまで飛ばされたんだ。幸いにも、お前が意識を無くした以外は、怪我もなければ身体に異常はない。しかし…」
雪は言葉を続けようとするリンダを遮った。
「お前が私を助けてくれたのか?」
あぁそうだと頷きながら、リンダはバツの悪い顔をした。
「じつは…命令違反だ…。背後に火の手が上がった時、フラン軍だと思った。フラン軍の第三、第五師団にはミツカイがいない。背後から来た新しい敵はミツカイかと思ったんだ。どうしてもミツカイをやりたかったから…」
雪はリンダの事情を知っていた。
たがらそこは深く聞かなかった。
「この前の暗殺失敗も、あの力が原因か?」
雪の質問にリンダは頭を振った。
「いや、初めて見た。正直、気化して助かるかも分からなかった。空気は弾き飛ばされるんだな…。私とお前以外は全部消えたよ…。助けられなかった…。」
リンダは地面に視線を落とした。
雪はリンダを見つめるのをやめて、無言で遠くの戦場を見た。
丘の上は炎が燃え盛り、いく筋もの黒い煙を上げている。
斜面を行くフラン軍が、丘の下へ逃れるポード軍に弓矢を浴びせている。
丘の下では、降りてきたポード軍とフラン軍が全面激突しているが、この様子だと確実にポード軍の損害が増えるだろう。
「戻らねば…」
雪が呟いて立ち上がった。
「死んだ筈の師団長が戻ってきたら、士気は上がるだろうが、今より混乱しないか?」
リンダが心配そうにたずねる。
このお喋りな銀髪娘は、時々鋭い事を言うから侮れない。
「じゃあここで黙って見てろというのか?味方が壊滅するのを…」
悔しそうに戦場を睨む雪に、リンダも黙った。
二人を湿気を含んだ風がなでた。
やがて、リンダがあっと声を上げた。
「雪、今日は力をまだ使ってないよな?」
「あぁ…雪を降らせる事も、敵を雪にすることも出来るが…」
そこまで言って、なるほどと、雪はほくそえんだ。
「もう少し町側に行こう、急いで!」
そう言うが早いか、戦場とは反対に方向に駆け出した。
リンダも慌てて後を追う。
走りながら、振り返った雪は「じつわな、…」とリンダに向かって叫んだ。
「…私は、寒いのは苦手なんだ!」
斜め後ろから見た雪の横顔は、微笑んでいるようにも見えた。
「丘上のポード軍陣営はあらかた焼き払いました!」
肩で息をしながらセルドが報告に来た。
丘を駆け上がり、大声で指示を出し続けているせいか、ヒーナは額に汗の玉をつくっていた。
「ご苦労様です、そのまま後方の護衛をお願いします。逃げる敵は追わないで下さい」
そう言ったが早いか、「中央ヤードさんを少し下げて下さい!」と叫んだ。
「セルドさんの後軍から百くらい、右軍ラグンさんへ加勢するように伝えて!」
叫び声とともに、ヒーナの唇の前に白い煙がうっすらと出る。
「右軍の右翼をもっと前に出させて!」
ヒーナの額に浮かぶ玉のような汗がだいぶ小さくなってきた。
「右軍の左翼は中央ヤードさんの列まで引いて!」
「弓兵はまだ待機!」
ヒーナの叫ぶ声を乗せて、吐く息がハッキリと白くなってきた。
汗はもうなくなっている。
「ヒーナ様…これを…」
アンナの代わりに入った給事係のソフィアが、分厚いマントを持ってきてヒーナの肩にかけた。
「…ありがとう、だけどこれだと暑くない…?」
と言いながら、ヒーナは空を見て、あらためて周りの気温を意識した。
寒い。
そういえば指先がかちかんでいる。
これから暑くなる季節、初夏である。
こんな時期にこれだけ寒い事があるのだろうか。
上空から白いものがちらちら降ってくる。
ヒーナは手のひらを空に向けた。
その手のひらに小さな雪が舞い降り、さっと溶けた。
「…雪…まさか…生きてる…!」
思わず口に出したその時、「ミツカイ様!」とセルドが飛んできた。
「後方の兵の話ですが、先程、ここから北へ一時間くらいの距離で、空に向かって青白い光の玉が登るのを見たと!」
「それは、ポード軍の雪の力ですか?…」
「おそらくは…いえ、間違いないでしょう。でないとこんな時期に、さっきまで暑かったのに、急に雪が降るなんてことはありません」
セルドの言葉にヒーナは考え込んだ。
まず、どうやって助かったのかが疑問であった。
しかし、そんな事は置いておいて、取り合えずは雪の行動の意味を理解しなくてはならない。
丘から追いやった今の時点で、この戦場は、ほぼフラン軍の勝利で間違いない。
計略を得意とするなら、そんな事は雪も分かっているはずだ。
なのに今さら青白い光の玉を打ち上げ、わざわざ自分の存在を示してまで、戦場に雪を降らす意味があるのだろうか…。
敵に対する行為でないとすれば…。
雪が死んだと思っている味方へのアピール。
それと、速やかな退却の命令。
死んだと思われ、混乱している味方に、自分の存在を知らせて、士気を上げ、退却を促す。
―――なるほど…うまいやり方ね…―――
ヒーナは素直に感心した。
しかし感心している場合ではない。
早く対策をしないと。
「完全に北側を空けましょう!退却する敵兵を追い、モナリの町を囲みます!」
ヒーナは伝令兵を呼び、フラン軍第三、第五師団にも連携のお願いをするように伝令を飛ばすと、丘を下る準備を始めた。
昨晩の雨の中の進軍と、早朝の突撃。
まだ昼になっていないとはいえ、兵の疲れはいくばかりだろう。
「みなさん!」
ヒーナは思わず丘の斜面につき出した小さな崖から、眼下のフラン兵に声をかけた。
「今、この時は疲れているでしょう、大変だと思います!」
崖上のヒーナを、戦闘していない兵士たちが振り返る。
しまった、と思ったが、もう話し出していた。
疲れている兵達に声をかけずにはいられなかったのだ。
ならば、思ってることを言ってしまおう。
「これは、フランの地を守る為の戦いです!」
そこへ弓が飛んできた。
ヒーナは、今はそれを恐いとも思わず、簡単に剣で打ち払って叩き落とした。
「どうか、私を信じて、力を貸してください!平和なフランを取り戻しましょう!」
ヒーナの声に、フラン第八師団のいたる所で歓声が上がる。
「我らミツカイの兵はヒーナ様と共に!」
後方のセルドが叫んだ。
「ミツカイ様とともに!」
兵達が呼応する。
「ミツカイ様!」
「ヒーナ様!」
また弓矢が飛んできた。
「全軍前進!」
ヒーナは号令をかけながら崖から飛び下りた。
矢は誰もいないがけの上に刺さった。




